2016−04−04

お知らせです! 先日4月2日に書いた記事『徳永英明の本者と偽者』で、今日、新たに、本者が「レイニーブルー」唱っているYouTube動画を発見し(訂正:映像は偽者でした)、先日2日に本者コーナーに入れていた「薬師寺コンサートでのレイニーブルー」と比べてみると、唱い方にかなり違いがありました。なので、新しく発見した動画を本者コーナーに入れて、偽者が開いた薬師寺コンサートでの歌は偽者コーナーの最下部に移動させました。薬師寺は天武天皇が建立を発願した寺なのに敵であるアングロサクソン王族ETがコンサートを開いていたなんて悲しいですぅ〜 (Qベスとジゴウのハッキングでコメント欄に記入できなくなっているのでこちらに書きました。)


大変済みませんが、この記事↓はまだ書きかけです。



これが、きっと、テングザル系(像の遺伝子の入ったサル)の男性形の顔を模(も)した伎楽面*(ぎがくめん)です。象の耳はとても大きいので、お面の耳もとても長くて大きな耳です。これに鼻先のめくれ上がったゴリラをハイブリッドすると鼻先がそれほど長くならなくなるということでしょう。



[華厳宗の総本山]

華厳宗の中の「密教」的な部分は、『明恵』*(みょうえ)という仏僧によって取り込まれたとのことです。

この耳を削(そ)ぎ落す事件というのは、画家のゴッホもやってますよね〜!ゴーギャンとの仲違いが原因とか言われていますが、どうやら、これはアングロサクソン王族たちから睨(にら)まれて、「ヤクザの指詰め」ならぬ「耳削ぎ」をされたのではないでしょうか?


<前身寺院>

『金鐘寺』(こんしゅじ)は聖武天皇* の意図により、『福寿寺』(ふくじゅじ)は光明皇后** の意図により建立されたのでしょう。ところが、いつのまにか二つの寺は、統合されて『大養徳金光明寺』(やまとのくに こんこうみょうじ)という大和国***(やまとのくに)の国分寺となっていったとのこと。『大養徳』って、犬養徳=徳のある犬養一族って言いたかったのでは?なんか「犬神家のたたり〜」って感じのほうが強いのですが〜 085.gif008.gif021.gif

* 聖武天皇の母親は藤原不比人の娘で文武天皇の夫人「藤原宮子」(みやこ)で、おそらく人間。
** 光明皇后の母親は県犬養橘三千代(あがた いぬかい の たちばなみちよ)でアングロサクソン王族。橘(たちばな)三千代ともいう。ETレプタリアンです。「犬養」という名字は身体の中にオオカミを飼っているという意味、つまり、オオカミの遺伝子が入っているという意味ではないでしょうか。



聖武天皇の大仏建立:紫香楽宮(→信楽宮→甲賀宮と名称変更)を当初は希望す。
(おそらく聖武天皇の皇后「光明皇后」の発言力が大きかったため変更を重ねた)







👀 こんなの見っけ!💏




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by Ulala-lov | 2016-04-04 17:36 | 古代日本朝廷 | Comments(0)

2015−09−28

ディオンヌ・ワーウィック「愛のハーモニー」MVI_1004.MOV

菅安(すがやす)? 

画像がぼやけていますが、なんか孫正義のような顔をしているような。。。ハゲのようですし。しかしながら、ピアノ演奏や歌を聞いて分かるように、アルバート公(一流ピアニストで、歌唱力も抜群)ではありません。となると、ピアノがそこそこ弾けるアングロサクソン王族といえば、東伏見慈洽ですが。。。? 歌唱力はこんな感じで〜す!

ところで、東伏見慈洽は昨年(2014年)の1月1日に亡くなったと報道されていますが、実は生きていていますが。。。次男で天台宗青蓮院の門主を引き継いだのが, 140); line-height: 22px;">東伏見慈晃(じこう)で楽天の三木谷浩史会長です。

東伏見慈洽 画像集

東伏見伯爵 東伏見宮系:直球感想文 和館

東伏見慈晃 画像集

三船敏郎がイケメン! [画像・動画] 息子・身長や晩年も気になる!:つぶやきブログ 

三船敏郎さん 見て和む画像壁紙集

上の壁紙集を見ると、下から三つめの写真はわたしの元夫・佐藤勝己(=バイエルン王ルートヴィヒ2世にソックリだし、まあ、アイゼンベルグのクローン子孫だから。最下部の写真はフランスの俳優「アラン・ドロン」にソックリです!!実は、わたしの高校1年の時の親友だった松原冨士子さんって、なんか〜アラン・ドロンに似た顔だったんですよね〜!名前もそうですが、やはり、アイゼンベルグ=ハトホルのクローン子孫だったんでしょうかね〜!富士ちゃんが最初の子供を生んだときの話では、「生まれた時には怪獣みたいでビックリしたわ。でも、だんだん人間らしい顔になってきたから安心したのよ。」と言っていました。彼女が最初に見た後で、彼女が知らないうちに顔を整形されたんでしょうかね?私の幼なじみの隅田洋子ちゃんは、赤ちゃんが生まれたら、子供はどこかに連れていかれて、私は2時間ぐらい分娩室に放ったらかしにされて、すごく不安だった。もう二度と子供は産みたくないと言っていました。彼女の赤ちゃんも生まれてすぐに整形されたのかも?

孫正義 画像集

(↑ここの多くの写真はアルバート公のようです。)

三木谷浩史楽天会長の超ブラック発言「ベンチャー企業では残業代ゼロどころか労働時間を制限するな」 - Everyone says I love you!

丸坊主で薄茶色のメガネをかけた写真の三木谷会長の顔って、ヤクザのボスって感じ〜!以前にもこのブログで書いたように東伏見慈晃=楽天の三木谷浩史会長に似ています!また、女子マラソンの高橋尚子=ハトホルのクローン子孫(=藤沢高等職業訓練所で、"わざと" わたしにぶつかってきて怪我をさせた乾貴美子 イヌイ キミコにも似てますね〜!つまり、ハトホルのクローン子孫ということです!!

*このブログ内の関連記事:

日本の裏社会:クロカモ軍団と原子力発電所の地下にある秘密核施設(プルトニウム生産)

★★★ ん〜、ということは、ソフトバンク会長「孫正義」は、青蓮院門主・東伏見慈晃(じこう)=楽天の三木谷浩史会長=ハトホルのクローン子孫=女子マラソンオリンピック金メダリスト高橋尚子とはクローン兄弟(姉妹)です!!!

なので、アルバート公は孫正義=三木谷浩史会長の代理をしていて、マネージメントや経理や技術開発などなどをやらされているということのようです。025.gif021.gif

超小型のコンピューターシステムの基盤を父の神聖ローマ帝国皇帝ヨーゼフ2世から受け継いだのは息子のアルバート公であり、今日のようにコンパクトで誰もが使いやすいコンピューターシステムに発展させた一番の貢献者はアルバート公なのに。。。007.gif

*このブログ内の関連記事:

ET恐竜タコと。。。ミドリムシ(最終兵器か)の関係は? 2 +映画『ベイマックス』とコンピューター発明
(主人公『ヒロ』の説明を訂正しましたので、ぜひ、見てネ!モーツァルトの説明も訂正しましたヨ!)

菅安でネット検索すると。。。

英國館(英国館) 大阪 北新地クラブのジャズライブ

北新地JACK - SOUND IN 英国館

「世界各国のコンパニオン達がお客様をエスコートします。」って、どうやって世界中から集めたんでしょうね?

サウンドイン英国館

新しくアネックスリンという店に替わったんですネ!

サウンドイン英国館 - Facebook

このギターの人の右手の指先を見てください。指先遊んでいて、ほとんど弾いてませんよ。ということはボーカルも口パクで、ドラムもカッコだけで、バックに録音の音楽を流しているということでは?奥でピアノを弾いてるふりや口パクで唱っているふりをしているのは、またまた菅安=東伏見慈晃のようです。

菅安純一さんのライブ - ツイキャス

菅安純一のツイプロ

「尾道一人暮らし」とあります。尾道といえば、『放浪記』の著者「林芙美子」

放浪記 の あらすじ を 教えて下さい。 - Yahoo!知恵袋

林芙美子(はやし ふみこ、1903~1951ウソです!) ウィキペディア

プロフィールもウソです!

林 芙美子ゆかりの地 広島・尾道 - 文学散歩 - NUA WORLD

一番下に林芙美子の写真がありますが、多分、森光子自身かもしれません。

女優・森光子さん 写真特集:時事ドットコム

広島県 地図:マピオン

ジョゼッペと福山市、尾道市、世羅郡(世良公則の世羅はここから?)、府中市あたりとも縁が深いようです。


菅安 純一(@xxjs1019)さん - twitter

下のほうのバースデー祝っている写真の菅安純一(写真A)の隣の女性ってセレーナ・ゴメス(=石川節子=新ハトホル)に似てますよ!


セレーナ・ゴメス 画像集

このブログ内の関連記事:
英歌手「アデル」にも本者と偽者がいた!
(サイト内の下のほうです)

アルコン橋上のナポレオン≫ 1796-97 (肖像画 B)

書斎のナポレオン(肖像画 C)

(上の2つの肖像画BとCのナポレオンはまるで別人のように見えますが、よくよく顔の細部を比べてみると同一人物と分かってきました!)

上の写真A菅安純一と肖像画Bのナポレオンとはナカナカ似てますね〜!!
■ 以前からジョゼッペと分かっている有名人には音楽プロデューサーの「松任谷正隆」や、作曲家の「来生たかお」がいます。

松任谷正隆 画像集

あっちゃんショック!恋人尾上松也が違う女性と「深夜の車中キス」:気になる最新ニュースまとめ

画像集の中にあったのですが、この尾上松也もジョゼッペということでしょうか?とすると、菅安純一に似てるかも?!

来生たかお 画像集

ほんのノスタルジー/来生たかお:歌追いびと

無口な夜 来生たかお

この動画の男女は、いろいろに変装しているジョゼッペ=山根光男と、新エリザベス2世=山根郁子(ハトホル)です。

伊藤麻衣子

これがジョゼッペの女性形かしら?

来生たかお スペシャル

以前から来生たかお=ジョゼッペだと分かっています。改めて見ると、やはり、口パクです!実際に唱っているのは旧ハプスブルグ家の男性の誰かで、その録音した音源を流しているのです。作曲も旧ハプスブルグ家の誰かがしたものを横取りしているのでしょう。ピアノも見かけだけやっているようです。つまり、弾けるには弾けるけれども、スゴく上手くはないということでしょう。←*

他の演奏者たちは上手な人や、下手な人たちが混ざっているのかもしれませんが、とにかく、ここでは演奏しているマネをしているようです。もう一人のピアノ演奏者の指先だけよく写っていますが、この人は旧ハプスブルグ家の誰かのようですが、ここでは弾くマネをしているだけです。あのピアノは音がでないようにしてあるのかも?

