「ローマ王政」時代というかローマ帝国の初期の歴史に関しては、なんだか、まだ十分解明されていないのか神話の領域を脱していないようなやや不確実な歴史的記述になっているものが多いように思われます。

リヴィウスの『ローマ建国史』

とにかく、トロイ人とイタリアの原住民アポリギネス人(ラティヌス王がいた国の民族)とが合わさり『ラテン人』となり、さらに、そのラテン人の中にはエリトリア人をも含んでいると思うのですが、その「ラテン人」の有力氏族が『ユリウス家』です。そして、『サビニ人』の有力氏族が『クラディウス家』です。(サビニ人と結婚し、国を合併したことにより、サビニ人も、結局、ラテン人に含まれるようになったと思われます)この両家が共に、協力したり、争ったりしながら、(残念ながら、争いのほうが多いのですが)、ローマ帝国の’主流となる支配者の家系’として、その後、ずっと君臨していきます。

そして、B.C.509年より、ルキウス・ブルートゥスにより、2名の執政官が政治を司(つかさど)る「共和制」に移行します。

「古代ローマ」
「古代ローマ2」
「共和制ローマ」

(ケルト系にもいろいろな種族があるようで、ガリア人(現在のフランス地域に定住していたケルト系)が攻撃してきたとあり、倒した敵の首を斬る習慣があったというのはちょっと違うと思うんですが。サタニストたちはウィキも、ちょこちょこと改ざんしていますので。ただし、敵の’大将’の首を斬って自国に凱旋するというのはほとんど、どこの国、民族でもやっていたのかも?)


「グラックス兄弟」
「ティベリウス・グラックス」

上のサイトに、ティベリウスは護民官として、没落しつつあったローマの自営農民を救うべく農地改革に着手。しかし反対勢力である元老院保守派やその支持者によって殺害されたとあり、最後のところに、ガイウス・ユリウス・カエサルが政界に進出するまで、元老院の改革や平民生活の改善政策は一切行われることはなかったとあります。

「マリウスの軍制改革」

確かに軍としては強固になったようですが、マイナス面もあったようです。軍団の私兵化が急速に進んだとか、「社会面の影響」のところにも、「祖国防衛」的なローマ軍の性格が薄らぐことになったとか。


「ガイウス・ユリウス・カエサル」 (=シーザー)

父方「ユリウス」氏族はトロイ人のアエネアスの息子アスカニウスに由来し、したがって女神ウェヌス(=ヴィーナス)の子孫であり、母方はアンクス・マルキウス(ローマ第四代の王、ヌマ・ポンピリウスの孫でサビニ人)に連なる家柄であるとか。まあ、ローマ人はトロイ・エトルリアのケルト系アイオア人(=イオニア人)とラティヌス王のもとにいた原住民とサビニ人の3者の混血ですからね。特に、トロイ出身とかエトルリア出身とか、サビニ出身とかが権力を握っていたんでしょうね。また、サビニ人の好戦的な性質は通婚によって多くのローマ人の中に遺伝子としてもたらされてしまったのでしょうね。しかし、カエサルは主に父方(ユリウス家)のほうの性質だったようです。(もちろん、両方の性質が入っているでしょうが、多分、戦場では、母方のほうの性質がうまく働いたのかも?)←訂正:カエサルはケルト系の純血種だった可能性もかなりあります。あるいは、母方がサビニでも、ケルト系の父方との混血を繰り返したためにケルト系に近い遺伝子を持っていた可能性もあります。どっちにしても、カエサルの姉(初代ローマ帝国皇帝アウグストゥスの実母)は異母兄弟だったのか、おそらく人間の祖ルーシーの子孫です!

