2015−03−23


< マリア・テレジアの最初の夫=ロレーヌ公レオポール・クレマン(仏語)>

=(英語:ロレーヌ公レオポルト・クレメンス・カール・フォン・ロートリンゲン)



おそらく、「1723年にカール6世*の元で学業を修めるべくウィーン宮廷に送られた」というのは、マリア・テレジアの婿にと身込まれ、婚約して花婿修行をするためだったのではないでしょうか?

・ レオポール・クレマンの父親=『レオポルト・ヨーゼフ』


★★★(1697年以前、そして1702~1714年まで、ロレーヌはフランス(ルイ14世)に占領されていた。ロレーヌ公家はオーストリアに亡命していて、レオポルト・ヨーゼフはオーストリア領内のインスブルックで生まれた。オスマン帝国と戦争における『ティミショアラの包囲戦』や、ラインで大同盟戦争でオーストリア軍司令官として活躍した。)

(ここがトランシルヴァニア=ルーマニア西部でドラキュラ伯爵のモデルの一人となったヴラド・ツェペシュの領地内の中心都市のようです。)


・ レオポルト・ヨーゼフの父親=『シャルル5世』


★★★1670年以降、ロレーヌ公国はフランス(ルイ14世)*によって占領されていて、シャルル5世は実際に統治することはなく、オーストリアに身を寄せていた。

わたしの離婚した元夫・佐藤克巳の母親に似ています!おそらく、『新生ヴィーナス』のオスの姿。

おそらく、ハート型のほうは『新生ヴィーナス』(=ルイ14世でもあった)が所有しているのでは?!

カール6世(神聖ローマ皇帝):マリア・テレジアの父
(肖像画の鼻は、後世になってアングロサクソ脳族の悪意によって、わし鼻に上描きされたのでしょう)


マリア・テレジア(1717年生まれ)は第一子を1737年に20歳で生んでいますから、おそらく、テレジアが15歳くらいの1732年頃に結婚したのではないかと推察されます。とすれば、レオポールは25歳くらいの時です。マリア・テレジアの父「神聖ローマ帝国皇帝「フランツ1世」を名乗ったのでしょう。




B戦争を構成する戦役の一つである第二次シュレージエン戦争*(C戦争)は、プロセインのフリードリヒ2世によるオーストリア領シュレージエン地方への侵略・占領に端を発した戦争です。




上のサイト💀の下のほうの。。。

[1] 『1746年 肖像画』のところから。
(引用)1745年ドレステンの和議で、プロイセンは100万ターレの賠償金と正式にシュレージエンの領地を得る代わりに、マリア・テレジアの夫フランツ皇帝の継承権を承諾する*ことで、シュレージエン戦争は終結した。

* これは、もし、カール6世が亡くなった後、バイエルン王が勝手に『カール7世』*として即位していたのですが、それを廃位させて、マリア・テレジアの最初の夫「レオポール・クレマン」が神聖ローマ帝国皇帝に即位することをプロシアが認めたということです。

バイエルン選帝侯 ………… 在位1726~1745
ベーメン(ボヘミア)王 …………… 在位1741~45
神聖ローマ帝国皇帝 ………… 在位1742~45

かール7世の顔を見ると、NHKの古屋和雄アナウンサーに似ています。(下のYouTube動画の古屋アナの顔を見てください。)


つまり、わたしの離婚した元夫「佐藤克巳」(ルシファー=ETモンスター・ヴァンパイア)です!!!

★ カール7世=モーツァルト=ルシファーです!

[2]『1763年 肖像画』のところから。
(引用)あわや敗北――とだれもが思ったころ、奇跡が起きる。(ロシアの)女帝エリザヴェータが崩御し、甥のピョートル三世が即位したのだ。ピョートルはフリードリッヒ大王の崇拝者であり、皇帝になると即、プロイセンと平和条約を結んだ。ロシア軍が撤退すると、スウェーデン軍も去り、プロイセン軍はオーストリア軍に勝利する。1763年、ザクセンのフーベルトトゥスブルクで平和条約が結ばれ、戦争は終結した。

この女帝エリザヴェータが死んだのは最初から計画されていたアングロサクソ脳族たち(秘密結社『イルミナティ』)の陰謀です。つまり、もともと、フランスのポンパドール夫人(=『新生ヴィーナス』?)とロシアの女帝エリザヴェータはアングロサクソ脳族同士で裏でつながっていて、本来、敵であるはずのマリア・テレジアと仲良しのふりして『ペチコート同盟』とか言われるような協定を結んだのは、最初からマリア・テレジアをワナにかけ、欺(あざむ)くつもりだった陰謀に違いありません。つまり、戦争の終盤になったらロシアの女帝エリザヴェータが死ぬ予定で(もちろんウソ)、息子の「ピョートル3世」が3国間の協定を反古(ほご)にして「フリードリヒ2世」に味方しロシア軍を撤退すると決めていたのでしょう。

* よとぎ「夜伽」の意味 - goo辞書(ここでは2の意味)

ポンパドール夫人が王家専用娼館「鹿の苑」まで創っちゃった人が夜伽(よとぎ)が嫌いっていうのは大ウソでしょう。アングロサクソ脳族たちは両性具有だから、女娼や男娼を集めて、王侯貴族たち(男女とも)が乱痴気騒ぎをしていたんでしょう。つまり、ポンパドール夫人は王侯貴族のご機嫌取りをし、自分の人気を高め、彼らを自分の思い通りに操りたかったのでしょう。
href="http://blog.goo.ne.jp/marifle1010/e/307db8f315d1f778972b97fd1f6c8420">ロシア女帝 エリザヴェータ - まりっぺのお気楽読書

★★★ 1600~1800年代、ヨーロッパは戦争に明け暮れていた。↓



<マリア・テレジアのもう一人の実の息子『フェルディナンド』>

マリア・テレジアとレオポール・クレマンの子供たちのうち男子は長男のヨーゼフ2世と四男(ほんとうは次男)のフェルディナンド(1754 ~1806)*のみと推察されます。

次男とされているカール・ヨーゼフは、きっと、ルシファー=モーツァルト=『新生ヴィーナス』のオスで、人質交換でウィーン宮廷にいたのではないかと。。。?



