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三河国城主「水野氏」、その祖先と子孫



徳川家康(=当時は松平家康)の正室「於大の方」は水野家から松平家康のもとに嫁いできていました。では、水野氏とは。。。




★ 源経基は平将門と対立して戦っていることから、アングロサクソ脳族系のようです!

源経基の父は清和天皇の第六皇子貞純親王(さだずみしんのう、873?~916)(最下部の系譜に注目)
しかし、陽成源氏説があり、源経基が陽成天皇の皇子・元平親王ではないかとする説だということです。(アングロサクソ脳族改ざん歴史の中では、少数派のほうが正しいかも?)


藤原良房(よしふさ、804~872)が後見人につき、外戚として政治の実権を握ったとあります。 染殿、白河殿と称されるとあり、象二郎系天皇とヤハウェ王族の女性との男の子ですかね?皇族以外の人臣として初めて清和天皇の摂政の座に就いたとあります。藤原北家善政の礎を築いた存在であり、良房の子孫達は相次いで摂関(せっかん、摂関家:せっかんけ)=摂家(せっけ)となったそうです。
(摂関とは摂政・関白の公家の家格の最頂点の役職のことを指し、摂家はその公家で最高位の家格を指します)




この水野忠政の像を見ると、わたしが愛知県警の音楽隊にいた時の水野さんという中年の男性にソックリです!(同じ人物でしょうか?!もし、そうなら不死のヴァンパイアってことです!!)そして、アイゼンベルグ系のような顔立ちです。また、下のほうの像は徳川家康の征夷大将軍になった時の記念像でしょうか?松平家康(本物)に変装しているものの、なんだか耳が非常に多きくて、下あごが長いのを誤魔化(ごまか)すために口の両端を下にグッと下げています〜!

◎◎◎ 鶴牧水野氏 〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜

(引用)「清和源氏の血を引き、当初は『緒川』姓を名乗っていた。1475年、小川貞守が小川本城、刈谷砦(かりやとりで)を築城、西三河の勢力を拡大して水野姓に改正する。小川水野氏の祖小川清房が京都西嵯峨水野邑(ゆう)里長(さとなが)に在住していた事に由来する」とあります。
天保の改革(てんぽうのかいかく1830~43)を行った水野忠邦など多くの人物を輩出している。(江戸時代に要職を占めて一族は繁栄していたということですね!)
水野成之(なりゆき、江戸時代前期の旗本)で『十郎左衛門』で知られ、旗本奴(はたもとやっこ)であるとされるが、実際は譜代の名門大名水野成貞(なりさだ、出雲守)の長男は「かぶき大名」と呼ばれた。その父の水野勝成(かつなり、1564~1651、備後福山藩初代藩主=中国・四国地方の重要拠点)です。

★★★ そして、勝成の父・水野忠重(ただしげ、1541~1600、伊勢神戸城主→名護屋在陣→刈谷城主)は水野忠政と華陽院の息子であり、「於大の方」(松平家康の正室:新生ヴィーナス)とは同母の兄妹です!!!

上のウィキの説明を読むと、水野忠重は家康の影武者も務めていたようで、そうなると、『伊賀越え』の後で徳川家康=アイゼンベルグの影武者も水野忠重が務めていた可能性が高いです。なので、先のリンク先のサイトAの徳川家康は眉尻がやや下がっていて、それで〜、この「徳川家康」像(水野家所有?)は「水野忠政」像や「於大の方」像の顔にな〜んだか似ていたのですね〜!!   045.gif そっか〜!。。。。ガッテン承知の助け!056.gif056.gif

また、忠重は異母兄で嫡男の「水野信元」*とは共に信長の家臣となっていましたが、1561年以降から兄弟仲が不和となり、忠重は松平家康の家臣になったのだとか。そして、信長と家康とが協定を結び、共に同じ軍勢で戦うようになっていたのですが、1575年、信元が武田氏の内通の嫌疑をかけられて織田信長に殺害されたとあります。本当は弟の忠重が内通していたのを仲の悪い兄に濡れ衣を着せたのかも?

さらに、「1580年より水野忠重は織田信長より刈谷城を与えられ信長の家臣に戻り、信長の嫡男・織田信忠の軍団に組み込まれたらしい。(途中省略)1582年6月、『本能寺の変』が起こると、信忠と共に二条城にあったが脱出して三河国刈谷に逃げ戻り、以後は織田信雄(信長の次男:アングロサクソ脳族)に属した。」とあります!

★★★ つまり、水野忠重が中心となって水野氏の多くの武将たちは織田信忠を見捨てて、あるいは殺害して、京都を逃げ出したということです!!!

水野家嫡男。母は松平信貞(のぶさだ)* の女(=娘)

* 信貞=松平昌安(まさやす)=通称:禅定左衛門
[義父]=松平光重(みつしげ、?~1508)で、「大草松平家」** 初代当主=三河松平氏3代当主松平信光(のぶみつ、生誕・死没年代不詳)の5男

[実父]=西郷頼嗣(よりつぐ)


聟養子(むこようし)










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by Ulala-lov | 2014-08-14 15:26 | 日本史 中世