<   2014年 07月 ( 18 )   > この月の画像一覧

卑弥呼~むらからくにへ あらすじ l 歴史にドキリ l NHK for School

卑弥呼~むらからくにへ 動画


聖徳太子~新しい国づくり~  あらすじ

聖徳太子~新しい国づくり~ 動画


・推古天皇は蘇我馬子だったということです!
・天皇中心の新しい国家を目指すために、摂政となり「冠位十二階」(能力主義の官僚制度)を定めたり、「十七条の憲法」(道徳的な決まり)を定めた。(中央集権国家を目指していた)
・聖徳太子が官僚に受容していた、あの2つの角が付いた帽子はイェハ=の角です!!!
・無料の病院、薬局、救済施設を創った。
・遣隋使として小野妹子らを派遣した。

中大兄皇子・中臣鎌足~大化の改新・天皇中心の国づくり~ あらすじ

中大兄皇子・中臣鎌足~大化の改新・天皇中心の国づくり~ 動画

・中大兄皇子が皇子だったというのは、蘇我入鹿大王の側室「皇極」の息子だったためです。
・日本の土地や人々をすべて天皇の配下に置いた中央集権国家にした。
・豪族は貴族になって、天皇の下で働いたり、地方に役人として派遣されたりした。
・新しい税の制度を定めた。租(そ)は稲の収穫高の3%を納める、調(ちょう)は織物や地方の特産物を納める、庸(よう)は使役か布を納めるかした。さらに、中国・朝鮮半島からの攻撃に備え、兵として九州北部や都の警備をする役目もあった。



<743年頃>
聖武天皇・行基~大仏はなぜ作られたか~ あらすじ

聖武天皇・行基~大仏はなぜ作られたか~ 動画

地震、日照り(干ばつ)、天然痘の流行など次々に災いが起きた。聖武天皇は仏教にすがった。そして、不安定な世に救いを求めるため東大寺に大仏を創ることを決心した。(仏教を国中に普及させるためにアングロサクソ脳族たちが計画した策略だったような。。。要するに、人々を思いどおりに動かすマインドコントロールの道具が仏教(=アングロサクソ脳族に修正された仏教=密教)だったのでしょう!)そこで、貧しい人々を助けて民の信頼が厚かった行基(ぎょうき、アングロサクソ脳族)という僧侶に協力を依頼した。

聖武天皇(しょうむ、701~56、在位724~49)

<皇后>
藤原宮子(みやこ/ぐうし、?~ 754)
父:藤原不比人(その長女)
母:賀茂比売(かもひめ)多分、アングロサクソ脳族。

<夫人>
県犬養広刀自


鑑真~仏教の発展~ 画像

・大化の改新後に無税の特典のある僧侶になるものが続出したため仏教界は乱れた。そこで、アングロサクソ脳族・奈良朝廷が唐から正しい仏教を教える僧侶を招聘することを決断した。ヤハウェ系の『唐』が鑑真の出航を許可しなかったのは、彼が怪しい僧であると知っていたからでしょう。
・759年、唐招提寺を都(奈良)に開く。鑑真が伝えた「戒律」で日本の仏教は発展した。
・正倉院の宝物を見ると、当時の日本には唐やシルクロードを通じてアジア・ヨーロッパなど世界とつながっていた。

奈良旅 ~鑑真和上坐像公開!~Sunny Rainy and * Happy

長頭人間、耳が眉より上にある。口の下のアゴが長くて、アゴの先がやや尖っていてやや突き出ている。鼻先がやや下に垂れていて、おそらく、スティック鼻。眉が八の字。

桓武天皇~平安京の誕生と人々のくらし~ あらすじ

桓武天皇~平安京の誕生と人々のくらし~ 動画


<1016年頃>
藤原道長~貴族の政治とくらし~ あらすじ

藤原道長~貴族の政治とくらし~ 動画

天皇を中心におき貴族が政治を行った。道長の顔は八の字眉で目が細くてアングロサクソ脳族の顔です。
藤原道長→頼通(よりみち)も摂関政治を行う。
貴族の中で藤原道長が貴族同士の戦いに勝ち、天皇に自分の娘を嫁がせて権力を握り、天皇の代わりに政治を行う摂関政治を始めた。
・葵祭は、当時の貴族の様子を表している。
京都御所には貴族の仕事を記した書物がある。ひな祭り(子供の病気をはらうために川に人形を流す)、すもう(五穀豊穣を祈る)など現代に伝わるものなどもあった。
・貴族は儀式や行事を行うのが仕事だった。(年間200以上)要するに、政治を行うというより、遊んでいたようですネ?!

<1008年頃>
紫式部・清少納言~国風文化の誕生~ あらすじ

紫式部・清少納言~国風文化の誕生~ 動画

・平安時代に「かな文字」が誕生した。
・「ひらがな」の発達で紫式部の「源氏物語」などが誕生した。
・貴族のくらしから日本風の文化が生まれた。

貴族が儀式の時に束帯を着ましたが、その時に頭に被った黒い冠(=帽子)は蛇の形です!十二単衣などという面倒くさくて、重くて、お金のかかる衣装を考え出したアングロサクソ脳族女性の頭はどうなっているのかな???

<1159年>
平清盛~武士の世の中へ~ あらすじ

平清盛~武士の世の中へ~ 動画

平清盛の顔はアングロサクソ脳族の顔です。わたしの偽・姉「郁子」の夫・山根光男(元愛知県警の外事課=公安の警視=ジョゼッペ)の母親や弟の顔に似ています。石川の偽・伯母さんにも似ています。
・当時の武士の身分は低かったが、清盛率いる平氏が「平治の乱」に勝つと、清盛は太政大臣に任じられ武士と貴族の頂点に立った。
・神戸港を改修し、中国の「宋」との貿易に乗り出して平氏の収入源とした。
・宋銭が入ってきて、日本に初めて貨幣経済がもたされた。
・平氏は武士のためではなく、自分の一族のために政治を行っている。

<1185年頃>
源義経~源平の戦い~ あらすじ

源義経~源平の戦い~ 動画

・1185年、源氏は壇ノ浦の戦いで平氏を倒した。

<1192年頃>

源頼朝~ご恩と奉公~ あらすじ

源頼朝~ご恩と奉公~ 動画


・源義経(ジョゼッペ)は兄・源頼朝(象二郎)と共に平氏打倒を目指した。
・源頼朝は味方してくれたら領地の支配権を与えるといって関東の武士達に呼びかけ兵力を集めた。
御家人(武士)は頼朝からご恩(土地の支配権)をもらい、頼朝への「ご奉公」(武力)を約束した。

<>
北条政子~ご恩と奉公を受け継ぐ~ あらすじ

北条政子~ご恩と奉公を受け継ぐ~ 動画

・北条政子は「ご恩と奉公」で御家人を団結させ「承久の乱」に勝った。
・御成敗式目などで武士の世の土台が固まった。

<1281年 2回目の元の敗走>
北条時宗~元との戦い~ あらすじ

北条時宗~元との戦い~ 動画

・北条時宗が鎌倉幕府の執権だった時に、元寇(げんこう)が長崎沖に日本を侵略しようとやって来た。
・元の集団戦法と爆弾が、幕府軍の武士を苦しめた。
・武士の活躍と嵐が元の軍隊を退けた。(嵐で元の船は沈んだ)
・ご恩を期待していた武士たちは、領地不足のためほうびの土地がもらえず不満をかかえるようになり、鎌倉幕府の権威は衰えていった。

<1397年 義満の号令で金閣作る>
足利義満・義政~室町文化の発展~ あらすじ

足利義満・義政~室町文化の発展~ 動画

・足利義満が建てた金閣を中心に華やかな室町文化が栄えた。
・足利義政が銀閣を建てたころ、日本独自の建築様式が完成した。
・義政の時代に生け花や水墨画などの室町文化が生まれた。


<1486年 雪舟が「四季山水図鑑」を完成させた年> 必死でやろう、長い巻物!