(和訳)
ドラムの音が聞こえるかい、フェルナンド?
ずっと昔にもこんな恐ろしい夜があったの想い出すよ。
たき火の灯りの中で、フェルナンド、君はハミングしながらギターをやさしくつま弾いていた。
遠くからドラムの音が聞こえ、遥か彼方から兵隊ラッパの音が近づいてきていた。
bugle : 兵隊のラッパ

彼らはどんどん近づいてきていたね、フェルナンド。
永遠の最後となる(=死の)時が刻々と迫ってきているようだった。
とても怖かったよ、フェルナンド。
僕たちは若くて将来があった。そして、だれも死への覚悟なんてしてなかった。
銃声や砲弾の轟(どどろ)きに僕はほとんど泣きそうだったって告白するけど恥じちゃいない。

あの夜の空気感は特別だった。
あの星たちは僕や君ために、解放のために輝いていた。
もし、僕がまた同じことをやらなくちゃいけないとしても後悔なんてしないさ。
きっと、同じことをするよ、僕の友、フェルナンド。

今では、年を取って、白髪も生えてるけどね、フェルナンド。
もう何年も僕は君が手にライフルを握るのを見てこなかったな。
ドラムの音が聞こえるかい、フェルナンド?
まだ覚えているよ、リオ・グランデを越えた恐ろしい一夜を。
僕は君の目のなかに見ることができるよ。
君がこの土地での自由を求めて戦ったことをどんなにか誇りに思っているってことをさ。





ウィーンの台本作者ジュゼッペ・バリーニによる祝典劇「アルバのアスカーニョ」の台本がモーツァルトに届けられた。

アスカーニョ役はマンツオーリ、アチェステ役はジュゼッペ・ティバルディだった。

これらのジュゼッペとはジョゼッペのことのようです。クローンがたくさんいますから。


< マリア・テレジアの2番目の夫???=フランツ1世 >


1745年~65年の神聖ローマ帝国皇帝在位は大ウソです!!!


先のサイトAのロレーヌ公レオポルトの長男レオポール・クレマンの弟フランツ・シュテファン(=後の『フランツ1世』)は、おそらく、ロレーヌのフランス占領から独立した後に、結婚したオルレアン公(フランス随一の貴族)フィリップの娘エリザベートのアングロサクソ脳族のクローン子孫か、あるいは、戸籍に乱入してきたアングロサクソ脳族かです。

★ とにかく、このフランツ1世はジョゼッペによく似ています!!

ところが。。。この下のサイトCを見ると(説明はウソが多いようですが)、最上部と最下部にある肖像画を見ると、


* マリー・アントワネットの父は先のロレーヌ公レオポール・クレマンです!!!

★モーツァルト=「『新生ヴィーナス』のオス」(←2015.05.18:なんかレアらしいです。)にも似ています!!

(どっちかな???)

偶然見つけた、マリー・アントワネッットのブログ記事についてはリンク先情報の保存のみで、後から記事にしたいと思っています。





ヴェルサイユ
<

ここで、なぜかマリー・アントワネットの悪口三昧の記事に変わっています。アントワネットの実家の母マリア・テレジアや長男ヨーゼフ2世がアントワネットに忠告したのはフランスから聞こえてくる悪い噂(イルミナティは悪い噂を流すのが得意)を心配してのことだったと考えられます。ここで、思いっきりアントワネットに濡れ衣を着せようと頑張ったのはきっと『新生ヴィーナス』の仕業でしょう。肖像画さえ真似るほど憧れて自分もそうなりたいと思う一方、自分より美しい女性(美しい男性にはメロメロですが)に対しての嫉妬心から悪魔的残虐性を発揮するようです。

[PR]
by Ulala-lov | 2015-03-23 01:16 | 西洋史 | Comments(1)

2014−12ー13


神聖ローマ帝国皇帝『ヨーゼフ2世』は在位期間は1765~1790年までで、その次に神聖ローマ帝国皇帝になった『レオポルト2世』は(ウィキにはジョゼッペ=ハトホルの写真が載っているようです)長男のアルバートです。しかし、その後、ナポレオンとの戦いで負傷し敵の捕虜となってしまったようです。

そして、次の『フランツ2世』は(ウィキにはアイゼンベルグ三船の写真が載っているようですが)、ヨーゼフ2世の弟(次男)のフェルディナンドです。しかし、フランツ2世が『アウストリッツの戦い』に敗れると、ついに「神聖ローマ帝国」は崩壊し、1804年に敵のナポレオン=ジョゼッペ=ハトホルのクローン兄弟のアイゼンベルグ=俳優・三船敏郎=米俳優ピーター・オトゥールが「オーストリア帝国」の皇帝『フランツ1世』(神聖ローマ帝国皇帝の『フランツ1世』=オーストリアの女帝マリア・テレジアの夫と間違えないようにね!)として戴冠したのでした。


ヨーゼフ2世(1741 - 1790)、神聖ローマ皇帝(在位:1765 - 1790)
(スティック鼻なのは後世に上描き=修正されたのでしょう)

フランツ2世(1768年 - 1835年)は、最後の神聖ローマ皇帝(在位:1792年 - 1806年)
(アイゼンベルグの写真です。左側の若い時の肖像画はヨーゼフ2世の写真です!)

ピーター・オトゥール 画像集

三船敏郎 画像集

英国のアルバート公(ザクセン=コーブルク=ゴータ公子)=ヴィクトリア女王の王配は、ヨーゼフ2世の最初の妻マリア・イザベラ・フォン・ブルボン=パルマによく似ています(わたしは島根県の大田ルーテル教会などで彼に会っているので)。

その後、ホーエンツォレルン城で捕虜となったいた4男(ほんとうはヨーゼフ2世の弟で次男)のフェルディナンド(母親はマリア・テレジア、父親はロレーヌ公=神聖ローマ帝国皇帝フランツ1世=人間)は、ナポレオン=ハトホル=ジョゼッペ=ヴィルヘルム1世が、ヨーロッパでロスチャイルド財閥を創設する際に一緒に英国へ連れて行かれ、ハノーヴァー朝=ロスチャイルド家の奴隷(王室の財務管理、ロスチャイルド金融のマネージメントや子供たちの教育係・召使い・財務担当などのマネージャー)とされたのでしょう。



< オーストリアの女帝『マリア・テレジア』>

● ~女帝を妻に持った男 放棄王フランツ1世~:放送作家 島津秀泰のブログ

(フランツ1世=ロレーヌ公がマリア・テレジアの尻に敷かれていたなんてアングロサクソン脳族の大ウソに決まっています!しかし、非常に子煩悩だったというのは本当のことでしょう。)

神聖ローマ皇帝フランツ1世

要するに、マリア・テレジアとフランツ1世は幼い時に婚約していたのですが、オーストリア継承戦争*(1840~48)でオーストリアが敗北した後、マリア・テレジアは離婚させられ、ナポレオン=ジョゼッペ=(ロートリンゲン家)との再婚を強要されたということではないでしょうか?

つまり、マリア・テレジアはヤハウェ王族の貴族ロレーヌ公(後の神聖ローマ帝国皇帝『フランツ1世』)を婿にしていて、すでに、長女〜3女までの3人の娘と長男のヨーゼフ2世とマリー・アントワネットなどのヤハウェ王族純血種の子供たちが5〜6人ぐらいいたと推察されます。(しかし、ほとんどの子供たちはアングロサクソ脳族たちによって暗殺されたり修道女として未婚のまま亡くなったりしてます)

なので、ヨーゼフ2世は人間王族の純血種です!

