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藤原冬嗣〜基経 :「摂関政治で北家へ権力集中」の基盤作る! 2

2013−09ー02

のつづき)


★ 「長屋王の変」は729年に起きていますが。。。長屋王(天武天皇の孫、母は蘇我氏)は母親がヤハウェ王族の血を引いており皇子もたくさんいたので将来、多くのヤハウェ王族が天皇になる可能性がありました。しかし、それは、自分たちの血族からの天皇を切望していたアングロサクソ脳族たちにとっては大変な脅威だっのでしょう!

そのため、アングロサクソ脳族の県犬養広刀自=「チビタコ女王」は、728年に自分と聖武天皇(母親がアングロサクソ脳族)との間に生まれた「安積親王」を将来天皇にしたいと願っていたはずです。そのために光明子と聖武天皇との間に生まれた「基王」を殺害し、「長屋王の変」のクーデターを起して長屋王一家をみな殺しにすれば、次期天皇は「安積親王」なるはずと目論んだのでしょう。

この「長屋王の変」は藤原四兄弟の仕業ではないと思われます。アングロサクソ脳族改ざん歴史における冤罪です。藤原氏はもともと天皇にはなれない家系なので、一族の子供を天皇にするつもりなど最初からなかったのでしょう。ところが、後日、「長屋王の変」が県犬養広刀自側から出た讒言(ざんげん)であることが判明したため「安積親王」が将来即位することは不可能になったのでしょう。それで王位継承者がいなくなり、光明子を皇后に格上げして、その娘「安倍内親王」を臨時の天皇「孝謙天皇」とするしかなったのでしょう。


< p.s.1& 訂正>

上のサイトAを読むと、光明子の母は「県犬養三千代」だったのですね!😧 そうだったの〜!そして、「長屋王の変」の後、光明子の娘である阿倍内親王が女天皇「孝謙天皇」(こうけんてんのう)として皇位に就き、光明子は皇后に格上げされるなど、多くの利を得たのは、光明子と実母・県犬養三千代側です。

すると、この「長屋王の変」の真の目的は、次期「天皇」として一番優先順位の高い「長屋王」の子供たちが邪魔だったために"やり手婆"(やりてババア)の「県犬養三千代」が聖武天皇(アングロサクソ脳族、三千代の孫)を上手く操って、長屋王の一家を皆殺しにしたと考えられます。そして、実は三千代とグルになっていた県犬養広刀自は(自分の下臣に讒言をさせるなどして)悪役を引き受けたのかもしれません。

同族同士の皇太子を望む権力争いを装って、実は、長屋王の妃であった吉備内親王(きびないしんのう)* の子供たち(ヤハウェ王族)を皆殺しにして天武系(ヤハウェ王族系)の天皇継承者を断絶するのが目的であり、アイゼンベルグ(元祖ETタコ)の大策略によって起きたクーデターだったのではないでしょうか?事実、これにより天武天皇系は断絶します!!!これは歴史上の大事件です!!!

* 吉備内親王(686?~729)

吉備内親王は、草壁皇子(天武天皇と持統天皇の皇子)と元明天皇(天智天皇と姪娘の娘)の娘です。

ですから、上のウィキには吉備内親王の皇子たちにも皇位を継ぐチャンスもあったように書かれていますが、実は、聖武天皇の妃たち光明子や県犬養広刀自は天皇家の一族ではないので皇后にもなれなかったことからも分かるように、長屋王と吉備内親王の皇子たちのほうが次期天皇に就く継承順位は高かかったのです!!!


( 2014.09.01 10:20 p.m. 記述完了)

< p.s.2>

平城京で起きた最初の政変・長屋王の変・・・(β)

式家の「宇合」に長屋王宅を取り囲ませたのは聖武天皇であり、それを裏で操っていたのは県犬養三千代(=アイゼンベルグの女性形クローン)です。藤原四家のうち、武智麻呂・房前・宇合の母親は額田大王(=持統天皇)なので、長屋王の妻「吉備内親王」の父親の草壁皇子(母親は額田大王)とは父親の違う「異父兄弟」の関係にあったのです。そして、3兄弟は藤原家というより、蘇我家の血筋を引いていることを十分承知していたと思います。

しかし、聖武天皇の命には逆らえなかったのでしょう。

舎人親王(とねりしんのう、676~・・・B

父は天武天皇、母は新田部皇女(にいたべのひめみこ、?~ 699)
新田部皇女の母親は橘娘(たちばなのいらつめ、?~ 681)

ということで、この舎人親王も皇位継承権があったようですが、母親がアングロサクソ脳族だし、どう見てもあまり素行がよさそうな風体(ふうてい)ではありません。

新田部親王(にいたべしんのう、?~735)・・・C

父は天武天皇、母は五百重娘(いおえのいらつめ)で、鎌足の娘。藤原四家の一つである「京家」の祖藤原麻呂の母親でもある(ただし、麻呂の父親は不比等)。

新田部皇子 にいたべのみこ

新田部皇子 の母・五百重娘(いおえのいらつめ)は、その名を「大原大刀自」ともいうとあり、この女性は県犬養広刀自(アイゼンベルグ系)と関係があるようなので、おそらく、五百重娘の母は県犬養広刀自なのかも?