*ということは。。。

★★★ 菅安純一=東伏見慈洽=山根光男=森光子=ジョゼッペってことでしょうかね?!(そして、『源氏物語』の光源氏かも?)

☆ 森光子、山根光男、光源氏とみな光がついていますよね〜!
(でも、私が小学校5~6年で習った旧ハプスブルグ家の男性の先生も光造って名前だったんですが、きっと、ジョゼッペにわざと光を付けた名前にさせられたんでしょう。)

ネイリスト講座 菅安二美さん - ヒューマンアカデミー横浜校講師ご案内

菅安恭子:作品一覧、著者略歴:Amazon.co.jp

人首川:菅谷恭子 著 :日本文学館
人首川ー蝦夷の国滅亡の記
人首川(ヒトカベガワ)とは - 河川・湖沼名 Weblio辞書

源義経(=ジョゼッペ=アタルイかも?)は「源平合戦」に勝利すると、鎌倉幕府を開いた兄の源頼朝に命を狙われ東北に逃げたとありますが、実は、東北地方を制圧しに行ったんでしょうネ!なので、作家「菅谷恭子」はジョゼッペでしょう。そして、恭子の「恭」という字は、恭順の意で「慎んで命令に従うという意味です」なので、いつも『ハトホル』の命令に従っているということでしょう。

< 桓武天皇の即位前の東北地方の反乱 >

伊治呰麻呂(これはり/これはる の あざまろ、生没年不詳、8世紀後半に活躍)

伊治公呰麻呂の乱(歴史) - 奥羽*温故知新

この伊治公は人間で、おそらく、「伊治公呰麻呂の乱」は桓武天皇が即位する直前のことであり、桓武天皇たちと連動してサクソン人の大和朝廷に反乱を起したと考えられます。そして、反乱は成功し、桓武天皇が即位することができたのです。

< 桓武天皇末期の東北地方での反乱 >

アテルイ(?~802年) ウィキペディア

新時代到来!?歌舞伎NEXT「阿弖流為」がカッコよすぎて見逃せない - NAVER まとめ

上のサイトの冒頭のアテルイのイラスト画を見ると、サクソン人の顔をしています。長いアゴ、短いスティック鼻でチンパンジー系の顔です。

北の英雄・阿弖流為(あてるい)

アテルイ阿弖流為(アテルイ)とは - コトバンク

火怨・北の英雄 アテルイ伝 - NHKドラマ

この「あらすじ」は、善人であった伊治公呰麻呂のことを、恐ろしいサクソン軍団の首領・阿弖流為(アテルイ)にすり替えています。おそらく、『人首川』は、アルテイたちが人間の首狩りをした後、川に投げ入れた為に付けられた後に命名した川の名前でしょう。

"人間 " の天皇が象徴として使った色が「白」で、"サクソン人" の蝦夷(エビス、エミシ)が象徴として使った色が「赤と黒」です。

また、祖霊崇拝・自然崇拝とシャーマニズムとは別ものです。祖霊崇拝・自然崇拝は人間が太古の昔から行ってきたものであり、巫女は予言などをする役目を持っていました。しかしながら、シャーマニズム* はサクソン人(生物学的人造ロボット)たちの集団の信仰宗教であって、アングロサクソン王族の巫女を中心とした生贄殺人儀式を行う恐ろしい信仰です。

* シャーマニズム ウィキペディア

オロチョン族とはオロチ=龍・蛇の一族の意味で、爬虫類人間のこと。とはいえ、人間ではなく、生物学的人造ロボットで動物の遺伝子が大半を占めています。このようにサクソン人=生物学的人造ロボットの間で信仰されている悪魔信仰です。

桓武天皇は蝦夷征伐中止を宣言したというのは、それ以上人間の犠牲者を出さないために平和条約を結んだ。つまり、降伏に近い。その2〜3年後、桓武天皇は毒殺されたのかも?


桓武天皇(かんむ てんのう)とは - コトバンク

桓武天皇の実母「高野新笠」は新羅の王族の出身です。

桓武天皇の即位と長岡京遷都 - 日本の歴史

このブログ内の関連記事:
平和を求めて!(3)その3今上天皇〜桓武天皇は祖にあらず


< 蝦夷、夷とは >

蝦夷(えみし、えびす、えぞ) ウィキペディア

蝦夷(えぞ)とは - コトバンク
(上から三番目=一番下の説明をみると。。。)

■『大化の改新』(乙巳の変イッシノヘン 645年)の前の時代(蘇我入鹿が天皇だった頃)には、中央の王権・政権に服属しない人々を指した呼称。最初は「えみし」といい、「夷」「毛人」の字をあてた。

蝦夷(エビス)は海老、本当はサソリと関係があり、また、毛深いという特徴があったこと、入れ墨をしていたことなどからサクソン人と考えられます。

■ 『大化の改新』後の「大和朝廷」では、おもに北越(新潟県・富山県)・奥羽地方 * および北海道に住む人々をいい(人間のこと)、「蝦夷」と書くことが多くなったが、9世紀ー15世紀には「夷」** が一般的で「蝦夷」という表記は少ない。

* 奥羽(おうう) ウィキペディア

** い [夷] の意味 - goo辞書 一般に「異民族」「未開の民族」の意味

要するに、大化の改新前の人間の天皇の統治下では、東北にいる敵であるサクソン人のことを蝦夷(エミシ、エビス)と呼んでいた。大化の改新後のサクソンの天皇の統治下では東北にいる敵である人間たちのことを蝦夷と呼んでいた。しかしながら、桓武天皇などの人間の天皇が統治していた時には、また逆転して、サクソン人のことを「蝦夷」、「夷」(エビス)と呼んでいたと考えられます。

★★★ ですから、桓武天皇が坂上田村麻呂を東北征伐に派遣したのは、東北地方にいるサクソン人たちを討伐するためだったということです。

☆また、アイヌ民族は、サクソン系のようです。
補蛇落物語(ふだらくものがたり):菅安恭子:本:Amazon.co.jp

補陀落渡海(ふだらくとかい) ウィキペディア

補蛇洛山寺(ふだらくさんじ):熊野の観光名所


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by Ulala-lov | 2015-09-28 22:50 | 古代日本朝廷 | Comments(0)

2013−09ー02

のつづき)


★ 「長屋王の変」は729年に起きていますが。。。長屋王(天武天皇の孫、母は蘇我氏)は母親がヤハウェ王族の血を引いており皇子もたくさんいたので将来、多くのヤハウェ王族が天皇になる可能性がありました。しかし、それは、自分たちの血族からの天皇を切望していたアングロサクソ脳族たちにとっては大変な脅威だっのでしょう!

そのため、アングロサクソ脳族の県犬養広刀自=「チビタコ女王」は、728年に自分と聖武天皇(母親がアングロサクソ脳族)との間に生まれた「安積親王」を将来天皇にしたいと願っていたはずです。そのために光明子と聖武天皇との間に生まれた「基王」を殺害し、「長屋王の変」のクーデターを起して長屋王一家をみな殺しにすれば、次期天皇は「安積親王」なるはずと目論んだのでしょう。

この「長屋王の変」は藤原四兄弟の仕業ではないと思われます。アングロサクソ脳族改ざん歴史における冤罪です。藤原氏はもともと天皇にはなれない家系なので、一族の子供を天皇にするつもりなど最初からなかったのでしょう。ところが、後日、「長屋王の変」が県犬養広刀自側から出た讒言(ざんげん)であることが判明したため「安積親王」が将来即位することは不可能になったのでしょう。それで王位継承者がいなくなり、光明子を皇后に格上げして、その娘「安倍内親王」を臨時の天皇「孝謙天皇」とするしかなったのでしょう。


< p.s.1& 訂正>

上のサイトAを読むと、光明子の母は「県犬養三千代」だったのですね!?? そうだったの〜!そして、「長屋王の変」の後、光明子の娘である阿倍内親王が女天皇「孝謙天皇」(こうけんてんのう)として皇位に就き、光明子は皇后に格上げされるなど、多くの利を得たのは、光明子と実母・県犬養三千代側です。

すると、この「長屋王の変」の真の目的は、次期「天皇」として一番優先順位の高い「長屋王」の子供たちが邪魔だったために"やり手婆"(やりてババア)の「県犬養三千代」が聖武天皇(アングロサクソ脳族、三千代の孫)を上手く操って、長屋王の一家を皆殺しにしたと考えられます。そして、実は三千代とグルになっていた県犬養広刀自は(自分の下臣に讒言をさせるなどして)悪役を引き受けたのかもしれません。

同族同士の皇太子を望む権力争いを装って、実は、長屋王の妃であった吉備内親王(きびないしんのう)* の子供たち(ヤハウェ王族)を皆殺しにして天武系(ヤハウェ王族系)の天皇継承者を断絶するのが目的であり、アイゼンベルグ(元祖ETタコ)の大策略によって起きたクーデターだったのではないでしょうか?事実、これにより天武天皇系は断絶します!!!これは歴史上の大事件です!!!

* 吉備内親王(686?~729)

吉備内親王は、草壁皇子(天武天皇と持統天皇の皇子)と元明天皇(天智天皇と姪娘の娘)の娘です。

ですから、上のウィキには吉備内親王の皇子たちにも皇位を継ぐチャンスもあったように書かれていますが、実は、聖武天皇の妃たち光明子や県犬養広刀自は天皇家の一族ではないので皇后にもなれなかったことからも分かるように、長屋王と吉備内親王の皇子たちのほうが次期天皇に就く継承順位は高かかったのです!!!


