ヒッタイト人のその後

旧約聖書によれば、「ノア」の息子「ハム」の、そのまた息子の『カナン』は、ノアの怒りをかい、「カナンは、子々孫々までハムの兄弟のヤペテとセムの奴隷となれ!」とノアに言われたという。後世まで’カナンの呪い’として伝えられることになったのでした。

そのカナンの息子のひとりに『ヘテ』がおり、その子孫はヘテ人=ヒッタイト人であり、その居住・活動地域によりそれぞれ氏族名を変えているので、ちょっと分かりにくいのですが。

・ 地中海あたりでは「フェニキア」、「カルタゴ」、「スパルタ(ギリシャ)」
・ 小アジアでは「ヒッタイト」
・ 中央アジアでは「スキタイ」
・ ロシアでは「タタール」
・ 北欧では「ゲルマン」
・ イギリス・ドイツ・オランダ・ベルギーなどでは「サクソン(=ザクセン)」
・ インドでは「パラモン(=ブランフマン)
・ 北東アジアでは「匈奴」 (欧州では「フン族」と呼ぶ)
・ 中国では「秦(シン)」
・ 韓国では「高句麗(コウクリ)」? (「新羅(シラギ)」かと思っていました)
・ 日本では多分、「秦(ハタ)氏」 、「アマ族」、「ソナカ氏(=出雲族)」

らしいということが分かってきました。

さて、これまで、わたしは、その祖先がハム族とセム族両方にまたがる「シェバ人」について、’わたしなりの歴史探検’(あくまでも、探検ですので7〜80%ぐらいもあっていればイイかな〜?)をわりと多く書いてきましたが、’シェバ&ヘテ’の『ワルワルコンビ』のもう一方、ヘテ人=ヒッタイト人は、中央アジアでは「スキタイ」という騎馬民族として存続し、地中海では、「フェニキア」、「カルタゴ」、地中海でも、特にギリシャでは「スパルタ」となったところぐらいまでこのブログで書きましたが、その後はどうなったのでしょうか?

それぞれの地域でのヒッタイトの派生氏族について、ブログ『神仙組外典[新世紀創造理念]天の岩戸開きとニギハヤヒの復活!』さまにて、とても詳しく書かれていますので、リンク先のアドレスを下記に載せさせていただきました。でも、専門的な感じのところなどはちょっと難しくて、わたしにはよく分からなかったところもありましたが、だいたいのストーリーが分かればいいかなと思って最後まで全部読みました。ふぅ〜)



・ 地中海・・・「フェニキア」、「カルタゴ」、「スパルタ(ギリシャ)」

・ 小アジア・・・「ヒッタイト」

「有色アーリア人とゾロアスター教成立の謎」
http://shinsengumi3.seesaa.net/article/144960592.html
「ヒッタイト帝国とスサの王の謎」
http://shinsengumi3.seesaa.net/article/144848894.html
「ヒッタイト神話と世界の龍退治伝説」
http://shinsengumi3.seesaa.net/article/144780164.html
「失われたヒッタイト人とカチカチ山」の謎
http://shinsengumi3.seesaa.net/article/144859727.html

同じアマ族でも、「龍蛇族」と「牡牛族」がいて、神話のスサノオの尊(みこと)は大陸から朝鮮経由で渡来したアマ族(牡牛族)で、先に来ていたアマ族(龍蛇族)をやっつけたのが、あの八岐大蛇(ヤマタノオロチ)伝説らしいです。しかし、その後、スサノオの尊は東北地方に追いやられてしまったらしいですよ〜 なぜなんでしょう?

「イスラエル民族」の二重構造と「ヘブライ人」の正体
http://shinsengumi3.seesaa.net/article/148681273.html
「ユダヤ人の二重構造と「日本アシュケナージーユダヤ同祖論」の真相
http://shinsengumi3.seesaa.net/article/148792229.html

・ 中央アジア・・・「スキタイ」

「世界最大のミステリー『遊牧騎馬民族イスラエル10氏族とユダヤ人』の謎
http://shinsengumi3.seesaa.net/article/149030041.html
「ギリシャ人とイスラエル人の融合と『日本トルコ同祖論』の謎」
http://shinsengumi3.seesaa.net/article/148545511.html
「三国史記と失われたイスラエル10氏族の謎」
http://shinsengumi3.seesaa.net/article/144961999.html

・ ロシア・・・「タタール」

・ 北欧・・・「ゲルマン」

・ イギリス・ドイツ・オランダ・ベルギーなど西ヨーロッパ・・・「サクソン(=ザクセン)」

・ インド・・・「パラモン(=ブランフマン)」

「アショカ王の『カースト仏教』と鉄柱オーバーツの謎」
http://shinsengumi3.seesaa.net/article/148224267.html

「バラモン経」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%90%E3%83%A9%E3%83%A2%E3%83%B3%E6%95%99
「アショカ王」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%82%B7%
E3%83%A7%E3%83%BC%E3%82%AB%E7%8E%8B

アショカ王のことを暴君とかって悪い噂を後世に伝えたのは、きっとバラモン経の僧侶たちでしょうね〜
カースト制の上層部にいる支配階級のバラモン(ヘテ人=ヒッタイト)とクリャトリア(シェバ人)たちが’仏教を衰退させるために謀(はか)った彼らの得意な名誉毀損の喧伝*’ですよね〜

* 喧伝 (世間に言いはやし伝えること。盛んに言いふらすこと。)

・ 北東アジア・・・「匈奴」 (欧州では「フン族」と呼ぶ)

・ 中国・・・「秦(シン)」

「アレクサンドロスと秦始皇帝の謎」
http://shinsengumi3.seesaa.net/article/144967103.html
「アレクサンドロスとアショカ王」の謎と「秦始皇帝と卑弥呼」の秘密
http://shinsengumi3.seesaa.net/article/148315024.html
「富士高天原王朝と七福神の謎」
http://shinsengumi3.seesaa.net/article/145053080.html

・ 韓国・・・「高句麗(こうくり)」

・ 日本では多分、「秦(ハタ)氏」 と思っていたのですが、実は、「アマ族」とか「ソナカ氏(=出雲族)」とかが卑弥呼、そして、皇室につながっているらしいです。

(秦氏というのは具体的な名字とは違うと思われます。「秦」という名字はありますが、多分あまり中心的な秦氏ではなく、多少の関わりがある程度かもしれません。それ以上に秦氏に関わりのある様々な名字の日本人はかなり多いことでしょう。)

「ギリシャ人とイスラエル人の融合と『日本トルコ同祖論』の謎」
http://shinsengumi3.seesaa.net/article/148545511.html
インドから渡海した「出雲族=ソナカ仏教布教団」と「鬼道」との関係
http://shinsengumi3.seesaa.net/article/148124687.html
「インドから伝来したギリシア神話の謎」
http://shinsengumi3.seesaa.net/article/147860596.html
「尼寺の拝み手「卑弥呼」と倭人の正体と日本建国の秘密
http://shinsengumi3.seesaa.net/article/147915349.html
「世界神話を集約したペルシアと天孫族の謎」
http://shinsengumi3.seesaa.net/article/149317815.html
アルザルに移動した古代ギリシア人と古代文明「アスカ」の謎
http://shinsengumi3.seesaa.net/article/148674081.html
インディアンの「三種の神器」と「シンドゥ教」の謎
http://shinsengumi3.seesaa.net/article/147886752.html
初代天皇の座を奪った桃太郎(ピーチボーイ・メーソン)の謎
http://mujaki666.seesaa.net/article/125129805.html


しかし、日本では、仏教が伝えられたので、ヒッタイトの悪魔教は伝わっていたけれど、衰退していったのでしょうか?それとも、最初から仏教で毒抜きされた状態で、ヒッタイトが日本に来たのかでしょうか?その両方でしょうかね?

いづれにしても、卑弥呼は悪魔教ではない宗教を信仰していたということで、それは、日本の天皇へと引き継がれていったようで良かったです。ホッ!


p.s.

上のブログ『神仙組外典』さんの説明のところで、「ヒッタイト」の項目のところに「失われたヒッタイトとカチカチ山の謎」など幾つかのリンク先アドレスを追加しました。

p.s.2

「ノアの箱船」後の民族移動について

「世界の高天原(たかまがはら)と葦原中国(あしはらなかつこく)の謎」
http://shinsengumi3.seesaa.net/article/145135847.html
「シュメール人の行方と世界を制した古代天皇の謎」
http://shinsengumi3.seesaa.net/article/144659478.html
「ギルガメッシュ伝説の謎」
http://shinsengumi3.seesaa.net/article/144655331.html
「メソポタミア神話(シュメール神話+バビロニア神話)と龍伝説」
http://shinsengumi3.seesaa.net/article/144658939.html
「日ユ同祖論を超える日本人のルーツ」
http://shinsengumi3.seesaa.net/article/144654938.html
「イスラエル民族の双子『エドム人』の謎」
http://shinsengumi3.seesaa.net/article/145043107.html
黄河文明と「日本語クレオールタミル語説」の謎
http://shinsengumi3.seesaa.net/article/144859246.html
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by Ulala-lov | 2010-07-26 10:52 | Comments(4)

「ローマ王政」時代というかローマ帝国の初期の歴史に関しては、なんだか、まだ十分解明されていないのか神話の領域を脱していないようなやや不確実な歴史的記述になっているものが多いように思われます。

リヴィウスの『ローマ建国史』

とにかく、トロイ人とイタリアの原住民アポリギネス人(ラティヌス王がいた国の民族)とが合わさり『ラテン人』となり、さらに、そのラテン人の中にはエリトリア人をも含んでいると思うのですが、その「ラテン人」の有力氏族が『ユリウス家』です。そして、『サビニ人』の有力氏族が『クラディウス家』です。(サビニ人と結婚し、国を合併したことにより、サビニ人も、結局、ラテン人に含まれるようになったと思われます)この両家が共に、協力したり、争ったりしながら、(残念ながら、争いのほうが多いのですが)、ローマ帝国の’主流となる支配者の家系’として、その後、ずっと君臨していきます。

そして、B.C.509年より、ルキウス・ブルートゥスにより、2名の執政官が政治を司(つかさど)る「共和制」に移行します。

「古代ローマ」
「古代ローマ2」
「共和制ローマ」

(ケルト系にもいろいろな種族があるようで、ガリア人(現在のフランス地域に定住していたケルト系)が攻撃してきたとあり、倒した敵の首を斬る習慣があったというのはちょっと違うと思うんですが。サタニストたちはウィキも、ちょこちょこと改ざんしていますので。ただし、敵の’大将’の首を斬って自国に凱旋するというのはほとんど、どこの国、民族でもやっていたのかも?)


