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『シバの女王』とは。。。2 -1(シバのソロモン訪問、エゼキエル書、フェニキア人)


3. 『シバの歌』

<シバ国の女王>

引用〜簡略版〜〜〜〜〜〜〜〜〜(p.34〜

紀元前950年頃という設定のシバ(セバ/シェバ)の女王の物語は、旧約聖書の「列王記上」第10章*に登場し、「歴代誌下」第9章でくりかえされている。どちらの章でも、シェバと呼ばれる国の女王が賢者ソロモン王の宮殿をはるばる訪ねる。他にも、シバの名称は旧約聖書のそここに見られる。ただし、個人としてではなく民(=民族)として登場することが多い。セバは「創世記」に延々と書き連ねられた系譜に三度登場するし、「イザヤ書」第45章14節には「背の高いセバ人」という記述がある。また、「エゼキエル書」第27章**では、フェニキア人***にさまざまな品を提供した遠方からの商人のなかにその名がある。(内容は以下の「」のとおり)

「アラブの人々とケダルの首長たちもまた、お前の下で商いをし、子羊、雄羊、山羊を商った。シェバとラマの商人たちは、お前と取り引きを行い、極上のあらゆる香料、あらゆる宝石、黄金をお前の商品と交換した。ハラン、カンネ、エデンとシェバの商人たち、アシュルとキルマドは、お前と取り引きを行った。」

カンネとエデンという地名が、ここに書かれたシェバの商人の出身地を示すヒントのように思える。なぜなら古代の南アラビアには、音のよく似たカナとアデンという有名な港町があったからだ。実際、これらの港町のすぐ近くにシェバ、より正確にはサバという名で知られる土地が栄えていた。専門家の見解はサバの文明がソロモン以降に栄えたととし、やや異なる。結局、シバの女王の出身地は、北アラビアか、いや、やはり、南アラビアかと学者泣かせということらしい。

(引用終わり)〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

* 「列王記上」第10章
http://homepage3.nifty.com/IUCC/bible//o1110.html

** 「エゼキエル書」第27章...(A)
http://homepage3.nifty.com/IUCC/bible//o2627.html

エゼキエル...(B)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%82%B
C%E3%82%AD%E3%82%A8%E3%83%AB
(「後の『ユダヤ教』の成立にも影響を大きく残している」のところは、『キリスト教』の間違いのようです。)

エホヤキン
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%9B
%E3%83%A4%E3%82%AD%E3%83%B3
ゼデキヤ
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BC%E3%83%87%
E3%82%AD%E3%83%A4_(%E3%83%A6%E3%83%80%E7%8E%8B)
(新バビロニアの王ネブカドネザル2世*の次王アメル・マルドゥク**は、即位して2年後に、義理弟ネルガル・シャレゼルに暗殺されています。ネルガルはアッシリア人(=アッカド人)かサバ人の可能性があります。再び反乱を起こした最後のユダ王ゼデキヤはその王子たちを目の前で殺され、目をくり抜いて捕囚されたというのはウソでしょう。これらの残忍な手口はサバ人王族やツュルク系王族がよくやるようですから。ネブカドネザル2世やその息子アメルはシュメール人ですから絶対にそんな残酷なことはしないはずです!)

* ネブカドネザル2世 (B.C.605〜562年)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8D%E3%83%96%E3%8
2%AB%E3%83%89%E3%83%8D%E3%82%B6%E3%83%AB2%
E4%B8%96
** アメル・マルドゥク(B.C.562~560年)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%A1%E3%83
%AB%E3%83%BB%E3%83%9E%E3%83%AB%E3%83%89%E3
%82%A5%E3%82%AF

旧約聖書メッセージ エゼキエル書27-29章...(C)
http://www.logos-ministries.org/old_b/ezk27-29.html


♡ 'うららおばさん'の感想

上のサイトの(A)の「エゼキエル書」27章を読んでみると、この文章はまるでフェニキア人を貶(おとし)めるために書かれたように思えてきます。ただし、ここで、その批判の対象となっていると思われるのは元祖フェニキア人、つまりシュメール人のほうです。エゼキエル(B)の亡くなった後に、ユダ王国の王族たちが、エゼキエルの言っていたことを、ある意図をもって歪(ゆが)めて書き上げたのが「エゼキエル書」のようです。