また、カエサルは若い時には、終身独裁官となった「スッラ」に処刑リストに載せられていたが、スッラの支持者やウェスタの巫女などに助命嘆願され、かろうじて命を救われ、亡命していたなど、なかなかの苦労人。民衆派。

上のサイトにも、やはり、サタニストの改ざんだと思われるものがあります。カエサルが元老院を武力で制圧などするわけがありません。また、「業績」のところに、独裁官としてとありますが、シーザーはあくまでも執政官として君臨していたはずで、独裁官のタイトルとしては君臨していなかったはずです。実質的には、領土拡大にものすごく貢献していたので非常に強い権力はもっていたでしょうし、そういった面も多少あったとは思われますが。しかし、カエサルは自(みずか)らの権力を振り回すような人ではなく、かなり民主的な人だったことがいろいろな情報から伺えます。それから、民会、護民官を無実化したというのも、どうも違うような気がします。

また、ブルトゥスたちは、共和制の危機と感じてカエサルを暗殺したのではなく、自分たちの私利私欲のために暗殺したのです。当時、カエサルは元老たちが戦いにもでず何もローマ帝国に貢献していないにもかかわらず、私利私欲に走って富を増やしているのを憂慮し、戦士や市民たちにももっと富を分配してやろうとしていたのです。ブルトゥスたちは、それが気に食わなくてカエサルを暗殺したというのが真実のようです。

また、カルタゴとコリントスを再興させたとありますが、コリントスに関してはそうかもしれませんが、あの野蛮なカルタゴ(=偽フェニキア人=サクソン王族の国)に関しては、カエサルがそれを復興させたとは考えられず、もし、それをしたとしたら、それは、サビニ勢力のパトリキ(貴族)たちの仕業なのでは。つまり、サビニ勢力の意に添わない執政官の権勢の時などには、カルタゴなどの帝国外部のヒッタイトやシェバ人の勢力と内通して、ローマ帝国を外から脅かすこともしたのだろうと思われます。

ポエニ戦争なども、カルタゴ(偽フェニキア人=ヒッタイトの国、しかし、シェバ人も混血しているので含まれる)とローマ帝国内のサビニ(シェバ人、しかし、トロイ人とも混血しているものも多いが母親がサビニ人なので、サビニ流の教育で育つものが多い)のパトリキたちが内通して、ローマ帝国を外部からの侵略者により脅かしたのではないかと私は推察しています。また、北方では、やはり、ゲルマン人(=ヒッタイト)が常にローマ帝国との国境を脅かす存在となっていました。これも、ローマ帝国のサビニ人がゲルマンと内通していたと思われます。ヒッタイトやシェバ人には祖国愛とかはなく、民族意識がとても強い(=民族の団結がとても強固)という特徴があるらしいのです。つまり、ウォーバーグ、ハリマン、メディチ、モルガンなど、悪いほうの国際金融家たちと同じですね!

★★★
つまり、こういったことが、サビニと共同統治にしてしまったことによる『ローマ帝国の内憂外患』なわけです!

それにしても、ローマの若者たちがあのサビニ娘のハニー・トラップにひっかかってしまい、結婚して混血してしまったことこそが、これらのことを招く第一原因になったということをお忘れなく! 
☆ハニー・トラップ恐るべし!☆


一方、『クラディウス家』* のほうですが、あのカエサルの右腕として活躍し、カエサルの死後、クレオパトラ7世(カエサルの愛人でもあった)との恋に溺(おぼ)れ、ローマの元老たちからも批判を浴びるところとなり、結局、オクタヴィアヌスとの戦いに破れて自殺した。あの『マルクス・アントニウス』の家系なのです。

*「クラウディウス氏族」

もともとは『サビニ族』を祖としていて、ローマと平和的な関係を求めてアッティウス・クラウススが約5000人のクリエンテス*と共にローマに移り住み、土地と元老院の議席を与えられた。(サビニ娘の懇願で、平和的に共同統治を始めた時のことですかね?といっても、ロムルスがよい政治をしていたにもかかわらずサビニのパトリキたちに暗殺されたんですから、その平和は一時(いっとき)のことでしたが。)

また、クラウディウス家は「共和制ローマ」において、歴代非常に多くの高官を送り出し、第二代皇帝ティベリウスの頃までには、執政官28人、独裁官5人、財務官7人、凱旋将軍6人、次席凱旋将軍20人がいた名門貴族の家柄とのことです。

