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古代日本にやって来たシュメール人とサクソン軍団 (2)

2011−05−10

(1)のつづきです。

<スサノオノミコト>

スサノオノミコトのヤマタノオロチ退治 (古事記より)

前半のワルワルの偽スサノオは象二郎=牛頭王で、後半のヤマタノオロチ(八匹のヘビが身体から出ているモンスター=タコ・ヘビ系の生物学的人造ロボット)から奇稲田姫を助けたのは本物のスサノオ(ヤハウェ王族セム系の蘇我氏)です。

日御碕神社

フツ(アイゼンベルグ)とフツシ(象二郎)親子が扶余(プヨ=「コウモリ+カエル」の一般兵士たち)族軍団を引き連れて朝鮮半島から渡来した場所が日御碕です。

神武天皇(磐余彦イワレヒコ)は、スサノオと日向の現地妻向津姫(=日向王イザナギの娘)との間にできた命(みこと、王子)の末子で、スサノオの孫)の生存期は、B.C.107~45年頃らしいです。イワレヒコは、B.C.60年、48歳の年に九州から東遷して神武天皇として即位したと考えられるとのことです。

そして、偽スサノオの在世期間は、B.C.188年頃に生まれ、B.C.124年頃、65歳くらいで亡くなったとみられるそうです。

スサノオの活躍と建国の偉業

となると、偽スサノオの母方の祖先は、B.C.2C頃に日本にやってきたペルシャからインドを経て海から百済を経てやってきていた新生ヴィーナスたちアングロサクソン王族の子孫ではないでしょうか? 百済にいた時に、偽スサノオの母親は、モンゴル系ツングース系古朝鮮民族*の「布都」(=沸流百済の王、高句麗の始祖朱蒙の正妻の双子の連れ子のひとり)と結婚して向津姫を生んだ後で、離婚し、その母親がまた布都の弟(温祚百済の王)と結婚して偽スサノオを生んだということですかね?

その後、布都は、偽スサノオを養子にし、一族(向津姫)を連れて、日本にやって来て、出雲の地から入って来て、しばらく定住していたみたいです。この時に、偽スサノオが "ヤマタノオロチ退治をして" (→本当は奈良の飛鳥朝廷の王族だった蘇我氏を滅ぼして)クシナダ姫を娶ったのですね。しかし、その後しばらくすると、布都は、九州の日向(ひゅうが=宮崎)の北部の「高千穂」に入っていったということです。 向津姫 は、偽スサノオの異父姉にあたるようです。(後に結婚していますが、当時は、近親結婚が今ほど禁止されていなかったみたい) そして、偽スサノオは、出雲を統一し、その後、九州も平定しようとしましたが、布都とも戦うことになってしまい、布都は四国の淡路島方面に移住して行ったもよう。


* モンゴル系ツングース系古朝鮮国の民族(サクソン軍団)
メソポタミアから北回りで、日本に最初にやって来たセム系シュメール人(ヤハウェ系:日本では蘇我氏)の集団と同じようなルートを経て、メソポタミア〜中央アジア〜モンゴルを経て、朝鮮半島に留まって王朝を築いたサクソン王族たちもいたと考えられます。それで、モンゴル系やツングース系民族との混血が多いのではないでしょうか? しかし、B.C.10C頃、前漢の武帝*の侵略により、古朝鮮国(=当時は、衛氏朝鮮)は滅亡したとあります。その後、チュモンが高句麗を建国したのですが、後継者として、側室の子で、末子の瑠璃王を皇太子としたことに兄たち布都(アイゼンベルグ本人?=クローン子孫?)が反発、沸流百済と温祚百済を建国します。しかし、中国にも、朝鮮半島にも、15〜10頃には、すでに、アングロサクソン系騎馬軍団が多数侵入していて、先住民族とある程度混血しているはずです。それが、プヨ(ツングース系アングロサクソン)とか、鮮卑族(=隋、多分、アングロサクソン系)、女真族(女神族?=金、清=ツングース系アングロサクソン系王朝)とか、その他もろもろの種族なのでしょう。