雪舟・世阿弥~室町の文化と芸能~ 動画

・雪舟は岡山県総社市に生まれる。
・寺で修行をしていた。
・京都の禅宗のお寺で水墨がの修行をしていた。
・遣明船で中国に渡り、3年の間、中国で本場の水墨画を学び、その修行にも励む。
・雪舟は日本の風景や四季を描き、日本独自の水墨画を極めた。
・義満の時代に世阿弥(ぜあみ)によって能は大成され、独自の世界観がつくり出された。


<1561年 川中島の戦い・4回目> 人混む戦

武田信玄・上杉謙信~戦国の争乱~ あらすじ

武田信玄・上杉謙信~戦国の争乱~ 画像
・武田信玄は北条氏に塩の流入を止められていた。しかし、越後の上杉謙信は信玄に敵であっても塩を売ってやっていた。
・武田信玄は信濃も制圧していた。信濃北部の領土をめぐって越後の上杉謙信と戦ったのが5回にわたる川中島の戦いだった。信玄と謙信は戦国大名の象徴的存在だった。
(でも、信長、秀吉、家康の三人のほうがもっと有名ですぅ〜!)
・信玄堤を造って洪水を防ぎ、年貢米の確実な収入を確保し国内の経営を安定させた。
・上杉謙信は青苧(あおそ)という植物を育て、その糸で織った布製品を全国に売って富を得た。
・戦国大名たちは戦(いくさ)だけでなく領国の経営に力を入れた。(築城・城下町づくり)
・分国法という領国独自の決まりを定め、武士や領民を取り締まった。
[PR]
by Ulala-lov | 2014-07-30 14:22 | 古代日本朝廷 | Comments(0)

源平合戦の真実

大変済みませんが、この記事はまだ書きかけです。

このブログ内の関連記事:


持統天皇(じとうてんのう)=額田女王(ぬかたのおおきみ=女王だから)のことです!


三船敏郎に似ています!!!
アゴが細く見えますが他の写真を見るとそうでもありません。
三船敏郎 画像集

アイゼンベルグは、目的を果たすためにはどんな手段をもいとわぬ「マキャベリスト」* であると同時に、「猟奇的」な残虐行為をするサタニストです〜
*マキャベリズム、マキャベリスト











[PR]
by Ulala-lov | 2014-07-28 09:37 | 日本史 中世 | Comments(0)

藤原四家

藤原氏不比人以前の藤原氏・・・?? トップハット

< 中臣氏系図 >

(神話でもちろん、でっち上げの作り話ですからね〜!・・・古事記、日本書紀など)


天御中主尊とは - コトバンク

天之御中主神(アメノニナカヌシノカミ=ジョゼッペ(=月読命)&『シバの女王』(=天照大神)

伊勢神宮 外宮の祭司を世襲した氏族=度会(わたらいし)(ワタリ=渡が語源?)で、別天津神(ことあまつかみ)
の「造化三神」(日本を創った神)の一人。

他の造化三神
高御産巣日神(タカミムスビノカミ)=アイゼンベルグ&小さいふりしてたチビタコ女王

神産巣日神(カミムスビ)=新生ヴィーナス&象二郎


天御中主神(アメノミナカヌシノカミ)とは?

宇宙で一番はじめに現れた神 - 皇室のきょうかしょ

天皇家皇位継承図・・・?? - A

皇室系図 扶桑家系研究所・・・?? - B


< 藤原不比等の系図 >

(上のサイト ・「?? トップハット」の一番下のところに「藤原氏系図Ⅰ」があります。


不比等は藤原鎌足(ジョゼッペ)の家系の中に養子ではなく、実子として入ったのです。

しかし、藤原氏の由来は、天智天皇(象二郎系)と額田大王(蘇我氏の姫)との間に生まれた皇子「不比等」を中臣鎌足が引き取ったのだとか。この時に藤原姓を賜ったのではないかと。。。。そして、その皇子「不比等」の子孫だけが『藤原』姓を名乗ることができると定められたとのことです。

<藤原北家>

藤原氏 北家 - 公卿類別譜( 公家の歴史)


北家系図Ⅰ 藤原房前(ふささき)の子孫


北家系図Ⅳ 藤原道長(みちなが)の子孫<

北家(井伊・為光の子孫)

<藤原南家>

藤原氏 南家 - 藤原南家公卿類別譜( 公家の歴史)

南家Ⅰ 藤原武智麻呂の子孫

<藤原式家(しきけ)>

藤原式家

藤原氏 式家 藤原宇合の子孫

<藤原京家(きょうけ)>

藤原京家系図 藤原麻呂(まろ)の子孫

名家の苗字:源氏・平氏および藤原氏の主な子孫
[PR]
by Ulala-lov | 2014-07-26 10:26 | 日本史 中世 | Comments(0)

家紋で分かること

2014−07−24

前日21日の記事の 松平家康(人間)→(本能寺の変)→徳川家康(アイゼンベルグ) 2の中にある真実と偽・双方の服部氏の家紋の詳しい説明のために、戦国時代の主な氏族の「家紋」に関してネットで調べた添付記事です!(リンク先サイトはすべてネット上で見つけたブログなどを掲載させていただいております。勝手ではありますが、ありがとさんで〜す!)

大変済みませんが、この記事はまだ書きかけです。

家紋にまつわるお話しのブログ 1


家紋にまつわるお話しのブログ 2


家紋にまつわるお話しのブログ 3


家紋にまつわるお話しのブログ 4(忍者衆)


赤備え―武田と井伊と真田と [単行本]:Amazon.co.jp


家紋にまつわるお話しのブログ 5


<上杉謙信 ー 竹に二羽飛雀>


上杉氏家紋 拡大画像

上杉謙信

青岩院(せいかんいん、「虎御前」と呼ばれていた。1512~68 戦国時代)


勧修寺(かしゅうじ)・・・900年頃にアングロサクソ脳族が建立した寺。

勧修寺:京都観光Navi

勧修寺家

山城国(やましろのくに)とは、794年に「平安京」命名の際に、桓武天皇が山背国から改称した。ということは、山背はサクソン王朝が付けた名前で、山背皇子はサクソン系で、その父親の聖徳太子(=あのお札の顔から判断すると、おそらくジョゼッペ)もサクソン系ということですか!!

勧修寺流

藤原定方(勧修寺を建てた藤原高藤の次男であり、醍醐天皇の外祖父。三条右大臣と号す。)の孫であり藤原為輔(ふじはら の ためすけ、920~986)が甘露寺家の祖とされ、その子からは上杉家も出ている。(wow ワオ!、上杉家はアングロサクソ脳族系でしたか〜!)