★ところが、マリア・テレジアが女帝となったオーストリアがヨーロッパ各国から攻撃される「オーストリア継承戦争」* に負けると、ナポレオンかルシファーがマリア・テレジアの婿に入るなど、スリーシスターズ&その他のアングロサクソン純血種ETヴァンパイアのたちが子供に化けるなどしてハプスブルグ家の戸籍に乱入してきたのでした。

* オーストリア継承戦争

マリア・テレジアとオーストリア継承戦争

オーストリア継承戦争から七年戦争まで

マリアテレジアと七年戦争

ハプスブルク王朝・マリア・テレジアの年表〜中世を旅する〜

女帝マリア・テレジアのこどもたち

■人間王族の子供たち
1〜4(マリア・エリザベート、マリア・アンナ・ヨーゼファ・アントニア、マリア・カロリーナ、ヨーゼフ2世
6(マリア・エリザベート)
14(フェルディナンド・フォン・エスターライヒ:ほんとうは1744年生まれ?)

フェルディナント・フォン・エスターライヒ 肖像画を拡大

おそらく、フェルデナンド(←訂正:『ヨーゼフ1世』の息子『レオポルド2世』=「アルバート公」)はナポレオンとの戦いで負傷し捕虜となってザルツブルグのホーエンツォレルン城に連れて行かれ、モーツァルトとしてヨーロッパ中で演奏活動をさせられていたのではないかと。。。次にヨーゼフ2世の弟の神聖ローマ帝国皇帝『フランツ2世』(フェルディナンド)もホーエンツォレルン城に捕虜として連れて行かれ、後に、ドイツのフランクフルトのゲットー内に監禁され金融の仕事や音楽活動やさまざまな仕事をさせられていたのでしょう。そして、次にはロスチャイルド家=ハノーヴァー家の奴隷となって、やはり、さまざまな仕事をさせられて、こき使われてきたのでしょう。

「アルバート公」=神聖ローマ帝国皇帝『レオポルド2世』=モーツァルトはどうやら天才的な音楽家だったらしく自分で指揮も作曲も、ピアノを始めいろいろな楽器の演奏もできたようです。しかしながら、ナポレオン=ジョゼッペ=ハトホルにヨーロッパ中を演奏活動して回ることを強要され、偽モーツアルト=ナポレオン=ジョゼッペ=ハトホルのほうは女遊びやスパイ活動をしていたようです!

8(マリア・アマーリア)10(マリア・カロリーナ1歳未満で死亡)、11(マリア・ヨハンナ・ガブリエーラ)、12(マリア・ヨーゼファ)

15(マリア・アントーニア=マリー・アントワネット)おそらく、生年月日がほんとうは1748年くらい?)

以前にも書きましたが旧ハプスブルグ家子供たちは幼くして暗殺されたり、女の子たちは結婚前に重病になるなどして独身のまま修道院で一生を送ったり、病死とかして、マリー・アントワネットも前々から用意周到に練られた陰謀によりギロチンの処刑台に上げられ、残酷にも断頭台の露となって消えたのでした。


ただし、以下の子供たちは父親はナポレオン=ジョゼッペ=ハトホルが自分のクローン子孫たちを旧ハプスブルグ家の戸籍を改ざんして勝手に入れたようです。

■アングロサクソ脳族の子供たち(身体を小さくして子供になりすました大人も含めて)

5(マリア・クリスティーナ)、7(カール・ヨーゼフ)、9(レオポルト2世)、13(マリア・カロリーナ・ダズブルゴ=鷹司景子=レア


16(マクシミリアン・フランツ=ゲーテの横顔の肖像画*に似ています。

マクシミリアン・フランツ・フォン・エスターライヒ 拡大肖像画

*ゲーテの横顔 

「ナポリを見て死ね」(ことわざ): ジム佐伯のEnglish Maxims

とにかく、スリーシスターズたちなどアングロサクソ脳族たちが多数、旧ハプスブルグ家の戸籍に乱入していったようです。

捕虜となってアングロサクソン王族の奴隷にされてしまったヨーゼフ2世=アルバート公もフェルディナンドも、おそらく、ES細胞移植で永く生きているのでしょう。それは、ヤハウェ王族大好きなスリーシスターズが彼らの死を望まないためヴァンパイアにされるかもしれない不安があったのでしょう。それで、ヤハウェ王族たちは、より長生きできるようにES細胞移植という方法を発明したのでしょう。


どっちにしても、わたしは誰も彼もがES細胞移植をすることは生命倫理の観点からも勧められません。ほんとうに特殊なケースでやむおえない場合はあるかもしれませんが。。。一般的には、人間は亡くなっていくのが自然であり、その代わりに子孫が生まれていくという『輪廻転生』*(りんねてんしょう)をしていくのが望ましいように思われるからです。

いろいろ複雑なこととかをいう宗教その他などあるようですが。。。まあ、単純に、魂が輪廻するとすれば、前世の魂を多少なりとも引きずっているというのはありえるかもしれません。けれども、例えば、悪い事をした業とかいうのをお祓(はら)いとか献金とかなにかで清めるというのはどうなんでしょう?やはり、良い行いで償(つぐな)って自分の心と身体を清めていくっていうのが正解なのかも?

反対に、前世でなにも悪い事してないのに誰かから酷い目にあわされたとかっていうのなら、現世ではそういう目に遭わないようによくよく気をつけるとか。。。


★★★まあ、アングロサクソ脳族たちのこれまでしてきたような超残虐な行いには世界中のヤハウェ系(人間)みんなで力を合わせて対処していくしかないでしょうけれどもネ!!!

* 輪廻転生の意味 - 四字熟語 - goo辞書
輪廻転生

革命皇帝ヨーゼフ2世 ・ 改革とモーツァルトを愛した皇帝:世界の戦争・歴史ブログ

1777年 オーストリア君主ヨーゼフ2世の訪問

マリー・アントワネットの贅沢のし放題という噂のかなりの部分はでっち上げだったようですけれども、妹のそういう悪い噂を聞いてヨーゼフ2世は胸を痛めて、なるべく質素に暮らすよう妹のマリー・アントワネットを説得したんでしょうね〜

それにしても、ヨーゼフ2世はなかなか理知的で外交術にも優れた優秀な人だったようですね。


第49回:“See Naples and die.”―「ナポリを見て死ね」(ことわざ):ジム佐伯のEnglish Maxims

このヨーゼフ2世は、以前からオールバニ公レオポルド=西本願寺21世法主「大谷光尊」について言及してきましたように、わたしが島根県大田高校の時の剣道部の一年先輩でキャプテンだった「三瓶先輩」にソックリです!しかし、これはあくまでもジョゼッペ(=ハトホルの男姿)の代理ということのようです。

**このブログ内の関連記事:
再訂正:ヴィクトリア女王の4男オールバニ公レオポルドは『ヨーゼフ2世』の息子「アルバート公」のさらなる息子!

< ヨーゼフ2世の最初の妻だった王妃マリア・イザベラ >

マリア・イザベラ・フォン・ブルボン=パルマ(1741~1763)・・・A

神聖ローマ皇帝ヨーゼフ2世妃 マリア・イザベラ - まりっぺのお気楽読書

わたしが以前見たアルバート公の素顔は、上のサイトAのマリア・イザベラによく似ています。

ヨーゼフ2世とマリア・イザベラとの間に生まれた二人の女の子たちは亡くなったことになっていますが、おそらく、長女マリア・テレジアのほうは暗殺されないように里子にでも出されたのでしょう。それが、エルンスト1世の最初の妻ルイーゼ・フォン・ザクセン=ゴータ=アルテンブルクではないかと(スラブ家系だそうですから)。そして、エルンスト1世(アングロサクソ脳族)との間に生まれた子なので、アルバート公は70〜90%ヤハウェ系(多分、90%くらい人間)です。


