「ヤハウェ」の渡来 vs. 「須=すめら」の渡来 その9

大変済みませんが、この記事はまだ書きかけです。


紀元前12000頃、巨大隕石を落とされてアトランティスが沈没し始めた時、そこから逃れたヤハウェ王族率いるヤハウェ系の人々たちは、インド、ヨーロッパと次々に逃れていったものの、その都度、逃れた地に隕石を落とされ、紀元前8000年頃に最終的にたどり着いた先がアラトト山だったのではないでしょうか?そして、その地で人口を増やしていき、「肥沃な三日月地帯」*(メソポタミア〜シリア〜エジプトに至る地域)の一帯に定住していき、メソポタミア文明、アッシリア文明、エジプト文明を築いていたのでは。。。この頃はヤハウェ王族が支配者だったのですが、紀元前3000年くらいにスメラ(ETの王)の率いるアルム人(=アムール川上流からやって来た匈奴=ヤクート=テュルク=ヒッタイト=後のサクソン軍団)が東から攻めて来て、メソポタミアからシリアへ、そしてエジプトとしだいに征服されていったようです。

*肥沃な三日月地帯

a href="http://ja.wikipedia.org/wiki/アッシリア" target="_blank">アッシリア

アッシリアの地図

人魚

このブログ内の参考記事
『シバの女王』とは。。。17 パルミラ(4)
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by Ulala-lov | 2013-03-09 02:33 | 人類 | Comments(0)