甘露寺系と勧修寺系が分かれるのはさらに9代後の藤原資経=吉田資経(1181~1251=平安時代後期〜鎌倉時代前期)の時とか。為輔の玄孫藤原為房は摂関家(3代)の家司を務め中興の祖とされる。(←ナカナカ悪そうです)為房の曾孫(ひまご)である藤原経房=吉田経房(つねふさ、1142~1200=平安時代〜鎌倉時代)が「吉田」の家名を名乗る。(ここから土佐の吉田東洋が輩出されたのでしょうかね?!とすれば、ジョゼッペ系)経房は源頼朝(鎌倉幕府を開いたアングロサクソ脳族、おそらく、アイゼンベルグ系)と関係が密接で、関東申次として活躍。


源頼朝はニセものだった!? 浮上したナゾを追う

神護寺画像写真 l 神護寺伝源頼朝像の真実を探る

鎌倉アルプス Part2

どっちにしても、アゴが長いのでアイゼンベルグ系です。足利尊氏は眉尻が垂れていて垂れ目なのでアングロサクソ脳族だったようです。



[PR]
by Ulala-lov | 2014-07-24 04:14 | その他 | Comments(0)

2014−07−23

のつづき)

<< 伊賀越え >>

伊賀越え

神君伊賀越え考・徳川家康の伊賀越えルートをたどる

(最下部のNEXTをクリックして次に進んでください)

ただし、元武田方の家臣だった穴山信君*(=梅雪)は甲斐に戻る別ルートをたどり、山城国あたりで、落ち武者狩りの土民に襲撃されて殺害されたとのことです。(金品を多く持っていたので、家康従者に強奪されるのを恐れて別行動をとったというのはウソです)

* 穴山信君

穴山信君(梅雪)〜城と古戦場〜

武田家 武将名鑑(穴山 梅雪)=アングロサクソ脳族で、おそらく、ジョゼッペのクローンかアルバート公のクローンか?でしょう。ですから。。。

★ おそらく、松平家康や織田信長の動向を探るために武田家を裏切ったふりをし,

信長側に寝返ったふりをしていたのでしょう。


しかし、梅雪は家康の部下ではなく、当時は、家康に同行していただけですから、「本能寺の変」を知った後、梅雪一行が甲斐に帰る別ルートをとったとしても家康は何も言えないはずです。また、アングロサクソ脳族の歴史上では、都合よく、梅雪は死んだことにしていますが、ほんとうは死んでなんかおらず。。。

★実のところ、家康一行の殺害を目的に暗躍した可能性大です!


▷▷▷『伊賀越え』で家康が殺害された場所は?

「伊賀越え」ルート

「神君伊賀越え」ルートマップ

飯盛山→津田・尊廷寺→興戸・普賢寺→草内渡→山口城→偏照院→朝宮→小川城→音斎峠→音羽→徳永寺→加太峠→瑞光寺→白子浜→常滑・常楽寺→大浜→岡崎城

河内津田~尊延寺

長谷川秀一、西尾吉次

信長(この時の当初の接待役は明智光秀だったので選んだのは光秀)から堺案内役の為に付けられた長谷川秀一、西尾吉次のふたりは明智光秀側の者だったようです。彼らが伊賀越えの成功に貢献したとあり、この二人は特に怪しいです。西尾吉次はその後、徳川家康の家臣となっていますし。茶屋四郎次郎*とかいう京都の商人も相当に怪しいです。

茶屋四郎次郎

正式な名字は「中島氏」ということなのでアングロサクソ脳族です!!!

この「伊賀越え」の松平家康の殺害に貢献したためか、その後、徳川家康(アイゼンベルグ)の御用商人として取り立てられています。

★★★ 家康一行は、音羽郷を経て柘植の「徳永寺」(とくえいじ)*でしばし休憩し、次に道中最大の難所『加太越え』**をしたとあります。

徳大寺

しばし休憩しただけで、後年葵の紋の使用を許す???

ちょっと一言…「葵の紋」って、三つ葉葵ともいわれ、確か、新アッシリア帝国の「イスラエル王国」征服に加勢したのもミツバとかいう国のアマレク族=アングロサクソ脳族たちでしたよね。三がつくのは、三菱、三井など元財閥、現在の企業グループがあり、要するに『シバの女王』、『アイゼンベルグ』(=アレキサンダー大王?)、『新生ヴィーナス』の三者のアングロサクソ脳族のことを指していると推察されます。

(要約)ここ柘植は、伊賀町の要の地であり、戦国期のこの地には、福地伊予守宗隆という土豪が福地城を本拠としていたが、この福地伊予守なる人物は、戦国時代における大勢力の前の小領主の悲哀をもろに味わった人物である。

伊賀国では、室町幕府から派遣された守護が国内に割拠する土豪たちをまとめきれず、天正6年には連合した土豪たちによって追い出されてしまう。以来、この国は有力土豪12人(11人とも)の合議による政治が行われ、守護(統治大名)不在の状況となる。これら評定衆の中には服部・百地といった「上忍」(上級忍者)家が含まれており、小国とはいえ、一致団結したときの戦闘力はなかなかのものであったと思われる。

福地伊予守は柘植に1000石の地を領する土豪で、松尾芭蕉* は彼の一族である。後の子孫には織田信雄** とも血がつながっている者もいるらしい。とにかく、その本拠地は福地城は上柘植山出(かみたくしょく やまいで)にあり、現在は芭蕉公園になっている。福地伊予守・六郎兵衛は、織田信長の伊賀攻めの際にも、事前に情報をキャッチし、信長に内通する決意をし伊賀攻めの手引きを申し入れたという典型的な国奴だった。

信長が本能寺の変で倒れると、(地元の)生き残った連中に顔向けができずに、郷士たちに追い出されるように加太に逃げ隠棲したという。(実は、わざと計画的に加太の山中に潜んで地形などを学んだ)そして、家康の「加太越え」加護(本物の家康一行を討伐)の功により、後に徳川領駿河に移住を許され、1592年に没したらしい。なお、この徳永寺は福地氏の菩提寺でもあり、同寺には福地氏一族の墓がある。(それで徳永寺は特別に葵の紋の使用を許可されたわけですネ!なるほど、なるほど〜 😬; 冷や汗

* 松尾芭蕉の忍者説 l 忍者マイスター

松尾芭蕉は、アイゼンベルグかじょぜっぺのどちらかです!だって、島根でウチの母と同じ俳句会にいた小林さん(ジョゼッペ)と鎌田さん(アイゼンベルグ)は、そうとう俳句にこだわりをもっていたようですから。ということは、福地伊予守一族はアングロサクソ脳族たちです!!!

松尾芭蕉 画像集  

** 織田信雄(1558~1630) 僧侶であったのですが、俗人に戻り、また、優秀な忍者でもあったようです。信長の(アングロサクソ脳族の)側室の子でしょうか?

**加太(かぶと)越え

(引用)

「ここはご覧の通りの山中で、古くから「山賊のすみか」といわれており、伊賀から伊勢へ抜ける難所のひとつである。

『伊賀衆の柘植村の者2~300人と、甲賀衆*の武島大炊助・美濃部清洲之助ら100名余りが馳せ参じてお供を務め(ここまではほぼ事実)、上柘植より、三里半、鹿伏兎という山賊どもの栖(すみか)とする山中を難なく越えた(大ウソ!)』(改正三河後風土記より)・・・B

事実:『福地伊予守一族が家康一行の加太越えを加護したとある。』(伊賀町史より)・・・C

このあたりでは、家康に付き従う者はかなりの数に上っていたと思われるが。。。

事実:『此方(このかた)御人数、雑兵ども200余討たせ候(そうろう)。』(松平家忠の『家忠日記』より)とあり、野伏(のぶし)などによる襲撃を受けた可能性も大きい。

↑(真実)この意味は「この方たち家康一行を、(追っ手の兵や地元兵など)様々な兵200余りに殺害させた。」と推察されます。・・・D

* 甲賀忍者・・・E

甲賀流忍術屋敷 公式ホームページ l 忍術屋敷・忍術の歴史

足利義尚(あしかが よしひさ、1465~89)