( 2014.09.01 10:20 p.m. 記述完了)

< p.s.2>

平城京で起きた最初の政変・長屋王の変・・・(β)

式家の「宇合」に長屋王宅を取り囲ませたのは聖武天皇であり、それを裏で操っていたのは県犬養三千代(=アイゼンベルグの女性形クローン)です。藤原四家のうち、武智麻呂・房前・宇合の母親は額田大王(=持統天皇)なので、長屋王の妻「吉備内親王」の父親の草壁皇子(母親は額田大王)とは父親の違う「異父兄弟」の関係にあったのです。そして、3兄弟は藤原家というより、蘇我家の血筋を引いていることを十分承知していたと思います。

しかし、聖武天皇の命には逆らえなかったのでしょう。

舎人親王(とねりしんのう、676~・・・B

父は天武天皇、母は新田部皇女(にいたべのひめみこ、?~ 699)
新田部皇女の母親は橘娘(たちばなのいらつめ、?~ 681)

ということで、この舎人親王も皇位継承権があったようですが、母親がアングロサクソ脳族だし、どう見てもあまり素行がよさそうな風体(ふうてい)ではありません。

新田部親王(にいたべしんのう、?~735)・・・C

父は天武天皇、母は五百重娘(いおえのいらつめ)で、鎌足の娘。藤原四家の一つである「京家」の祖藤原麻呂の母親でもある(ただし、麻呂の父親は不比等)。

新田部皇子 にいたべのみこ

新田部皇子 の母・五百重娘(いおえのいらつめ)は、その名を「大原大刀自」ともいうとあり、この女性は県犬養広刀自(アイゼンベルグ系)と関係があるようなので、おそらく、五百重娘の母は県犬養広刀自なのかも?

719年にBの舎人親王とCの新田部親王は、幼い「首皇子」(後の聖武天皇)の補佐を命じる詔(みことのり)が出される。」とあります。ですから、聖武天皇とは非常に親しい気心の知れた仲だったということです。また、「当時、天武の皇子として両親王のみが存命しており、両親王に対してその重要な立場を「慎む」旨(むね)促(うなが)している。」とあり、両名の行動にいろいろと問題があった様子が伺えます。そして、「ある婦人から「髭無き」ことをからかわれる歌がある。」とのことから、やはり、アイゼンベルグ系の元祖タコETだったと推察されます。

というわけで、舎人親王と新田部親王は、ともに天武天皇の子であるものの、母親がアングロサクソ脳族であり「天武朝」では皇位継承順位は長屋王(天武天皇の孫)やその子供たちより下だったと推察されます。それで、アイゼンベルグ系の県犬養三千代や県犬養広刀自に操られ、長屋王を自殺に追い込めば、自分たちにもチャンスが巡ってくるとかもしれないと多いに期待をしていたことでしょう。藤原武智麻呂よりも、このふたりが激しく長屋王を恫喝して長屋王と吉備内親王と、その二人の子供たちを自殺に追い込んだ張本人は、この二人だったように推察されます。しかし、ふたりや聖武天皇を影で上手く操っていたのは県犬養三千代と県犬養広刀自だったのではないでしょうか?

(2014.09.02 10:50p.m. 追記)


上のリンク先サイト(β)のもう一つのウソを発見!!!

1のリンク先サイト(α)や2の上のリンク先サイト(β)などは、アングロサクソ脳族が「コンピューター京」(別名:BEAST=野獣:に自分たちの過去の記憶など脳内の内蔵コンピューターに記憶されていたものを「京」に加えているはず)を駆使して書いたブログであり、当然、ヤハウェ系(人間)たちをダマすために綿密(めんみつ)に計算されて書かれています。それで、,と、わたしなりに、彼らアングロサクソ脳族の歴史改ざんを暴いてみたのですが、まだ、もう一つ残っていました。

それは、「2月11日、窮問使が長屋王邸に乗り込む」のところですが、藤原武智麻呂(?舎人親王かも?)が厳しい目を向け長屋王に向けて聞いたとあるところのくだりです。
「親王どのは2日前、元興寺の大法会で沙弥(しゃみ、在家の仏教信仰者)を笏(しゃく)で打たれましたかな?」 と聞かれ、「ああ、その日は吾が大法会の司となり、衆僧に食事を供える役目を担っていた。食事の準備の様子を見ようと配膳所に行くと、見苦しい姿の沙弥が施しを受けていた。それで、その場を立ち去るように叱責して手にした笏で頭を打った。打ち所が悪かったのか、頭が切れて血が噴き出し、沙弥は恨めしげに涙を流しながらその場を立ち去った。それがどうかしたというのか?」 と長屋王は答えたというものです。これはまったくのでっち上げの大ウソです。

ご存知のように、S字型のバール* のようなもので人の頭を殴るのはアングロサクソ脳族の支配方法の特徴であり、このS字型(これはヘビの形をも表している)は南アラビアの「サバ王国」の王族たちの手紙にも"王家の紋章"として用いられていたとのことでした。(ニコラス・クラップ著『シバの女王』より)

* バール(工具)
バール(工具)
バール(工具) 画像集


また、下のツタンカーメン展のサイトを見ても分かるように、エジプトのアングロサクソ脳族系ファラオであった「ツタンカーメン」や「クレオパトラ」たちがファラオ=王の象徴として両手に持っていた杖(上部がヘビの頭のようなS字形の棒)と殻竿(タコの脚のようなムチ?)は、彼らの出自と暴力による支配方法を表しているような気がします。

ツタンカーメン展 東京会場

からざお(殻竿)の意味 - goo辞書
脱穀の道具とありますが、それならもっと大きな底に網の張ってある木箱のようなものを使っていたような気がします。わたしが幼児の頃に祖母ノヨがそのような道具を使って精米をしているのを見たことがあります。

つまり、上のブログ(β)では長屋王が托鉢(たくはつ)**している僧侶の頭をシャクで叩くなどという野蛮な行為をしたと大ウソを書いて、長屋王の人格を貶(おとし)めているのです。仏教信仰を盛んにした聖武天皇の時代において、このような罰当たりな行為をしたことにして長屋王に不利な状況をまず最初に演出しているのです。

** 托鉢(たくはつ)とは:永平寺歳時記HPより
托鉢

彼らアングロサクソ脳族たちは徹底してヤハウェ王族の悪口をよく捏造(ねつぞう)して喧伝(けんでん)***します。ヤハウェ王族が死んでからもなお盛んに悪い噂をバラまきます!!

*** けんでん(喧伝)の意味 - goo辞書

わたしの父が亡くなった後にも、母に県の土木課に勤務していた父が賄賂をもらったような話をした人がいたと母がボソッと言ったことがありました。でも、父は「わしは賄賂なんか絶対にもらわん!」とわたしたちに言っていましたし、あの父のような性格では実際そうだったろうと思います。しかし、アングロサクソ脳族たちは死人に口なしをよいことに、勝手に捏造して悪口を言って広めていたのです。また、2011年夏に母が危篤状態で島根に帰省した折に、老人ホームから病院に入院していた母は、もうダメだろうということで偽姉(次女)・谷本由香子=いしだあゆみ=新生ヴィーナス=梶美奈子(小境一機など他にもたくさんの家庭も持っていた)の谷本家にその数週間前から世話になっていたのですが、由香子姉(その時はまだ実の姉だと思っていました)のところに京都の高松伸ちゃんから電話があり、電話を終えると姉が「伸ちゃんが『おばさんには、わし、よう叱られたけな〜』って言っとんなったわ。」と言うので、わたしが「え〜、そんな〜 お母さんが、伸ちゃんなんか叱ってるのわたし一度も見たことないよ!」とちょっと怒って言うと、由香子姉は「わたしなんか他人に何言われようが、世間の評判なんて全然気にしないよ!」と慌てたように大きな声でやり返すように言ってました。しかし、姉はウソをついていたのです!何よりも、評判を気にしているのはアングロサクソ脳族たちの方なのです。そして、世間の評判というものを自分たちに都合よく上手に作り出し、大衆をダマして上手く操作してきたのはアングロサクソ脳族たちであり、そういったウワサとか評判の功罪を一番熟知して利用しているのもアングロサクソ脳族たちなのです!

初期ローマがローマ人と同族のエトルリアのヤハウェ王族王のスキャンダルを捏造されてサビニ王に政権を奪われたのもしかり、マリー・アントワネットのでっち上げられた噂などによるフランス革命もしかり(実はアングロサクソ脳族たちのブルボン朝の王族・貴族たちの贅沢な生活のため)、ロシア革命が人民のための革命だなんていうプロパガンダも大ウソだったし、中国文化革命も人民のための革命ではないし。。。その他もろもろ。。。数えきれないくらいの残虐な戦争やクーデターや革命はこのようにしてアングロサクソ脳族の大ウソと残虐な殺害行為などにより太古の昔から行われてきたのです。

島根からの帰省後、わたしはさらに気がつきました!彼らアングロサクソ脳族たちがヤハウェ王族たちに関して生前はもちろん、ヤハウェ王族たちの死後には死人に口なしなのをいいことに、必ず、前にも増して悪い噂を捏造し喧伝する習性があるということに。ロムルスとレムスの双子の兄弟同士の争いやオオカミに育てられたことなどを描いたローマ建国神話(捏造歴史)もそうですし、GHQのマッカーサー将軍や、吉備国(岡山)の王「温羅」や桓武天皇などヤハウェ王族=蘇我氏や蝦夷(えみし)や熊襲(くまそ)の王族などに関してもそうですし、数えきれないほどの卑劣な大ウソを喧伝してアングロサクソ脳族捏造歴史を創ってきたのです。

また、最近では、以前、わたしがラジオのニッポン放送の「ザ・ボイスそこまで言うか!」を紹介したのですが、その中でも、木曜のコメンテーター青山重晴氏(ヤハウェ王族)に放送中に「わたし青山重晴"博士" は。。。」とわざと博士をつけて言わせているのは「シバの女王」&アルバート公です!これまでで、3回ほど青山氏が自分の名前に博士を付けて言われたのを聞きいて、2回目まではどうしてだろうと不思議に思って聞いていましたが、実際、青山氏は自分を偉く言うような方ではないと分かっているので。。。3回目でやっと謎が解けました!以前から、わたしがラジオのいろいろな放送を聞いていると、なにやら、急にセクシーな曲ばかりかかるようになったり、ラジオのパーソナリティーがなんだか変なことを言い始めたりするのは気がついていましたが、まさか、このような番組でも、そのような脅しのメールが入っているとは知りませんでした。要するに、いろいろとアングロサクソ脳族たちに都合の悪いことを話している青山氏の信用を落とすために、わざとこのようなことをさせているのです。青山氏もラジオ局が爆破するとかなんとか脅迫メールを送られては身もふたもなく、「シバの女王」たちに従っているところも少々あるようです。例えば、原発最稼働賛成と青山氏が主張しているのも仕方なくそう言っているのだろうと思われます。もちろん、他の政治・経済などに関する専門家たちのコメントもそういうところが多少あるのは、現状では致し方ないようです。
??????