「グラックス兄弟」
「ティベリウス・グラックス」

上のサイトに、ティベリウスは護民官として、没落しつつあったローマの自営農民を救うべく農地改革に着手。しかし反対勢力である元老院保守派やその支持者によって殺害されたとあり、最後のところに、ガイウス・ユリウス・カエサルが政界に進出するまで、元老院の改革や平民生活の改善政策は一切行われることはなかったとあります。

「マリウスの軍制改革」

確かに軍としては強固になったようですが、マイナス面もあったようです。軍団の私兵化が急速に進んだとか、「社会面の影響」のところにも、「祖国防衛」的なローマ軍の性格が薄らぐことになったとか。


「ガイウス・ユリウス・カエサル」 (=シーザー)

父方「ユリウス」氏族はトロイ人のアエネアスの息子アスカニウスに由来し、したがって女神ウェヌス(=ヴィーナス)の子孫であり、母方はアンクス・マルキウス(ローマ第四代の王、ヌマ・ポンピリウスの孫でサビニ人)に連なる家柄であるとか。まあ、ローマ人はトロイ・エトルリアのケルト系アイオア人(=イオニア人)とラティヌス王のもとにいた原住民とサビニ人の3者の混血ですからね。特に、トロイ出身とかエトルリア出身とか、サビニ出身とかが権力を握っていたんでしょうね。また、サビニ人の好戦的な性質は通婚によって多くのローマ人の中に遺伝子としてもたらされてしまったのでしょうね。しかし、カエサルは主に父方(ユリウス家)のほうの性質だったようです。(もちろん、両方の性質が入っているでしょうが、多分、戦場では、母方のほうの性質がうまく働いたのかも?)←訂正:カエサルはケルト系の純血種だった可能性もかなりあります。あるいは、母方がサビニでも、ケルト系の父方との混血を繰り返したためにケルト系に近い遺伝子を持っていた可能性もあります。どっちにしても、カエサルの姉(初代ローマ帝国皇帝アウグストゥスの実母)は異母兄弟だったのか、おそらく人間の祖ルーシーの子孫です!

また、カエサルは若い時には、終身独裁官となった「スッラ」に処刑リストに載せられていたが、スッラの支持者やウェスタの巫女などに助命嘆願され、かろうじて命を救われ、亡命していたなど、なかなかの苦労人。民衆派。

上のサイトにも、やはり、サタニストの改ざんだと思われるものがあります。カエサルが元老院を武力で制圧などするわけがありません。また、「業績」のところに、独裁官としてとありますが、シーザーはあくまでも執政官として君臨していたはずで、独裁官のタイトルとしては君臨していなかったはずです。実質的には、領土拡大にものすごく貢献していたので非常に強い権力はもっていたでしょうし、そういった面も多少あったとは思われますが。しかし、カエサルは自(みずか)らの権力を振り回すような人ではなく、かなり民主的な人だったことがいろいろな情報から伺えます。それから、民会、護民官を無実化したというのも、どうも違うような気がします。

また、ブルトゥスたちは、共和制の危機と感じてカエサルを暗殺したのではなく、自分たちの私利私欲のために暗殺したのです。当時、カエサルは元老たちが戦いにもでず何もローマ帝国に貢献していないにもかかわらず、私利私欲に走って富を増やしているのを憂慮し、戦士や市民たちにももっと富を分配してやろうとしていたのです。ブルトゥスたちは、それが気に食わなくてカエサルを暗殺したというのが真実のようです。

また、カルタゴとコリントスを再興させたとありますが、コリントスに関してはそうかもしれませんが、あの野蛮なカルタゴ(=偽フェニキア人=サクソン王族の国)に関しては、カエサルがそれを復興させたとは考えられず、もし、それをしたとしたら、それは、サビニ勢力のパトリキ(貴族)たちの仕業なのでは。つまり、サビニ勢力の意に添わない執政官の権勢の時などには、カルタゴなどの帝国外部のヒッタイトやシェバ人の勢力と内通して、ローマ帝国を外から脅かすこともしたのだろうと思われます。

ポエニ戦争なども、カルタゴ(偽フェニキア人=ヒッタイトの国、しかし、シェバ人も混血しているので含まれる)とローマ帝国内のサビニ(シェバ人、しかし、トロイ人とも混血しているものも多いが母親がサビニ人なので、サビニ流の教育で育つものが多い)のパトリキたちが内通して、ローマ帝国を外部からの侵略者により脅かしたのではないかと私は推察しています。また、北方では、やはり、ゲルマン人(=ヒッタイト)が常にローマ帝国との国境を脅かす存在となっていました。これも、ローマ帝国のサビニ人がゲルマンと内通していたと思われます。ヒッタイトやシェバ人には祖国愛とかはなく、民族意識がとても強い(=民族の団結がとても強固)という特徴があるらしいのです。つまり、ウォーバーグ、ハリマン、メディチ、モルガンなど、悪いほうの国際金融家たちと同じですね!

★★★
つまり、こういったことが、サビニと共同統治にしてしまったことによる『ローマ帝国の内憂外患』なわけです!

それにしても、ローマの若者たちがあのサビニ娘のハニー・トラップにひっかかってしまい、結婚して混血してしまったことこそが、これらのことを招く第一原因になったということをお忘れなく! 
☆ハニー・トラップ恐るべし!☆


一方、『クラディウス家』* のほうですが、あのカエサルの右腕として活躍し、カエサルの死後、クレオパトラ7世(カエサルの愛人でもあった)との恋に溺(おぼ)れ、ローマの元老たちからも批判を浴びるところとなり、結局、オクタヴィアヌスとの戦いに破れて自殺した。あの『マルクス・アントニウス』の家系なのです。

*「クラウディウス氏族」

もともとは『サビニ族』を祖としていて、ローマと平和的な関係を求めてアッティウス・クラウススが約5000人のクリエンテス*と共にローマに移り住み、土地と元老院の議席を与えられた。(サビニ娘の懇願で、平和的に共同統治を始めた時のことですかね?といっても、ロムルスがよい政治をしていたにもかかわらずサビニのパトリキたちに暗殺されたんですから、その平和は一時(いっとき)のことでしたが。)

また、クラウディウス家は「共和制ローマ」において、歴代非常に多くの高官を送り出し、第二代皇帝ティベリウスの頃までには、執政官28人、独裁官5人、財務官7人、凱旋将軍6人、次席凱旋将軍20人がいた名門貴族の家柄とのことです。

「クリエンテス」

親分「パトロヌス』とその子分「クリエンテス」。クリエンテスは有力者「パトロヌス」の外出の際には後ろにぞろぞろとつき従い、自分たちのパトロヌスに威厳を添えた。そのクリエンテスの数の多さで、市民である有権者に対し、この人物がいかに大物であるかを示し、いかに公職にふさわしい人物であるかをアピールする選挙運動の一環としての意味もあったらしいです。


そして、カエサルの甥で養子でもある「オクタヴィアヌス」が皇帝『アウグストゥス』*となり、ローマが「帝政時代」に移行すると、この両家の氏族からの皇帝が5代続きます。この時代を『ユリウス=クラウディウス朝』といいます。

* 「アウグストゥス」

「古代ローマ帝国の遺産」

カエサルに引き続き、アウグストゥスも民衆派の政治家だったようです。「私は、ローマをレンガの街から大理石の街に変えた」と自身で語ったとか。また、「領土を広げるにあたり、彼は、ローマ並の高い生活水準を支配地にも与えるとともに、現地の生活習慣や信仰などを尊重する方法で皇帝崇拝を違和感なく浸透させていくことにほぼ成功しました。」と一番上のサイトに書いてああることからも、民衆にとっては非常に善い指導者であったことが伺えます。。

読書連想:「アウグストゥス」

アウグストゥスは体が弱く、カエサルのように戦いで大活躍することはあまりなくて、しかし、アグリッパとマエケナスという無二の親友であり部下でもあるふたりに、その不得手なところを補ってもらっていたとか。そういった良き親友を得ていたところもまた指導者としての資質に恵まれていたと言えるのでしょうね。

ところで、カエサル(=シーザー)は自分のユリウス家からずっと皇帝がでることを望んでいたようです。(もう一方のクラウディウス氏族には、貴族的な利権を独占するなどの悪政を行う指導者が多いですからねぇ〜) アウグストゥスはどうにか無事、カエサルの後継者として同じユリウス家出身の初代皇帝となったものの、その後に関しては、アウグストゥスの3番目の妻である『リウィア・ドルシラ』が野望をいだいていたため(サビニ勢力のスパイ)、悲劇が続き、ユリウス家から皇帝を輩出することはなかったのです。つまり、リウィアは自身のの連れ子で、先夫との間の子「ティベリウス」を皇帝にするため数々のマキャベリスト的な謀略を計ったのでした。
(この連れ子作戦、または、結婚後にできた子でも他のサクソン王族の男と密通してできた不義の子作戦=サクソン王族純血種を王位に付けるため〜は、サクソン王族のよくやる典型的なパターンです!!!)

まず、リウィアは(=サビニ勢力は)、アウグストゥス帝の無二の親友であるアグリッパとマルケナスを殺し、さらに、アウグストゥス帝の2番目の妻との間にできた唯一の実子「娘ユリア」(大ユリア)*の2人の息子たち、つまり、孫たちである「ガイウス・カエサル」(後継者に指名されていた)と「ルキウス・カエサル」も殺してしまったのです。結局、嫌々ながらも、しかたなく、アウグストゥスは自身の子ではない、ティベリウスを皇帝としての後継者に指名したのでした。その後(あと)のアウグストゥスの死も、また、リウィア(サビニ勢力)による暗殺かもしれないとのことです。しかし、ついに、リウィアの連れ子『ティベリウス』が皇帝になったのでした。

*ウィキなどに書かれているような淫婦ではなかったはずです。それは新約聖書のキリストの母「マリア」のところを読めば分かるはずです。

下記の「東京新聞」のサイトのなかの下のほうに、アウグストゥスを中心とした家系図が載っていますので御覧ください。すると、ティベリウスの実の父親はティベリウス・クラウディウス・ネロといい、クラウディウス氏族のサビニ人なのです。アウグストゥスはクラウディウス家の者を嫌(きら)っていたようですので、ティベリウスを皇帝継承者に指名するのは、本当は嫌(いや)だったんでしょうね!しかし、サビニ人の貴族たちは、いつものように’権力のためにはなんでもするマキャベリストたち’だっため、とうとう最終的には、こんなことになってしまったのでした。 あ〜ぁ〜  〜〜;      

★★★★★ ’げに恐ろしきは、サビニ(シェバ人)なり〜!’