将軍「義尚」の母親=偽「日野富子」****はアングロサクソ脳族です。ですから、義尚がヤハウェ系の六角氏討伐の命令を出した際には、ヤハウェ系の甲賀忍者が六角氏を手助けしたのでしょう。

<訂正:2014.10.25>
「織田信長の真実4」
上の記事のリンク先サイトAより割り出した<その他の裏切り者たち>のリストを見てください。(まだ全部じゃいかも?)その中で、六角氏や甲賀氏に関するところを読んでみてください。要約すると。。。
『本能寺の変』の時の六角氏の家老「蒲生賢秀」の娘婿「布施公保」は親・明智派なのです。したがって、六角氏は親・明智派だった可能性が高いようです!!さらに、伴太郎は近江甲賀氏なのですが、松平元康(徳川家康の若い頃の名前)と抗争した三河「吉良家」の家老豊永忠元=伴五郎の一門かもしれないとのことです。とすれば、あの『忠臣蔵』で有名な吉良家もアングロサクソ脳族かもしれないということになります。ガッカリです〜〜〜!!!??????


****『日野富子』についても後の記事で詳しく書きます。


そこで、BCDとEを合せて、考えられるストーリーは、

★★★ 伊賀忍者の福地伊予守一族は事前にアイゼンベルグたちと家康一行の討伐を示(しめ)し合わせており、滋賀から甲賀忍者100人余りに守られて家康一行が柘植村へやって来ると、加太越えを加護すると見せかけて、実のところ家康を裏切るつもりで随行していたのです。そして、加太の山中に入ると、他の明智光秀の追っ手と合流した200名余りが、家康一行と甲賀忍者たちに向かって反乱を起こし、ついには、家康一行と甲賀忍者を訂正2014.08.21:捕らえて、一部の内通者を除き、UFOに乗せて甲州若神子の陣に連れ去り、そこで)みな殺害したということでしょう。(数機のUFOから電磁波攻撃や反重力装置などの超高度な武器で攻撃すれば、どんなに強い武将たちでもかなうわけがありません。)そして、成りすましの偽・家康一行は岡崎城近くの大浜までUFOでひとっ飛びして帰って来たということですかね?!

岡崎城

「神君伊賀越え」総括 その1

「神君伊賀越え」総括 その2

「神君伊賀越え」総括 その3

★★★ 考えられる常識的ではないストーリーとは、加太の山中で家康一行を討った後、松平家康やその部下に成りすましたアイゼンベルグなどのアングロサクソ脳族たちはUFOで大浜に着陸したということですネ!

また、先のサイトAから推察すると、 この時に服部正成も、明智光秀の命令で家康一行の追っ手となっていたアイゼンベルグなどのアングロサクソ脳族たちや真田忍者や裏切った福地氏の伊賀忍者などに殺されてしまったのでしょう。

★★★ なので、アングロサクソ脳族の誰かが服部正成に成りすまし、その後も服部半蔵として徳川家康(アイゼンベルグ)に仕えていたと考えられます。

また偽・服部正成にくっついてきた伊賀の福地氏の忍者たちはアングロサクソ脳族だったので、偽・服部正成には忠実に従っていたものの、本物の正成の長男「正就」には従わず、権力を失い失職。妻の父松平定勝(多分、アングロサクソ脳族家系。於大の方の再婚先での子)が藩主となっていた伏見藩へ。そして、大阪の陣にて行方不明となったとか、討ち死にしたとか諸説あり。(きっと、アイゼンベルグたちに殺されたのかも?)

服部正就(まさなり、1565~1615) ウィキペディア

服部正重(まさしげ、1580~1652) ウィキペディア

服部半蔵 ウィキペディア

ということは、わたしの先祖のグラバーの娘ハナが嫁いだ島根(石見)の服部家は、ほんとうのヤハウェ系の服部家の家系のはずなので、おそらく、(江戸時代に石見守をいていたというのは多分ウソ!で、ほんとうは)室町時代に石見守として石見銀山の管理を任されていた一族だったのではないでしょうか?ですから、きっと、江戸時代の前に、あのように漁師にされてしまっていたのではないでしょうかね?!

本多正信(1538~1616) 伊賀越えに同行していた(長谷川秀一?茶屋四郎次郎?)というが、34名の名前には入っていないとのこと。きっと、アングロサクソ脳族がほんとうの本多正信に成りすまして、偽・徳川家康の右腕となったのでしょう。家康が行った謀略の大半は、この政信の献策によるものだったとか。とすると、ジョゼッペかも?



[PR]
by Ulala-lov | 2014-07-23 12:39 | 日本史 中世 | Comments(1)

2014−07−22

のつづき)

大変済みませんが、この記事はまだ書きかけです。

+++その他の名将+++

服部 正成(はっとり まさなり/まさしげ、1542~1596)

(引用)父は、服部保長で、伊勢国の土豪。北部を領する「千賀地氏」の一門。(当時の伊賀には服部氏族の「千賀地」「百地」「藤林」の三家があった)

保長は生活苦から上洛し、室町12代将軍「足利義晴」に仕えた。この時に松平清康(家康の祖父)が三河国を平定し将軍に謁見すべく上洛した折に、保長と会って大いに気に入り、その縁で松平氏に仕えることになった。(一方、伊賀国予野の千賀地氏を正成の一族とするのは誤りで、阿拝郡荒木(アングロサクソ脳族の名前を地名に?)の服部半三正種の子とするのが正しいとする説がある。)

(引用)「天正10年(1582年)、信長の招きで家康が少数の供のみを連れて上方を旅行中に本能寺の変が起こるが、このとき堺に滞在していた家康が甲賀・伊賀を通って伊勢から三河に抜ける神君伊賀越えに際し先祖の出自が伊賀である(服部)正成は商人・茶屋四郎次郎清延とともに伊賀、甲賀の地元の土豪と交渉し彼らに警護させて一行を安全に通行させ伊勢から船で三河の岡崎まで護衛しており彼らは後に伊賀同心、甲賀同心として徳川幕府に仕えている。・・・A

伊賀衆 群を抜く強さ-忍者として 傭兵として

天正伊賀の乱 - 伊賀忍者

伊賀衆

忍術、忍者とは l 忍者とは l 伊賀流忍者博物館服部氏


<偽服部氏>

服部半蔵

服部半蔵 l 忍者マイスター

第16回 伊賀者を率いた服部半蔵正成の家紋・・・「並矢」

家紋に詳しい方おねがいします。 源氏車に並矢は服部半蔵の家紋ですか?調べて… - Yahoo!知恵袋

(家紋に関しては翌日22日の家紋で分かることで説明します。しかし〜、まだ書きかけです。済みません!)


