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<別添> サクス・コーブルグ・ゴータ公カール・エドゥアルト=タレントの清水国明=ムッソリーニ 1

ザクセン=コーブルク=ゴータ公国
第4代ザクセン=コーブルク=ゴータ公カール・エドゥアルト ウィキペディア・・・A

ウィキサイトの下の写真[=若い頃のカール・エドゥアルト]を見ると、カールは、わたしが仁摩ルーテル教会に通っていた時に、新しく仁摩教会ができたので親教会にあたる大田教会から移籍してきた庄司さんという男性によく似ています。梶美奈子さんの話では、年は30歳くらいで、土木現場の作業員をしていると聞きましたがウソだったのでしょう。庄司さんに初めて会ったのは、宣教師のヒルドレ先生から温泉津の庄司さん宅で家庭集会あるから誘われて一緒に車で連れて行ってもらった時でした。肌の色がかなり浅黒く、短いボサボサの髪をしていて、温泉津の一軒家にひとりで住んでいました。老いた両親は養護老人ホームに入っているとのことでしたが、これもウソだったのでしょう。


なんか、1970年代にヒットした「赤とんぼの唄」を歌っていたフォークグループ「あのねのね」の歌手でタレントの清水国明に似ていると今気がつきました!そう言えば、清水国明の特徴のあるしゃべり方は庄司さんの話し方とよく似ていました。

あのねのね ウィキペディア 活動期間1973年〜
魚屋のおっさんの唄(あのねのね)- 鈴木の「一日一善・一日一曲」
あのねのね:Emperor Capybara Lodge / HAL
右側の清水國明の八重歯と出っ歯ぎみの前歯は造りものです。コンビを組んでいる原田伸郎は息子*のようです。そして、二人とも鼻翼を大きく造っています。
*ヨハン・レオポルト・フォン・ザクセン=コーブルク・ウント・ゴータ ウィキペディア
写真を拡大すると、目の二重まぶたがクッキリしているところや口元や顔の輪郭(りんかく)などが原田伸郎とよく似ています。眉はわざと太くして眉尻を垂らしているようです。
あのねのね みかんの心ぼし 1980
あのねのね 画像集

妻は清水敬子さんという人ですが。。。梶美奈子さんに似ている清水敬子さんと、そうでない清水敬子さんがいますが。。。
プリザーブフラワーフラワー教室 広島 アピュイ華アトリエKEI - 清水敬子 プロフィール
この人は新生ヴィーナス=梶美奈子さんによく似ています。

わたしが仁摩ルーテル教会に通い始めて3〜4年目くらいの1995年頃に庄司さんは結婚したのですが。その庄司さんの奥さんは大阪からやってきた旧姓「高橋」さんという女性でしたが、下のサイトの清水敬子さんは確かにその奥さんに似ています。(清水国明はその前にも離婚して、新しい奥さんか恋人がいたはずですので、そうなると3度目の奥さんでは?)

しかし、最初のフラワー教室を主催している清水敬子さんが梶美奈子さんに似ていることから、美奈子さんのクローン人間なのかも?。。。しかし、同じく仁摩ルーテル教会に通ってきていた梶美奈子さん(美奈子さん自身もちょっと変装しているのかもしれませんが)と庄司さんの奥さんがソックリでは変なので、ダンサーの清水敬子さんのように、かなり変装して顔を造っていたのかも?

清水敬子 プロフィール
そして、こちらのダンサーで清水国明の奥さん
清水敬子とは - コトバンク
多毛作倶楽部発足記念パーティー アクティブシニアフェスタ2010

清水国明のパンコーディネーター l 芸能人の意外な資格

【あの人は今?】清水国明さん(赤とんぼの唄/あのねのね) - NAVERまとめ

【画像あり】美人ライダー・国井律子(37)気ままに寄り道バイク旅 昨年結婚 - NAVERまとめ

ん〜、結婚のお相手は清水国明さんかな?しかし、清水氏は、いったい何度目の結婚なんでしょうか?でも、まさかこの国井律子さんも梶美奈子さんが変身した姿とか?

そして、清水国明さんのザクセン・コーブルグ・ゴータ公カール・エドゥアルトとしての妻は、ヴィクトリア・アーデルハイト・フォン・シュレースヴィヒ=ホルシュタイン=ゾンダーブルク=グリュックスブルクは、ヴィクトリア女王(若い頃)=梶美奈子さんによく似ています。ヴィクトリアという名前も同じですしね。


また、先のウィキサイトのカール・エドゥアルトのウィキペディアでの説明を読むと。。。

『最後のザクセン=コーブルク=ゴータ公』(から一部引用)
第一次世界大戦中、ドイツ皇帝ヴィルヘルム2世の従弟でもあったカール・エドゥアルトはドイツ人としてドイツを支持し、ドイツ陸軍の将軍として任務に就いていた。大きな指揮権を持つことはなかったが、イギリス王族がイギリスに敵対する立場に立ったということは看過(かんか:見逃すこと)できないことであった。そのためもう一人の従兄であるイギリス王ジョージ5世は、1915年にガーター勲章を、1917年にオールバニ公の爵位を剥奪した。なお、1917年にはイギリス王家の家名もドイツ風のサクス=コバーグ=ゴータ(ザクセン=コーブルク=ゴータ)家からウィンザー家へと改めている。さらに終戦後の1919年にはカール・エドゥアルトとその子孫からイギリス王族としての身分(Prince of the United Kingdomの称号とHRHの敬称)も剥奪された。一方、ドイツ革命によって1918年11月18日にはザクセン=コーブルク=ゴータ公も廃位された。公国はヴァイマル共和政のもとでバイエルン州とテューリンゲン州に編入されて消滅した。」とあり、

『廃位後』(から一部引用)
「さまざまな右翼系の武装組織や政治運動に関わった後、ナチ党に入党して突撃隊(SA)の一員となった。また、1933年から1945年までドイツ赤十字社総裁、1937年から1945年までは国会議員を務めている。」
「イギリスのチャンネル4が2007年12月6日に放送したテレビ番組“Hitler's Favourite Royal ”において、カール・エドゥアルトは実はドイツ赤十字社総裁として、ナチス政権が10万人におよぶ身体精神障害者、障害児を「恩寵の死」(Gnadentod)の名の下に殺害したことや、「水晶の夜」* 事件、またユダヤ人大虐殺、ユダヤ人問題の最終的解決などのことをすべて知っていたはずである、といった内容の報道がなされた。」とあります。

*水晶の夜 ウィキペディア 
官製暴動と呼ばれる政府が主導して起した暴動。特に関与が確実視されているのが宣伝相のヨーゼフ・ゲッベルス **である。ゲッベルスが突撃隊員や各管区の指導部を動員して行ったとされる。

**ゲッベルスについては、後日の別の記事にします。

につづく)
by Ulala-lov | 2014-03-15 21:10 | アングロ・サクソン王族