(2014.09.05 7:50 p.m. 記述)


につづく)
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by Ulala-lov | 2014-09-02 19:12 | 古代日本朝廷 | Comments(0)

2014−09−01

大変済みませんが、この記事はまだ書きかけです。


推古天皇と聖徳太子

つまり、系図は改ざんされていて、推古天皇の時に、厩戸皇子(ジョゼッペ)たちはクーデターで政権を乗っ取っていたようです。


蘇我小姉君は、父は蘇我稲目ですが、母が不明となっており、おそらくヤマト朝廷の血流の女性でアングロサクソ脳族でしょう。従って、その子供たち、「穴穂部間人皇女」(聖徳太子の母)もアングロサクソ脳族です。そのため、蘇我氏の母と父から生まれた推古天皇(=額田部皇女:額田大王の祖先?)や、その子供の武田皇子に比べて聖徳太子の皇位継承順位は劣っているはずです。

皇室の系図 古墳時代〜飛鳥時代

26継体(東北出身のヤハウェ王族)ー<ウソ!27安閉(アングロサクソ脳族)ーウソ!28宣化(アングロサクソ脳族*)>ー(29)27欽明(きんめい、継体天皇の皇子)ー(28)30敏達(父が継体、母の石比売はアングロサクソ脳族)ー(29)31用明(母は蘇我の稲目の娘「堅塩媛」** きたしひめ)ー(30)32崇峻(母は蘇我小姉君で、父は欽明)アングロサクソ脳族)ー(31)33推古天皇(すいこ=炊屋姫=女帝:両親とも蘇我氏の直系)ー32舒明(じょめい、田村皇子ヤハウェ王族:蘇我入鹿では?)ー皇極(シバの女王)ー孝徳天皇***ー蘇我石川麻呂の娘を妃にした)ー斉明(シバの女王)ー天智

* 宣化天皇陵
最上部の写真の下の説明に「・・・明治政府が二帝は即位したと判断したようである。」とあります。宣化帝の皇后は橘仲皇女(たちばなのなかつひめ:仁賢天皇の皇女)とあり、アングロサクソ脳族でアイゼンベルグ系です。したがって、石比売もアイゼンベルグ系です!その石比売と継体天皇との皇子が28代の敏達天皇です!

宣化大連?は、大伴金村(かなむら)と物部鹿火(あらかい)たち下臣とともに、クーデターを起すために筑紫国那津の官家(みやけ)* に各地から食料を移送して、非常時に備えた。

**筑紫国(ちくしのくに)・那津官家(なのつのみやけ)=福岡市博多区比恵

九州を統括した「太宰府」(だざいふ)の前身ともいわれているとか。新聞に食料と軍事の拠点と書かれています。当時、河内、伊勢、伊賀、尾張などの各地の所領から博多に食料を運ばせここに運ばせていたとか。

つまり、朝鮮半島に進軍したり(新羅が百済などの人々に圧政を行っていたのではなく、事実は逆です。)ヤハウェ朝廷への侵略戦争をしたりするための準備拠点だったようです。

新聞には比恵(ひえ)遺跡は6世紀の大倉庫群跡とも書かれています。

** 蘇我堅塩媛

堅塩媛も、弟の馬子も母親はヤハウェ系だったことは確かなようです。

*** 孝徳天皇(こうとく

蘇我入鹿の暗殺劇〜孝徳天皇・首謀説

蘇我入鹿は大王だったらしいですし〜(謀略に謀略を重ねた蝦夷・入鹿親子というのはウソ!シバの女王たちのほうです!)、蘇我氏一族を皆殺しにしたのは、軽皇子(後の孝徳天皇)の首謀ではなく、軽皇子は皇極(シバの女王)や中臣鎌足(ジョゼッペ)に利用されただけです。真の首謀者は、皇極と鎌足です!!!

『竹田皇子』 万葉人物伝

↑このサイトの最下部にある天皇系図が真実のようです。

ヤハウェ系のプレ王朝はヤマト王朝に乗っ取られていましたが、おそらく、渡来した同じヤハウェ系の蘇我氏の働きにより第26代の「継体天皇」(ヤハウェ王族=蘇我稲目?)により、元のヤハウェ王朝に戻っていました。しかし、おそらく、第32代の崇峻天皇は、その母「小姉君」がアングロサクソ脳族であり、崇峻天皇の時代にアングロサクソ脳族の策略によるクーデターが起きたけれどもヤハウェ王族たちに鎮圧されたようです。

しかし、推古天皇(女帝)の時に、厩戸皇子(聖徳太子)がまたまたクーデターを起こし成功。またまた、ヤマト朝廷が復活したようです。そのため、稲目たちなどの蘇我氏の男性・皇子(竹田皇子なども)は殺害され、、実権は聖徳太子(=ジョゼッペのクローン:厩戸皇子ってキリストの成りすましですかね?)が握っていたということでしょう。

ところが、間もなく、蘇我蝦夷・入鹿たちを中心とした蘇我氏が、また、聖徳太子たちアングロサクソ脳族との戦いに勝ち、ヤハウェ朝廷を取り戻したので、推古天皇の次には舒明天皇(=蘇我入鹿)が天皇になっていたと思われます。それで、また、645年に皇極、中臣鎌足、中大兄皇子、県犬養大連(アイゼンベルグ)たちを中心としたアングロサクソ脳族たちが「乙巳の変」のクーデターを起して、またまたまた(これで三度目)ヤマト朝廷に代わったということのようです!
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by Ulala-lov | 2014-09-01 22:04 | 古代日本朝廷 | Comments(0)

2014−08−28


<< 藤原北家 >>

藤原氏北家 - 房前の子孫

「北家」嫡流
(↓水色がヤハウェ王族、紺色(オレンジも)はアングロサクソ脳族)

始祖=房前(ふささき)真楯(またて)→内麻呂(うちまろ)→冬嗣(ふゆつぐ)→良房(よしふさ)→養子・基経(もとつね)

< 藤原冬嗣 >

藤原冬嗣(ふゆつぐ、775~826)ウィキペディア -「 北家」の始祖・房前の次男

冬嗣の妻「美都子」(嵯峨・淳和料天皇に仕えた女官)については、前日の記事光仁天皇・桓武天皇〜陽成天皇までの天皇 2の淳和天皇の末尾で説明しています。

◎◎◎ 藤原冬嗣と美都子の子供たち◎◎◎

◎ 長男 - 藤原長良

藤原長良(ながら、802~856) 

平安時代前期の公卿。陽成天皇の外祖父。

(→ 長良の子供はたくさんいるので有名な者だけ説明します)


■ 藤原基経

藤原基経(もとつね、836~891)  
・母は藤原乙春 - 藤原総継ふさつぐの娘 
藤原乙春(おとはる)

★★★ 基経は叔父・藤原良房*(冬嗣の次男)の養子となって「北家」を継いでいきます。
*詳しくは続編ので説明します。


■藤原高子

藤原高子(たかこ、842~910) 
・母は藤原乙春
・清和天皇女御、陽成天皇生母 ★★★

■ 藤原淑子

藤原淑子(しゅくし、よしこ 
・母は難波渕子?アングロサクソ脳族みたい。
「藤原氏宗」**の 室。

宇多天皇の養母。
尚侍(ないしのかみ/しょうじ)(藤原薬子と平城天皇との話はでっち上げの大ウソ!)

** 藤原氏宗(うじむね) 〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜 

藤原氏宗(うじむね、810~872、藤原北家)

父:藤原葛野麻呂(かどのまろ、755~818、藤原北家) *

房前 - 長男「鳥養」- 長男「小黒麻呂」- 長男「葛原野麻呂」 - 10男「氏宗」

母:和気清麻呂(わけ の きよまろ、733~799)(ヤハウェ王族)の娘(しか〜し、その生母不明となっています〜アングロサクソ脳族?)


* 葛野麻呂
### 葛野麻呂の父は藤原小黒麻呂で、その父は藤原鳥養(藤原房前の長男)でした。
藤原小黒麻呂(こぐろまろ、733~794) 
藤原小黒麻呂 ウィキ

### 葛野麻呂の母は大伴道足***の娘です。


***< 大伴氏 >
大伴氏の歴史 概略

浮かぶ橘〜県犬養三千代の出世物語:今日は何の日?徒然日記・・・A

橘=犬養=アイゼンベルグ=スメラ系ということです!そして、犬養三千代の伯父らしいのが県犬養大伴(天武天皇に仕え、「壬申の変」(じんしんのへん、「壬申の乱」というのはアングロサクソ脳族側による公平性を欠いた名称!)で天武天皇側に味方し、天武朝では県犬養氏の出世頭となったとあります。

★★★大伴氏(=大友氏)は古来からのアングロサクソ脳族系です!!!

大友、大伴二つの「おおとも」氏:近江歴史回廊倶楽部

壬申の乱* では、大伴長徳、馬来田、吹負の三兄弟などの大伴軍が大海人皇子(天武天皇)に従ったようです。(しかし、下のブログを見ると、彼らは予期していなかった協力者だったのではないかと思われます。)
* 学習「壬申の乱」

天武天皇の「壬申の変」(じんしんのへん)の際には、大友皇子(=大伴皇子)を養育していたにもかかわらず、大海人皇子側に味方し、大友皇子側の軍勢と戦い大友皇子を討伐した。おそらく、大海人皇子の長男「高市王子」(母は宗像氏のアングロサクソ脳族・ジョゼッペ系)が父・大海人皇子に味方して戦っていたためのようです。ところが、高市王子の息子である長屋王の母親はヤハウェ王族であり『長屋王の変』で皆殺しにされたのです!これには犬養広刀自の娘(アイゼンベルグ系チビタコ女王)が関わっていたと推察されます。ジョゼッペは自分が元人間だったこともあり、自分の子孫とヤハウェ王族の娘との子孫を天皇、あるいは政権の中枢部で働かせたいという気持ちが強いようですが、ジョゼッペの女性形の『シバの女王』、ジョゼッペとアイゼンベルグの混血種の『新生ヴィーナス』やアイゼンベルグ系(男性形、女性形とも)はそれをさせたくないらしく、それに関してはアングロサクソ脳族内でも対立があるようです。象二郎(新生ヴィーナスの男性形)は、どちらかといえばジョゼッペに味方のようですが、双方の中間にあって微妙な立場のようです。


〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜


■ 藤原有子(?~ 866)「平高棟」**** 室、「平惟範」**母。

****< 平高棟 >

平高棟(たいらのたかむね、804~867)

父:葛原親王(かずらわらしんのう、786〜853)  (孫が「平高望」)
桓武天皇の第三皇子。 ★ 桓武平氏の祖*****

(桓武平氏に関する詳しい説明は後日の記事にします。)

母:桓武天皇夫人「多治比真宗(たじひ の まむね)」(多治比長野の娘)

正室:藤原有子(藤原長良の長女)

多治比長野
多治比嶋(訂正:アングロサクソ脳族)

★★★★★ なので、もともと平氏はアングロサクソ脳族系だったということ。。。?