東京新聞:「古代ローマ帝国の遺産」

「ユリウス・クラウディウス家の女性たち」

皇帝「ティベリウス」の次は、下記の系図のように「アウグストゥス」の孫娘の「大アグリッピナ」とやはり、あの恐るべき「リウィア」のもうひとりの連れ子である「ネロ・ドルトス」の子息「ゲルマニクス」(=リウィアの孫、クラウディウス氏族=サビニの血流)とが結婚してできた『ガイウス』(サビニの血流を多く受け継ぐ)が3番目の皇帝になったのでした。5代目の暴君『ネロ』とどっこいどっこいの暴君だったらしいです。(詳しくは、下記の
「ローマ皇帝変人史」にて、ご覧ください)

「クラウディウス」 系図
(真ん中のほうにユリウス=クラウディウス家の系図があります)

さらに、その次の4番目の皇帝には、ゲルマニクスの兄弟で、まったくユリウス家と無関係の血流で、クラウディウス氏族=サビニの血流の濃い『クラウディウス』が皇帝に。

そして、その次の5番目に皇帝になったのが、あの暴君として有名な『ネロ』でした。彼は、「大アグリッピナ」と「ゲルマニクス」の娘である「小アグリッピナ」(カリグラ帝の妹)と名門出身のルキウス・ドミティウス・アエノバル(きっと、サビニ人でしょう)との間の子供だった。「クラウディス帝」は「小アグリッピナ」とA.D.49年に結婚し、A.D.50年に『ネロ』を養子にした。そして、自身の娘「オクタウィア」と結婚させたのでした。


「ユリウス・クラウディス朝」

「ローマ皇帝変人史」
(アウグストゥスの次からの4皇帝は皆暴君として知られています!)

というわけで、またしても、帝政初代の「アウグストゥス」はユリウス氏族としては、一代限りで終わり、後は、クラディウス氏族の人間が次々に皇帝に就くということになってしまいました。「アウグストゥス」が皇帝になった時から(これだってサビニ勢力にとっては大きな誤算だったし〜)、サビニ勢力は次の皇帝からは"ず〜と" サビニ人にしようと画策していたのでしょうね。サビニの王族・貴族たちは、ロムルスを「神隠し」と偽(いつわ)って暗殺した時と同じで、本当に最高権力を得るためなら、どんなことでもする恐〜い人たちなんですよね〜  (((><;))) あ〜、恐ろしや、恐ろしや。。。ブルブル〜


p.s.

「ローマが滅んだ理由」  〜日本のお姉さん〜

上のサイトはなかなか、全体像がよくわかっていいなと思います。ただ、ローマ帝国が崩壊したのは、ローマの外敵に対する防御能力が低下した(私兵部隊が増えたからでしょう)こともさることながら、サビニのパトリキたちように外部の敵とも内通しているもの達がいて、ローマ帝国を維持するというよりは、植民地の拡大化に非常に熱心で、自分ら(シェバ人やヒッタイト人)の利益をさらに増すことしか考えず、つき進んでいこうとしたからではないでしょうか?さらに、フン族(=匈奴。中央アジアの’ヒッタイト系’遊牧民?)の急襲があり(地中海沿岸のフェニキア人=ヒッタイトの計略?)、中東や中央アジアにいたマケドニア人支配者たちが軍を引き連れて、ヨーロッパにあわてて逃げてきたということも原因だったのではないかと。ゴート族(多分、マケドニア人=シェバ人、東から西に大移動)やサクソン族(多分、ヒッタイト人=サクソン人、スカンジナビア半島から南下し、B.C.10C位からドイツあたりに居て、その地で戦う)、フランク族もゲルマン民族として知られていますが、わたしは、フランク族はノルマン(ケルト系)とかケルト系ギリシャ人、ガリア人たちのケルト系複数部族の集合体の名称で、つまり、ローマ帝国内外ののトロイ人、エトルリア人、ガリア人、ノルマン人たちではないかと推察しているのですが。。。

つまり、ローマ帝国が分裂してきて、帝国内外の「ヒッタイト人とシェバ人などのグループ」と「ケルト系複数部族のグループ」という主にふたつのグループに別れての戦争がヨーロッパのあっちこっちであったのではないのかしら???

それから、ちょっと気づいたのですが、わたしの6月15日に書いた「ローマ帝国×パルミュラ(シリアの都市の女傑『ゼノビア』」の記事でとりあげたゼノビアに関してですが、もう一度、わたしが読んでいた「ローマ皇帝歴代誌」を見ますと、「彼女の顔は日に焼けて黒かった。瞳も黒く、常人とは異なる強いまなざしで。。。。信じられないほどの美しさだった」と『皇帝列伝』という本から引用してあります。そして、「パルミュラの碑文によると、ゼノビアは「アル・ザッパ」の娘、『バット・ザバイ』という名で記されている。(おそらく彼女の母親に由来するのだろう)「美しく髪の長い人」である。」と書かれているのですが、今になってよく分かってきました。つまり、アル・ザッパという名前の人の娘ということで、彼女はアラビア人の娘であるということ、バット・サバイからはサヴォイつまり『シェバ人』であるということが分かるのです。ですから、ゼノビアが反乱を起こし、領土を大幅に拡大したのもつかの間、A.D.274年に、皇帝アウレリアヌス帝との戦いに負けてローマに引き連れていかれた時にも、きっと、サビニ人(=シェバ人)のパトリキたちからの手厚い保護があったはずです。

それにしても、シェバ人の女性はアマゾネス的?な女傑(=女スパイもかねている)が多いですよね! 

・ イスラエル王国の『バテ・シェバ』
・ アフリカの『シバの女王』
・ イタリア中部の『サビニ娘たち』
・ ローマ帝国皇帝アウグストゥスの妻の『リウィラ・ドルシラ』
・ パルミュラの『ゼノビア』こと、『バット・ザバイ』
・ 英国ハノーヴァー朝の『ヴィクトリア女王』
・ 英国ウィンザー朝の『エリザベス女王』とか。。。
   
エチオピア帝国の『ザウディトゥ』もそうだったのでしょうか?

すごいな〜! @o@;   

と感心している場合じゃなかった!恐いよ〜  でも、神様は「恐れるな!」ってさ〜

p.s.2

『ゼノビア』、つまり、『バット・ザバイ』という名をよく考えると、なにやら、’あれ?『バテ・シェバ』と同じことじゃないか!’って気がついたんです。つまり、ゼノビアはバテ・シェバの直系の子孫ということではないでしょうか?

すると、あっちこっちの「シバ王国」のどれかから母親の代に、パルミュラに嫁いできたのでしょうかね〜?!

ゼノビアがローマ帝国の支配下にあった「エジプト」を征服したのは、’もともとはシェバ人(=マケドニア人)の国だったのだから取り戻してやる’という意図からだったのかもしれません。そもそも、エジプトがローマの属領になる以前には、B.C.4Cに、『アレキサンダー大王』(ギリシャ統一後の初代王、マケドニア出身)の「東方遠征」により、エジプトは「ササーン朝ペルシャ」の領土から「ギリシャ」の領土(マケドニア人が支配)へと変わっていました。そして、アレクサンダー大王の死後(大帝国を築いたものの、すぐに部下たちから暗殺されてしまったらしい)は、大王の部下のプトレマイオス(マケドニア人)の支配領となり、「プトレマイオス朝エジプト」として、長い間、マケドニア人王とやはり、マケドニア人で、多分、現地のアフリカ系王族とも混血している女王クレオパトラ(歴代同名を継承)により支配されていたのですから。

上のp.s.の2段落目の5行目の「中東や中央アジアにいたマケドニア人支配者。。。」のところは、最初は、「中央アジアにいたマケドニア人支配者。。。」と書いていましたが、中東も入ると思われますので訂正しました。あしからず〜ペコッ!(済みません。さらに訂正です。中東はササーン朝ペルシャの勢力が強くて、フン族は一旦は攻めたものの計画を中止したとのことです)


*コメント欄も見てくださいネ!
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by Ulala-lov | 2010-07-14 22:36 | ローマ帝国とシバの女王 | Comments(12)

先日来の記事の続きになります。下記のサイトのリヴィウスの『ローマ建国史』において、(わたしの解釈では)、ローマの建国当初において、サビニ娘のハニー・トラップ作戦の陰謀に落ちたローマ王「ロムルス」とローマの若者は、その後に起きた戦いで、有利に戦っていたにもかかわらず、サビニ娘の懇願を’とうとう’受け入れてしまい、策略家のサビニ王「ティトス・タティウス」とローマを共同で統治することに決めたのでした。

しかし、この合意により、「ローマ帝国」は、その建国初期から、すでに、帝国内に「サビニ」という’ガン細胞’を内包することになり、その後ず〜っと、その’ひどい痛み’を抱えることになるのでした〜。 
><  あ〜ぁ、見ちゃいられませんねぇ〜

リヴィウスの『ローマ建国史』
http://tomochan2002.at.infoseek.co.jp/livius.html#_Toc440263083

リヴィウスの『ローマ建国史」の第16章では、なにやら、ロムルスは軍隊の謁見式の時に、突然、嵐が起きて消えてしまったのだと。またまた〜、ナンカッ!おかしいね〜〜〜
嵐が治まると、ロムルスの玉座の近くにいた元老たちは、王は竜巻きにさらわれたと説明したんですって。なになに、それって、どさくさにまぎれて、元老たちがロムルスを暗殺してどこかに隠したってことじゃないの?まるで、あの有名なシーザーが元老たちに暗殺された時のようじゃないですか?それより、もっとうまくやって自然の力で’神隠し’に遭(あ)ったみたいに思わせるなんて。芸が凝(こ)っているというか細かいな〜

そして、その後、ローマの王に選ばれたのは、’サビニ’の「ヌマ・ポンピリウス」だったんです。ということは、やっぱりネ! 策略家の’サビニの元老たち’がロムルスをやったに違いないって思いませんか?ネ!

そこで、やっぱり思い出されるのが、シーザーが元老たちに暗殺された時のこと。(シーザーの暗殺は、その後の時代のことですが)なにやら、陰険なブルータスら2〜3人の元老たちが中心になって、事前に、みんなでシーザーを短剣で刺そうという確約を他の元老にまでとりつけ、姑息(こそく)な根回しをしていたらしいです。それで、シーザーは大勢の元老たちによってたかって刺されたのです。(でも、この時の暗殺はシーザーにとっては想定内の出来事であり、替え玉のシーザーが殺されたと、わたしは思っています。そして、その後、シーザーは、どこかでこっそり隠居生活をしていたのではないかと。)

「ガイウス・ユリウス・カエサル」(=シーザー)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AC%E3%82%A4%E3%82%A6%
E3%82%B9%E3%83%BB%E3%83%A6%E3%83%AA%E3%82%A6%E3%
82%B9%E3%83%BB%E3%82%AB%E3%82%A8%E3%82%B5%E3%83%AB
(下のほうに暗殺の時のことが詳しく書かれています。)



『歴史は繰り返す!』といいますか〜 サビニ(シェバ人、シバ人)さんたちって、同じパターンを繰り返すの好きみたい!