719年にBの舎人親王とCの新田部親王は、幼い「首皇子」(後の聖武天皇)の補佐を命じる詔(みことのり)が出される。」とあります。ですから、聖武天皇とは非常に親しい気心の知れた仲だったということです。また、「当時、天武の皇子として両親王のみが存命しており、両親王に対してその重要な立場を「慎む」旨(むね)促(うなが)している。」とあり、両名の行動にいろいろと問題があった様子が伺えます。そして、「ある婦人から「髭無き」ことをからかわれる歌がある。」とのことから、やはり、アイゼンベルグ系の元祖タコETだったと推察されます。

というわけで、舎人親王と新田部親王は、ともに天武天皇の子であるものの、母親がアングロサクソ脳族であり「天武朝」では皇位継承順位は長屋王(天武天皇の孫)やその子供たちより下だったと推察されます。それで、アイゼンベルグ系の県犬養三千代や県犬養広刀自に操られ、長屋王を自殺に追い込めば、自分たちにもチャンスが巡ってくるとかもしれないと多いに期待をしていたことでしょう。藤原武智麻呂よりも、このふたりが激しく長屋王を恫喝して長屋王と吉備内親王と、その二人の子供たちを自殺に追い込んだ張本人は、この二人だったように推察されます。しかし、ふたりや聖武天皇を影で上手く操っていたのは県犬養三千代と県犬養広刀自だったのではないでしょうか?

(2014.09.02 10:50p.m. 追記)


上のリンク先サイト(β)のもう一つのウソを発見!!!

1のリンク先サイト(α)や2の上のリンク先サイト(β)などは、アングロサクソ脳族が「コンピューター京」(別名:BEAST=野獣:に自分たちの過去の記憶など脳内の内蔵コンピューターに記憶されていたものを「京」に加えているはず)を駆使して書いたブログであり、当然、ヤハウェ系(人間)たちをダマすために綿密(めんみつ)に計算されて書かれています。それで、,と、わたしなりに、彼らアングロサクソ脳族の歴史改ざんを暴いてみたのですが、まだ、もう一つ残っていました。

それは、「2月11日、窮問使が長屋王邸に乗り込む」のところですが、藤原武智麻呂(?舎人親王かも?)が厳しい目を向け長屋王に向けて聞いたとあるところのくだりです。
「親王どのは2日前、元興寺の大法会で沙弥(しゃみ、在家の仏教信仰者)を笏(しゃく)で打たれましたかな?」 と聞かれ、「ああ、その日は吾が大法会の司となり、衆僧に食事を供える役目を担っていた。食事の準備の様子を見ようと配膳所に行くと、見苦しい姿の沙弥が施しを受けていた。それで、その場を立ち去るように叱責して手にした笏で頭を打った。打ち所が悪かったのか、頭が切れて血が噴き出し、沙弥は恨めしげに涙を流しながらその場を立ち去った。それがどうかしたというのか?」 と長屋王は答えたというものです。これはまったくのでっち上げの大ウソです。

ご存知のように、S字型のバール* のようなもので人の頭を殴るのはアングロサクソ脳族の支配方法の特徴であり、このS字型(これはヘビの形をも表している)は南アラビアの「サバ王国」の王族たちの手紙にも"王家の紋章"として用いられていたとのことでした。(ニコラス・クラップ著『シバの女王』より)

* バール(工具)
バール(工具)
バール(工具) 画像集


また、下のツタンカーメン展のサイトを見ても分かるように、エジプトのアングロサクソ脳族系ファラオであった「ツタンカーメン」や「クレオパトラ」たちがファラオ=王の象徴として両手に持っていた杖(上部がヘビの頭のようなS字形の棒)と殻竿(タコの脚のようなムチ?)は、彼らの出自と暴力による支配方法を表しているような気がします。

ツタンカーメン展 東京会場

からざお(殻竿)の意味 - goo辞書
脱穀の道具とありますが、それならもっと大きな底に網の張ってある木箱のようなものを使っていたような気がします。わたしが幼児の頃に祖母ノヨがそのような道具を使って精米をしているのを見たことがあります。

つまり、上のブログ(β)では長屋王が托鉢(たくはつ)**している僧侶の頭をシャクで叩くなどという野蛮な行為をしたと大ウソを書いて、長屋王の人格を貶(おとし)めているのです。仏教信仰を盛んにした聖武天皇の時代において、このような罰当たりな行為をしたことにして長屋王に不利な状況をまず最初に演出しているのです。

** 托鉢(たくはつ)とは:永平寺歳時記HPより
托鉢

彼らアングロサクソ脳族たちは徹底してヤハウェ王族の悪口をよく捏造(ねつぞう)して喧伝(けんでん)***します。ヤハウェ王族が死んでからもなお盛んに悪い噂をバラまきます!!