*武帝(前漢) ウィキペディア
(耳や顔の感じを見ても、アングロサクソン系です。B.C.156~87年、祖母の皇太后『孝文皇后』がおそらくアングロサクソン系(秦王族の末裔?)の人で、すでに、前漢中期にはアングロサクソン系の影響力がかなり強かったもよう)

朱蒙(チュモン)
朱蒙(テレビドラマ)

中国には「純粋な漢民族」は存在しない!DNAで明らかに〜2010/02/08 [サーチナ]

周を起源とする漢民族は、もはやほとんど存在していないとのことです。つまり、殷(イン)を引き継ぐ民族(アングロサクソン民族と混血したチペットとか、モンゴル、ツングース民族がどんどん中国に侵入していったからでしょう。そして、シュメール系(=ヤハウェ系のことです)のそれらの民族は殺されたり、逃げていったりしたのでしょう。上のテレビドラマ朱蒙(チュモン)にも、「衛氏朝鮮」という国には、プヨの王も共存していたようです。

宮崎県延岡市の地図(徐福たちの一団が船でたどり着いた場所のひとつ。)

高千穂の概要〜町の紹介・歴史 l高千穂町
高千穂町
(歴史の神話時代のところを見てください)

高千穂町の歴史
(4000年前から集落があったということです)

布都がイザナギノミコトで、その娘の向津姫があの有名な天照大神(アマテラスノミコト)=大日巫女尊(オオヒミコノミコト)=卑弥子(日霊女ヒミコ)で、偽スサノオと結婚したということですね。そして、ヒミコの息子(ヒミコの息子だが偽スサノオの息子ではない。おそらく、父親はプヨ人=アングロサクソン系王族)の末息子が「熊野楠日命」(クマノクスヒノミコト)で、南薩摩の豊玉彦(アングロサクソン系王族で、その地の豪族)の娘「玉依姫」(たまよりひめ)と結婚し、イワレヒコ(神武天皇)を生んだということみたいです。

玉依姫

豊玉姫(玉依姫の姉で、南薩摩の豊玉彦の娘)

ワタツミ

私の「大国主」考
(ここで語られている大国主命は、偽大主命のことです。白兎を助けたり、国引きをした本物の大国主=大黒様とは違うようです。サクソン王族はいつも歴史を真実とウソを混ぜ合わせてカオス(混沌)状態に捏造(ねつぞう)し、真実を分らないようにしてしまっているのです。)

な、なんと〜! 大国主命の息子たち(異母兄弟同士)の相続争いだったのですね!! 

’出雲’の「武御名方尊」*(タケミナカタノミコト)と、’日向’の「事代主尊」**(コトシロヌシノミコト)との!

(けれども、出雲の武御名方尊は正妻の子供であり、日向の事代主尊は側室というか妾の子供であるわけですし、しかも、「大国主命」自体が出雲族の家系に " 婿入り" した身なのですから、本来は出雲族の家系である武御名方尊が出雲族の家系を継ぐのは当然なのですが。。。ところが、そこが「勝てば官軍」というところなのでしょう。すでに、卑弥呼やニニギやニギハヤヒやイワレヒコたち九州統一サクソン軍団は、出雲地方を征服し、吉備国も征服し、奈良の飛鳥朝廷(プレ大和朝廷)も征服していたわけですから、やりたい放題だったわけです。当然、形だけ出雲族と平和的に国譲りしたかに見えるような形だけの縁組みをし、実際はすべての領地領民を乗っ取っていったわけです。

