ハプスブルグ家がアングロサクソン王族「ロートリンゲン家」に乗っ取られた時 <1>

2014−01−16


オスマン帝国軍* による第二次ウィーン包囲(1683年)に際しては、オーストリア、ポーランド・ヴェネツィア・ロシアなど神聖同盟のヨーロッパの団結により、大トルコ戦争(1683~99)でオスマン帝国軍を排除しました。

* オスマン帝国
トルコ行進曲
ちなみに、1453年に東ローマ帝国(=ヴィザンチン帝国)の首都コンスタンチノープルを陥落させた時の君主「メフメト2世」というのはジョゼッペのようですし、神聖ローマ帝国カール5世の時のオスマン帝国君主「スレイマン1世」はアイゼンベルグだと推察されます。なので、第2次ウィーン包囲の時のメフメト4世もジョゼッペ、あるいは、その子孫だと推察されます。また、ムラト1世(在位1359~89)の時に「イエニチェリ」という軍隊を創設し、「新領土となったバルカン半島で、白人キリスト教徒の少年を奴隷として集めてつくった軍隊です。40戸に1戸の割合で、身体強健、眉目秀麗な少年を差し出させる。」とありますが、これはヤハウェ系の美少年を好む『新生ヴィーナス』、『シバの女王』たち(両性具有)、アイゼンベルグ、ジョゼッペ(ホモでありながら両性愛者、象二郎はホモではないらしいです)やその子孫たちの性奴隷と戦士の両方の必要を満たすために徴収されたものと推察されます。

オスマン帝国の君主
(アイゼンベルグやジョゼッペたちアングロサクソン王族たちのスルタン(君主)の鼻はわざと作って尖らせています。これはコウモリ族=テュルク系の鼻が尖ってややたれさがっているため彼らに似せて変装しているのです。)

ビザンツ帝国の滅亡とオスマン帝国
コンスタンチノープルが「イスタンブール」と改名されたのは、イースタン・ブル(牛)=牛頭王とも呼ばれる象二郎(アイゼンベルグと新生ヴィーナスの息子)に因(ちな)んだ名前がつけられたものと考えられます。ジョゼッペはいつも象二郎に花道を譲っています。自分は重要な局面での戦いの指揮をし、獲得した王座は象二郎に与え、いつも象二郎を立てています。おそらく、旧約聖書にあるように、ジョゼッペはアイゼンベルグ(=アブラハム)のいとこ「ロト」なのではないかと。それで、いつもアイゼンベルグや新生ヴィーナスや象二郎たちに遠慮しているのではないかと。。。なので、ジョゼッペもヤハウェ王族なのかもしれません。ただし、もしそうだとしても、かれらは、身体を戦士として最強になるように生物学的人造ロボットに改良(=ほんとうは改悪)していますので、もはやヤハウェ王族純血種の身体ではないのでしょう。



この時のバルカン半島遠征には、マリア・テレジアの夫となったフランツ1世の祖父シャルル5世(ロレーヌ公)* が総大将となってヨーロッパ軍を率いていました。なので、ロレーヌ公家はマリア・テレジアの父・神聖ローマ帝国皇帝「カール6世」(大トルコ戦争時は父のレオポルト1世が神聖ローマ帝国皇帝だった)から厚い信任を得ていたと考えられます。

* ロレーヌ公国(現在のフランス北東部・ドイツとの国境に隣接)は、1670年以降、フランスのルイ14世に領土を侵略されていたため、ロレーヌ公はオーストリアに亡命し軍人となっていました。アングロサクソン王族。

この「大トルコ戦争」ではロレーヌ公以外にも、こんな有力なアングロサクソン王族たちが協力していましたよ!

◎ [英国]
ジェームズ2世の庶子ジェームズ・フィッツジェームズ(初代ベリック公、母親はどう見てもアングロサクソン王族)
◎ [フランス]
ヴィラール(ドイツのマクシミリアンに仕えていた)
◎ [ドイツ]
・バイエルン公マクシミリアン2世
・バーデン・バーデン辺境伯ルートヴィヒ・ヴィルヘルム
・サヴォイア家出身でオーストリアに仕えたオイゲン・フォン・ザヴォイエン
・カレンベルク公エルンスト・アウグスト(後のハノーファー選帝侯)と、その長男ゲオルグ・ルートヴィッヒ(後の英王ジョージ1世)など


★★★ この時、オーストリア(ハプスブルグ家)には、いつもは敵のはずのアングロサクソン王族たちが大勢味方についてくれ、オスマン帝国軍=トルコ軍(テュルク系;トップはアングロサクソン王族)に勝利することができたのです。

▶▶▶ しか〜し、いくらヨーロッパがオスマン帝国に侵略される一大危機だからといって、あのアングロサクソン王族たちがそんなにお人好しなわけがありません!こういう時は何か悪いことを企んでいるに違いないのです!実際、この戦争では、オーストリア(=ハプスブルグ家;当時は「神聖ローマ帝国」皇帝を代々継承していた)の味方をしていながら、それは見せかけだけで、実は、これらのアングロサクソン王族たちは、みなオーストリア・ハプスブルグ家の敵だったことが後々判明するのです!!!