まず、「エゼキエル」という「ユダ王国」、あるいは、「北イスラエル」(ユダ王国に捕らえられていたのかも?)の予言者は、新バビロニアのネブカドネザル王によって「バビロン捕囚」(これはユダ王国の王族や貴族の一部のみ)されたひとりであったけれども、当時のユダ王国の支配層ユダ族(シェバ=アマレク人とほぼ同族)、ベンジャミン族(ヒッタイト人とほぼ同族)の王族、貴族たちの行いを批判し、罪を悔い改めるように諭(さと)していたと考えられます。しかし、彼らが悔い改めることなくエジプトのネコ一世と手を組み新バビロニアに反乱を起こしたため、ユダ王国は滅亡させられ王族、貴族たちは他国へ散りぢりに離散します。

おそらく、エゼキエルがその説教の中で、一例としてあげたのが、27章のツロ(=テュルス)のフェニキア人の例でした。ただし、ツロなどのフェニキア都市群は、B.C.720年ごろに「新アッシリア」に征服されていましので、新アッシリアの王族、貴族たちがフェニキア都市国家群でフェニキア人王となって’なりすまし’をしていたのです。ですから、ツロを含めた多くの地中海沿岸のフェニキア人都市国家群は、「元祖フェニキア人」(=シュメール人)が支配していたのではありません。シュメール人たちは新アッシリアの奴隷となってさまざまな仕事、造船、船の操縦、商業活動、財務管理、もちろん、その他の苦役などを強いられていたんでしょう。*

また、「新アッシリア」がフェニキア諸都市を征服したといっても、サルゴン2世(=ソロモン)の亡き後は、シバの女王がアッシリアの実権を握っていて国の名前は「アッシリア」のままでも実際は「サバ王国」のサバ人(=シェバ人+ヒッタイト人、その混血)の王族、貴族たちが実権を握っていたと考えられます。すると、ツロの王もサバ人の王だったと推測されます。

(C)のサイトの真ん中くらいの説明を見ると、「ではツロの君主に対する予言に戻りますが、彼は歴史上では『エテバアル三世であると考えられます。バビロンがツロの町を倒す時にいた王です。彼は自分を神とみなしていました。異教徒ですから、異教徒の中では何でも神々にしてしまうから仕方がないと言えばそうなのですが、ここで問題にされているのは、人間の中に潜む根本的な高ぶりです。」とあります。つまり、ツロの王は、『エテバアル3世』であり、名前に『バアル』が入っていることからもヒッタイト系の王であることが分かります。やはり、ツロの王はサバ王国出身の王族だったのでしょう。

*シュメール人が奴隷となってフェニキアの船を操り、交易をしていたと考えられる根拠:

(C)のサイトの「27:8 シドン、アルワデの住人がおまえのこぎ手であった。ツロよ。おまえのうちの熟練者が、おまえの船員であった。27:9 ゲバルの長老、その熟練者がおまえのうちにあって、破損を修理し、海のすべての船とその水夫たちが、おまえのうちにあって、おまえの商品を商った。」という箇所についての説明として;

船だけが再良質のものだけでなく、船を扱っている人々も最も熟練した人々でした。シドンはツロの北にある海岸都市で、アルワデはシリア近海の島です。どちらも船乗りで有名です。ゲバルはシリア沿岸の町で、造船で有名でした。

☆ここでの『おまえ』とは、ツロの王のことを指しています。つまり、サバ人の王、ここでは、エテバアル3世ということになります。そして、そのシリアの沿岸で、最も熟練した船員、造船技術者がおまえのうちにあって、海のすべての船とその水夫が、おまえのうちにあって、おまえの商品を商っているということは、シュメール人の全ての船を奪い、船員や技術者や商人たちを奴隷として働かせていたということになります。

27:13の解説のところには、創世記10:2のヤペテの息子のことが書いてあります。そして、イザヤ書66:19で、「わたしは彼らの中にしるしを置き、彼らのうちののがれた者たちを諸国に遣わす。すなわり、タルシシュ、プル、ルデ、メシェク、ロシュ、トバル、ヤワン、遠い島々に。これらはわたしのうわさを聞いたこともなく、わたしの栄光を見たこともない。彼らはわたしの栄光を諸国の民に告げ知らせよう。
(要するに、死を免れたシュメール人には「偉大なユダヤ教を宣教するのだ!」という崇高めいた美辞麗句を並べ立て、奴隷戦士として我々について諸国へ宣教のための聖戦に行くのだ!さもなくば、殺すぞ!と迫ったのでしょう。つまり、地中海沿岸のそれまでシュメール人の都市国家だった諸国を同じシュメール人に手伝わせて征服していったということでは。。。