*出雲・大和一族系図

** 日向一族系図

ニギハヤヒとナガスネヒコ
(ナガスネヒコの弓の先に止まった金鶏(きんけい)とは、八咫烏(クロカモ軍団)の頂点にいる『三金鶏』のことです。サクソン勢が戦いが不利になった時の最後に現れて勝利に導くといわれる薄茶色のココウモリココウモリ*を象徴していて、すなわち、ココウモリ族のヴァンパイアのことです。反響定位=エコーロケーションにより物体の位置を全方位から把握することができるので、高度なレーダーを脳に備えているようなものです。なので、戦闘の際には敵の位置を素早く全方位から(頭の後方向からも)とらえることができるわけで、非常に有利な能力なのです。なので、1/4とか1/2人間である生物学的人造ロボットであるココウモリ族系の金鶏たちは、非常に素早く動き、また羽根はなくとも非常に高くジャンプすることができるようです。そういう性質をもつためか、視覚はあまり発達していないとのことです。(だから、幼児の頃からメガネをかけているのでしょう)

ああ、それで、以前見かけた大谷チビタコ女性も眼鏡をかけていましたし、わたしの幼なじみの隅田洋子ちゃんの娘さんがダウン症で視力が弱く幼児の頃から眼鏡をかけていましたし、サクソン王族と思われる人々に眼鏡やコンタクトの人が多いのはそのせいだったのですね!わたしも中学3年から眼鏡をかけていますが、わたしの場合は小学校低学年の頃には視力1.5ありましたが、サタニストたちがわたしの視力が悪くなるように何か仕掛けたようです。隅田さんの家でちょこっと食べた「おやつ」や「軽食」などに(あまりごちそうになったことはないのですが、ごくごくたまにはありました)そういった毒物がいれられていたのかも?それから、父親がタバコ好きで、それもかなり強いタバコを吸っていたのでその間接喫煙のせいもあったかもしれません。わたしがイギリスに行っていた間に父親が急にパーキンソン病になったのも、サタニストたちがタバコ屋さん(名字から出雲地方出身のサクソン王族だと最近分かりました!)に命令して毒物を仕込んだタバコを父親に売っていたのでしょう。そして、国立出雲医科大学病院で処方されたパーキンソン病の治療薬にはガンになる成分が仕込んであったのです。父が亡くなって数年後に、隅田のおばさんから「新聞にパーキンソン病の治療薬はガンになる確立が高いとかって載っていたよ」と聞きましたので。

*ココウモリ
最初右端の写真(ウィキペディアより)の羽根のないココウモリは、吸血ダニとハイブリッドした「吸血ココウモリ」だと思われます。
ムビる02721 高速で飛び回るココウモリ? kokoumori - YouTube


しかし、ヒミコは、西薩摩の実力者「大山祇」(おおやまずみ、現在も「大山」氏として存在)には、その娘「阿多津姫」をヒミコの末息子「熊野楠日尊」(=クマノクスヒノミコト=ニニギノミコト)に娶(めと)らせて懐柔していた。また、南薩摩の実力者「豊玉彦」には、その長女「豊玉姫」に、ヒミコの息子「天津彦尊」(アマツヒコノミコト)を養子に送り込んでいたし、「豊玉彦」の次女「玉依姫」(神武天皇=イワレヒコの母親)もヒミコの息子「熊野楠日尊」(神武天皇=イワレヒコの父)の妃に迎えてちゃくちゃくと日向の統治体制を整えたとは、ホントすごいですね〜!(上の日向一族系図参照) 

そして、事代主尊と、その母「美穂津姫」が日向の総軍が、B.C.60年頃(こっちが正しそうです)出雲に乗り込み、出雲の国を乗っ取ったということですね。モンゴル系では末子相続*だったからといっても、「出雲の国」の神(=王)が全国の神々の中で最も権威があり、その要(かなめ)であったことを考えれば、その末子というのは出雲の国での相続人の中で考えるのが当然でしょうに。。。やはり、正当な相続者は、「武御名方尊」だったんじゃないでしょうか?それにしても、こんな周到で陰謀に満ちたやり方は、や〜っぱり、アングロサクソン王族らしいですね〜!