「クリエンテス」

親分「パトロヌス』とその子分「クリエンテス」。クリエンテスは有力者「パトロヌス」の外出の際には後ろにぞろぞろとつき従い、自分たちのパトロヌスに威厳を添えた。そのクリエンテスの数の多さで、市民である有権者に対し、この人物がいかに大物であるかを示し、いかに公職にふさわしい人物であるかをアピールする選挙運動の一環としての意味もあったらしいです。


そして、カエサルの甥で養子でもある「オクタヴィアヌス」が皇帝『アウグストゥス』*となり、ローマが「帝政時代」に移行すると、この両家の氏族からの皇帝が5代続きます。この時代を『ユリウス=クラウディウス朝』といいます。

* 「アウグストゥス」

「古代ローマ帝国の遺産」

カエサルに引き続き、アウグストゥスも民衆派の政治家だったようです。「私は、ローマをレンガの街から大理石の街に変えた」と自身で語ったとか。また、「領土を広げるにあたり、彼は、ローマ並の高い生活水準を支配地にも与えるとともに、現地の生活習慣や信仰などを尊重する方法で皇帝崇拝を違和感なく浸透させていくことにほぼ成功しました。」と一番上のサイトに書いてああることからも、民衆にとっては非常に善い指導者であったことが伺えます。。

読書連想:「アウグストゥス」

アウグストゥスは体が弱く、カエサルのように戦いで大活躍することはあまりなくて、しかし、アグリッパとマエケナスという無二の親友であり部下でもあるふたりに、その不得手なところを補ってもらっていたとか。そういった良き親友を得ていたところもまた指導者としての資質に恵まれていたと言えるのでしょうね。

ところで、カエサル(=シーザー)は自分のユリウス家からずっと皇帝がでることを望んでいたようです。(もう一方のクラウディウス氏族には、貴族的な利権を独占するなどの悪政を行う指導者が多いですからねぇ〜) アウグストゥスはどうにか無事、カエサルの後継者として同じユリウス家出身の初代皇帝となったものの、その後に関しては、アウグストゥスの3番目の妻である『リウィア・ドルシラ』が野望をいだいていたため(サビニ勢力のスパイ)、悲劇が続き、ユリウス家から皇帝を輩出することはなかったのです。つまり、リウィアは自身のの連れ子で、先夫との間の子「ティベリウス」を皇帝にするため数々のマキャベリスト的な謀略を計ったのでした。
(この連れ子作戦、または、結婚後にできた子でも他のサクソン王族の男と密通してできた不義の子作戦=サクソン王族純血種を王位に付けるため〜は、サクソン王族のよくやる典型的なパターンです!!!)

まず、リウィアは(=サビニ勢力は)、アウグストゥス帝の無二の親友であるアグリッパとマルケナスを殺し、さらに、アウグストゥス帝の2番目の妻との間にできた唯一の実子「娘ユリア」(大ユリア)*の2人の息子たち、つまり、孫たちである「ガイウス・カエサル」(後継者に指名されていた)と「ルキウス・カエサル」も殺してしまったのです。結局、嫌々ながらも、しかたなく、アウグストゥスは自身の子ではない、ティベリウスを皇帝としての後継者に指名したのでした。その後(あと)のアウグストゥスの死も、また、リウィア(サビニ勢力)による暗殺かもしれないとのことです。しかし、ついに、リウィアの連れ子『ティベリウス』が皇帝になったのでした。

*ウィキなどに書かれているような淫婦ではなかったはずです。それは新約聖書のキリストの母「マリア」のところを読めば分かるはずです。

下記の「東京新聞」のサイトのなかの下のほうに、アウグストゥスを中心とした家系図が載っていますので御覧ください。すると、ティベリウスの実の父親はティベリウス・クラウディウス・ネロといい、クラウディウス氏族のサビニ人なのです。アウグストゥスはクラウディウス家の者を嫌(きら)っていたようですので、ティベリウスを皇帝継承者に指名するのは、本当は嫌(いや)だったんでしょうね!しかし、サビニ人の貴族たちは、いつものように’権力のためにはなんでもするマキャベリストたち’だっため、とうとう最終的には、こんなことになってしまったのでした。 あ〜ぁ〜  〜〜;      

★★★★★ ’げに恐ろしきは、サビニ(シェバ人)なり〜!’