ところで、長男のエルンスト2世はどう見てもルイーゼ・アテンブルクの生んだ子には見えず、バイエルン公は何万年か何千年か生きているヴァンパイアETモンスターではないかと。。。それで、自分のクローン子孫の戸籍に入れてもらっているのでしょう。

エルンスト2世 ウィキペディア・・・B

マクシミリアン2世(1811 - 1864)は、バイエルン王国の第3代国王(在位:1848 - 1864)

マクシミリアン2世 拡大画像・・・C

レオポルド1世(ベルギー王)・・・D

島津久光 ウィキペディア・・・E

上のリンク先サイト B,C,D,Eの四つの写真を比べると、よっく似てるような気がするんですが。。。。

髭に垣間見たタバコの歴史
[PR]
by Ulala-lov | 2015-03-06 15:50 | 西洋史 | Comments(4)

北ヨーロッパ

北欧


< フィンランド >

フィンランド ウィキペディア

カレリア

フィンランドとは - ニコニコ大百科

フィンランド共和国 - 外務省

フィンランド基礎データ

フィンランド人は何故「スオミ」と呼ばれるのですか?…yahoo!知恵袋

スオミの神話・民話 Suomi >>関連項目一覧

・日本、英語ではフィンランドと呼称されるが、自称国名、地域名はスオミ。

・スオミ民族はマジャール民族と同じくアジア系の民族でスカンディナヴィア人などのゲルマン系の 北欧人とは異なる。

・北部ではスオミ民族とは別の、サーミ語を母語とするサーミ(サーメ)[ラップ]民族も居住する。

・北西部には スウェーデン系の少数民族もいる。

・近現代の戦争後の領土問題と絡んで、ロシア側にいた北極圏のトナカイ遊牧民が スオミ側に移り住むというような政治的な移住もあった。



家族と一緒、フィンランドの夏 ユハンヌスの過ごし方:朝日デジタル

フィンランド育児事情とは イクメン大使が教えます:朝日デジタル

フィンランド、起業の聖地に 「ノキアの遺産」芽吹く:朝日デジタル


< フィンランド3部族 >

◎ハメ人(Hame)
パイヤト=ハメ県
県章のアイコンが『人魚』です。

ハメ州

ハメ人(はめじん)とは - コトバンク

ラポラの丘 - Heart Beats FINLAND

駐日フィンランド大使館 on Twitter

ハメ以外の部族・地域名としては、サヴォ、カルヤラ、ポホヤンマー、ヴァルシナイス・スオミなどが有名です。

駐日フィンランド大使館 on Twitter

【ハメ城】
ハメーンリンナ市にあるお城。1260年にスウェーデン人の十字軍が地元のフィンランド人に対抗するため築きました。当初は木造だったのですが、1300年頃から改築が行われ、ゴシック様式になりました。

ハメ城 - 地球放浪記

1260年頃、十字軍遠征でこの地方に兵を進めたスウェーデン王が要塞を造ったのを基に、その後、増築を重ねて今の姿になったらしい。

青銅器時代 ウィキペディア

・メソポタミア・エジプトでは紀元前3500年ごろから、ヒッタイトの現れる紀元前1500年前後までが青銅器時代と考えられる。

・ヨーロッパでは紀元前2300年〜紀元前1900年ごろのビーカー文化後期、紀元前1800年〜紀元前1600年ごろから始まったウーニェチツェ文化などを経て、紀元前800年頃から青銅器時代から鉄器時代への移行期に入る。(要するに、BC2300~BC800年頃)
・中国では、紀元前3000年頃から春秋時代(紀元前770年〜紀元前400年ごろ)までが青銅器時代に相当し、さまざまな特異な青銅器が生まれた。

ヨーロッパ ウィキペディア

フィンランド&エストニア紀行6 ハメ城見学:マリンブルーの風

エストニア ウィキペディア

エストニア共和国 - 外務省
エストニア基礎データ


エストニアにある萌え寿司屋『SUSHI CAT』- NAVER まとめ


フィンランド&エストニア紀行1 旅の計画を立てる:マリンブルーの風

合唱の国エストニア。
バルト三国の1国であるエストニアは、1991年にソ連から独立しました。流血を避け、平和裏に行われた独立運動は「歌う革命」と呼ばれ、1989年11月には首都タリン近郊の「歌の原」に国の総人口の1/3にあたる30万以上の民衆が集まり、独立への思いを歌ったのでした。

◎サボ人(Savo)

サボ人とは - コトバンク
(引用)
…その頃カレリア人Kalialaisetはラドガ湖の周辺に定着していた。やがて両者が接合した部分にサボ人Savolaisetが発生し,ここに3部族が鼎立する形となった。そして
堅実なハメ人
音楽好きなカレリア人
陽気なサボ人
と部族的気風も育ってきた。

オラヴィ城=サヴォイリンナ(=リンナは城の意味で「サボイ城」)

白夜の真夏にオペラ三昧!ドラクエ竜王の城のモデル、オラヴィ城

フィンランド最大の湖サイマー湖の湖岸に位置するこの都市は1639年に設立され、同市内の小島に築かれたオラヴィ城は、「世界で最も北に位置する中世の城」であり、「世界最北の石造りの城砦」としてもよく知られている。

[ドラクエ10 ] ルーラーの呪文と[竜王の城]のモデル:ゆうかの思い出チーム

「ドラクエ」も「竜王の城」もまったくチンプンカンプンなので調べてみると。。。

聖地巡礼「ドラゴンクエスト 竜王の城」

ドラゴンクエスト歴代キャラクター全員集合!