○バテ・シェバも、シバの女王も、そして、サビニ娘たちも、「ハニー・トラップ」でしょ!

○それから、好戦的だけど陰謀を計(はか)ってフォールス・フラッグとかって、相手から先に攻撃してきたから、やむおえず戦うんだという形式を重視しているが、実は、自分達の自作自演で攻撃されたように見せかけ、敵国への攻撃を開始するの得意でしょ!(まるで、ブッシュJr.政権時の「9.11」みたいネ!)

○ひとりではなく、周りをまきこんで、自分だけに責任がいかないようにするなど用心深い。
+ (プラス)
○事前に水面下で、根回しするのも好きよね!
・サビニは自国の娘たちだけでなく、近隣諸国の娘にも、ローマの若者にハニー・トラップ攻略をかけさせるよう事前に画策。
・サビニは近隣諸国にローマに対する戦争をけしかけたりするが、一緒には戦わず、最後に「漁夫の利」を得ようと画策する。
・ロムルスの暗殺の時も、さらに、シーザーの暗殺の時も同じパターン。

その後、2代目、サビニ人の「ヌマ・ポンピリウス」*の王政の後、3代目は交代で、ローマ人の王になり。4代目はヌマの孫が王に。5代目の王からエトルリア人王の王政が7代目まで続きます。

*ヌマはネットの多くのサイトにものすごく好人物として書かれていますが、宗教的なことに深くはまっていたようで、それをローマに制度化させたとかなんとか。。。ちょっとおかしいと思われることもあるようですが、そういったことの詳しい記述がありそうなサイトはシェードが掛かっており読めません。つまり、サタニストたちの都合の悪いところはカット、一方、つくられた美談とかは大々的に書きたてられていて、すごく怪(あや)しさを感じます。

しかし、7代目のエトルリア王の時、王の息子が人妻に横恋慕して、その人妻が自殺したことをルキウス・ユニウス・ブルトゥス(サビニ人でしょう!)に告発され、王と息子は追放され、エトルリア人はその勢力を失ってしまったのです。その後、ルキウスは共和制の初代王になっているのです。つまり、サビニ人貴族たちがエトルリア人の王族をローマから追っ払ったみたいですよ。

「王政ローマ」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%8E%8B%E6%94%
BF%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%83%9E

「ブルトゥス家」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%96%E3%83%AB
%E3%83%88%E3%82%A5%E3%82%B9

「ルキウス・ブルトゥス」も、シーザー暗殺の首謀者とされる「デキムス・ブルトゥス」あるいは、「マルクス・ブルトゥス」もサビニ人だとすれば、なぜ彼らが偶然?にも横恋慕が発覚し自害した人妻のすぐ傍(そば)にいたり?(偶然にしては奇妙すぎて、なにかの策略があったはず)、シーザー(エリトリア出身)を暗殺したりしたか納得できます。つまり、ローマ帝国の最高権力を彼らにずっと握られるのを恐れていたのです。つまり、サビニは権力闘争が好きですし、それを得るためには何でもするマキャベリストなのです。
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by Ulala-lov | 2010-07-12 21:17 | Comments(1)

先日来、シバ王国のことを取り上げてきましたが、先月6月30日のわたしの記事「(続)シバの女王+バラモン教・シバ神」の記事の最後のところにも載せましたが、「エチオピア帝国」(=シバ王国のひとつ)のソロモン朝の1916〜30年に王位についていた『ザウディトゥ』という女帝がいました。以下のサイトの写真を見てください。さらに、その下にある英王室ウィンザー朝のエリザベス2世の写真も見てください。(ファイルから新規ウィンドーを出して、両方のサイトの写真を比べてみるとよく分かりますよ)

エチオピア帝国ソロモン朝「ザナディトゥ」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B6%E3%82%A6
%E3%83%87%E3%82%A3%E3%83%88%E3%82%A5

英国ウィンザー朝「エリザベス2世」
http://www001.upp.so-net.ne.jp/fukushi/uk/royal.html

「イギリス女王エリザベス2世のポートレート写真集」
http://gigazine.net/index.php?/news/comments/200804
24_the_queen_in_portraits/

3番目の「エリザベス2世のポートレート集」の一番上の写真は、エリザベス2世の替え玉です。先日、カナダや米国に行ったのもそうです。何度も言いますが、この10年位の間、女王は日本に不法侵入し、不法滞在しています。日本政府は暗黙の了解をせざるを得ない状況にあります。以前、わたしは、本当の女王は、髪が黒くて、目は空色といいましたが、実は、それは、わたしが、三回目に見た時にそう思ったのですが、その三回目は人違いだったようです。といっても、サタニストの需要人物だったのですが。それ以前に、今、思うと確かにエリザベス女王だったと思われる人物を一、二回見た時は、目は黒か茶色だったような。

とにかく、1番上のサイトの「ザナディトゥ」の写真と2番目のサイトの「エリザベス2世」の写真、さらに、3番目の「ポートレート集」の1972年のバルモラル城での家族写真の’女王の顔を見比べて’みてください。2番目の写真はかなり化粧をしているし、公式写真として修正も加えてあるかもしれませんが、その顔の印象はよく分かると思います。これらの写真からわたしが受ける印象は、「ザナディトゥ女帝」と「エリザベス女王」はかなり血縁的に近い存在ではないかということです。以前にも、「エドワード8世」の愛人だった「テルマ・ファーネス」という女性の母親は、「チリ人」の母親をもつということでしたが、「シバ王国」の王族だった可能性もあります。「チリ」は過去に英国の植民地であったし、現在も深い関係にあります。もしくは、「エリザベス2世」は、直接「エチオピア帝国」から来て、英王室の「ジョージ6世」(その時は王子だった)の養女となったのかもしれません。そして、彼女は、このエチオピア女帝「ザナディトゥ」の孫だったのかも?非常によく似ていると思うのですが。


さらに、以下のサイトのエチオピア帝国の女帝「ザナディトゥ」の父親である皇帝「メネリク2世」の写真と英国の「ヴィクトリア女王」も見比べてみてください。

エチオピア帝国、ソロモン朝「メネリク2世」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A1%E3%83%8D%
E3%83%AA%E3%82%AF2%E4%B8%96

英国、ハノーヴァー朝「ヴィクトリア女王」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%82%
AF%E3%83%88%E3%83%AA%E3%82%A2_(%E3%82%A4%E3%
82%AE%E3%83%AA%E3%82%B9%E5%A5%B3%E7%8E%8B)

「ヴィクトリア女王の偉大さ」
http://www1.c3-net.ne.jp/ywatari/VC6.htm
(ヴィクトリア朝の偉大さとかのこのブログでの宣伝はサタニスト側の宣伝ですから、そのつもりで)

「メネリク2世」と「ヴィクトリア女王」も非常によく似ています。多分、ヴィクトリア女王の実際の肌の色はもうすこし浅黒かったのではないかとおもわれます。昔の写真やポートレートなどは修正が多いですから。しかし、髪は染めていたと思われますし、肌も少しは漂泊していたかもしれません。有色人種と思われることを非常に恐れていたようですから。


つまり、ヒッタイト=サクソンですが、ドイツのヘッセン家のひとつであるハノーヴァー家「ザクセン・ブルグ・ゴーダ」家から「ジョージ1世」が英王室に行き、英王室「ハノーヴァー朝」となったのですが。ザクセン・ブルグ・ゴーダというのは、ザクセン=サクソン=スパルタ=ヒッタイト=ヘテ人で、ゴーダ=東・西ゴート=マケドニア=シェバ人なのではないかと。そして、真ん中の「ブルグ」は彼らがハサミ打ちにして滅ぼし(1032年、神聖ローマ帝国ザクセン朝ハインリッヒ2世とサヴォイ王国とで)、支配下に入れた「ブルグント王国」の名前から「ブルグ」と入れたのではないでしょうか?

そうすると、英王室「ハノーヴァー朝」=「ウィンザー朝」も、「シバ王国」とのつながりは強いわけで、「エチオピア帝国」(シバ王国)から、直接に、養子を迎(むか)えることもあったかもしれません。彼らは、純粋な血流を重んじるということですから、シェバ人の原種、有色人種の王族である可能性が高いと思われます。


なのに、ニュー・ワールド・オーダーによって、なんで有色人種の絶滅を計画しているのでしょうかね?不思議ですね!それに、エリザベス2世は人種差別主義者らしいのです。やっぱり、自分の出自を隠しているうちに、有色であることへのコンプレックスを意識するあまり、差別意識が育ってしまったのでしょうか?
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by Ulala-lov | 2010-07-11 13:05 | シバの女王 | Comments(12)

今度の選挙は、民主党は消費税を上げるとかって言いだすし(裏で、Qベス以下サタニストの脅迫があったにちがいありませんが)、ん〜、かといって、自民党もますます混迷しているようですし。はっきり言って、’うららおばさん’も、「どこのだれに投票したらいいのか? よく分かんないわ〜 困ったな〜 」って思っていたのです。やっと今日になって、今度の参議院選挙に関して、具体的に参考になりそうなブログ記事を幾つか見つけましたので、みなさんにも、参考にでもなればと思い紹介しますね!


「日本がアブナイ!」、7/7『税金と民主主義〜管の消費税議論の呼びかけは、。。。』
http://mewrun7.exblog.jp/

まあ、この際、税制に関して、根本的によく検討して、超党派でもっとよい税制度はないか考えてみようというのはいいことなのかもしれませんね。でも、消費税10%はちょっと止めてほしいな。一度、食品や日用生活必需品などの消費税をなくした後、ほかの消費税を年金の原資として7%くらいにっていうのなら、まだ分かるのですが。。。でも、現状5%のままで、食品などはゼロ%にというのが理想なのですが。



「世に倦む日日」、7/7『星に願いを、消費税増額阻止の民意を、民主・自民の現有割れ』
http://critic6.blog63.fc2.com/

『小選挙区』は、超保守(自民の清和会や「日本会議」(自民が多い、民主は少数)のメンバーとかはダメだし。超左翼もダメだし。

まあ、『売国奴と思われる候補者には絶対に投票しないこと!!!』

今は、「国民新党」が一番頼りになる存在かもね。自民か民主かを選ぶ際には、概して、自民よりは民主のほうがましかな?でも、本人しだいのところがありますから、よ〜く候補者の情報を収集して判断してください。その際には、ネット上のウソの情報に気をつけて!