「長屋王の変」では藤原四家についたとか。(藤原四家ではなく、聖武天皇妃「犬養広刀自」の側についたということでしょう。ただし、「京家」の祖「麻呂」はアングロサクソ脳族なので?)


<長屋王の変>

長屋王

[長屋王の血縁]
### 父:天武天皇の長男「高市皇子」。高市皇子の母は宗像徳前***の娘「尼子娘」(アングロサクソ脳族、『シバの女王』?)

### 母:(みなべのひめみこ、660?~ ?)
・・・その父は天智天皇
・・・その母は蘇我石川麻呂の娘姪娘(これも蔑称のような)。蘇我氏(ヤハウェ王族)。

### 同母妹:安倍皇女=第43代天皇・女帝
元明天皇(げんめいてんのう、661~721、在位707~715)

*** 宗形徳善(むなかた とくぜん、福岡宗像地方の豪族)

宗像氏
六岳(嶽)神社/鞍手郡鞍手町室木ーふるさと紀行
(一番下のあたりに宗像氏についての説明があります。やはり、藤原鎌足(ジョゼッペ)につながるアングロサクソ脳族一族のようです。)

宗像氏

長屋王の変 l 日本の歴史・・・(α)

讒言(ざんげん)とは - コトバンク

不比等の娘・宮子(文武天皇の妃)

藤原宮子

さとしの髪長姫伝説検証 その1~藤原宮子の「病」は何だった?

宮子もアングロサクソン脳族のようです。タコ系=アイゼンベルグ系には髪の生えない人が結構多いようです。また、生えている人たちも若ハゲが多かったりするようです。なので、この宮子の母親はアングロサクソ脳族女性のようです。

額田大王(=持統天皇、蘇我氏の娘であり、天智天皇の娘ではありません!)と天智天皇の子である藤原不比人と、その正室の蘇我媼子の息子たちのうち「南家」祖・武智麻呂、「北家」祖・房前、「式家」祖・宇合の3人はヤハウェ王族系であり、「京家」祖・麻呂はアングロサクソ脳族系のようです。


★★★ なので、藤原宮子の子「聖武天皇」はアングロサクソ脳族系です。

安積親王(あさかしんのう、728~744)→朝香宮鳩彦親王??と関係ありそうな。。。

聖武天皇の第二皇子、母は県犬養広刀自

??朝香宮
久邇宮朝彦親王(くにのみや あさひこしんのう、1824~1891)(=薩摩の西郷家?)の8男「鳩彦王」が創設
朝香宮鳩彦王(あさかのみや やすひこおう、1887~1981) 
(後日の記事:朝香宮鳩彦親王と石原伸晃環境大臣がなぜか似ています〜!で詳しく説明しています。)


阿倍内親王=孝謙天皇(こうけんてんのう、718~770、在位749~758 女帝)

聖武天皇と光明子(後の光明皇后)の皇女
#女帝は男子の皇太子がいない時に中継ぎとして即位する場合が多いようです。


につづく)
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by Ulala-lov | 2014-08-28 20:00 | 古代日本朝廷 | Comments(1)

卑弥呼~むらからくにへ あらすじ l 歴史にドキリ l NHK for School

卑弥呼~むらからくにへ 動画


聖徳太子~新しい国づくり~  あらすじ

聖徳太子~新しい国づくり~ 動画


・推古天皇は蘇我馬子だったということです!
・天皇中心の新しい国家を目指すために、摂政となり「冠位十二階」(能力主義の官僚制度)を定めたり、「十七条の憲法」(道徳的な決まり)を定めた。(中央集権国家を目指していた)
・聖徳太子が官僚に受容していた、あの2つの角が付いた帽子はイェハ=の角です!!!
・無料の病院、薬局、救済施設を創った。
・遣隋使として小野妹子らを派遣した。

中大兄皇子・中臣鎌足~大化の改新・天皇中心の国づくり~ あらすじ

中大兄皇子・中臣鎌足~大化の改新・天皇中心の国づくり~ 動画

・中大兄皇子が皇子だったというのは、蘇我入鹿大王の側室「皇極」の息子だったためです。
・日本の土地や人々をすべて天皇の配下に置いた中央集権国家にした。
・豪族は貴族になって、天皇の下で働いたり、地方に役人として派遣されたりした。
・新しい税の制度を定めた。租(そ)は稲の収穫高の3%を納める、調(ちょう)は織物や地方の特産物を納める、庸(よう)は使役か布を納めるかした。さらに、中国・朝鮮半島からの攻撃に備え、兵として九州北部や都の警備をする役目もあった。



<743年頃>
聖武天皇・行基~大仏はなぜ作られたか~ あらすじ

聖武天皇・行基~大仏はなぜ作られたか~ 動画

地震、日照り(干ばつ)、天然痘の流行など次々に災いが起きた。聖武天皇は仏教にすがった。そして、不安定な世に救いを求めるため東大寺に大仏を創ることを決心した。(仏教を国中に普及させるためにアングロサクソ脳族たちが計画した策略だったような。。。要するに、人々を思いどおりに動かすマインドコントロールの道具が仏教(=アングロサクソ脳族に修正された仏教=密教)だったのでしょう!)そこで、貧しい人々を助けて民の信頼が厚かった行基(ぎょうき、アングロサクソ脳族)という僧侶に協力を依頼した。

聖武天皇(しょうむ、701~56、在位724~49)

<皇后>
藤原宮子(みやこ/ぐうし、?~ 754)
父:藤原不比人(その長女)
母:賀茂比売(かもひめ)多分、アングロサクソ脳族。

<夫人>
県犬養広刀自


鑑真~仏教の発展~ 画像

・大化の改新後に無税の特典のある僧侶になるものが続出したため仏教界は乱れた。そこで、アングロサクソ脳族・奈良朝廷が唐から正しい仏教を教える僧侶を招聘することを決断した。ヤハウェ系の『唐』が鑑真の出航を許可しなかったのは、彼が怪しい僧であると知っていたからでしょう。
・759年、唐招提寺を都(奈良)に開く。鑑真が伝えた「戒律」で日本の仏教は発展した。
・正倉院の宝物を見ると、当時の日本には唐やシルクロードを通じてアジア・ヨーロッパなど世界とつながっていた。

奈良旅 ~鑑真和上坐像公開!~Sunny Rainy and * Happy

長頭人間、耳が眉より上にある。口の下のアゴが長くて、アゴの先がやや尖っていてやや突き出ている。鼻先がやや下に垂れていて、おそらく、スティック鼻。眉が八の字。

桓武天皇~平安京の誕生と人々のくらし~ あらすじ

桓武天皇~平安京の誕生と人々のくらし~ 動画


<1016年頃>
藤原道長~貴族の政治とくらし~ あらすじ

藤原道長~貴族の政治とくらし~ 動画

天皇を中心におき貴族が政治を行った。道長の顔は八の字眉で目が細くてアングロサクソ脳族の顔です。
藤原道長→頼通(よりみち)も摂関政治を行う。
貴族の中で藤原道長が貴族同士の戦いに勝ち、天皇に自分の娘を嫁がせて権力を握り、天皇の代わりに政治を行う摂関政治を始めた。
・葵祭は、当時の貴族の様子を表している。
京都御所には貴族の仕事を記した書物がある。ひな祭り(子供の病気をはらうために川に人形を流す)、すもう(五穀豊穣を祈る)など現代に伝わるものなどもあった。
・貴族は儀式や行事を行うのが仕事だった。(年間200以上)要するに、政治を行うというより、遊んでいたようですネ?!

<1008年頃>
紫式部・清少納言~国風文化の誕生~ あらすじ

紫式部・清少納言~国風文化の誕生~ 動画

・平安時代に「かな文字」が誕生した。
・「ひらがな」の発達で紫式部の「源氏物語」などが誕生した。
・貴族のくらしから日本風の文化が生まれた。

貴族が儀式の時に束帯を着ましたが、その時に頭に被った黒い冠(=帽子)は蛇の形です!十二単衣などという面倒くさくて、重くて、お金のかかる衣装を考え出したアングロサクソ脳族女性の頭はどうなっているのかな???

<1159年>
平清盛~武士の世の中へ~ あらすじ

平清盛~武士の世の中へ~ 動画

平清盛の顔はアングロサクソ脳族の顔です。わたしの偽・姉「郁子」の夫・山根光男(元愛知県警の外事課=公安の警視=ジョゼッペ)の母親や弟の顔に似ています。石川の偽・伯母さんにも似ています。
・当時の武士の身分は低かったが、清盛率いる平氏が「平治の乱」に勝つと、清盛は太政大臣に任じられ武士と貴族の頂点に立った。
・神戸港を改修し、中国の「宋」との貿易に乗り出して平氏の収入源とした。
・宋銭が入ってきて、日本に初めて貨幣経済がもたされた。
・平氏は武士のためではなく、自分の一族のために政治を行っている。

<1185年頃>
源義経~源平の戦い~ あらすじ

源義経~源平の戦い~ 動画

・1185年、源氏は壇ノ浦の戦いで平氏を倒した。

<1192年頃>

源頼朝~ご恩と奉公~ あらすじ

源頼朝~ご恩と奉公~ 動画


・源義経(ジョゼッペ)は兄・源頼朝(象二郎)と共に平氏打倒を目指した。
・源頼朝は味方してくれたら領地の支配権を与えるといって関東の武士達に呼びかけ兵力を集めた。
御家人(武士)は頼朝からご恩(土地の支配権)をもらい、頼朝への「ご奉公」(武力)を約束した。

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北条政子~ご恩と奉公を受け継ぐ~ あらすじ

北条政子~ご恩と奉公を受け継ぐ~ 動画

・北条政子は「ご恩と奉公」で御家人を団結させ「承久の乱」に勝った。
・御成敗式目などで武士の世の土台が固まった。

<1281年 2回目の元の敗走>
北条時宗~元との戦い~ あらすじ

北条時宗~元との戦い~ 動画

・北条時宗が鎌倉幕府の執権だった時に、元寇(げんこう)が長崎沖に日本を侵略しようとやって来た。
・元の集団戦法と爆弾が、幕府軍の武士を苦しめた。
・武士の活躍と嵐が元の軍隊を退けた。(嵐で元の船は沈んだ)
・ご恩を期待していた武士たちは、領地不足のためほうびの土地がもらえず不満をかかえるようになり、鎌倉幕府の権威は衰えていった。

<1397年 義満の号令で金閣作る>
足利義満・義政~室町文化の発展~ あらすじ

足利義満・義政~室町文化の発展~ 動画

・足利義満が建てた金閣を中心に華やかな室町文化が栄えた。
・足利義政が銀閣を建てたころ、日本独自の建築様式が完成した。
・義政の時代に生け花や水墨画などの室町文化が生まれた。


<1486年 雪舟が「四季山水図鑑」を完成させた年> 必死でやろう、長い巻物!