『オラヴィ城』は、パソコンゲーム「ドラゴンクエスト1」で「竜王の城」として舞台になった城のモデルのようです。

サヴォンリンナ・オペラ・フェスティバル

会場は1475年に建てられた湖上の要塞、オラヴィ城(Olavinlinna)。

◎カレリア人

フィンランド苦難の20世紀 継続戦争2 フィンランドとカレリア、歴史的背景 (6)
[PR]
by Ulala-lov | 2014-12-04 15:02 | 西洋史 | Comments(0)

2014−01−18

(2のつづき)


だから、マリア・テレジアが同盟国と共に起した七年戦争(シュレージエン奪回戦争)では、最後にはロシアの女帝エリザヴェータ* が突然亡くなり(都合上、死んだということに)、後継のピョートル3世(在:1762、エリザヴェータの甥で北ドイツの貴族の血をひいている)はフリードリヒ大帝の心酔者であったため(偶然じゃなくて、そういうことを理由にして)、ロシアはオーストリアを裏切ってプロセインに協力したのでした。それで、一挙に形勢が大逆転しプロセインが勝利したのです。おそらく、ピョートル3世の妻で、ピョートルの皇帝即位後、8ヶ月ほどで、夫である皇帝を愛人に暗殺させたロシアの大魔女『エカテリーナ2世』*** の意向も大きかったと推察されます。

*** エカテリーナ2世と愛人たち (6) l Diane de Poitiers に挑む

エカチェリーナ2世 wikipedia
若い頃の肖像画はマリエ・ルイーズ・ユージーン・ビアーズのようですが、年をとった肖像画はわたしの元夫の母親(アイゼンベルグと新生ヴィーナスの子らしい)に似ています。その太り気味の60歳近い元義母に若い時の写真も見せてもらったのですが、やせて、ものすごく美人だったので、若い頃のエカテリーナ2世に似ていたような。


<ロシアより愛をこめて・・・> II : ダンディー先生のお茶飲み話


不思議の国のロシア 〜エカテリーナ2世〜:リッチな毎日



☆☆☆ というわけで、ロシアの女帝「エリザヴェータ」や、自分の夫を暗殺してまで女帝になった大魔女「エカテリーナ」や、フランスのポンパドール夫人たちに巧妙にダマされていたマリア・テレジアは"プロセインへの復讐"?、っていうか奪われたシュレジエン州を取り戻し、オーストリアの防衛を確実にするための戦争『七年戦争』に失敗したのでした!!!


そして、この記事の<1>で述べましたように、マリア・テレジアの息子2人が「神聖ローマ帝国」皇帝になった後、後継者がおらず、最後の「神聖ローマ帝国」皇帝・『フランツ2世』ことアイゼンベルグがハプスブルグ家を乗っ取り、それに連動するかのようにナポレオン(=ジョゼッペ)の侵攻により神聖ローマ帝国は崩壊します。(もちろん、裏でアイゼンベルグ&ジョゼッペが入念に打ち合わせしていて連動させていたんです〜!)


< (サクス・コーブルグ・ゴータ朝)歴代オーストリア皇帝 >

(神聖ローマ帝国崩壊後のオーストリアは「ハプスブルグ=ロートリンゲン朝」ではなく、実際には「サクス・コーブルグ・ゴータ朝」です)

皇帝フランツ2世はオーストリア皇帝「フランツ1世」になり、次の「フェルディナンド1世」はジョゼッペ、その次の「フランツ・ヨーゼフ1世」は象二郎のようです。さらに、その次の「カール1世」*はオットー・フランツ・ヨーゼフ大公の長男で、祖父カール・ルートヴィヒ大公**は、フランツ・カール大公***の
三男で皇帝フランツ・ヨーゼフ1世とメキシコ皇帝マクシミリアンの弟にあたるとか。つまり、アイゼンベルグやジョゼッペや象二郎の血が混じっているということです。もちろん、「新生ヴィーナス」やシバの女王」たちの血もです。


* カール1世(オーストリア皇帝) wikipedia
あれっ!カール1世って、サッカーの三浦一良に似てるような。。。

三浦和良 画像集

ん〜、同じ角度の顔を見ると、けっこう似ています!カール1世本人か、子孫か?しかし、この手の顔の人けっこう多いです。島根の山根光◎(=ジョゼッペ、ジョゼッペがジョン・F・ケネディの身体を乗っ取っていた時の子であり、その子にジョゼッペが脳移植した)の母親もカール1世に似ていますが、身体がとても小さくて身長が140センチくらいです。チビタコ女王のひとりかもしれません。また、歩き方がナックル運動(ゴリラ、チンパンジー・オラウータンなどの歩き方)しているようでした。

生涯現役!!キングカズ(三浦和良選手)のすごさの数々!- NAVER まとめ
11って、サタニストトップたちの好きな数字らしいんですけど。。。田原、永井、大久保選手はただの使い捨てですか?酷すぎるぅ〜ww
三浦知良 アンサイクロペディア
サッカー界のキングとして今も君臨されているそうです !

** 第一次世界大戦の切っ掛けとなった「サラエヴォ事件」で暗殺されたフランツ・フェルディナント大公(オーストリア=エステ大公の父親だということです。
*** フランツ2世の三男(なので、アイゼンベルグの息子)

そして、「カール1世」の時代、第一次世界大戦中の1918年、同盟国の相次ぐ離反(チェコスロバキア、ハンガリー、ポーランドなどが共和国を宣言)により「オーストリア・ハンガリー帝国」*も崩壊してしまいます。カール1世はつなぎとめようとしたとありますが、真意はそうではなかったのかも?結局、オーストリアもハプスブルグ=ロートリンゲン家からの支配から独立し、カール1世はポルトガルのマディラ島に亡命し、そこで1022年に肺炎のため死去したのでした。(多分、亡くなってないと思いますけど)

オーストリア=ハンガリー帝国

「オーストリア=ハンガリー帝国」最後の皇帝「カール1世」と妻のツィタとの間にできた子供には。。。
・長子で皇太子だったオットー・フォン・ハプスブルク(1912~2011)は、欧州議会議員を務めるなどした政治家だったとか。2011年に亡くなったことになっていますが、現在は日本でスパイ活動をしているんじゃ?顔をかなり化粧やヒゲなどで変装させているのがよく分りますね!誰かしら?

オットーと妻のレギーナの長男がカール・ハプスブルク=ロートリンゲンは、オーストリア国民党の議員で、欧州議会議員を1999年まで務めた。妻のフランツェスカ・ティッセン=ボルネミッサ(あのティッセン*の創業者の子孫)との間に3人の子供がいます。
* ハインリヒ・ティッセン
ティッセンは確か二度の世界大戦にも深く関わっていた会社です。

・次男ローベルト(オーストリア=エステ大公)の長男にはベルギーのアルベール2世の長女と結婚し、1995年にベルギー王子の称号を与えられたローレンツ_(オーストリア=エステ大公)などがいます。

三男にはフェリックス・ハプスブルク=ロートリンゲン
メキシコ、ベルギーで様々なビジネスに関わり、経済コンサルタントとして活動していたが2011年にメキシコで死去とありますが、ほんとうかなあ?どこかで見たことのあるような顔なんですけど。。。

四男のカール・ルートヴィヒ・ハプスブルク=ロートリンゲンもベルギーのブリュッセルでソシエテ・ジェネラル・ド・ベルジック社(2003年まで存在したベルギーで最も大きい大企業のひとつ)に勤務していた。のちに同社のカナダの子会社「ジェンスター社」を創設し、1986年に退職するまで取締役を務めた。兄のフィリックスと共に、ハプスブルク家の資産の一部を返還するようにオーストリア共和国政府に求めている。(こんなアングロサクソン王族たちに返還するなんてとんでもない。それに、もともとはマリア・テレジアまでの本来のハプスブルグ家の資産が相当含まれているはずですし。)

五男のルドルフ・ハプスブルク=ロートリンゲンは、ウォールストリートで証券会社に勤務、ベルギー領コンゴでコーヒー農場を経営するかたわら、ベルギーで銀行取締役をつとめていたそうです。2010年に死去したそうですが、これもほんとうかしら?