*モンゴル人には末息子相続の習慣があり、やはりフツ=’イザナギ’ノミコトや’スサノオ’ノミコトはは、プヨ王族(=アングロサクソン系モンゴル人)らしい。スサノオの本来の「フツシ」という名も、その義理の父親の「フツ」(フツは、イザナギの本当の父親の弟)という名もプヨ人の名ということです。

また、出雲の攻略と同時か、その直後に、日向から「イワレヒコ」*が大軍を従えて大和へ東遷して行き、「出雲の国ゆずり」とは裏腹に、全国の神々=王たちを巻き添えにした大戦争を繰り広げ、最後まで抵抗した奈良在郷の王「長随彦」(ながすねひこ)**を殺害して勝利を得たようです。

*イワレヒコ(後の神武天皇)
ヒミコの息子で日向王朝の王「熊野楠日尊」(くまのくすひのみこと=’ニニギ’ノミコト=イザナギとの間の子ではない)の末息子で王位後継者の太子

**長髄彦

長髄彦の末裔とその奉斎神社

長髄彦の墓、「鍋(なべ)塚」

つまり、上の3つの長髄彦のサイトと前出のサイト「大和・出雲一族の系譜」をまとめて考えると、偽スサノオと偽スサノオの出雲の正妻「奇(櫛?)稲田姫」(くしいなだひめ)との間に生まれた息子「’ニギハヤヒ’ノミコト=ニニギノミコト=大歳尊(おおとしのみこと)とその妻「三炊屋姫」(みかしやひめ、奈良の王「長髄彦」 の妹)と間の娘「伊須気依姫」(いすけよりひめ=御歳神)という姫がいるのですが、「イワレヒコ」 はその姫と結婚し婿養子となっています。しかし、「’ニギハヤヒ’ノミコト」=大歳尊」(おおとしのみこと)には、すでに、実の息子「宇摩志麻治尊」(=ウマシマチノミコト)がいたわけで婿養子など入れる必要はなく、イワレヒコが「プレ大和朝廷」の征服後に、その王位の正当性を得るためプレ大和朝廷の出雲一族家系に入る必要があったのではないでしょうか?だから、イワレヒコが、ニギハヤヒに無理やり押しつけた婿入りだったのでは?

また、前出のサイト「出雲・大和一族の系譜」を見ると、「ニギハヤヒ」の実の息子「ウマシマチノミコト」は、ニギハヤヒの死後、イスケヨリヒメの代理で大和の政治を20年代行し、後に、九州より神武天皇を養子に向かえてこれに政権を譲る」とあります。

しかし、わたし流に解釈すれば、本当は、イワレヒコは大和朝廷に勝利した後、イスケヨリ姫と結婚してまず日本の国王として君臨していた出雲一族「ニギハヤヒ一族」(すでに、出雲族は、大和(奈良県)に出てプレ大和朝廷の都を築いていたらしい。また、出雲にも出雲府の長として同じ一族が一君臨していた)に婿入りし、その後、「ニギハヤヒ」も暗殺し、2年くらいウマシマチに代行させて、結局、暗殺したのでは?そして、とうとう、自分が「プレ(=原、というか、元祖)大和朝廷」を乗っ取って、アングロサクソン系モンゴル人=「プヨ人」の「大和朝廷」の初代王「神武」として即位したということではないでしょうか?(天皇という呼び方は後世になって使われるようになったとか)
つまり、イワレヒコはクーデターとの批判を避けるために周到な根回しをして「大和国の統一王」として即位したというのが本当のストーリーなのでは〜?! 

だから、「日向」と婚姻で関わりも深く、九州の倭国連合にも貢献し、当然、「プレ大和朝廷」乗っ取りにも貢献度が高かったであろう「薩摩」の(=鹿児島)藩士たちが、「ハノーヴァー朝」のアングロサクソン王族傀儡政権「明治維新政府」でも、とっても重用され、首相や大臣など重要な地位に就き、公爵、侯爵、伯爵などの高位の貴族になってたんですね〜!

やっと分かりました〜! 納得!!  >< ; ああ〜あ! 。。。 butukusa。。。butubutu...


*大変申し訳ありませんが、大幅に修正・加筆しましたので、できましたら、もう一度読み直してくださいますようよろしくお願いします。 (5月11日 11:00 p.m. 訂正)
 
by Ulala-lov | 2011-05-10 16:49 | 古代日本朝廷