★ 分かりました〜!!!松平家に代々仕えた重臣であった本当の服部家は忍者ではなく、古代から神官や、機織りなどをしていた平氏系の有力氏族のようです。

ところが、『本能寺の変』後、松平家康の一行は明智光秀の追っ手たちに討伐され、アイゼンベルグが家康に成りすまし、ジョゼッペ?も服部正成に成りすましたのです。

ですから、『忍者ハットリ君』とは、「本能寺の変」の後の偽・服部正成のことであり、忍者「服部衆」とは、その時に偽・服部正成と共に岡崎城にやって来た伊賀衆(福地氏など)のことでしょう。

また、服部半蔵という名前もその時から偽・服部正成とその一族に付けられた襲名と推察されます。ですから、初代となっている服部保長はウソで、二代目の偽・服部正成からが始まりでしょう。三代目・四代目は本物の服部正成の息子たちですが。。。それ以降はアングロサクソ脳族でしょう。そして、現在も、服部半蔵家は東京の葛飾柴又(なぜかトラさんといっしょ!)にあり、服部半蔵が襲名されているのです。アングロサクソ脳族たちがヤハウェ王族の有力家系を乗っ取る典型的なやり方です。

『忍者ハットリ君』って良い忍者だとばかり思ってたのに〜! ガ〜ッカリ!!😣 😩 😬


<ほんとうの服部氏>

平家長・・・桓武平氏系

服部正成・・・本能寺の変以後は偽・服部正成ですし、ウィキに書かれているその祖先の出自もウソが書かれているのかも?あるいは、ほんとうに伊賀にも福地氏(アイゼンベルグなどのサクソン系)以外のヤハウェ王族系の服部忍者衆がいたのか?今、検証中です。

(訂正)わたしの母の実家の服部家は、わたしの喪服の着物に染め抜きしてある紋が確か「桐」の紋と覚えていたのですが、何しろ、父の葬儀に着て以来30年あまり見ていないのでうろ覚えで、もしかしたら蔦(つた)の紋のような気もするし。。。とにかく、もともとは桐(きり)だったのかも?(この2つの家紋はとてもよく似ています)おそらく、服部氏というのは蘇我氏の直属の部下「連」(むらじ)だったのでは? また、うちの母方の祖父・服部朝太郎は「うちの服部という名字は、古代に中国で機織りをしていた一族に由来していて、日本に渡来してきたんだ。」と言っていたとか。

[ 松平家康の名将たち ]

武将一覧 l グレート家康公「葵」武将隊

徳川家康 l グレート家康公「葵」武将隊

酒井忠次 l グレート家康公「葵」武将隊

本多忠勝 l グレート家康公「葵」武将隊

榊原康政 l グレート家康公「葵」武将隊

井伊直政 l グレート家康公「葵」武将隊

家紋について(2)橘紋

服部正成 l グレート家康公「葵」武将隊

水野勝成 l グレート家康公「葵」武将隊

小松姫 l グレート家康公「葵」武将隊


につづく)



[PR]
by Ulala-lov | 2014-07-22 01:06 | 日本史 中世 | Comments(1)

2014−07−21

のつづき)

+++ 家康の『四天王 』+++

◎ 酒井忠次(さかい ただつぐ)

酒井忠次(1527~96)

徳川四天王 酒井忠次(生誕地) l 侍大将のブログ

酒井忠次 - アンサイクロペディア

語句...海老掬(えび すく)い踊り

◎ 本多忠勝(ほんだ ただかつ)

本多忠勝(1548~1610)

サイトの下のほうの江戸幕府になってからの本多忠勝の説明はウソで、本多忠勝の子孫は桑名藩主、美濃藩主、中務大輔*、甲斐藩主、能登藩主、内記** などとみな大出世しています。

* 中務省のトップが中務大輔であり、天皇の補佐をする朝廷に関する職務の最高職です。今でいうなら、宮内庁長官というところでしょうか?

** 内記の職員というは皇室の記録係のようです。

本多忠勝:ぶらり重兵衛の歴史探訪

なぜ本多忠勝はゲーム等で『戦国最強』と言われ出てくるんですか?Yahoo!知恵袋

本多忠勝 - アンサイクロペディア

戦闘でかすり傷ひとつ負わないということは、すぐに複製したり修復したりするウーパールーパーの遺伝子が入っているためでしょうか?ということはアングロサクソ脳族です。また、戦闘中に腹部や腕からビームやミサイルを発射しているような忠勝の姿が描かれていることから、現在のような非常に高度な兵器を携行していたということであり、やはり、アングロサクソ脳族のようです。

ウチの母の偽姉・石川初子の4人の子供たちのうち、次男が平八郎という名前でしたけれど、関係あるのかな?長女の祐子ちゃんが小沢一郎だし〜、次女の節(節子)ちゃんはジャックリーヌ・ケネディそっくり、長男の龍ちゃんと次男の平(平八郎)ちゃんはわたしが物心ついた時には東京の大学に進み、就職していたのであまりよく知りません。(以前から度々書いていますように、石川の偽伯母さんは『シバの女王』のようですし、養子の偽伯父さんは渡辺恒雄そっくりなのでアルバート公です。)

何にしても、4人とも学業のほうはサッパリだったようです。男の子二人が専修大学に入学できたのもコネだったようですし、平ちゃんのほうは卒業もしていないらしいとか。

本多忠勝〜城と古戦場〜

本多忠勝 l ナツのツレズレなる何か?

語句...武辺者の意味 - goo辞書

武家家伝_本多氏

本多氏=本田氏とか。。。ということは、東伏見慈洽(=HONDAの創業者「本田宗一郎」=瀬島龍三=外交官・重光葵=カーチス・ルメイ=エドワード7世)=『新生ヴィーナス』のクローン子孫?

(引用)「三河の本多家は藤原北家兼通流と称し、近世には大名十三家、旗本四十五家を出している。このうち平八郎忠勝の系統が宗家とされ、その祖先は豊後国* 本多に住んでいたという。

* 豊後国

とにかく、本多氏の先祖はアングロサクソ脳族である足利尊氏に仕え室町時代の奉行衆でもあったにもかかわらず、助時の時に三河国に移住し松平宗家2代目から仕え始め、代々仕えており、家康の父親宏忠の岡崎環城に功労があったとか。つまり、本田忠勝の一族はアングロサクソ脳族であるにもかかかわらず、敵の松平家に代々仕えてきたというしたたかな一族だったことは間違いないようです。

★★★ したがって、本田忠勝は明智光秀への内通者であったと考えられ、家康殺害にも関わっていたに違いありません。だからこそ、その後、江戸幕府で非常に重用されたのです。


◎ 井伊直政(いい なおまさ)

井伊直政(1561~1602)

黒田長政**など反石田三成派の諸将と交渉にあたり、徳川側に組み入れた功績は大きいとか。

寺尾聰、大河ドラマ「軍師官兵衛」で家康役に

寺尾聡2度目のNHK大河「徳川家康」黒田官兵衛の嫡男たらしこむタヌキおやじ

「そのとき左手は何をしていたのか」 と問う黒田官兵衛の凄み

・井伊直政の養母で井伊家を乗っ取った井伊直虎(女)

井伊直虎(不明~1582)←アングロサクソ脳族トップ3人女性形の誰か

花=唐梅院(とうばいいん、不明~1639)←アングロサクソ脳族トップ3人女性形の誰か

井伊直政は養母がシバの女王か新生ヴィーナスのどちらかだったようです。したがって、松平家康の伊賀越えの時にはアングロサクソ脳族の指示に従っていた可能性があります。

『人物・逸話』のところを見ると、要するに、井伊直政は非常に美男子で知られ、また勇猛で、頭も非常に良いヤハウェ王族で、徳川家康(アイゼンベルグ=ホモで両性愛者であり、幼児性虐待者、サディストなどの性的変態者)、シバの女王、新生ヴィーナスなどアングロサクソ脳族トップ3人衆(男女にすると6人)のお相手をさせられていた*ようです。

* 伽とは - コトバンク

井伊直政 井伊の赤鬼の異名を誇る徳川四天王

大河ドラマ 軍師官兵衛で東幹久が演じる 井伊直政についてのまとめ - NAVER

井伊直政(いいなおまさ)とは[ピクシブ百科事典]