(2014.01.18 10:00 p.m. 記述完了)
[PR]
by Ulala-lov | 2014-01-19 02:08 | 西洋史 | Comments(0)

2014−01−16

(1のつづき)

ピーター・オトゥール・フォトギャラリー
ピーター・オトゥールさん死去、「アラビアのロレンス」主演 CNN.co.jp
2013年12月16日に死去したとありますが、多分、偽装死でしょう。どっかでのうのうと生きていて、さらなる陰謀を企てているのでは?

ピーター・オトゥール Peter O'Toole
ピーター・オトゥールさん死去。「アラビアのロレンス」「チップス先生さようなら」「おしゃれ泥棒」など出演。おくやみの声
ピーター・オトゥールのプロフィール all cinema

ヴィーナス - Yahoo!映画
(写真の説明:以前の記事にも書きましたが、映画『ヴィーナス』で共演したジュディ・ウィッテカーは新生ヴィーナスですから)

映画「アラビアのロレンス」

"まさか!" と思いましたが、俳優の加藤剛=アイゼンベルグのようです。映画『アラビアのロレンス』の時のピーター・オトゥールにソックリです!
加藤剛(カトウゴウ、1938年生まれ) - Yahoo!検索(人物)
YouTube の青年実業家たちは二人ともアイゼンベルグのようです。しかし、顔も声も自由自在、実によく化けますね〜!!!と言って、感心してる場合じゃありませんでした。なので、アングロサクソン王族サタニストたちには、よ〜く気をつけましょう!『注意一秒、怪我一生』*の交通事故の有名な標語どおりです!
*注意一秒怪我一生
注意一秒、怪我一生。 l 超安全運転講座
道路を横断する時は、車も人も「右見て、左見て、また右を見る!」が安全呼称でしたよね!
自転車で転倒するという事。注意一秒怪我一生。Tokyo,Japan.
あ〜、惨(むご)すぎます〜〜〜、あ〜あ!痛そうじゃのう ><。
注意一秒怪我一生 l ひびのたわごと ありゃりゃ?!こんなことも。。。

加藤剛 画像集
加藤剛さんら4028人叙勲 奥田碩氏に旭日大綬章
アイゼンベルグと奥田碩は親子だから、旭日大綬章と旭日小綬章の親子受賞ですね!この加藤剛の顔は、わりとピーター・オトゥールによく似ていますよ!しかし、アクのある感じの三船敏郎や三国連太郎とは大分違って、加藤剛はいかにも清潔感のある優しい紳士系の感じです。まったく〜、すっかりダマされてました〜!情けないだ??ワン!

そして、本物のアラビアのロレンスのモデルであるトーマス・エドワード・ロレンスも、なんと〜、やはり、アイゼンベルグのようです!(このブログの以前の記事では、ロレンスはヤハウェ王族だと信じて書いたのに〜とほほ〜 ?? ) だって、ピーター・オトゥールにアゴのラインがソックリです!そして、あのチャールズ英皇太子妃のカミーラ夫人(多分、エリザベス女王とアイゼンベルグの娘)とか〜、ジョージ・ブッシュJr.元米大統領(母親バーバラ・ピアーズ・ブッシュはマリエ・ユージーン・ルイーズ・ビアーズとアイゼンベルグの娘?)とか〜にもソ〜ックリ!!! ?? 0h, My Great Kite !!! (ああ〜、ダイオウイカの神様〜!!!)

加藤剛
下のテイストの似たアーティストのところの人たちもみなアイゼンベルグでしょうか?また、目黒祐樹がアイゼンベルグの子孫で、松方弘樹がアイゼンベルグ本人ということ?ああ〜、信じらんないわ〜!

松方弘樹(マツカタヒロキ)- Yahoo!検索(人物)
ちょっと太めの顔にしてるけれど、やはり、アイゼンベルグのようです!そして、離婚した仁科明子は。。。
仁科亜季子(ニシナアキコ、1953年生まれ)- Yahoo!検索(人物)
仁科明子は子宮頸癌ワクチン推進キャンペーンの広告塔として活躍していましたが、今、子宮頸癌ワクチン接種*をした少女たちに被害が続出したため、厚生省も推奨を一時中止する事態になっています。
* 体中に激痛・車いす生活…子宮頸がんワクチン、被害続く:朝日デジタル
みかりんのささやき~子宮頸がんワクチン被害のブログ~
子宮頸がん予防ワクチンの接種を受ける皆さまへ - 厚生労働省
本来なら全面的に禁止すべきですが、サタニストたちに日本を沈没させるとか、また原発事故を起して大量被爆、大量虐殺するとかなんとかって脅迫されているのでできないようです。

仁科亜季子 画像集
ん〜、どうやら新生ヴィーナス(梶美奈子さん)のようです!

宮前ユキ 画像集 バネッサ・ウィリアムという歌手もそうみたいです。それにしても女装がうまいですぅ〜!@@;
さすらいの唄 /小沢深雪
夜空の慕情 小沢深雪
背が非常に低いようなので、新生ヴィーナスの母親であるチビタコの田部陽子かも!西崎みどりなどもそうみたい。
歌手・日本舞踊家・女優 西崎緑のオフィシャルサイト このブログでの着物姿の顔は、女優の柏木由紀子*に似てますね〜!柏木由紀子は白木みのる(本名:柏木みのる)と田部陽子の娘なのでしょうか?
* 柏木由紀子(カシワギユキコ、1947年生まれ) - Yahoo!検索(人物)
動画を見ると、AKB48の柏木由紀も鼻筋も太く、やはり、白木みのるの子孫なのでしょうか?もしかして、柏木由紀子の恋人と間の娘?


確かに、1806年にナポレオンによる侵攻 により「神聖ローマ帝国」** は崩壊したのですが、ナポレオン(ジョゼッペ)とフランツ2世(アイゼンベルグ)は初めから結果ありきの 出来レースの戦争をし、計画的に「神聖ローマ帝国」を崩壊させたのです!!!まさに、徳川幕府を最後の将軍「徳川慶喜」(=ジョゼッペの子供)が崩壊させたのもこれと同じようなパターンでした。

** 神聖ローマ帝国の歴史
神聖ローマ帝国の歴史〜ドイツ三十年戦争(1619~1657)

神聖ローマ帝国・前編~オットーの戴冠と帝国の誕生〜
神聖ローマ帝国・後編~ドイツ分裂の時代~
オーストリアとプロイセン・その1~三十年戦争とスペイン継承戦争~
(上の間違いと思われるところは、「ハプスブルグ家は神聖ローマ帝国の発展よりも自国領オーストリアの領地拡大に熱心だった」とあるところです。これは、今までのアングロサクソン王族の皇帝たちのことで、それで領民たちの不満を買い、ハプスブルグ家が世襲制となったのでしょう。)