(結局、オスマン帝国軍とヨーロッパのアングロサクソン軍を連動させて操っていたのはアングロサクソン王族トップのアイゼンベルグたちだったのだろうということに気づいてネ!)

というわけで、オーストリアのカール6世(マリア・テレジアの父)は、この「大トルコ戦争」とスペイン継承戦争*では勝利したものの、1733~35年のポーランド継承戦争などで敗北し、ロレーヌ公国を失います。しかし、これらの戦争以前の「三十年戦争」の敗北で、「ウェストファリア条約」を締結し、実質、オーストリア・ハプスブルグ家の神聖ローマ帝国皇帝としての権威は地に堕ちていました。しかし、さらなる、これらの戦争続きで(これら全ての戦争はアングロサクソン王族たちがハプスブルグ家を乗っ取るための陰謀によって起きた戦争)、ハプスブルグ家は一層弱体化していったのでしょう。そして、ポーランド継承戦争の翌年1736年にロレーヌ公の孫「フランツ・ヨーゼフ1世」がマリア・テレジアと結婚し、オーストリアは実質アングロサクソン王族に乗っ取られてしまったのでした。

* スペイン継承戦争は主にフランスとオーストリアの争いと聞いていますが、結局どち… - Yahoo!知恵袋
スペイン継承戦争では、戦況が有利になると、オーストリア側についていたイングランドのピーターバラ伯が本国に召還(呼び戻すこと)されると劣勢になったというので変だなあと思って、その時の君主を調べてみると、ステュワート朝最後の君主アン女王でした。彼女の顔はどう見てもアングロサクソン王族です。その母親アン・ハイドで、どうも新生ヴィーナスに似てますよ〜!なので、スペイン継承戦争では表向きオーストリア側に味方していても、実は負けるように裏工作していた可能性大です。


また、ハノーファー公エルンスト・アウグストは英国ジェームズ1世の孫であるゾフィ(ドイツに亡命していた)と結婚しており、(しかし、ゾフィの母親のエリザベス・ステュアートはどう見てもアングロサクソン王族にしか見えないのですが。ウィキが褒めちぎっているのが怪しい証拠です)、ゾフィの祖父がジェームズ1世であることによってエルンストの長男のゲオルグ・ルートヴィッヒが英国の国王ジョージ1世となるなど、この頃(1600年後半〜1700年代前半)、ヨーロッパのヤハウェ王族の主要な王朝はアングロサクソン王族たちにどんどん乗っ取られていったようです。


★★★★★ ところで、ウィキのカール6世(神聖ローマ皇帝)のところを見ると、「1737年にオスマン帝国の再度の戦争に敗れてベオグラード(現在・セルビアの首都:かつてのユーゴスラビアの首都)を奪還され領土は縮小した。」とあり、1737年の数年前からオスマン帝国に『第三次ウィーン包囲」とも呼べるような『墺土戦争』(オーストリア対トルコ=オスマン帝国の戦争)が起きていたようです。

つまり、このような幾多の度重なる戦争とオスマン帝国(15万人の兵力=カエル&コーモリの生物学的人造ロボット)のオーストリアへの侵略が原因となって、カール6世は、"仕方なく"、長女で後継者のマリア・テレジアとアングロサクソン王族のロレーヌ公フランツ1世との結婚を受け入れざるを得なかったのでしょう。そして、この時、実質、ハプスブルグ家はアングロサクソン王族のロートリンゲン家に乗っ取られ、『ハプスブルグ=ロートリンゲン家』*になってしまったのでした。(ふたりが恋仲だったというのは後世にアングロサクソン王族によってでっち上げられた秘話なのでは?)

* ハプスブルク=ロートリンゲン家

そして、マリア・テレジア&フランツ1世の後は、長男のヨーゼフ2世が神聖ローマ帝国皇帝になりますが子供がなく、というのも、ヨーゼフ1世の妻マリア・イザベラ・フォン・ブルボン=パルマ)は敵対することが多かったフランス王ルイ15世の娘だったのですから(力関係で受け入れざるを得なかったのでしょう)、わざと、秘薬を飲むなどして子供をもうけないようにしたのでしょう。

また、その後を継いだ弟のレオポルト2世が帝位(神聖ローマ帝国)に就いたのですが、やはり、敵対するスペイン王カルロス3世(ブルボン朝=アングロサクソン王朝)の娘マリア・ルドヴィカ・フォン・シュパーニエンという、どう見てもアングロサクソン王族純血種と思われる女性と結婚しています。そして、やはり子供がなく、結局、フランツ2世フランツ2世が神聖ローマ帝国最後の皇帝になったわけですが、このフランツ2世は、わたしは今までヤハウェ王族だとばかり思っていたのですが、大いなる勘違いでした!ウィキの「フランツ2世」のサイト右側上部の肖像画を拡大してみてください。フランツ2世の顔をよく見ると、俳優の『ピーター・オトゥール』*にソックリで、しかもアイゼンベルグの顔です!!!(*のピーター・オトゥールの詳しい説明はつづきの記事 <2> の冒頭にあります。)

★★★ フランツ2世(神聖ローマ帝国最後の皇帝)=俳優のピーター・オトゥール=アイゼンベルグだったのです!!!

(2014.01.16 4:00 p.m. 記述完了)
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by Ulala-lov | 2014-01-16 23:32 | 西洋史