甲斐・武田家から引き継いだ『赤備え』の戦士たち(井伊直政自身も含めて)は、現代風にいえば、アングロサクソ脳族トップ3人=アナンヌキたちが世界中にある秘密地下基地で養育していた『MKウルトラ戦士』のようなものですね。特に眉目秀麗で頭脳明晰なヤハウェ王族の子弟を狙って養成し、サクソン軍団の中でも最強の特殊部隊を編成していたようです。アングロサクソ脳族トップ3人たちの親衛隊でもあったのかもしれません。

井伊氏

井伊氏 - 武家家伝

もともとアングロサクソ脳族系だったようです。

(訂正)同じく、井伊家の有名な幕末の大老井伊直弼(いい なおすけ、1815~60)は『桜田門外の変』で暗殺されたことで有名ですが、ヤハウェ王族かと思ったら間違いでした。井伊直弼、水戸藩、孝明天皇***のアングロサクソ脳族たち三者が組んで、幕府と孝明天皇との仲が険悪になるように仕向けたのです。井伊直弼が水戸藩士たちに暗殺されたのも三文芝居で、ほんとうはヴァンパイアなので死んでなんかいなかったのです。(彼らは相当に重傷を負っても再生するような不死の身体をもっているようです)

また、井伊直弼の*母親のお富の方=君田富(きみた とみ、1785~1819)(=富士=藤=冨士子=藤子)は『シバの女王』です

* ウーパールーパーとは - ニコニコ大百科

「きわめて再生力の強い生物であり、手足はもちろん、脳の一部ですら再生する」とあります。アングロサクソ脳族にはこの遺伝子も入っているようですから。

***南北朝時代〜江戸時代の天皇〜現在までの天皇と幕府については後に別記事で詳しく説明します。

榊原康政(さかきばら やすまさ)

榊原康政(1548~1606)

榊原康政 アンサイクロペディア

榊原康政、同輩の影に隠れてしまった名将

榊原氏

榊原氏 - 武家家伝

榊原のものしりになろう


につづく)


(2014.07.28 5:20 a.m. 記述完了)



[PR]
by Ulala-lov | 2014-07-21 01:21 | 日本史 中世 | Comments(0)

2014−07−20

のつづき)


★ アングロサクソ脳族歴史では、冷徹で残虐な武将のように書かれている「織田信長(ヤハウェ王族)の真実」については別記事で詳しく説明します。

瀬名姫=築山殿(家康の正室、信康の母)

なお、1566年頃までに松平家康は三河を統一、徳川に改姓したとありますが、それはちょっと疑わしいです!



1579年、家康の側室「西郷局」(=『新生ヴィーナス』)が秀忠を生む。

1579年、家康の正室「築山殿」(今川義元の娘、=『シバの女王』=新生ヴィーナスの母親、あるいは姉)が嫁・徳姫の讒言(ざんげん)を息子の信康(岡崎信康)にしたり、唐人医師と密通したり、武田家との内通があったため、徳姫が「12ヶ条からなる訴状」を家康の重臣「酒井忠次」に託し、信長に渡してもらった。
織田信長は家康に「信康の切腹」を命じた。(元々築山殿と家康は別居していたし、信康とも対立していて、家康自身が決断したという説もあるそうです)
築山殿は「シバの女王」だったので、信長はその血筋やその怪しい正体を知ったので親子共々殺すように命じたのではないかと推察されます。もしかしたら、徳姫は信長の命令で築山殿や信康の正体を探っていたのかも?

家康は、長男「信康」を幽閉し、まず『築山殿」を家臣に殺害させた。その後、信康を切腹させた。

*服部正成(=服部半蔵:襲名)は、1582年の明智光秀の「本能寺の変」(主君「信長」を討ったクーデター)より前から代々松平家に仕えた重臣だったことが分かります!とすると、「本能寺の変」の直後に家康と共に殺害された可能性ありです!


1581年、武田勝頼は、武田信玄の養子(人質)となっていた織田勝長(おだかつなが)を返還した。しかし、織田信長は勝頼を攻める姿勢を崩さなかった。

家康が自殺するというのを服部半蔵がなだめて急いで岡崎城に戻ったというところがいかにも怪しいです!長年、今川義元の人質になったり、戦いに明け暮れた名武将がそのような女々(めめ)しい言葉を吐くとはとても思えないのです。なので、この時に家康一行にも明智光秀軍団が襲って来たと考えるほうが自然です。

*このブログ内の関連記事:

「本能寺の変」直後に家康も殺害、アイゼンベルグが家康に成る!

わずか34名の部下した随行していなかった家康も、信長同様、多勢(明智勢)に無勢(家康勢)* であったので敗応戦するわけにもいかず、急いで岡崎城に戻ることにしたようです。

* 多勢に無勢 - 故事ことわざ事典

この時に家康に随行していた家臣34名:

酒井忠次、石川数正、本多忠勝、井伊直政、榊原康政、本多正盛、石川康通、服部正成、高木広正、大久保忠隣、菅沼定政、久野宗朝、本多信俊、阿部正勝、牧野康成、三宅正次、高力清長、大久保忠佐、渡辺守綱、森川氏俊、酒井重勝、多田三吉、花井吉高、鳥居おます、内藤新五郎、都筑亀蔵、松平玄成、菅沼定利、永井直勝、永田瀬兵衛、松下光綱、都筑長三郎、三浦おかめ、青木長三郎

そのうちの多くは岡崎城に帰るルートの途中で殺され、アングロサクソ脳族たちが家康やその部下に成りすまして入れ替わったようです。

明智光秀(=アイゼンベルグ)松平家康を殺害し、松平家康に成りすまし、その後、徳川家康と改名し、偽『四天王』(訂正 2014.08.01:そのうちの本田忠勝と井伊直政の二家系はアングロサクソ脳族の放ったスパイでした!)たちと共に小牧・長久手の戦い大坂の陣関ヶ原の戦い活躍したのです。しかし、殺害されたほんとうの『四天王』のうちの酒井忠次と榊原康政の息子たち武功に対しては、その活躍に反して、わずかな石高しか与えず冷遇していたとのことです。

★★★ さらに、毒川家康(アイゼンベルグ)はほんとうの松平家康の子孫や『四天王』のうちの酒井忠次と榊原康政たちの子孫や、その他の忠臣たちの子孫の家系に世継が生まれないようにスパイ工作し(そのような秘薬を使ったのでしょう)、その多くは、お家断絶の憂き目にあうか、あるいは、アングロサクソ脳族に家系を乗っ取られているかしているのです!!


につづく)



[PR]
by Ulala-lov | 2014-07-20 14:54 | 日本の著名家系 | Comments(4)

2014−07−19


<祖父『松平清康>


<父親『松平広忠』>


<家康の祖母「於富の方」、「於万の方」=「華陽院」、「源応尼」>

(引用)「はじめ、三河国城主・水野忠政*に嫁いで水野忠重、於大の方ら3男1女を生む。ところが、隣の岡崎城城主・松平清康がその美しさに目をつけて、松平氏が水野氏*を破ったときの講和条件として譲り受けたといわれている。(←逆の可能性あり!水野氏が松平氏を破り、その講話条件として松平清康が於富の方を正室に迎えさせらるハメになったのでは?!)清康の死後、於富の方は星野秋国*、菅沼定望**、川口盛祐***といった三河の諸豪族に次々に嫁ぐが、いずれも夫に先立たれている。その後、駿河国の大名今川義元を頼って駿府に入り、出家して源応尼(げんおうに)と名乗る。」

水野氏については後日の記事:三河国城主「水野氏」、その祖先と子孫で詳しく説明しています。

星野氏_武家家伝 ・・・清和源氏・南朝派(アングロサクソ脳族系)
星野秋国(備中守)・・・備中は岡山県西部で古代から重要な拠点であり桃太郎伝説(実は、悪い鬼たちだった桃太郎軍団)のある鬼ノ城総社市(そうじゃし)があります。
菅沼氏_武家家伝・・・清和源氏・土岐氏流
*** 川口盛祐(もりすけ)=川口宗勝(むねかつ、1548~1612)・・・源氏でしょう!!!後々、江戸時代になると子孫は加増されたり、長崎奉行や江戸町奉行になったりして大いに繁栄しています。(アングロサクソ脳族系)

この「川口氏」というのは、わたしが島根女子短大の女子寮にいた時の先輩の川口さんと関係がありそうです!!