「三十年戦争」ではオーストリアなどのカトリック同盟国がず〜っと連勝していたのに、カトリック国であるにもかかわらずフランス(元々敵国ではあった)がプロテスタント同盟国に味方したため、オーストリアなどのカトリック同盟国が敗北してしまったのです。この時のフランス王はブルボン朝「ルイ13世」ですが、1924年に宰相がリシュリュー(=ジョゼッペ)が選出され、新教徒側と同盟を結び、ハプスブルグ家に対抗したのでした。「ルイ13世」にしても、次の「ルイ14世」にしても領土拡大の野心が非常に強かったとか。なんにしてもブルボン朝はアングロサクソン王族ですから、ヤハウェ王族のハプスブルグ家は天敵だったに違いありません。そして、新教のプロテスタントはアングロサクソン王族たちが広めた宗教なので、当然、アングロサクソン王朝の国々に優先的に広まっていったわけで、当時のオランダ、イギリス、スウェーデン、デンマークがアングロサクソン王朝だったことが分ります。

オーストリアとプロイセン・その2~マリア=テレジアの復讐~

このオーストリア継承戦争(1740~74)でオーストリア側(英国とオランダが同盟国)がプロセイン、フランス、スペイン(ブルボン朝)との戦いでオーストリア側が敗北すると、プロセイン(ホーエンツォレルン家)のフリードリヒ大王は以前から狙っていたオーストリアの豊かな鉱産資源と工業が発達しているシュレジエン州を獲得しようと侵攻していっき(第1次シュレジエン戦争1740~42)、オーストリアは敗北し1742年にプロセインが獲得したのでした。この時に反ハプスブルグ派の諸国・諸侯も進軍を開始したということで、アングロサクソン王族たちはハプスブルグ家の崩壊をずっと付け狙っていたのです。

この時の落ち目のオーストリアに、大トルコ戦争で味方していたザクセン公フリードリヒ・アウグスト2世(=アウグスト3世ポーランド王)やバイエルン公カール=アルブレヒト(カール7世(神聖ローマ皇帝)は、すぐさまオーストリアに宣戦したということですが、このバイエルン公の父親マクシミリアン2世は「大トルコ戦争」ではオーストリアの味方をして戦っていたのです。ですから、たとえ味方のふりをしていても、結局、彼らアングロサクソン王族たちの本心は、反オーストリア体制なのです!!!このバイエルン公はベーメンを占拠し国王になり、さらに神聖ローマ帝国皇帝カール7世としてアングロサクソン王朝「バイエルン朝」を復活させました。

一時、ハプスブルグ家は断絶しますが、この後、マリア・テレジアはまた奪われた領地を奪回し、バイエルンを占領し、カール7世を退位させて、夫のフランツ3世・シュテファンがフランツ1世(=アングロサクソ脳族)として神聖ローマ帝国皇帝につきます(1745~65)。これが『ハプスブルグ・ロートリンゲン朝』(1745~1806)です。


さらに、フランスのオーストリア領ベルギーへの侵攻があり、その領土を奪われるし、スペインもオーストリア領ミラノに侵攻するなどアングロサクソン王族諸侯のオーストリア領への侵略が続いていました。その上、プロイセンの再度の侵攻による第2次シュレジエン戦争もあり、オーストリア継承戦争もまだ継続中でした。結局、シュレジエン州がプロイセンに奪われたことにマリア・テレジアはフリードリヒ大王への怒りが収まらなかったのです(当然といえば当然な話です)。

この当時、(要約の引用)「プロイセンはハプスブルク家オーストリアの弱体化、フランスはイギリスとハプスブルク家オーストリア双方の弱体化を狙っていたという外交関係であった。そして、エリザヴェータ女帝(エカテリーナ1世とピョートル1世との娘)は、イギリス・ジョージ2世と話し合い、プロイセンに対する英露相互不可侵とプロイセンへの攻撃と防衛を話し合っていたとのこと。フリードリヒ大王は危機感を感じ、イギリスとプロイセンは急速に手を結ぶようになった(1756年1月)。ロシアは当然イギリス・プロイセンの同盟に遺憾を示し、オーストリアに接近することになる。」とあります。

マリア・テレジアはフランスのルイ15世の愛妾「ポンパドール公爵夫人」*がフランスの政治に介入するに至り、マリア・テレジアと接触する機会が多くなると、プロセインの孤立化作戦に対してフランスの賛同を得させたのです。また、ロシアの「エリザヴェータ女帝」**にも賛同させたのでした。(しかし、これって、逆に、アングロサクソン王族、特に「シバの女王」たちがマリア・テレジアに仕掛けた絶妙なワナですよ!)

* ポンパドゥール夫人
ポンパドゥール夫人 - ヴェルサイユ宮殿
この「ポンパドール夫人」というのは、『新生ヴィーナス』か、そのクローンかもしれません。後年はルイ15世のために若い美女のハーレムまで提供する、こういうおばさんを' やり手ばばあ 'と古代中国(唐代の頃の文学で読む)では呼んでいたらしいです。

[デュ・バリー夫人] 革命に飲み込まれた王妃 マリー・アントワネット
ポンパドゥール夫人 - アンサイクロペディア

** エリザヴェータ(ロシア皇帝)
鼻の上部が非常に太いので、やはり、アングロサクソン王族です。母親のエカテリーナ1世はドイツの北東部の農民の娘だったが、捕虜になりロシアに連れて行かれ召使いか妾にされていたそうです。この人の顔は、元夫との結婚式で写真に写っていた夫側の親戚のおばさんの顔によく似ていますので、アイゼンベルグの子孫なんでしょう。ということは、ピョートル大帝もうまく「シバの女王」のハニートラップにハマってロマノフ王朝を乗っ取られたということでしょうかね?

ペテルブルクの薔薇――ロマノフの血を継ぐ女帝エリザヴェータ
ロシア女帝 エリザヴェータ - まりっぺのお気楽読書



★★★ イギリスの「ジョージ2世」も、ロシアの女帝「エリザヴェータ」(母親のエカテリーナ1世はドイツから身分を隠して潜入してきた「シバの女王」のようです)も、ドイツのアングロサクソン王族の中心的な家系の出身のようですから、同じアングロサクソン王朝のフランスのブルボン朝やプロイセンのホーエンツォレルン家とは "仲良しこよし" のはずで、オーストリアのマリア・テレジアの作戦をつぶさにプロセインの「フリードリヒ大王」に密告していたことでしょう。

(2014.01.16 9:10 p.m. 記述完了)
[PR]
by Ulala-lov | 2014-01-18 15:41 | 西洋史 | Comments(0)

2014−01−16


オスマン帝国軍* による第二次ウィーン包囲(1683年)に際しては、オーストリア、ポーランド・ヴェネツィア・ロシアなど神聖同盟のヨーロッパの団結により、大トルコ戦争(1683~99)でオスマン帝国軍を排除しました。