雪舟・世阿弥~室町の文化と芸能~ 動画

・雪舟は岡山県総社市に生まれる。
・寺で修行をしていた。
・京都の禅宗のお寺で水墨がの修行をしていた。
・遣明船で中国に渡り、3年の間、中国で本場の水墨画を学び、その修行にも励む。
・雪舟は日本の風景や四季を描き、日本独自の水墨画を極めた。
・義満の時代に世阿弥(ぜあみ)によって能は大成され、独自の世界観がつくり出された。


<1561年 川中島の戦い・4回目> 人混む戦

武田信玄・上杉謙信~戦国の争乱~ あらすじ

武田信玄・上杉謙信~戦国の争乱~ 画像
・武田信玄は北条氏に塩の流入を止められていた。しかし、越後の上杉謙信は信玄に敵であっても塩を売ってやっていた。
・武田信玄は信濃も制圧していた。信濃北部の領土をめぐって越後の上杉謙信と戦ったのが5回にわたる川中島の戦いだった。信玄と謙信は戦国大名の象徴的存在だった。
(でも、信長、秀吉、家康の三人のほうがもっと有名ですぅ〜!)
・信玄堤を造って洪水を防ぎ、年貢米の確実な収入を確保し国内の経営を安定させた。
・上杉謙信は青苧(あおそ)という植物を育て、その糸で織った布製品を全国に売って富を得た。
・戦国大名たちは戦(いくさ)だけでなく領国の経営に力を入れた。(築城・城下町づくり)
・分国法という領国独自の決まりを定め、武士や領民を取り締まった。
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by Ulala-lov | 2014-07-30 14:22 | 古代日本朝廷 | Comments(0)

2011−05−10

(1)のつづきです。

<スサノオノミコト>

スサノオノミコトのヤマタノオロチ退治 (古事記より)

前半のワルワルの偽スサノオは象二郎=牛頭王で、後半のヤマタノオロチ(八匹のヘビが身体から出ているモンスター=タコ・ヘビ系の生物学的人造ロボット)から奇稲田姫を助けたのは本物のスサノオ(ヤハウェ王族セム系の蘇我氏)です。

日御碕神社

フツ(アイゼンベルグ)とフツシ(象二郎)親子が扶余(プヨ=「コウモリ+カエル」の一般兵士たち)族軍団を引き連れて朝鮮半島から渡来した場所が日御碕です。

神武天皇(磐余彦イワレヒコ)は、スサノオと日向の現地妻向津姫(=日向王イザナギの娘)との間にできた命(みこと、王子)の末子で、スサノオの孫)の生存期は、B.C.107~45年頃らしいです。イワレヒコは、B.C.60年、48歳の年に九州から東遷して神武天皇として即位したと考えられるとのことです。

そして、偽スサノオの在世期間は、B.C.188年頃に生まれ、B.C.124年頃、65歳くらいで亡くなったとみられるそうです。

スサノオの活躍と建国の偉業

となると、偽スサノオの母方の祖先は、B.C.2C頃に日本にやってきたペルシャからインドを経て海から百済を経てやってきていた新生ヴィーナスたちアングロサクソン王族の子孫ではないでしょうか? 百済にいた時に、偽スサノオの母親は、モンゴル系ツングース系古朝鮮民族*の「布都」(=沸流百済の王、高句麗の始祖朱蒙の正妻の双子の連れ子のひとり)と結婚して向津姫を生んだ後で、離婚し、その母親がまた布都の弟(温祚百済の王)と結婚して偽スサノオを生んだということですかね?

その後、布都は、偽スサノオを養子にし、一族(向津姫)を連れて、日本にやって来て、出雲の地から入って来て、しばらく定住していたみたいです。この時に、偽スサノオが "ヤマタノオロチ退治をして" (→本当は奈良の飛鳥朝廷の王族だった蘇我氏を滅ぼして)クシナダ姫を娶ったのですね。しかし、その後しばらくすると、布都は、九州の日向(ひゅうが=宮崎)の北部の「高千穂」に入っていったということです。 向津姫 は、偽スサノオの異父姉にあたるようです。(後に結婚していますが、当時は、近親結婚が今ほど禁止されていなかったみたい) そして、偽スサノオは、出雲を統一し、その後、九州も平定しようとしましたが、布都とも戦うことになってしまい、布都は四国の淡路島方面に移住して行ったもよう。


* モンゴル系ツングース系古朝鮮国の民族(サクソン軍団)
メソポタミアから北回りで、日本に最初にやって来たセム系シュメール人(ヤハウェ系:日本では蘇我氏)の集団と同じようなルートを経て、メソポタミア〜中央アジア〜モンゴルを経て、朝鮮半島に留まって王朝を築いたサクソン王族たちもいたと考えられます。それで、モンゴル系やツングース系民族との混血が多いのではないでしょうか? しかし、B.C.10C頃、前漢の武帝*の侵略により、古朝鮮国(=当時は、衛氏朝鮮)は滅亡したとあります。その後、チュモンが高句麗を建国したのですが、後継者として、側室の子で、末子の瑠璃王を皇太子としたことに兄たち布都(アイゼンベルグ本人?=クローン子孫?)が反発、沸流百済と温祚百済を建国します。しかし、中国にも、朝鮮半島にも、15〜10頃には、すでに、アングロサクソン系騎馬軍団が多数侵入していて、先住民族とある程度混血しているはずです。それが、プヨ(ツングース系アングロサクソン)とか、鮮卑族(=隋、多分、アングロサクソン系)、女真族(女神族?=金、清=ツングース系アングロサクソン系王朝)とか、その他もろもろの種族なのでしょう。

*武帝(前漢) ウィキペディア
(耳や顔の感じを見ても、アングロサクソン系です。B.C.156~87年、祖母の皇太后『孝文皇后』がおそらくアングロサクソン系(秦王族の末裔?)の人で、すでに、前漢中期にはアングロサクソン系の影響力がかなり強かったもよう)

朱蒙(チュモン)
朱蒙(テレビドラマ)

中国には「純粋な漢民族」は存在しない!DNAで明らかに〜2010/02/08 [サーチナ]

周を起源とする漢民族は、もはやほとんど存在していないとのことです。つまり、殷(イン)を引き継ぐ民族(アングロサクソン民族と混血したチペットとか、モンゴル、ツングース民族がどんどん中国に侵入していったからでしょう。そして、シュメール系(=ヤハウェ系のことです)のそれらの民族は殺されたり、逃げていったりしたのでしょう。上のテレビドラマ朱蒙(チュモン)にも、「衛氏朝鮮」という国には、プヨの王も共存していたようです。

宮崎県延岡市の地図(徐福たちの一団が船でたどり着いた場所のひとつ。)

高千穂の概要〜町の紹介・歴史 l高千穂町
高千穂町
(歴史の神話時代のところを見てください)

高千穂町の歴史
(4000年前から集落があったということです)

布都がイザナギノミコトで、その娘の向津姫があの有名な天照大神(アマテラスノミコト)=大日巫女尊(オオヒミコノミコト)=卑弥子(日霊女ヒミコ)で、偽スサノオと結婚したということですね。そして、ヒミコの息子(ヒミコの息子だが偽スサノオの息子ではない。おそらく、父親はプヨ人=アングロサクソン系王族)の末息子が「熊野楠日命」(クマノクスヒノミコト)で、南薩摩の豊玉彦(アングロサクソン系王族で、その地の豪族)の娘「玉依姫」(たまよりひめ)と結婚し、イワレヒコ(神武天皇)を生んだということみたいです。

玉依姫

豊玉姫(玉依姫の姉で、南薩摩の豊玉彦の娘)

ワタツミ

私の「大国主」考
(ここで語られている大国主命は、偽大主命のことです。白兎を助けたり、国引きをした本物の大国主=大黒様とは違うようです。サクソン王族はいつも歴史を真実とウソを混ぜ合わせてカオス(混沌)状態に捏造(ねつぞう)し、真実を分らないようにしてしまっているのです。)

な、なんと〜! 大国主命の息子たち(異母兄弟同士)の相続争いだったのですね!! 

’出雲’の「武御名方尊」*(タケミナカタノミコト)と、’日向’の「事代主尊」**(コトシロヌシノミコト)との!

(けれども、出雲の武御名方尊は正妻の子供であり、日向の事代主尊は側室というか妾の子供であるわけですし、しかも、「大国主命」自体が出雲族の家系に " 婿入り" した身なのですから、本来は出雲族の家系である武御名方尊が出雲族の家系を継ぐのは当然なのですが。。。ところが、そこが「勝てば官軍」というところなのでしょう。すでに、卑弥呼やニニギやニギハヤヒやイワレヒコたち九州統一サクソン軍団は、出雲地方を征服し、吉備国も征服し、奈良の飛鳥朝廷(プレ大和朝廷)も征服していたわけですから、やりたい放題だったわけです。当然、形だけ出雲族と平和的に国譲りしたかに見えるような形だけの縁組みをし、実際はすべての領地領民を乗っ取っていったわけです。

*出雲・大和一族系図

** 日向一族系図

ニギハヤヒとナガスネヒコ
(ナガスネヒコの弓の先に止まった金鶏(きんけい)とは、八咫烏(クロカモ軍団)の頂点にいる『三金鶏』のことです。サクソン勢が戦いが不利になった時の最後に現れて勝利に導くといわれる薄茶色のココウモリココウモリ*を象徴していて、すなわち、ココウモリ族のヴァンパイアのことです。反響定位=エコーロケーションにより物体の位置を全方位から把握することができるので、高度なレーダーを脳に備えているようなものです。なので、戦闘の際には敵の位置を素早く全方位から(頭の後方向からも)とらえることができるわけで、非常に有利な能力なのです。なので、1/4とか1/2人間である生物学的人造ロボットであるココウモリ族系の金鶏たちは、非常に素早く動き、また羽根はなくとも非常に高くジャンプすることができるようです。そういう性質をもつためか、視覚はあまり発達していないとのことです。(だから、幼児の頃からメガネをかけているのでしょう)