『比例』は、ぜひ、「国民新党」、「社民党」(やっぱり、福島瑞穂代表、保坂展人候補などがイイかな?)に!!

つまり、この二党の反対意見が、『アメリカの外圧』を抑制するストッパーの役目をしてくれます。ですから、とっても大事です。


また、以前の記事をちょっと見たら、こんな結構重要そうなブログ記事を発見!!

「ジャパンハンドラーズと国際金融情報」
6/10 『日本は中国の属国になる」論の前にやるべきこと。まず。。。』
http://amesei.exblog.jp/11293064/

アメリカは、まだまだ、日本郵政民営化で、日本の資産を狙っているらしいです。民主党が国民新党とともに提出した郵政改革法案を民主党が廃案にしたら、それこそ、日本の大きな資産をアメリカに奪われてしまうということですね。大変だ〜、やっぱり、民主党単独過半数は危険みたいです。なにしろ、どんな政党が与党になっても、アメリカの外圧には勝てないんですよ〜。サタニストたちが尻尾を巻いて逃げていかない限りね。早く、宇宙にでも逃げていってくれ〜

ですから、第三、第四のまともな政策の政党が、与党に圧力をかける必要があるんですね〜

やっぱり、今度の日曜もとっても’大事な’参議院選挙の投票日です!!

♡ みなさん、選挙に行きましょう〜!!!

♥ 清き一票をお願いします!  

♡ パッチリと目覚めてね!    #_#/♢



* コメント欄も見てくださいネ!
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by Ulala-lov | 2010-07-07 23:39 | Comments(14)

昨日の記事では、まだ、タイトルの「シバ王国」に関して書く前に、文章が長くなりすぎてしまいましたので、日にちを変えて今日の記事として「つづき」を書くことにしました。

昨日は、トロイ戦争でギリシャ軍に焼き討ちにあい、逃げたアエネアスが、’なぜ’イタリアの中部をめざして、たどり着いたのか?という疑問について考えました。わたしの考えでは、アエネアエスは、ギリシャのスパルタ、マケドニアなどはもちろんのこと、その仲間のフェニキア人などの’ヒッタイト勢力’の追跡を逃れるため、
イタリア中・北部に定住していた同じケルト系民族のエトルリアという国を頼って行ったのではないかと推測しました。(昨日までの復習をかねて)

そして、アエネアエスの子孫は原住民のラティヌス王ともエトルリアとも友好関係を築いて順調に定住していったのでした。その中で、一族内でのごたごたもあったものの、それも乗り越え(弟を殺したというのはどこまで真実かまだ分かりません)、ロムルスが『王政ローマ』の創始者となり、ローマ建国を果すわけです。

リヴィウスの『ローマ建国史』
http://tomochan2002.at.infoseek.co.jp/livius.html#_Toc440263075

○さて、上のサイトの「8.元老院の創設」のところに、これらの政治制度は隣国「エトルリア」の政治制度をとりいれたものというところがあり、やはり、隣国エトルリアは頼れる兄貴的な存在の国で、政治制度、その他多くの面で模範としていたということが分かります。

・12人のリクトル(官吏)を任命 ..... エトルリアで、12の部族が集まって王を選んだ時に各部族が一人ずつリクトルを出したことに由来しており、ローマもそれをまねた。(なんだか、ユダヤの12部族と似ていて不思議ですね)

・人口増加政策をとり、近隣諸国から大勢の避難民を、自由人、奴隷の区別なく受け入れた。

・国力の充実にともない、国の運営に知恵を授ける100人の「元老」=「パトレス」(国父の意、後の「パトリキ」貴族のこと)を任命した。



○「9.サビニーの女たちの誘拐(ゆうかい)」について

ところで、近隣から、避難民を受け入れたからか?とにかく、子孫を残すため妻となる女性がとても不足していたということです。そこで、「ロムレスは、元老たちの意見により、近隣の国々に使節を送って、民族間の結婚を含めた同盟関係を申し入れた」とあり、ここまでは、しごく紳士的で、ふつうなのですが。。。

しかし、「ローマ」という強国の勢いを恐れた近隣諸国は冷たく追い返したとのことでした。ところで、このあたりからが、ちょっと。。。なんだか、変なのですが。。。

・ローマの若者たちはひどく怒って’暴力沙汰’は避けられない情勢だったとか。
ちょっと、ちょっと、そこまでいくかな〜???だって、ちゃんとした年配の国の使節が交渉に行ったのですから、帰ってきたら、元老院などにちゃんと結果を報告をし、再度検討されていたはずですから、元老院も、ローマの若者も、そんなに過激な反応をしたとは考えられないのですが。

でも、「ロムルスは怒りを内に秘め。。。。」???
・適当なきっかけをつくるために、ロムルスは馬の神「ネプチューン」を祭る競技会『コンスウァリア祭』を開くとして、近隣諸国に開催を知らせ招待した。
しかも、
・国民は知恵を出し合って、この祭りを魅力的で話題性のあるものにするために’懸命に準備’した。

何かおかしい???そんなに怒り心頭で怒っていながら、近隣諸国を招待するための競技会の開催を決め、そんなに懸命に準備するでしょうか?

そこまで、熱心に企画したということは、自分たちの国「ローマ」をよりよく近隣諸国に知ってもらい、友好関係を築こうとしていたのではないでしょうか?もちろん、それがうまくいけば、嫁さん不足も解消できるだろうとの計算はあったでしょうが。とにかく、みんな嫁さんをもらうため一生懸命努力したってことじゃないの???

とにかく、当日は、「近隣諸国からたくさんの人々がこの祭りに集まってきた。特に、サビニー人は妻子を連れて全員がやってきた。彼らは、ローマ人の家庭に丁重に迎えられると、町並みと城壁と多くの建物を見て回った。そして、こんな短期間にローマが発展していることに驚いた。」という感じだったのです。いいムードで進行していたわけです。

ところが、またまた、???
「競技会が始まると、客たちが競技に夢中になっている間に、予定していた行動が始まった。???ローマの若者たちが、合図とともに一斉に走り出して、娘たちをさらっていったのである。」???そんな新興国であるローマが近隣諸国すべてを敵にまわすような危険をあえて、また、大げさに、招待してまで、行うなんて!??? 
「まさに、アンビリーバブル!」なのです

では、この「サビニー族」とは?いったいどんな民族なのでしょうか?

「サビニ人」
http://wapedia.mobi/ja/%E3%82%B5%E3%83%93%E3%83%8B%E4%BA%BA

好戦的で城壁を持たない町に住んでおり、サビニ人は自らの起源を「スパルタからの移民であると言っている」と言われているそうです。この当時は、城壁をもった街がほとんどでしたから、やはり、そうとう、戦闘には自信があり、他の民族は恐れていて、サビニに攻撃をしかけてくる可能性がなかったためではないでしょうか? ’好戦的’というのも、やはり、ヒッタイトやシェバ人の特徴ですよね。

「サビニ人」
http://art.pro.tok2.com/D/DavidJL/Sabine.htm

★★★ あのサビニーの花嫁誘拐の伝説はフィクションという説もあるとのことです。

また、「サビニ」はローマの北東ティべリス川一帯に住んでいたとありますが、昨日のフェニキアの植民地の地図を拡大して、イタリアの植民地を見ると、そのサビニの辺りはやはりグレーのギリシャやフェニキア以外の植民地になっています。スパルタから移民してきたと考えるとドーリア人、つまり、北欧かドイツから南下、あるいは、小アジアから来たヘテ人(ヒッタイト)かシェバ人かと思われます。仲良しワルワルコンビなので、通婚も多くて、混血も多かったことでしょう。それにしても、スパルタならギリシャの植民地になっていないのはなぜなのでしょうか?

(ところで、そのローマの北東の植民地の地名って、「フェラーリ」ですよ〜あの有名なイタリアの自動車会社の名前と同じですよ〜!サビニ人として大活躍しているよい例でしょうか?

「ティヴェレ川」
http://wapedia.mobi/ja/%E3%83%86%E3%82%A3%E3
%83%99%E3%83%AA%E3%82%B9%E5%B7%9D


さて、『サビニ』という名前を考えてみましょう!!
あの「サヴァ、シェバ、シバ」と似ていませんか? 
「サバ」とも言われるのですが、サバの語尾にイタリア風に『○○〜ニ』は、多分、『〜人』を表しているのではないでしょうか?(わたしは、イタリア語は勉強したことがなく、よく分かりませんが)

そうすると、いろいろなことがよく繋(つな)がってきます。
つまり、☆☆☆イタリア半島の「サビニ」は『シバ王国』の植民地のひとつであった。となると、住んでいたのはシェバ人ではなかったかということです。

先日来、話題にしている中東や東アフリカの『シバ王国』の他にも、東南アジアのボルネオ島の東部にも『サバ州』という今はマレーシア領の植民地も以前もっていたようです。1963年にマレーシアが領有する以前はイギリスの保護国で、北ボルネオ会社が設立し当初は経営もしていたということです。

「サバ州」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B5%E3%83%90%E5%B7%9E

「ボルネオ会社」(大英帝国の会社だった)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8C%97%E3%83%9C%E3%83
%AB%E3%83%8D%E3%82%AA%E4%BC%9A%E7%A4%BE

さらに、その古くは『スールー王国』というアラビア系のスルタンの支配するイスラム教国だったとか。

「スールー王国」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%83%BC%E3
%83%AB%E3%83%BC%E7%8E%8B%E5%9B%BD

つまり、「イエメン」の『シバ(サバ)王国』の支配下にあって、名前を『スールー王国』にしていたということでしょうか?かなり昔から、イエメンもイスラム教の国のはずです。それにしても、スールーってなんだか、ドイツの「スーレー協会」を連想してしまいました。

それから、お隣で、かつては同一国だったかもしれない「ブルネイ王国」の王子は、わたしが以前このブログで、

「英王室を中心とする『ヴィクトリアン・オーダー』というイギリスの騎士団って、もしかしたら、『イルミナティ』のことではないかしら? 英王室ハノーヴァー朝のヴィクトリア女王の時に結成(英王室では。イルミナティ自体は何千年も前に結成)され、現在は、ウィンザー朝のエリザベス2世に忠誠を誓っているらしいけれど。」←訂正:フリーメーソンでした!(2012.05.23)

と書いたことがあったのですが、この騎士団の上位43名のうちの28番目に’ブルネイ’の「アル・ムハディ・ビラー」という王子様の名前が載っていますし、サイトの中にその王子の写真ものっていました。

「ロイヤル・ヴィクトリアン・オーダー」
http://en.wikipedia.org/wiki/Royal_Victorian_Order

(サイトの真ん中くらいに、「『サヴォイ・チャペル』」という、この騎士団のためのチャペルの写真と説明がのっています。「○○〜イ」は英語風で、「○○〜の」という意味です。ですから、「サヴァの、シバの、サバの、シェバの」チャペル、つまり、このチャペルは『シバ王国(または、シェバ族)のチャペル』という意味か、あるいは、『シバ神のチャペル』か、または、『サヴァにその両方の意味が重なっている』意味なのか。。。のいずれかなのでは?)