東京新聞:「古代ローマ帝国の遺産」

「ユリウス・クラウディウス家の女性たち」

皇帝「ティベリウス」の次は、下記の系図のように「アウグストゥス」の孫娘の「大アグリッピナ」とやはり、あの恐るべき「リウィア」のもうひとりの連れ子である「ネロ・ドルトス」の子息「ゲルマニクス」(=リウィアの孫、クラウディウス氏族=サビニの血流)とが結婚してできた『ガイウス』(サビニの血流を多く受け継ぐ)が3番目の皇帝になったのでした。5代目の暴君『ネロ』とどっこいどっこいの暴君だったらしいです。(詳しくは、下記の
「ローマ皇帝変人史」にて、ご覧ください)

「クラウディウス」 系図
(真ん中のほうにユリウス=クラウディウス家の系図があります)

さらに、その次の4番目の皇帝には、ゲルマニクスの兄弟で、まったくユリウス家と無関係の血流で、クラウディウス氏族=サビニの血流の濃い『クラウディウス』が皇帝に。

そして、その次の5番目に皇帝になったのが、あの暴君として有名な『ネロ』でした。彼は、「大アグリッピナ」と「ゲルマニクス」の娘である「小アグリッピナ」(カリグラ帝の妹)と名門出身のルキウス・ドミティウス・アエノバル(きっと、サビニ人でしょう)との間の子供だった。「クラウディス帝」は「小アグリッピナ」とA.D.49年に結婚し、A.D.50年に『ネロ』を養子にした。そして、自身の娘「オクタウィア」と結婚させたのでした。


「ユリウス・クラウディス朝」

「ローマ皇帝変人史」
(アウグストゥスの次からの4皇帝は皆暴君として知られています!)

というわけで、またしても、帝政初代の「アウグストゥス」はユリウス氏族としては、一代限りで終わり、後は、クラディウス氏族の人間が次々に皇帝に就くということになってしまいました。「アウグストゥス」が皇帝になった時から(これだってサビニ勢力にとっては大きな誤算だったし〜)、サビニ勢力は次の皇帝からは"ず〜と" サビニ人にしようと画策していたのでしょうね。サビニの王族・貴族たちは、ロムルスを「神隠し」と偽(いつわ)って暗殺した時と同じで、本当に最高権力を得るためなら、どんなことでもする恐〜い人たちなんですよね〜  (((><;))) あ〜、恐ろしや、恐ろしや。。。ブルブル〜


p.s.

「ローマが滅んだ理由」  〜日本のお姉さん〜

上のサイトはなかなか、全体像がよくわかっていいなと思います。ただ、ローマ帝国が崩壊したのは、ローマの外敵に対する防御能力が低下した(私兵部隊が増えたからでしょう)こともさることながら、サビニのパトリキたちように外部の敵とも内通しているもの達がいて、ローマ帝国を維持するというよりは、植民地の拡大化に非常に熱心で、自分ら(シェバ人やヒッタイト人)の利益をさらに増すことしか考えず、つき進んでいこうとしたからではないでしょうか?さらに、フン族(=匈奴。中央アジアの’ヒッタイト系’遊牧民?)の急襲があり(地中海沿岸のフェニキア人=ヒッタイトの計略?)、中東や中央アジアにいたマケドニア人支配者たちが軍を引き連れて、ヨーロッパにあわてて逃げてきたということも原因だったのではないかと。ゴート族(多分、マケドニア人=シェバ人、東から西に大移動)やサクソン族(多分、ヒッタイト人=サクソン人、スカンジナビア半島から南下し、B.C.10C位からドイツあたりに居て、その地で戦う)、フランク族もゲルマン民族として知られていますが、わたしは、フランク族はノルマン(ケルト系)とかケルト系ギリシャ人、ガリア人たちのケルト系複数部族の集合体の名称で、つまり、ローマ帝国内外ののトロイ人、エトルリア人、ガリア人、ノルマン人たちではないかと推察しているのですが。。。

つまり、ローマ帝国が分裂してきて、帝国内外の「ヒッタイト人とシェバ人などのグループ」と「ケルト系複数部族のグループ」という主にふたつのグループに別れての戦争がヨーロッパのあっちこっちであったのではないのかしら???