*** けんでん(喧伝)の意味 - goo辞書

わたしの父が亡くなった後にも、母に県の土木課に勤務していた父が賄賂をもらったような話をした人がいたと母がボソッと言ったことがありました。でも、父は「わしは賄賂なんか絶対にもらわん!」とわたしたちに言っていましたし、あの父のような性格では実際そうだったろうと思います。しかし、アングロサクソ脳族たちは死人に口なしをよいことに、勝手に捏造して悪口を言って広めていたのです。また、2011年夏に母が危篤状態で島根に帰省した折に、老人ホームから病院に入院していた母は、もうダメだろうということで偽姉(次女)・谷本由香子=いしだあゆみ=新生ヴィーナス=梶美奈子(小境一機など他にもたくさんの家庭も持っていた)の谷本家にその数週間前から世話になっていたのですが、由香子姉(その時はまだ実の姉だと思っていました)のところに京都の高松伸ちゃんから電話があり、電話を終えると姉が「伸ちゃんが『おばさんには、わし、よう叱られたけな〜』って言っとんなったわ。」と言うので、わたしが「え〜、そんな〜 お母さんが、伸ちゃんなんか叱ってるのわたし一度も見たことないよ!」とちょっと怒って言うと、由香子姉は「わたしなんか他人に何言われようが、世間の評判なんて全然気にしないよ!」と慌てたように大きな声でやり返すように言ってました。しかし、姉はウソをついていたのです!何よりも、評判を気にしているのはアングロサクソ脳族たちの方なのです。そして、世間の評判というものを自分たちに都合よく上手に作り出し、大衆をダマして上手く操作してきたのはアングロサクソ脳族たちであり、そういったウワサとか評判の功罪を一番熟知して利用しているのもアングロサクソ脳族たちなのです!

初期ローマがローマ人と同族のエトルリアのヤハウェ王族王のスキャンダルを捏造されてサビニ王に政権を奪われたのもしかり、マリー・アントワネットのでっち上げられた噂などによるフランス革命もしかり(実はアングロサクソ脳族たちのブルボン朝の王族・貴族たちの贅沢な生活のため)、ロシア革命が人民のための革命だなんていうプロパガンダも大ウソだったし、中国文化革命も人民のための革命ではないし。。。その他もろもろ。。。数えきれないくらいの残虐な戦争やクーデターや革命はこのようにしてアングロサクソ脳族の大ウソと残虐な殺害行為などにより太古の昔から行われてきたのです。

島根からの帰省後、わたしはさらに気がつきました!彼らアングロサクソ脳族たちがヤハウェ王族たちに関して生前はもちろん、ヤハウェ王族たちの死後には死人に口なしなのをいいことに、必ず、前にも増して悪い噂を捏造し喧伝する習性があるということに。ロムルスとレムスの双子の兄弟同士の争いやオオカミに育てられたことなどを描いたローマ建国神話(捏造歴史)もそうですし、GHQのマッカーサー将軍や、吉備国(岡山)の王「温羅」や桓武天皇などヤハウェ王族=蘇我氏や蝦夷(えみし)や熊襲(くまそ)の王族などに関してもそうですし、数えきれないほどの卑劣な大ウソを喧伝してアングロサクソ脳族捏造歴史を創ってきたのです。

また、最近では、以前、わたしがラジオのニッポン放送の「ザ・ボイスそこまで言うか!」を紹介したのですが、その中でも、木曜のコメンテーター青山重晴氏(ヤハウェ王族)に放送中に「わたし青山重晴"博士" は。。。」とわざと博士をつけて言わせているのは「シバの女王」&アルバート公です!これまでで、3回ほど青山氏が自分の名前に博士を付けて言われたのを聞きいて、2回目まではどうしてだろうと不思議に思って聞いていましたが、実際、青山氏は自分を偉く言うような方ではないと分かっているので。。。3回目でやっと謎が解けました!以前から、わたしがラジオのいろいろな放送を聞いていると、なにやら、急にセクシーな曲ばかりかかるようになったり、ラジオのパーソナリティーがなんだか変なことを言い始めたりするのは気がついていましたが、まさか、このような番組でも、そのような脅しのメールが入っているとは知りませんでした。要するに、いろいろとアングロサクソ脳族たちに都合の悪いことを話している青山氏の信用を落とすために、わざとこのようなことをさせているのです。青山氏もラジオ局が爆破するとかなんとか脅迫メールを送られては身もふたもなく、「シバの女王」たちに従っているところも少々あるようです。例えば、原発最稼働賛成と青山氏が主張しているのも仕方なくそう言っているのだろうと思われます。もちろん、他の政治・経済などに関する専門家たちのコメントもそういうところが多少あるのは、現状では致し方ないようです。
😔😒😥

(2014.09.05 7:50 p.m. 記述)


につづく)
by Ulala-lov | 2014-09-02 19:12 | 古代日本朝廷