ああ、それで、以前見かけた大谷チビタコ女性も眼鏡をかけていましたし、わたしの幼なじみの隅田洋子ちゃんの娘さんがダウン症で視力が弱く幼児の頃から眼鏡をかけていましたし、サクソン王族と思われる人々に眼鏡やコンタクトの人が多いのはそのせいだったのですね!わたしも中学3年から眼鏡をかけていますが、わたしの場合は小学校低学年の頃には視力1.5ありましたが、サタニストたちがわたしの視力が悪くなるように何か仕掛けたようです。隅田さんの家でちょこっと食べた「おやつ」や「軽食」などに(あまりごちそうになったことはないのですが、ごくごくたまにはありました)そういった毒物がいれられていたのかも?それから、父親がタバコ好きで、それもかなり強いタバコを吸っていたのでその間接喫煙のせいもあったかもしれません。わたしがイギリスに行っていた間に父親が急にパーキンソン病になったのも、サタニストたちがタバコ屋さん(名字から出雲地方出身のサクソン王族だと最近分かりました!)に命令して毒物を仕込んだタバコを父親に売っていたのでしょう。そして、国立出雲医科大学病院で処方されたパーキンソン病の治療薬にはガンになる成分が仕込んであったのです。父が亡くなって数年後に、隅田のおばさんから「新聞にパーキンソン病の治療薬はガンになる確立が高いとかって載っていたよ」と聞きましたので。

*ココウモリ
最初右端の写真(ウィキペディアより)の羽根のないココウモリは、吸血ダニとハイブリッドした「吸血ココウモリ」だと思われます。
ムビる02721 高速で飛び回るココウモリ? kokoumori - YouTube


しかし、ヒミコは、西薩摩の実力者「大山祇」(おおやまずみ、現在も「大山」氏として存在)には、その娘「阿多津姫」をヒミコの末息子「熊野楠日尊」(=クマノクスヒノミコト=ニニギノミコト)に娶(めと)らせて懐柔していた。また、南薩摩の実力者「豊玉彦」には、その長女「豊玉姫」に、ヒミコの息子「天津彦尊」(アマツヒコノミコト)を養子に送り込んでいたし、「豊玉彦」の次女「玉依姫」(神武天皇=イワレヒコの母親)もヒミコの息子「熊野楠日尊」(神武天皇=イワレヒコの父)の妃に迎えてちゃくちゃくと日向の統治体制を整えたとは、ホントすごいですね〜!(上の日向一族系図参照) 

そして、事代主尊と、その母「美穂津姫」が日向の総軍が、B.C.60年頃(こっちが正しそうです)出雲に乗り込み、出雲の国を乗っ取ったということですね。モンゴル系では末子相続*だったからといっても、「出雲の国」の神(=王)が全国の神々の中で最も権威があり、その要(かなめ)であったことを考えれば、その末子というのは出雲の国での相続人の中で考えるのが当然でしょうに。。。やはり、正当な相続者は、「武御名方尊」だったんじゃないでしょうか?それにしても、こんな周到で陰謀に満ちたやり方は、や〜っぱり、アングロサクソン王族らしいですね〜!

*モンゴル人には末息子相続の習慣があり、やはりフツ=’イザナギ’ノミコトや’スサノオ’ノミコトはは、プヨ王族(=アングロサクソン系モンゴル人)らしい。スサノオの本来の「フツシ」という名も、その義理の父親の「フツ」(フツは、イザナギの本当の父親の弟)という名もプヨ人の名ということです。

また、出雲の攻略と同時か、その直後に、日向から「イワレヒコ」*が大軍を従えて大和へ東遷して行き、「出雲の国ゆずり」とは裏腹に、全国の神々=王たちを巻き添えにした大戦争を繰り広げ、最後まで抵抗した奈良在郷の王「長随彦」(ながすねひこ)**を殺害して勝利を得たようです。

*イワレヒコ(後の神武天皇)
ヒミコの息子で日向王朝の王「熊野楠日尊」(くまのくすひのみこと=’ニニギ’ノミコト=イザナギとの間の子ではない)の末息子で王位後継者の太子

**長髄彦

長髄彦の末裔とその奉斎神社

長髄彦の墓、「鍋(なべ)塚」

つまり、上の3つの長髄彦のサイトと前出のサイト「大和・出雲一族の系譜」をまとめて考えると、偽スサノオと偽スサノオの出雲の正妻「奇(櫛?)稲田姫」(くしいなだひめ)との間に生まれた息子「’ニギハヤヒ’ノミコト=ニニギノミコト=大歳尊(おおとしのみこと)とその妻「三炊屋姫」(みかしやひめ、奈良の王「長髄彦」 の妹)と間の娘「伊須気依姫」(いすけよりひめ=御歳神)という姫がいるのですが、「イワレヒコ」 はその姫と結婚し婿養子となっています。しかし、「’ニギハヤヒ’ノミコト」=大歳尊」(おおとしのみこと)には、すでに、実の息子「宇摩志麻治尊」(=ウマシマチノミコト)がいたわけで婿養子など入れる必要はなく、イワレヒコが「プレ大和朝廷」の征服後に、その王位の正当性を得るためプレ大和朝廷の出雲一族家系に入る必要があったのではないでしょうか?だから、イワレヒコが、ニギハヤヒに無理やり押しつけた婿入りだったのでは?

また、前出のサイト「出雲・大和一族の系譜」を見ると、「ニギハヤヒ」の実の息子「ウマシマチノミコト」は、ニギハヤヒの死後、イスケヨリヒメの代理で大和の政治を20年代行し、後に、九州より神武天皇を養子に向かえてこれに政権を譲る」とあります。

しかし、わたし流に解釈すれば、本当は、イワレヒコは大和朝廷に勝利した後、イスケヨリ姫と結婚してまず日本の国王として君臨していた出雲一族「ニギハヤヒ一族」(すでに、出雲族は、大和(奈良県)に出てプレ大和朝廷の都を築いていたらしい。また、出雲にも出雲府の長として同じ一族が一君臨していた)に婿入りし、その後、「ニギハヤヒ」も暗殺し、2年くらいウマシマチに代行させて、結局、暗殺したのでは?そして、とうとう、自分が「プレ(=原、というか、元祖)大和朝廷」を乗っ取って、アングロサクソン系モンゴル人=「プヨ人」の「大和朝廷」の初代王「神武」として即位したということではないでしょうか?(天皇という呼び方は後世になって使われるようになったとか)
つまり、イワレヒコはクーデターとの批判を避けるために周到な根回しをして「大和国の統一王」として即位したというのが本当のストーリーなのでは〜?! 

だから、「日向」と婚姻で関わりも深く、九州の倭国連合にも貢献し、当然、「プレ大和朝廷」乗っ取りにも貢献度が高かったであろう「薩摩」の(=鹿児島)藩士たちが、「ハノーヴァー朝」のアングロサクソン王族傀儡政権「明治維新政府」でも、とっても重用され、首相や大臣など重要な地位に就き、公爵、侯爵、伯爵などの高位の貴族になってたんですね〜!

やっと分かりました〜! 納得!!  >< ; ああ〜あ! 。。。 butukusa。。。butubutu...


*大変申し訳ありませんが、大幅に修正・加筆しましたので、できましたら、もう一度読み直してくださいますようよろしくお願いします。 (5月11日 11:00 p.m. 訂正)
 
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by Ulala-lov | 2011-05-10 16:49 | 古代日本朝廷 | Comments(2)

日本の大和朝廷の成り立ちは不明な点が非常に多いのですが、これはプレ大和王朝である「出雲朝廷」(実際は石見地方にあった『石見朝廷』)のほうがはるかに古代から存在していて全国をその支配下においていたことを隠したいがためのようです。後の征服王朝が様々な手段を用いてその証拠隠滅を謀ったためでしょう。その征服王朝というのが、九州から来た「倭連合国」の中心となっていた高千穂にある倭王朝で、その大軍がその出雲朝廷に戦争をしかけて戦いに勝ち、日本全土を手中に治めるようになったということではないでしょうか? 
(以下のリンクサイトはすべて、わたしが作ったものではありません。わたしがネットで調べて探し出したものです。サイト、ブログ主様には断りなく勝手に載せさせていただいております。3939 so much〜!♡ デヘッ ^_~; )

司馬遼太郎が書く出雲王朝 - 探求三昧 by N.Momose
(シュメール=ヤハウェ系は、B.C.5000年くらい前に東北地方から日本に渡来してきました。一方、蛇龍系=オロチ族のツングース族は、もっと後からB.C.2000〜3000年くらいからアムール河流域からタタール海峡(間宮海峡)を渡り、サハリン経由で北海道からやって来たようです。)

橿原神宮 ウィキペディア

神武天皇は紀元前660年に、橿原宮(奈良県)で即位したとありますが、最近では、それは、紀元後2〜300年頃と考えられているというのを見たのですが(多分これが一番有力説)、いろいろな説があるようです。

橿原神宮

実際、旧暦の10月が全国では『神無月』(かんなづき)と呼ばれているのに対して、出雲地方だけは、10月を『神有月』(かみありづき)としていたのです。10月は、古代にあっては、全国の神々が出雲に集まり会議を開く月だったのです。そのため、出雲大社の拝殿の裏手には、神々が泊まるための宿泊所まで建てられているのです。現在でもそれを見ることができます。(でも、非常に簡易なものなので休憩室か、ロッカーのような所だったのでしょうか?実際に各地から集まった神=王たちが泊まったのは近隣の宿屋だったんでしょうね。)ここは、出雲の「大社町」という所にあり、’うららおばさん’も子供の時から、そして、大人にからなってからも何回か参拝したことがあります。また、わたしは、学生時代に松江で、『出雲風土記の旅』(確かそんなふうなネーミングだったような?)というハイキングに参加したことがあり、実際に、「神有」と屋根のあたりに書かれた神社(名前を忘れました)や、八重垣神社*などを見て廻ったことがありますよ。
(しかしながら、本来は石見で神様たちの会議が行われていて、石見地方が神有月となっていたと推察されます)

神々の出雲を詣でる・八重垣神魂(かも)編

ここの池で、わたしもそこに置かれていた紙に五円玉を載せて水に浮かべてみました。ちょっと時間がかかったような。でも、ちゃんと沈みましたが。なかには、ずっと沈まなかったとかっていう人の話を聞いたことがあります。まっ、当たるも八卦、当たらぬも八卦! *
* 当たるも八卦、当たらぬも八卦

「八雲立つ風土記の丘」

ノアの洪水がもしかしたら、B.C.8~9000年くらいの時だったとしたら、その子孫の中には、早々とノアの命令どおりに東方に向かった集団がいたのではないでしょうか?(これが末子のヤペテらしいです)そして、それは、メソポタミアの北部からずっとロシア南部〜中央アジア北部〜ロシア南部あるいは朝鮮半島を経て〜日本にやってきた一団がいたのではないでしょうか?