「ブルネイの歴史」
http://www.jttk.zaq.ne.jp/bachw308/page082.html
マレーシアの国土と都市について(地図)
http://malaysiajp.com/geography/

古代に、マレー半島に金がとれたのですね。そのため、この辺りは古代から植民地化されていたみたいです。また、他のブログでみたのですが、奴隷貿易もさかんにおこなわれていたとか。それで、古代の「海のシルクロード」*がマレー半島のところを通っていた理由が分かりました。

* 「シルクロードの概況」(下のほうに「海のシルクロード」についての記述があります。)
http://www.miryokuxian.com/info01.asp

「激動に巻き込まれる南洋の楽園・ブルネイの宮廷内紛」
http://tanakanews.com/980801brunei.htm

上のサイトの最初のほうを読むと、「ブルネイ王室」は「日本皇室」の次に歴史の古い王室なのだとか。そうすると、国の歴史はそれ以上にかなり古いのではないでしょうか。それに、紀元前1000年ぐらいの鉄器が発見されているということなので、やはり、ヒッタイト(ヘテ人)かシェバ人が征服して、植民地としていた可能性は大いにあるようです。


つまり、シェバ人の植民地は、世界のあちこちにあって、いままで『シバ王国』として分かっているものだけでも、以下のようになります。

・アラビア半島の「イエメン」(南西部)、「クライヤ」(北西部)
・東アフリカの「エチオピア」、「エリトリア」(かつては、エチオピア帝国の一部であった)、「ザイール」、その他?
・イタリアの「サビニ王国」
・ボルネオ島のマレーシア領「サバ州」

結構たくさんありますね。でも、まだまだあるかもしれませんね。インド(ヒッタイトと共有)を含むオリエント(アジア地域)などにも結構あるような気がします。’古代の昔’でも、すでに、ヒッタイト人とシェバ人は、世界の相当な数の国々、つまり、相当な地域を植民地化していたということですね。

その後、植民地をさらに拡大し、中央ヨーロッパ、東アジア、北米、中南米にも進出。。。

特に、シェバ族と「サヴァイ家」とのつながりは、いままでのことからシェバ族=サビニ族なので、より簡単に推察できます。

・『サヴォイア家』は1713年、北イタリアの統一し、「サルデーニャ王国」を樹立し国王に。さらに、1861年には、イタリア全土を統一し、イタリア王国の国王として君臨。



★★★ サビニ族は、この「サビニの女たちの誘拐(ゆうかい)」からローマと戦争を起こし、そして、「ローマ」という国の『共同統治』という’大きな利益’を得ているのです。

(シェバ族の王族たちの声) 
 
「ヤッター!! またしても、してやったりー!!!」
「今までも、’バテ・シェバ’で成功! ’シバの女王’でも成功!!。。。こんなうまい手、一度使ったら、止(や)められないさ〜」

<わたしの推理>
ギリシャのスパルタ、マケドニア(ドーリア人=ヒッタイト、シェバ)などからなるギリシャ軍から逃れたトロイア王家の一族がイタリアでローマという強国を築きはじめていた。そのことに、以前から危惧(きぐ)をいだいていたヒッタイト、シェバはなんとか戦争を起こして、早めにローマを叩いておきたかったが、なかなかそのチャンスがなかった。

そんな時に、ローマから花嫁募集の使節がやってきた。これは、戦争を起こすためのよいキッカケだと考えて、フォールス・フラッグ(戦争を始めるための口実を作るため、敵のほうから攻撃してきたように見せかける自作自演の攻撃)を振るための演出を考える。そして、ローマから来た使節には、もったいをつけて、はぐらかした生返事をして、相手をじらせて、より有利な状況をつくる。

そして、ローマから競技会への招待があったので、その時に、自分たちの娘たちがローマの若者たちをハニー・トラップで誘惑するように指導する。そして、自分たちサビニ族だけでは、怪しまれるので、他の近隣諸国にも、同じような手を使うように事前に根回しをする。そうすれば、強国「ローマ」をやっつけることができ、おびやかされることもなくなるから安心だとか適当な理由をつける。多分、ローマ人は凶暴だとか女をレイプするとか悪いうわさを流したりしたかもしれない。

当日に、「サビニ人は特に、家族全員でやってきた。」ということからも、サビニの気合いの入れ方は他の部族よりも、突出していた。そして、実際、そのハニートラップが成功したら、なるべく、それをおおげさにスキャンダラスに吹聴し、近隣諸民族の怒りを煽るようにしむける。

実際、近隣諸国は、ローマに対して、戦争を仕掛けるようにサビニ王「ティトス・タティウス」のところに集まっていったが、彼は呼びかけには、すぐに応じなかったので、他の諸国は、怒りにまかせて、それぞれ別々にローマを攻めた。そのため、兵力もそれほどではなく、次々にローマに負けてしまう。

そして、最後に、サビニとの戦いになったが、サビニはローマの砦(とりで)の鍵をもつ娘「タルペーイア」をたぶらかして錠を手に入れたものの、冷酷にも、この娘を殺してしまう。そして、一旦は、サビニが優勢になるものの、その後、ローマが盛り返し、優勢になった。しかし、この時、ローマ人の妻となっていた「サビニの娘」たちが、両軍の中に割って入ってきて、お腹の父と夫という両者が争うなら、死んだ方がましだとかう。(はっきり言えば、サビニが負けそうになったので、慌てて仲裁に入った抜け目のないサビニ娘たちなのです)

そして、両者の和解後、サビニ人はローマ人と1つの国家を形成することに合意し、サビニ王「ティトゥス」は、「ロムレス」と2人でローマ王として君臨することになり、また、サビニ人からは100人のパトレス(貴族)が選ばれローマの元老院に送られた。

あ〜あ、ロムレスもそれまでのローマの元老院の人たちも人が良すぎるような。。。まあ、これもハニートラップの相乗効果でしょうね〜 結局、ヒッタイトやシェバ族の思いどおりになっちゃったんじゃないのかなあ?

そして、自分の妻が誘惑したとは言えないし、それさえも気がついていないのか?そして、そのローマの若者がサビニの娘を誘拐したという話は、ずっと後世まで尾ひれ葉ひれがついて大げさに宣伝され、「ローマ帝国」での、いえ、それだけに留まらず、その後、現代にいたるまで、ヒッタイト・シェバ族の優位を得るためのかけひきの道具として悪用されてきた。

「サビニの女たちの略奪」
http://wapedia.mobi/ja/%E3%82%B5%E3%83%93%E3%83%8B%
E5%A5%B3%E6%80%A7%E3%81%AE%E7%95%A5%E5%A5%AA

だから、上のサイトにあるような情感を煽るようなハレンチな彫刻や大げさな事実とは到底かけ離れているような絵画がたくさん製作されてきたのではないでしょうか?

しかし、あの彫刻や絵をよく見てください。いろいろなところに変な写実が見られるのです。あの
彫刻にしろ、なんで、近くに夫らしき人が。ローマ人は娘たちに誘われて、自宅に連れ帰ったというのに。
誘拐(ゆうかい;正確に言えば、多分、ローマ男子がサビニ娘に誘惑されて共に競技場を立ち去り、ローマ男子の家へ連れていった)の絵画では、なにやら、戦闘中に娘を略奪しているかのように描かれています。

また、サビニ人は色が黒いはずなのに、真っ白な肌に描かれ、反対に、ローマ人(ケルト系)は色が白いはずなのに、肌が黒っぽく、ケルト人の容貌というよりは、まるでヒッタイト・シェバ族の容貌のように描かれています。これでは、まるで、ローマの娘がサビニの男性たちに略奪されているような感じです。〜〜? あれれ〜?

それから、「サビニの女たちの仲裁」の絵画も、ロムルスの妻となったサビニ人のヘルシアともうひとりの女性の足下には、赤ん坊が三つ子プラス双子でも生まれたかのようにたくさんいますが。。。??? 何で?そんなにすぐに生まれる分けないし。。。それに多すぎるし。。。それに、ヘルシアもティトゥスも、もっと色が黒っぽいはずですよ。ヘルシアなんか、まるで、ケルト女性のように描かれています。

つまり、このA.D.16、7世紀の絵画の中には、中東・アフリカからイタリア、そして、ドイツに行ったサクソン王族などが、自分たちを白人としてみられたいという願望が表れています。その他、つじつまのあわないことだらけのケルト攻撃のための’宣伝用’芸術作品なのです。

そして、自分たちサビニ女性は「お涙ちょうだいのいい子ぶりっこ」をしていて、それを美談として伝説化し、またまた’宣伝’しているのです。

「なんとまあ!」と、わたしなどは、まったく、あきれてしまうのですが!!!

p.s.

<サビニの計略の補足>

このローマの内部にはいって、ローマを内側から攻略しようというサビニの計画は、とりあえず、成功したわけですが、多分、これは、第二の作戦だったんでしょう。第一目標は、「ローマを打ち負かして征服することだったけれどかなわず!」でした。しかし、副産物として、自らは戦わずして近隣諸国も手に入れることができたのです。それというのも、サビニ王「ティトゥス」が、近隣諸国の呼びかけにすぐには応じなかったため(わざとですよ!)、近隣諸国はそれぞれ別々にローマと戦い、負けてしまいました。サビニにとっては、これも、自分たちの手をかけずして、近隣諸国をローマに平定させ、最後に戦いに出陣し、「ローマ兵が疲れている時に戦う」という有利な条件を得ることができ、さらに、ローマを打ち負かせば、一気に近隣諸国すべてを征服することができたわけです。

しかし、予想に反して、『それでも、ローマは強かった』。それで、サビニは’これは大変!’と、即刻、計画変更! またまた’サビニ女性を使ったお色気と情に訴える作戦’に出たわけです。そして、ローマと共同統治すれば、ローマがすでに近隣諸国を平定した後なので、自分たちは戦わずして、それらの国々も得ることができたわけなのです。

★★★「サビニ」って、なんて悪知恵の天才なんでしょう!