それから、ちょっと気づいたのですが、わたしの6月15日に書いた「ローマ帝国×パルミュラ(シリアの都市の女傑『ゼノビア』」の記事でとりあげたゼノビアに関してですが、もう一度、わたしが読んでいた「ローマ皇帝歴代誌」を見ますと、「彼女の顔は日に焼けて黒かった。瞳も黒く、常人とは異なる強いまなざしで。。。。信じられないほどの美しさだった」と『皇帝列伝』という本から引用してあります。そして、「パルミュラの碑文によると、ゼノビアは「アル・ザッパ」の娘、『バット・ザバイ』という名で記されている。(おそらく彼女の母親に由来するのだろう)「美しく髪の長い人」である。」と書かれているのですが、今になってよく分かってきました。つまり、アル・ザッパという名前の人の娘ということで、彼女はアラビア人の娘であるということ、バット・サバイからはサヴォイつまり『シェバ人』であるということが分かるのです。ですから、ゼノビアが反乱を起こし、領土を大幅に拡大したのもつかの間、A.D.274年に、皇帝アウレリアヌス帝との戦いに負けてローマに引き連れていかれた時にも、きっと、サビニ人(=シェバ人)のパトリキたちからの手厚い保護があったはずです。

それにしても、シェバ人の女性はアマゾネス的?な女傑(=女スパイもかねている)が多いですよね! 

・ イスラエル王国の『バテ・シェバ』
・ アフリカの『シバの女王』
・ イタリア中部の『サビニ娘たち』
・ ローマ帝国皇帝アウグストゥスの妻の『リウィラ・ドルシラ』
・ パルミュラの『ゼノビア』こと、『バット・ザバイ』
・ 英国ハノーヴァー朝の『ヴィクトリア女王』
・ 英国ウィンザー朝の『エリザベス女王』とか。。。
   
エチオピア帝国の『ザウディトゥ』もそうだったのでしょうか?

すごいな〜! @o@;   

と感心している場合じゃなかった!恐いよ〜  でも、神様は「恐れるな!」ってさ〜

p.s.2

『ゼノビア』、つまり、『バット・ザバイ』という名をよく考えると、なにやら、’あれ?『バテ・シェバ』と同じことじゃないか!’って気がついたんです。つまり、ゼノビアはバテ・シェバの直系の子孫ということではないでしょうか?

すると、あっちこっちの「シバ王国」のどれかから母親の代に、パルミュラに嫁いできたのでしょうかね〜?!

ゼノビアがローマ帝国の支配下にあった「エジプト」を征服したのは、’もともとはシェバ人(=マケドニア人)の国だったのだから取り戻してやる’という意図からだったのかもしれません。そもそも、エジプトがローマの属領になる以前には、B.C.4Cに、『アレキサンダー大王』(ギリシャ統一後の初代王、マケドニア出身)の「東方遠征」により、エジプトは「ササーン朝ペルシャ」の領土から「ギリシャ」の領土(マケドニア人が支配)へと変わっていました。そして、アレクサンダー大王の死後(大帝国を築いたものの、すぐに部下たちから暗殺されてしまったらしい)は、大王の部下のプトレマイオス(マケドニア人)の支配領となり、「プトレマイオス朝エジプト」として、長い間、マケドニア人王とやはり、マケドニア人で、多分、現地のアフリカ系王族とも混血している女王クレオパトラ(歴代同名を継承)により支配されていたのですから。

上のp.s.の2段落目の5行目の「中東や中央アジアにいたマケドニア人支配者。。。」のところは、最初は、「中央アジアにいたマケドニア人支配者。。。」と書いていましたが、中東も入ると思われますので訂正しました。あしからず〜ペコッ!(済みません。さらに訂正です。中東はササーン朝ペルシャの勢力が強くて、フン族は一旦は攻めたものの計画を中止したとのことです)


*コメント欄も見てくださいネ!
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by Ulala-lov | 2010-07-14 22:36 | ローマ帝国とシバの女王 | Comments(12)