川口先輩は諫早市(いさはやし、長崎県中央部にある市)の出身だと言っていましたし、川口先輩ってタレントの清水国明にけっこう似ていたような。。。今になってよく考えると、川口先輩=川口順子元外相* =登山家の田部井順子=仁摩ルーテル教会に温泉津から通ってきていた「庄司さんという男の人」=タレントの清水国明=サクスコーブルグゴーダ公カール・エドゥアルト=ムッソリーニで、象二郎系のクローンたち(同一人物かも?)のようです。両性具有の人工知能付ヴァンパイアです!!(でも、川口先輩って色白で目つきはキツいけれど、けっこう可愛い顔でした。擬態か変装でもしていたのかな?)

実は、わたしは女子寮にいる時に、川口先輩に頬っぺたを叩かれたことがあります。その日はどういうわけか、いつも、わたしに冷たい榎本さん、節子さんが不思議とわたしに優しく、これから三人で一緒に夕食を食べようか食事(月〜金は料理人のおばさんたちが夕方作ってくれている)が置いてある寮の台所に入って話をしていると、突然、川口先輩がドカドカと入って来て「もう遅いから夕食いらないんでしょ!」と言って勝手にお皿の料理をどんどん生ゴミ入れの中に放り込み始めたのです、ビックリしてやや凍り付いた後に、わたしが「あっ、先輩、まだ食べてません!」と言った時には2人分の食事は捨てられて1人分しか残っていませんでした。それで、1人分をわたしが3つのスプーンとともに部屋に持ち帰って、3人で分けて食べようとしたのですが、他の二人は黙ったまま食べようとせず、川口先輩は怖そうな顔でわたしを睨(にら)んでいます。わたしもちょっと腹が立ったので少し睨み返したら、ササッとわたしの近くまでやって来て、座っているわたしの頬っぺたをバチンと平手打ちされ、わたしはビックリして泣き出しました。他の二人は「センパ〜イ、わたしたちが悪いんです〜」とか言い出したのですが、川口先輩は他の部屋に逃げていきました。今思うと、あれもアングロサクソ脳族たちの得意な三文芝居で、三人ともシナリオ通りに演技していたのでしょう。彼ら三人はわたしに夕食を食べさせないで腹ぺこにさせるつもりで、同級生の二人は先にどこかで食べていたのかもしれません。

川口順子元外相と田部井順子さんって、よく似てるでしょう? ネ!

カール・エドゥアルトの父レオポルド・ジョージ・ダンカン・アルバート(オールバニ公)ゲオルク・フォン・トラップ=ヘンリー・フォンダでアイゼンベルグ系ですが、カール・エドゥアルトは象二郎=新生ヴィーナス系のようです!

★★★そして、この「於富の方」は冨士子=『シバの女王』系だと思われます!!!

今川氏は本来ヤハウェ系ですが、今川義元は母親がアングロサクソ脳族の源氏系なので、アングロサクソ脳族です。その今川義元を晩年になって頼っていった「於富の方」は、"やはり、アングロサクソ脳族" ということです!!!(冨士子は天照大神(あまてらすおおみかみ)=『シバの女王』だし〜!)

<家康の母とされる『於大の方(おだいのかた)』=伝通院(でんつういん)>



伝通院・・・戒名(かいみょう)を見ると、「伝通院・蓉(ハスの花)誉(ほまれ)光(ひかり)岳(義理の父母を岳父・岳母とかいいますね〜)・智香*(智光)大禅定尼** 」=おそらく、『新生ヴィーナス』のクローン子孫です!!!
* わたしの高校の同級生の上野智香ちゃんは新生ヴィーナスのクローン子孫だのではないかと思います。
★ すると、鷆通院は義理の母で、家康の実母ではなかったということでしょうか?

家康の松平家はヤハウェ系だと思っていたので、母親の於大の方もヤハウェ系だとばかり思い込んでいたのですが。。。於大の方は後妻で家康の義母だったということでしょうか?

+++となると、いったい家康の実母は誰でしょうか???+++

家康(幼名:竹千代)が源氏の今川義元に人質に出されるのを救うために、あえて君主松平広忠に逆らったことにして、命をかけて(源氏と称しているものの)実は同じ平氏であった織田信秀(信長の父)に預けたということでしょうか?実際、その後、怒った今川義元は田原城に攻め込み、戸田康光とその嫡男を殺害しています。すると、戸田康光が実母の父(竹千代の祖父)ではないでしょうか?そして、おそらく、その娘『真喜姫』が家康の実母ということではないかと!

★★★ 戸田康光の娘『真喜姫まきひめ』=『田原御前』が松平家康の実母!!!


田原御前の人柄が良いのは本当でしょうが、寧々(ねね)は多分「シバの女王」だったはずで非常に陰険で策略家だったはずなので、寧々と同じように比する*のはおかしいです。毛利元就の養母「杉大方」は良い人柄だったようですけれども。

「身内に冷淡なことをしまくっている家康」とありますが、松平家康が「筑山の方」(シバの女王)を殺害させたり、その長男「信康」を自害させたりしたのは正当な理由があってのことで、やむおえなかったと思います。(後で詳しく説明します)

墓石の前に後室と書かれています。つまり、第二の正室です。

京極家などにつながっています。


源義家・・・母親は平直方の娘であり平氏の血筋
おそらく、父親の源頼義(よりよし)も、義家も平家の血筋と思われます、なので、わざと奥羽両国を制圧しなかったのでは?それで、朝廷からの恩賞ももらえなかったのでしょう。
★★★ 朝廷の放つ『ストーケロ』{ストーカー・ケロッグ}* ="アングロサクソ脳族たちのスパイ"たちは超しつこいですからね〜 何でも知っている! 013.gif 013.gif033.gif
それに彼らの集団ストーカーなんて超怖い犯罪なんですから〜〜!!!
021.gif046.gif008.gif yaturame~ 047.gif047.gif047.gif

* ストーカーは「尾行」の意味
ケロッグは英語で「カエル」の意味。
なんかアングロサクソ脳族タコ人の地球侵略活動に通じるものがあるような。。。彼らにはモリアオガエルの遺伝子も入ってるし。自分たちのしてきた過去・現在・未来(予定)の活動を本や映画やドラマやアニメにしたりするの好きみたいですからね〜!
★このブログ内での関連記事:
ストーケロ・ローゼンバーグこと英ウィンザー朝のグロスター公ヘンリー(エドワード8世の弟)のストーケロという名前も、もちろん、このケロロ軍曹を意識していて、地球征服を企む宇宙人(タコだったけど地球に来てからカエルの遺伝子も入れた)が送ってきたカエルのストーカー(スパイ)という意味ですよ〜!