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by Ulala-lov | 2010-07-05 13:21 | Comments(3)

ローマ帝国とシバ王国

先日来より、ずっと、いままで話題にしてきたのは、B.C.10C頃の謎の多い『シバ王国』という小国(けれども、非常に経済的に富んだ重要な交易国)に関してでした。そして、あのイスラエル王国の『ソロモン王』と重大な関わりをもった、当時としては、もっともスキャンダラスな超話題の人物がシバ王国の『シバの女王』でした! 

さて、B.C.8C頃になりますと、地中海で、もっとも大きなトピックスと言えば、やっぱり、あの偉大なる『ローマ帝国』の建国です!そして、あの『シバ王国』は、今度は、イタリア半島の新興国『ローマ』とどういった関わりをもつのでしょうか? ちょっと興味津々(しんしん)。。。なところですね〜!

その当時、すでに表面上はその存在を隠しながらも、陰で世界の至る所で多くの国々を操っていた大帝国『ヒッタイト』にとって、建国したばかりの『ローマ』は、まだまだ恐れるにあらずな存在だったと思われます。

しかし、あのトロイの戦争では、トロイア軍のほうが勝利したと思われていました。しかし、ギリシャ軍は船で敗走して帰国したと思わせて、実は、トロイア人が神聖なものとしている木馬を作って、その中に潜んでいたのです。トロイア人たちは、無邪気にも、その巨大な木馬を海岸からトロイアの街の城壁内に引き入れて、勝利に酔ってお祭り騒ぎをしていたわけです。ところが、夜、トロイア市民が寝静まったころあいをみて、ギリシャ兵たちが木馬から出てきて街を焼き討ちしたわけで、なんかひきょうな戦いをしてギリシャ軍(この頃はスパルタやマケドニアが他のポリスに強い影響力をもつ)は勝ったわけです。

ですから、ヒッタイトもトロイアの王家の子孫やその戦士には一目置いていたはずで、彼らが建国した『ローマ』も早めに叩いて支配下に置いておこうと策略を練っていたはずです。

まず、「ローマ建国神話」についてですが、「神話」、あるいは、「伝説」ということですので、ある程度までは真実だけれども華飾もありというぐらいに考えて読むのがいいのではないでしょうか。リヴィス『ローマ建国史』というサイトに詳しくのっていましたのでご紹介します。「序文、第1章〜第18章」くらいまでを読んでみてください。(後のほうは、興味のあるかたはどんどんどうぞ!)

リヴィスの『ローマ建国史』
http://tomochan2002.at.infoseek.co.jp/livius.html

目次で見ていくとなんとなく分かりますので、ここにも書いておきます。
1. 始祖アエネアスのイタリア到着
2. ラテン民族の誕生
3. アルバ王国の建設
4. ロムルスとレムスの誕生
5. アミュリウス王の殺害
6. ヌミトル王の復権
7. ロムルス王の誕生とヘラクレス伝説
8. 元老院の創設
9. サビ二ーの女たちの誘拐(ゆうかい)
10. ロムルスの戦いと勝利
11. タルペイアの裏切り
12. サビニーとの戦い
13. サビニーの女たちの嘆願
14. フィデナとの戦い
15. ウェイイとの戦い
16. ロムルスの昇天
17. 王の不在
18.ヌマ王の選出


○まず、1のアエネアスがなぜ、イタリアの中部にやってきたか?ということに関してちょっと興味があります。

下のウィキペディアの「フェニキア」のサイトを見ると、「歴史」の項目に、(多分、B.C.12世紀〜15世紀頃の)地中海沿岸の植民都市の地図があります。それを拡大して見ると、左端に説明があり、四角い「赤」枠の都市名はギリシャの植民都市、「黄色」はフェニキア、「グレー」はその他の植民地で表されています。また、拠点を表す小さな丸印の色は、「緑」がイオニア人、「青」がドーリア人、「青緑」がアカイア人、「赤紫」がアイオア?人(読み方がハッキリ分かりません)で、小さな四角印の「緑」は、複数民族による植民地の拠点を表しているということです。

「フェニキア」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A7
%E3%83%8B%E3%82%AD%E3%82%A2

そうしますと、アエネアスは多分、Romとなっている辺りにたどり着いたのではないかと思われますが、イタリア半島の中部・北部はグレーの植民都市なので、ギリシャでも、フェニキアの植民都市でもないということです。また、アナトリア半島(現在のトルコ)のイリオン(イリオスともいう=トロイ)はアイオア人です。ギリシャでは、アテネなどはイオニア人ですし、スパルタなどはドーリア人で、その他、アカイア人のポリスもいくつかあります。ほとんどが赤のギリシャと黄色のフェニキアの植民地で、とてもたくさんあります。

わたしが推測しているのは、エトルリアとの関係です。つまり、トロイア王国とエトルリアとは同じ民族か、とても親しい関係があったのではないかということです。

「ある調査では、エーゲ海のレムノス島(ローマ建国の双子の弟レムスに似てますね!)では、紀元前6世紀までインド・ヨーロッパ語族ではない民族が居住していた跡が見られ、その民族の言語がエトルリア人と似ていることが指摘されている」と下のサイトにあります。

「エトルリア」
http://wpedia.goo.ne.jp/wiki/%E3%82%A8%E3%83%
88%E3%83%AB%E3%83%AA%E3%82%A2

そして、レムノス島(リムノス島)は地図上では、アナトリア半島北西部沿岸にあるイリオン(=トロイ)の’目と鼻の先’ぐらい近くにあるのです。

「レムノス島」
http://wpedia.goo.ne.jp/wiki/%E3%83%AC%E3%83
%A0%E3%83%8E%E3%82%B9%E5%B3%B6

「エトルリア民族」
http://www.k5.dion.ne.jp/~ssb/Toscana/etruria.htm

さらに、エトルリア人はアナトリア半島(=小アジア)のリディアからやってきたという説が最近有力になったと以下のサイトにはあります。

「エトルリア人の正体」
http://blog.ohtan.net/archives/51097360.html

わたしは、国別に言えば、エトルリア人、リディア人、トロイ人、アテネ人とかは、みんな同じケルト系のいろいろな部族がスカンジナビア半島あたりからヨーロッパ中部、東部、南部に南下してエーゲ海沿岸(エトルリア人はさらにイタリアに移住)に定住したのではないかと推測しているのですが。。。そして、民族的、部族的?に言っても、イオニア人、アカイア人、アイオア人はみなケルト系ということなのでは?

「エトルリア人」
http://plaza.rakuten.co.jp/atsuko626/diary/201003160000/

「エトルリア」
http://homepage2.nifty.com/pietro/storia/storia_etruria.html

これらの人びとはみな特徴が似ているような。「海洋民族で航海術にすぐれていること、金属加工が得意、建築術に優れている、詩や音楽などを作るのが好き、陶器などに美しい絵を描いたり、人物の彫像をつくるなど芸術面に優れている、大きな墓をつくり大事に維持する」など。


わたしは、アエネアエスは、エトルリア人を頼って、イタリアにやってきたような気がしてなりません。最初は、エトルリアに保護されていたのでは。そして、現地人ラティヌス王も加わり、3国で共に「ラテン人」として『ローマ』を建国。だから、初期の『王政ローマ』の王5人のうち3人もエトルリア人がなっています。しかし、サビニー人のローマの政治権力中枢への参加については、ちょっといわくがありそうです。


(次回につづく)



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by Ulala-lov | 2010-07-04 17:19 | Comments(2)

北欧三国とは、ノルウェー、スウェーデン、デンマーク。
フィンランド、アイスランドを含めて北欧五ヶ国ともいうらしいです。

「北欧」
北欧 ウィキペディア

な〜んだ、わたしは随分勘違いしてました。ノルウェー、スウェーデン、フィンランドで北欧なのかと思っていました。

さて、最近、わたしが興味をもって、ちょこっと読んでいる本に、といってもまだ最初の方をちょこっと読んだだけですが、滝尾紀子著「世界の国ぐにの歴史;北ヨーロッパ」 岩崎書店があります。(児童書なので、ひらがなが多いですが、わたしは内容がとても分かりやすいので気に入っています)
その中で、北欧の古民族の定住とゲルマン人(=ヒッタイト)の来襲に関する部分があって、とても、重要だと思われますのでここに引用して紹介させていただきたいと思います。

まず、P15の「北極に生きる人」編の『ラップ人(サーメ族)』に関してですが、「スカンジナビア半島北部から、フィンランド北部、ソビエト西北部にわたって、ひくい丘陵と無数の沼や湖がつづく土地が、無限とおもわれるひろさでひろがっている。このひろい平原を、ラップランドとよんでいる。ここは、一年のうち七か月は氷にとざされ、氷点下40度にもなる。以下、省略。。。このような土地にも、ウサギ、リス、トナカイ、アナグマなどの動物たちが住んでいる。そして、その雄大な自然の一部のように、先祖だいだい住みついているのが、ラップ人である。最近は、ラップ人は自分たちのことを「サーメ族」と自称している。」

「ラップランド」

ラップランド Lapland


(本のつづき)
ラップ人が、いつどこからきて、北極圏に住みついたのか、はっきりわからない。かれらのことばが、フィンランド人と似ているので、血縁関係があるかとおもわれていたが、最近の研究で、フィンランド人のように東から来たのではなく、中部ヨーロッパから北方へ移住してきたと考えられるようになった。

いまから一万年以上(BC8000年以上)前、北欧いったいをおおっていた氷河が後退しはじめ人間が暮らせるようになった。(←これは地球に火星の衛星がぶつけられた後は地球は暗闇と非常に寒冷な気候に変わってしまっていたから)
そのときトナカイを追って移動してきた人々が、北欧に住みついた。この人たちの文化がもっとも古いとされている。その後、氷河はますます北へ退き、つぎつぎに新しい移住者がやってきた。先住者たちは、しだいに北へと追われていった。ラップ人はこの先住者たちで、北欧のさいしょの住人の子孫である。それはフィンランドの祖先が、東から移住してくるより、7000年も昔のことであった。ことばが似ているのは、あとから来たフィンランド人と交渉があったからだ、といわれている。」

うらら・・・つまり、フィンランド人(=スオミ人=ゲルマン人=サクソン人)は東からやって来た。★しかし、ラップ人はその7000年も前に住み着いていた。

このことから。。。

ラップ人は
ヤハウェ系(←訂正:人間)の先住民だと思われます。

しかし、フィンランド(スオミ)人は、BC5000年頃に火星から再来したアングロサクソ脳族たちが東の白海(地図の左上の広範囲な地図を拡大すると理解しやすいです。そして、以前の記事に書いたように白海の海底には2つのUFOが着陸しているらしいです。)に着陸後、一端バイカル湖付近まで移動した後に世界中に侵略していったうちの北ヨーロッパに向かっていった一派と考えられます。なので、ラップ人はその7000年も前に住み着いていたということはBC12000年以前のアングロサクソ脳族たちの兵士たちによって追われて寒い寒い北極圏に逃げ延びて住み着いたヤハウェ系の可能性が高いと推察されます。★つまり、スカンジナビアに人間は2回に別れてやって来て住み着いたということになるのかな〜。


中欧旅行6日目@ブダペスト1:Travellog from Toronto!