タルシシの船
http://homepage3.nifty.com/megalith/r-tars.htm

ヒラム(=フェニキア人の王、B.C.969〜939年)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%92%E3%83%A9%E3%83%A0
(フリーメーソンが残忍な儀式をしているところをみると、この王がツロの最後のシュメール人王で、おそらく、シバの女王とサルゴン2世にそれこそ目をくり抜かれたりして残酷に殺害されたのでしょう)

イラン歴史物語〜ペルシャの原点北西部とチョガ・ザンビル
http://www.eurasia.co.jp/nittei/mideast_n_africa/
irc5/index.html

「8.アフワズ観光」のところを見ると、古代ペルシャで紀元前に存在した「エラム王国」時代の首都「スーサ」、その都市遺跡「ハフト・テぺ」、ジグラット「チョガ・ザンビル」とともに、『シュシュタルの水利施設』とあります。つまり、『タルシシュ』はシュシュタルから来ている言葉とも考えられます。で、旧約聖書のエゼキエル書27章では、シュシュタルという言葉を逆さにした可能性もあります。(サクソン=サバ王族は、言葉を引っくり返すなどの「反転・逆さ」が好きですから)すると、タルシシュは、シュメール人のこと、あるいは、シュメールに関係のある都市か町の名前ではないでしょうか?


予言者「エゼキエル」の本心:

エゼキエル書
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%82%BC%E3%8
2%AD%E3%82%A8%E3%83%AB%E6%9B%B8

「エゼキエル書の内容」のところを見ると、「エゼキエルのたびたびの指導にも関わらず、ユダ王国の王も民もそれを拒否し、予言者に敬意を払うこともなかった。その結果、約束の地からイスラエル人(というよりユダヤ人。スファラディム=ユダ族とベニヤミン族)は追われ、ユダ王国は滅亡した。このことは、神がイスラエル(「ユダ王国」ね!)を守ることができなかったから起こったのではなく、イスラエル(ユダ王国!)を救うことができたにもかかわらず、神自身がイスラエル(じゃなくて、ユダ王国!)の中の邪悪に対し、その当然の結果がもたらされることを選んだから起こったのだという内容が記載されている」とあります。

予言者「エゼキエル」はもっともなことを言っていたのですが、バビロン捕囚されていた他の貴族たちは聞く耳持たずだったわけです〜。そして、エゼキエルが亡くなると(逆恨みの憎しみをつのらせて殺害したのかも)、’エゼキエルの教え’を自分たちユダ族・ベニヤミン族に対する悔い改めを求める諭しだったのではなく、まるで自分たちの仮想敵・元祖フェニキア人(=シュメール人)を悪い例として挙(あ)げた教えであったかのように ' 後世の人々に間違って伝わるよう歪曲(わいきょく)して書く’ことに決めたのでした!

そのような歪曲箇所は多々ありますが、一例としてはシュメール人はなぜかよく青い服(紫はたまにの礼服みたい)を着ていたらしいのですが、27:4に『青色と紫色の布が、おまえのおおい(=たぶん服)であった。』と言及して、ほんとうは、サバ人の商人・軍団なのに、シュメール人のそれと思わせるように仕向けています。(まあ、船員、兼(けん)、兵士、商人のかなりの部分はシュメール人の奴隷だったのでしょうけれど)

★★★' 叱られたのは自分じゃな〜いもん!悪いのは○子ちゃんだもん!’と子供は自分の過ちを他人に転化しやすいのだそうですぅ〜! 

★★★★そのうえ、彼らは、’仮想(夢想?)敵には徹底的に塩を送るタイプ’ですからね〜!

★★★★★『勝手に、攻撃目標にされたほうはいい迷惑、いえ、大大大〜迷惑なんですよね〜〜!!!』
by Ulala-lov | 2011-05-14 18:53