しかし〜、源義家の子孫とされている(系図に偽りがあるようです)鎌倉幕府を開いた源頼朝(=アイゼンベルグ=スメラ)と義経(ジョゼッペ)は間違いなくアングロサクソ脳族ですから!!!
このブログ内の関連記事:
(済みません!この記事は現在訂正・加筆中です)

戸田康光の息子のうち、生き残った次男の「戸田光忠」の嫡男戸田忠次(ただつぐ、1531~97)が2代目田原戸田家当主になる。

忠次の嫡男で江戸時代になって三河田原藩の初代藩主になった戸田尊次(たかつぐ、1565~1615)の子供たち:
五男…戸田忠次の次男戸田忠時(1637~1712)下野国(しもつけのくに)足利藩を立藩、江戸幕府の側用人(将軍の命令を老中に伝える役目)、宇都宮藩戸田家分家初代。
娘..水野忠保室
娘…辻◎室
娘…戸田◎室


024.gif戸田氏はヤハウェ系支族のようです!038.gif016.gif016.gif

なのに〜 結局、田原城は三宅氏031.gifに乗っ取られたみたいで残念です〜 013.gif013.gif013.gif

森氏 ウィキペディア・・・この森氏の「鶴の丸」は、鶴じゃなくて、カモの顔をしていますよ〜!しかも、クロカモじゃないですか〜!怪しい、怪し〜〜〜い!

「森」姓って、「林」姓(ジョゼッペ系)と同類でアングロサクソ脳族の名字だとばかり思っていましたが、平氏系(偽り?)と源氏系の両方があるようですね。それにしても、なんでアングロサクソ脳族たちは、こぞって八幡太郎・源義家の子孫になりたがるんでしょうかね?
しかし、森嘉朗元総理と、その息子で悪評の高かった森祐喜元石川県議はセシル・ローズやカーチス・ルメイに似ていますから絶対にアングロサクソ脳族ですよね〜!


可成の妻「えい」は「シバの女王」か「新生ヴィーナス」のようですし、可成が信長に忠実に仕えたのはアングロサクソ脳族の神「アイゼンベルグ」の計画に従っていたためだろうと推察されます。アイゼンベルグは信長が若い時に、街中で信長を観察し
、信長の才能を確信して、信長を天下統一の矢面に出し、統一させる直前に殺害して、天下を横取りする作戦を周到に練っていて、そのシナリオに従って木下藤吉郎(羽柴秀吉=豊臣秀吉)を始めとしてかなりの数のアングロサクソ脳族たちを信長軍に参入させていたようです。そして、天下統一に向かって、何よりも優先させて信長軍を勝たせることが第一であり、そのためには命も捧げさせる誓いをさせていたのでしょう。(第二次世界大戦時の天皇と日本軍との関係と同じですね!)

★★★ アングロサクソ脳族やサクソン兵士たちのコンピューター脳や身体(オオカミやスズメバチなどの遺伝子からも)には、アイゼンベルグ(オオカミのボスのように)や『シバの女王』=天照大神(=ハチの女王のように)の命令を忠実に実行する因子が組み込まれているらしいのです。

ですから、本能寺の変以降、没落する織田家臣団の中にあって、最終的には、森家で生き残った六男の「森忠政」は、徳川家康によって禄高加増の栄転をしています。

この顔が、一番、松平家康に近いのかも?
1543年生まれ+42歳で1585年の成りすまし徳川家康(スメラ)の画像です。
この肖像画は隠居時代の頃に描かれたのか、デブデブです〜!!象二郎と入れ替わっていたのかも?

につづく)




[PR]
by Ulala-lov | 2014-07-19 12:48 | 日本史 中世 | Comments(1)

2014−07−18




それは、集団的自衛権容認と徴兵制とはまったく別問題ですから、今回の閣議決定でそうなるわけがありません!

片山議員の質疑で「総理はなぜ、そう閣議決定を急いだんですか?」ののんびり質問に対して。。。

わたしが答えるとすれば、「現在の日本周辺の状況を視(み)れば、中国との尖閣諸島問題や北朝鮮のミサイル発射など、いつアングロサクソ脳族たちの独裁国家からの攻撃があるやもしれず、これは一刻を争う重大な問題なのです。実際に、現在、ベトナムと中国とは南シナ海で小競り合いを繰り返していて、いつ戦争に発展するかもしれない危険な状態にあります。*


また、福山哲郎議員の集団的自衛権容認には歴代の法制局長官たちはみな反対してきたんですよ」という発言に対して。。。

わたしからの答え「歴代の法制局長官はみなアングロサクソ脳族だからでしょ!」


<< 参議院予算委員会における民主党の質疑者 >>

◎ 福山哲郎



これは内閣法制局側は、事前にさまざまな資料を内角側から受け取ったり、説明を受けたりしていて、事前に今回の集団的自衛権容認・閣議決定の内容を十分を理解していたからだと推察されます。


例えば、以前から自民党が主張してきたように、中国や北朝鮮からアメリカに大陸間弾道ミサイルが発射されたような場合、日本が何もしないで、それを見過ごすことは日米同盟の信頼関係を危うくすると考えられる。したがって、自衛隊がそれを撃ち落とすことができるように集団的自衛権を認めるべきだと主張してきました。

しかし、今回のように、「国民の権利が根底から覆される明白な危険がある場合にのみ」と厳しい限定を付加したことにより、そういった日本側(=自衛隊)のアメリカとの協力体制をとった対応は実質的に困難になりました。

だって、万が一、事前の予測もなく、不意打ち的に中国・北朝鮮より弾道ミサイルが発射されたような場合、政府が先のような厳密な規定を考慮し判断するというようなことをすれば、現実、弾道ミサイルを日本が撃墜することなど不可能なになります。このような場合、現場は即座に対応しなければ間に合わないわけですから。





★ところで、もう一度、OSSの作成した「サボタージュ・マニュアル」を見てみましょう!


このようなことは、わたしも学校での学びにおいても、会社での仕事の中でもたくさん経験しました〜!

今国会で、衆議院、参議院で民主党議員が用いた方法は、サボタージュ・マニュアルの中の以下の項目に沿った質疑だったことは明白です〜!

◆些細なことにも高い完成度を要求せよ。わずかな間違いも繰り返し修正させ小さな間違いも見つけ出せ。
◆すべての規則を隅々まで厳格に適用せよ。
◆何事をするにも「通常のルート」を通して行うように主張せよ。決断を早めるためのショートカットを認めるな。
◆「スピーチ」を行え。できる限り頻繁に長い話をすること。長い逸話や自分の経験を持ちだして主張のポイントを解説せよ。
◆「愛国的」な主張をちりばめることを躊躇するな。
◆可能な限りの事象を委員会に持ち込み「さらなる調査と熟考」を求めよ。委員会のメンバーはできるだけ多く(少なくとも5人以上)すること。
◆できる限り頻繁に無関係なテーマを持ち出すこと。
◆以前の会議で決まったことを再び持ち出し、その妥当性について改めて問い直せ。
◆「警告」せよ。他の人々に「理性的」になることを求め、将来やっかいな問題を引き起こさないよう早急な決断を避けるよう主張せよ。
◆あらゆる決断の妥当性を問え。ある決定が自分たちの管轄にあるのかどうか、また組織上層部のポリシーと相反しないかどうかなどを問題にせよ。



ポイントが分かりやすく書かれています!

★★★ アングロサクソ脳族が仕掛けてくる数々のワナにハマらないように、わたしたちヤハウェ系=人間は細心の注意を払って物事にあたらないといけないようです!!!



[PR]
by Ulala-lov | 2014-07-18 16:31 | サタニストの攻撃 | Comments(0)