ロマネスク建築はノルマン人(人間のほうの)による重厚な美しい建築物です。

ロマネスク建築 - ヨーロッパの建築様式:賃貸のホームメイト

ロマネスク建築 - 英国ニュースダイジェスト

聖堂ほか〜代表的なキリスト教の建築物

ゴシック建築 画像集

ゴシック建築はハッキリ言うと、アングロサクソ脳族たちが"タコやダイオウイカの脚" を模してたくさんの細長い塔やたくさんの細長い柱のあるゴテゴテとした装飾過多な建築物です。



さらに、p21からの「古代ゲルマン人」編
しかし、最初は、ラップ人の説明とおもわれるところ、『岩の上のヘラジカ』からです。

「ノルウェーや、スウェーデンの岩の上や岸壁で、ヘラジカ、トナカイ、クマ、アザラシ、クジラ、魚、鳥など、たくさんの動物たちの絵が発見された。いったいだれが、いつごろこのような絵を、刻みつけたり、かいたりしたのだろうか。氷河時代のおわり、紀元前、一万年ごろは、とけた水があふれて北極海とつながり、半島は島であった。これが、陸地の上昇などで、現在の地形になるのには、まだ6000年という長い時間がかかった。
人々が、いつごろから、どこから来たかわからないことがおおい。紀元前6000年ごろには、ここで動物を追って、移動生活をしていた人々がいたらしい。。。。以下省略。ふるい墓も少しは語ってくれる。ある墓では、男が狩りと猟の道具それぞれ一式とともに、ほうむられていた。住居のあとと墓は近くにある。人々は、死者をおそれていなかったし、死後も、生前とおなじように暮らすのだと信じていたようだ。それにしても、北欧の最古の住民についてわかることは、これぐらいのことしかない。」

次に後(のち)にやってきたどうも『ケルト人』らしい民族に関して説明されている『巨人塚』のところです。

「大きな石を組み合わせた、巨大な建造物がある。周囲を見回しても、そのような大きな石がとれる場所はずっと遠くである。『これは巨人がつくったのにちがいない』人びとはそう考えた。スウェーデン南部やデンマークにのこっている巨石の墓。これが墓だとわかるのは、最近の調査によるもので、それまでは、人びとは『巨人塚』とよんでいた。これがきずかれたのは、紀元前2500年〜2000年ごろで、そのころになると、狩りや魚とりの生活から、ゆっくりと農耕や牧畜の生活にうつっていっていた。この巨石の墓をつくった人たちは、どこからこの地方へ移ってきたのか。イギリス、フランス、ドイツにも残っている巨石遺跡と、どのようにつながっているのか、わからないことがおおい。ここへ移ってきたときには、その人びとが木の’すき’でたがやして、小麦、大麦、キビなどを栽培して、ウシやブタを飼っていたことは、わかっている。」

つまり、『ラップ人』が農耕などの定住生活をするようになったということで、ラップ人はな〜んだ『ケルト人』のことだったのか!とわたしは思ってしまったのですが、ちがうかな〜?ここへ移ってきたときには、この人びとたちは定住するすべを身に付けていたということは、ケルトでもいろいろな民族に別れていて後から来たケルトの民族がラップ人に教えたりしたかもしれない。。。

ここからが、どうも『ゲルマン人」の説明のようです。

「紀元前2000年になると、死者一人をほうむった墓も、つくられるようになった。デンマークのユトランド半島の、中、西部からはじまるこの新しい型の墓は、やがてシェラン島*や、スウェーデン南部のスコーネ地方**にまでも、きずかれるよになる。あたらしい集団が移動してきたのである。
* シェラン島(首都コペンハーゲンがある島)
** スコーネ地方
スコーネ
スカンジナビア半島地図

この集団は、’★ウマに乗り、戦闘用の舟型をした磨製の斧をもつ軍事集団★’ であった。

かれらは、ヒツジを飼いながら移動してきた。かなりのはやさで、’巨人塚をきずいた人びとを征服’して、デンマーク、スウェーデンにひろがっていった。

★★★この人たちこそ、北欧にはじめてすがたをあらわした、★『ゲルマン人の祖先』であることは、学者たちの意見が一致している。」

(つづき)
「それから数世紀たつと、遊牧民であった征服者たちも、定住して農耕生活をするようになった。かれらは、青銅器をもつようになって、生活が急速に変化していった。他の地域との貿易もおこなわれたが、かれらが輸出したのは、’こはく’であった。生活がゆたかになっていったことは、墓の壁にかかれた、岩石刻画でもうかがうことができる。狩や魚とりの時代とは、かなりちがう物が発見できる。まず、船、船の上には、漕ぎ手ばかりでなく、ダンスをしたり、ホルンを吹き鳴らす人ものせている。さらに、車、樹木。動物は、ウシ、ブタ、ウマ、シカ、ヘビなどが、かかれている。盾をもつ人、行進する人、’すき’でたがやす人、とくべつ大きくかかれた人。大きな人物は神をあらわし、この絵のすべてが、豊かなみのりを願う祭りのために、かかれたものと考えられる。」

『沼にしずめられた人』
「1950年5月8日のこと、デンマークのビヤエルズコフの谷のトルント沼沢地で、泥炭を掘っていたふたりの労働者は、腰がぬけるほどおどろいた。泥炭のなかから、男の死体が出てきたのだ。ふたりは、ちかくの警察署へかけこんだ。「殺しです!」うったえをきいて、それっと刑事が現場へとんだ。首にひもがかけられていて他殺体のようである。しかし、死体をしらべた刑事が死体をとどけたのは、検察官のもとへではなく、大学の考古学研究室であった。トルント人と呼ばれるようになったこの男は、だれなのか、なぜ殺されたのか、いつ生きていたのか。コペンハーゲンで、くわしくしらべられた結果、くびにまかれた皮ひもが死因で、死の2時間前に、オオムギのおかゆと、亜麻や雑草などの、かなりとぼしい食事をしたことがわかった。

そして、次のような結論がだされた。かれが生きていたのは、紀元前1世紀ごろ、おそらく、神への’いけにえ’として沼にしずめられたのだろう。その後、おなじような遺体が、700人ちかくも沼の底から発見され、’いけにえ’をささげることがたびたびおこなわれたことが、わかってきた。沼からは、他にもいろいろな物が発見される。日常使っていた道具、家畜など。古代人は、これらの物をささげて、神のいかりをしずめたり、願いごとをしたりした。

自然の条件がきびしい北欧では、農作物が育たず、’ききん’に苦しむことはたびたびあった。人びとはそれを神のいかりと思い、そのいかりをしずめ、ゆたかなみのりを願うために、一人の男を神のもとに送ったのではないか。

かれらの神とは、太陽や森や、自然現象そのものであった。岸壁画や、出土品などから、いま北欧神話として伝えられている神々の原形は、紀元1世紀につくられていたことがわかる。

北欧へ住みついたゲルマン人はその後、一部の人びとが、たびたび南にむかって移動している。かれらに故郷をすてさせるほど、きびしい自然の変化がおこって、食物もとれずに苦しんだことも移動の原因であっただろう。

紀元1世紀になると、ゲルマン諸候はそれぞれ小王国をつくりはじめた。バルト海まで遠征してきたローマ艦隊とたたかったり、ゲルマン人どうしが戦ったりしながら、部族がまとまった国となっていった。

おなじころ、ルーン文字がつくられた。ローマ人との接触によってローマ時代のラテン文字をとりいれ、24のアルファベットをつくった。この文字は、占いによってわかった神のことばや、呪文などを、石にきざんで残した。北欧神話では、ルーン文字を発見したのは、かれらの守護神オーディンであり、その書き方もオーディンによって人びとに伝えられたものだと語っている。現在、ルーン文字を刻んだ石碑が、デンマークやスウェーデンなどに残されている。」

以上で引用おわり


最後の方の北欧神話の守護神オーディンは、実は、実在人物であったとネットの北欧の資料にでていました。神話って、ちょっと空想がかった話のように誇張してありますが、けっこう実話が多いみたいですね。

とにかく、ゲルマン人(=ヒッタイト)の特性として、どんどん他の民族の中へ侵攻し征服していく習性がありますから、最初は、(かなり長い間)、デンマーク南部とスウェーデンを侵略しただけで定住していましたが、その後、東欧やドイツなどにも南下したり、ノルウェーのほうに北上したりと、じっとしていられない民族のようですね。紀元10世紀にノルウェーもゲルマン王に統一され、近代になってはスウェーデン王による同君連合王国になったりしたこともあったみたいですね。

「ノルウェー」
http://100.yahoo.co.jp/detail/%E3%83%8E%E3%83%AB%E
%82%A6%E3%82%A7%E3%83%BC/%E6%AD%B4%E5%8F%B2/

「ハーラル1世(ノルウェー王)」
http://100.yahoo.co.jp/detail/%E3%83%8E%E3%83%AB%E3%82
%A6%E3%82%A7%E3%83%BC/%E6%AD%B4%E5%8F%B2/

A.D.890頃に、ノルウェーを初めて統一したこの王は、どうもゲルマン民族のようです。この時、とうとうノルウェーも乗っ取られたんですね。下のような、ベルセルクという恐ろしい親衛隊をもっていたそうです。

「ベルセルク」
//ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%99%E3%83%AB
%E3%82%BB%E3%83%AB%E3%82%AF

「オーラフ2世」
http://100.yahoo.co.jp/detail/%E3%82%AA%E3%83%BC%E3%
83%A9%E3%83%95%EF%BC%882%E4%B8%96%EF%BC%89/

「スウェーデン=ノルウェー」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%82%A6%E3%82
%A7%E3%83%BC%E3%83%87%E3%83%B3%EF%BC%9D%E3
%83%8E%E3%83%AB%E3%82%A6%E3%82%A7%E3%83%BC

「ノルウェー」
http://www.hoteltravel.com/jp/norway/guides/overview.htm


それから、ラップランドはサンタクロースの地ともいわれているそうで、こんなサイトもありましたよ!
「サンタテレビジョン・コム」
http://www.santatelevision.com/japanese/lapland/index.html



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by Ulala-lov | 2010-07-01 23:59 | アングロ・サクソン王族 | Comments(1)