そして、その北方からのシュメール人集団(=ここではヤハウェ系)が縄文人になったのではないでしょうか?縄文人と名付けたのもアングロサクソン王族歴史の中での侮蔑語でしょう。原始的な縄文文化はアングロサクソン王族の演出した見せ掛けで、古代メソポタミア文明のように相当高度な文化だったと推察されます。

そして、ちょうど、B.C.8000年くらい(今から1万年くらい前)に大陸とつながっていた日本列島が、大陸としだいに離れていき海を隔てた島になっていく過程で、B.C.5000年頃に大国主命=大黒様(だいこくさま、=大国様?)*がそのシュメール人(ヤハウェ系)集団を率いて、日本に渡って来たので、大国主命の「国引き伝説」が生まれたのでは?ただし、この時代では、王の名前は、世襲名(せしゅう名)とされ子孫に引き継がれていたようなので。そして、そのず〜っと後に、サクソン軍団が次々にやって来て、とうとう日本を征服。さらに、その出雲族(本当は石見族?:島根県の大田市や邇摩郡(仁摩町仁万)は、ちょうど出雲地方と石見地方の中間地点にあります。)に強引に婿入りした大国主命というのは偽大国主命(=偽スサノオノミコト)です。しかし、その後、本物の須佐ノ王命(スサノオノミコト、この名前も世襲名)に率いられたセム系の蘇我氏が日本にやってきて、同じヤハウェ系の蝦夷(えぞ)族や熊襲(くまそ)族(両族ともサクソン王族による蔑称)と連携してサクソン軍団に勝利し日本を解放したのです。

ところが、その後、朝鮮半島からウサギに例えられた女(多分、新生ヴィーナス)がウソをついてズルをしてワニ(=サメ)に例えられた男たちを利用し楽をして日本海を渡ったって日御碕に上陸したのですが、最後に、ウソであることをバラしたので、ワニたちにひどい目にあって苦しんでいたらしく(というのもウソで、本物の大国主命をハニートラップするために"わざと" 強盗に襲われたふりをして、自ら我が身を傷つけて自作自演の怪我をさせられたふりをしていたのでしょう)、そこに予定(計画)通りに、本物の大国主命(この時の大国主命は多分、同じヤハウェ王族の蝦夷王系と熊襲王系と蘇我王系とで婚姻していて混血していた)が通りかかり、怪我をしているウサギ(女)がそんなワルワル女王とは知らずに治療して救って結婚までしてしまったというのが「因幡の白兎」の伝説なのでは?つまり、そのウサギことワルワル女王が蘇我入鹿惨殺を始め蘇我氏を滅亡させた『乙巳の変』クーデターの首謀者である皇極天皇(実際は天皇ではなく、当時は蘇我入鹿大王{天皇}の側室だったのでしょう=後の斉明天皇=新生ヴィーナス)だったのでしょう。(2014.03.23訂正)

アングロサクソン歴史では、シュメール人=スメラ人で元々は彼ら自身(サクソン系)のことなのですが、いつもの捏造(ねつぞう)で、ヤハウェ系のことをシュメール人と呼んで、自分たちの歴史上犯して来た数えきれない大虐殺や大破壊などの巨大悪をすべてヤハウェ王族に罪を転嫁させる意図もあってか、わざと歴史を混乱させるような呼び方をしているようなのです。

(このヤハウェという言葉も旧約聖書の神に使われている言葉なので、ほんとうに適切な言葉なのかどうか分りませんが。。。とにかく呼び名は必要なので、一応、そういうことにしておきましょう。要するに、ここでわたしがヤハウェ王族といっているのは、火星からの巨大な隕石の落下により、ノアの箱船で大洪水の難を逃れたノアの一族の子孫ことです。しかしながら、ノアの子孫以外にも洞窟や縦穴式住居や横穴式住居を掘って大洪水の難を逃れ生き残って子孫を増やしたヤハウェ王族やヤハウェ系の人々はわずかながらもいたのかもしれません。)

大黒様
大国主命は、後のアングロサクソン王朝の大和朝廷により、彼らの宗教の神を押し付けられて、その風貌や人格などの実像を改ざんされてしまったようです。
(←つまり、大黒様はヒンズー教の神様のことらしく、本当の大国主命とは違うようです。2014.03.23 追記)

「大黒様」の歌

アングロサクソンの捏造歴史では、偽大国主命=大黒様が日本の国を開いたとしています。この歌もアングロサクソン王族たちの意図によって創られ、広められ、歌い継がれてきたのでしょう。大黒様が『国を開きて』と歌われていますが、(←しかし、最初に日本の国を開いたのは、ヤハウェ王族の本当の大国主命なのですが)大黒様とはヒンズー教のシバ神らしいです。なので、大黒様が最初に日本の国を開いたわけではありません。つまり、大国主命をインドで彼らが創設したアングロサクソン宗教「ヒンズー教」の神と同一人物に変えてしまい、まるで日本の国を開いたのはアングロサクソン王族の偽大国主命(=大黒様)であるかのように歴史を捏造するのに役立つ歌のようです。(2014.03.23 訂正)

出雲大社へプチ旅行〜郷土料理まきば

白兎神社

山陰の神話と歴史
(大黒様が黄泉に行かれたとかというのは、ゲルマンの北欧神話から来ているようです。北欧神話も、バラモン教、ヒンズー教、多くの新興宗教などと同じくわけの分からないことを延々と述べて、ほとんどの人が理解しがたいもので、思考の迷路に陥らせて(ほとんどの人々は自分が頭が悪いからまだ理解できないと思ってしまう)、思考停止状態にしてからマインドコントロールする迷走インチキ宗教です。ウィキの北欧神話(=ゲルマン神話)にはルーン文字がゲルマン族の文字かのように書かれていましたが間違いです。ルーン文字はケルト・スラブ系のヤハウェ系(人間)の古代文字であり、後にギリシャ文字などに変遷していきます。)

日本周遊紀行 美保関 「国引き伝説」

そして、B.C.2~3Cくらいに日本にやって来たセム系ケルト(=シュメール)の集団というのは、メソポタミア、ペルシャからインドを経て、さらに、中央アジア〜中国あたりを転々としていた月氏、大月氏です。

徐福船団は、実は中国の秦が周に滅ぼされたので、日本に逃げてきて、日本各地を侵略していった始皇帝=象二郎やアイゼンベルグやジョゼッペや『新生ヴィーナス』や『シバの女王』たちサクソン軍団だったようです。


徐福伝説

江蘇省地図

B.C.200年ころに日本は縄文時代から弥生時代に変わったとありますが、最近では、もっと早くB.C.10Cごろ(B.C.1000年くらい)からと考えられているようです。しかし、わたしはサクソン軍団の移住はB.C.3000年頃にはすでに始まっていて、シベリア東南部沿岸地帯アムール河か流域から移住して北海道に定住したのが一番最初だと推察されます。しかし、その後、B.C.10〜7Cごろからサクソン軍団の日本本土や九州・四国地方への侵略はだんだんと活発化していき、おそらく、シベリア東部沿岸から、中国南部から、朝鮮半島からと、それぞれに別れて何回も日本を攻めてきて征服して定住していき、先住民を農奴にして田畑を耕させたりしていたのではないかと思うのですが。。。

ですから、徐福たちもすでに日本にやってきていたサクソン軍団を頼ってやって来たのだと思われます。その中でも有力な王族たちがいたのが鹿児島県東南部(大山氏など)や宮崎県日向や福岡県太宰府あたり(山口県西部も)や、四国の高知県〜徳島県にいたアングロサクソン王族たちだったのでしょうかね?
上のサイトにあるように徐福の子孫たちはまさに日本で悪いことをやり放題にやっていた鬼たちなのです。
(訂正しました。2014.03.20)


下のサイトは「徐福研究」ともいうべき詳しい調査がされてるサイトです。

<徐福伝説は紀元前三世紀の史実だった>

弥生の偉業

倭人の先祖

徐福一族の古墳

福岡県八女市の「吉野ヶ里」が倭国(九州王朝)の都だったとかいう可能性が高いそうです。

徐福は弥生文明の先導者

ということで、稲作は縄文時代末期に既に定着していたと考えられているが、優れた品種や高度な水田稲作技術は、徐福一団が持ち込んだ可能性が高いということです。(アングロサクソン王族系の到来と彼らが征服して得た農奴による稲作なんじゃあ。。。?あ、それからラピタ人の数々の高度な技術も略奪して手に入れていたからね。)また、五穀の種と先進的な生産工具技術は、日本社会に農工経済および農業の発展をもたらし、階級的生産を行わせるようになり、これ以降に、つまり、縄文時代末期及び弥生文化初期に「階級社会」に入りはじめたということです。

総合考察と結論

上の「総合考察と結論」サイトの下のほうに、
☆『倭連合国』の創設者は『徐福』であるとしている☆と書いてあります。

出雲・大和一族系図

(現在のトルコ=アナトリア半島に古代あったフリギア=フェニキアも、元々はケルト人が住んでいたと考えられますが、B.C.ヒッタイトに征服されたのですが、ヒッタイトは、その国の名前をそのまま使っていたようで、それで、フェニキア人=ヒッタイトとなったようです。それで、大幅に縮小した、もとのヤペテ系の国は、’フ’を取って、「リギア=リディア」とかって国名になったようです。フェニックス=不死鳥=蘇り(よみがえり)=黄泉帰りを意味しています。ヤハウェ王族のセム系(ケルト系:言語のセム系とは全く違う)は、死んでもまた、新たな人となって生まれ変わると信じていて、一方、ヒッタイト系は生まれ変わりを信じないので、死なないようにしたいみたいです。わたしも、人間の魂は、何度も、違う人間となって生まれ変わって来るような気がします。’悪いことした人の魂は生まれ変わらない’とかっていう神様、エンマ様の采配*(さいはい)があれば、悪い人がいなくなるはずなんですけどね〜どうなんでしょうか?)
* 采配


♪♫♬~ この記事は書き終えてみると、あまりにも長くなってしまって読みにくそうなので2つに分けることにしました。この続きの後半部分は、5月10日の記事「(続)古代日本にやって来たシュメール人とアングロサクソン軍団」としました。引き続きお好きな時にお読みくだされば嬉しく思いま〜す!

(2)につづく

* コメント欄も見てくださいネ!   

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by Ulala-lov | 2011-05-09 02:52 | 古代日本朝廷 | Comments(1)