* オスマン帝国
トルコ行進曲
ちなみに、1453年に東ローマ帝国(=ヴィザンチン帝国)の首都コンスタンチノープルを陥落させた時の君主「メフメト2世」というのはジョゼッペのようですし、神聖ローマ帝国カール5世の時のオスマン帝国君主「スレイマン1世」はアイゼンベルグだと推察されます。なので、第2次ウィーン包囲の時のメフメト4世もジョゼッペ、あるいは、その子孫だと推察されます。また、ムラト1世(在位1359~89)の時に「イエニチェリ」という軍隊を創設し、「新領土となったバルカン半島で、白人キリスト教徒の少年を奴隷として集めてつくった軍隊です。40戸に1戸の割合で、身体強健、眉目秀麗な少年を差し出させる。」とありますが、これはヤハウェ系の美少年を好む『新生ヴィーナス』、『シバの女王』たち(両性具有)、アイゼンベルグ、ジョゼッペ(ホモでありながら両性愛者、象二郎はホモではないらしいです)やその子孫たちの性奴隷と戦士の両方の必要を満たすために徴収されたものと推察されます。

オスマン帝国の君主
(アイゼンベルグやジョゼッペたちアングロサクソン王族たちのスルタン(君主)の鼻はわざと作って尖らせています。これはコウモリ族=テュルク系の鼻が尖ってややたれさがっているため彼らに似せて変装しているのです。)

ビザンツ帝国の滅亡とオスマン帝国
コンスタンチノープルが「イスタンブール」と改名されたのは、イースタン・ブル(牛)=牛頭王とも呼ばれる象二郎(アイゼンベルグと新生ヴィーナスの息子)に因(ちな)んだ名前がつけられたものと考えられます。ジョゼッペはいつも象二郎に花道を譲っています。自分は重要な局面での戦いの指揮をし、獲得した王座は象二郎に与え、いつも象二郎を立てています。おそらく、旧約聖書にあるように、ジョゼッペはアイゼンベルグ(=アブラハム)のいとこ「ロト」なのではないかと。それで、いつもアイゼンベルグや新生ヴィーナスや象二郎たちに遠慮しているのではないかと。。。なので、ジョゼッペもヤハウェ王族なのかもしれません。ただし、もしそうだとしても、かれらは、身体を戦士として最強になるように生物学的人造ロボットに改良(=ほんとうは改悪)していますので、もはやヤハウェ王族純血種の身体ではないのでしょう。



この時のバルカン半島遠征には、マリア・テレジアの夫となったフランツ1世の祖父シャルル5世(ロレーヌ公)* が総大将となってヨーロッパ軍を率いていました。なので、ロレーヌ公家はマリア・テレジアの父・神聖ローマ帝国皇帝「カール6世」(大トルコ戦争時は父のレオポルト1世が神聖ローマ帝国皇帝だった)から厚い信任を得ていたと考えられます。

* ロレーヌ公国(現在のフランス北東部・ドイツとの国境に隣接)は、1670年以降、フランスのルイ14世に領土を侵略されていたため、ロレーヌ公はオーストリアに亡命し軍人となっていました。アングロサクソン王族。

この「大トルコ戦争」ではロレーヌ公以外にも、こんな有力なアングロサクソン王族たちが協力していましたよ!

◎ [英国]
ジェームズ2世の庶子ジェームズ・フィッツジェームズ(初代ベリック公、母親はどう見てもアングロサクソン王族)
◎ [フランス]
ヴィラール(ドイツのマクシミリアンに仕えていた)
◎ [ドイツ]
・バイエルン公マクシミリアン2世
・バーデン・バーデン辺境伯ルートヴィヒ・ヴィルヘルム
・サヴォイア家出身でオーストリアに仕えたオイゲン・フォン・ザヴォイエン
・カレンベルク公エルンスト・アウグスト(後のハノーファー選帝侯)と、その長男ゲオルグ・ルートヴィッヒ(後の英王ジョージ1世)など


★★★ この時、オーストリア(ハプスブルグ家)には、いつもは敵のはずのアングロサクソン王族たちが大勢味方についてくれ、オスマン帝国軍=トルコ軍(テュルク系;トップはアングロサクソン王族)に勝利することができたのです。

▶▶▶ しか〜し、いくらヨーロッパがオスマン帝国に侵略される一大危機だからといって、あのアングロサクソン王族たちがそんなにお人好しなわけがありません!こういう時は何か悪いことを企んでいるに違いないのです!実際、この戦争では、オーストリア(=ハプスブルグ家;当時は「神聖ローマ帝国」皇帝を代々継承していた)の味方をしていながら、それは見せかけだけで、実は、これらのアングロサクソン王族たちは、みなオーストリア・ハプスブルグ家の敵だったことが後々判明するのです!!!

(結局、オスマン帝国軍とヨーロッパのアングロサクソン軍を連動させて操っていたのはアングロサクソン王族トップのアイゼンベルグたちだったのだろうということに気づいてネ!)

というわけで、オーストリアのカール6世(マリア・テレジアの父)は、この「大トルコ戦争」とスペイン継承戦争*では勝利したものの、1733~35年のポーランド継承戦争などで敗北し、ロレーヌ公国を失います。しかし、これらの戦争以前の「三十年戦争」の敗北で、「ウェストファリア条約」を締結し、実質、オーストリア・ハプスブルグ家の神聖ローマ帝国皇帝としての権威は地に堕ちていました。しかし、さらなる、これらの戦争続きで(これら全ての戦争はアングロサクソン王族たちがハプスブルグ家を乗っ取るための陰謀によって起きた戦争)、ハプスブルグ家は一層弱体化していったのでしょう。そして、ポーランド継承戦争の翌年1736年にロレーヌ公の孫「フランツ・ヨーゼフ1世」がマリア・テレジアと結婚し、オーストリアは実質アングロサクソン王族に乗っ取られてしまったのでした。

* スペイン継承戦争は主にフランスとオーストリアの争いと聞いていますが、結局どち… - Yahoo!知恵袋
スペイン継承戦争では、戦況が有利になると、オーストリア側についていたイングランドのピーターバラ伯が本国に召還(呼び戻すこと)されると劣勢になったというので変だなあと思って、その時の君主を調べてみると、ステュワート朝最後の君主アン女王でした。彼女の顔はどう見てもアングロサクソン王族です。その母親アン・ハイドで、どうも新生ヴィーナスに似てますよ〜!なので、スペイン継承戦争では表向きオーストリア側に味方していても、実は負けるように裏工作していた可能性大です。


また、ハノーファー公エルンスト・アウグストは英国ジェームズ1世の孫であるゾフィ(ドイツに亡命していた)と結婚しており、(しかし、ゾフィの母親のエリザベス・ステュアートはどう見てもアングロサクソン王族にしか見えないのですが。ウィキが褒めちぎっているのが怪しい証拠です)、ゾフィの祖父がジェームズ1世であることによってエルンストの長男のゲオルグ・ルートヴィッヒが英国の国王ジョージ1世となるなど、この頃(1600年後半〜1700年代前半)、ヨーロッパのヤハウェ王族の主要な王朝はアングロサクソン王族たちにどんどん乗っ取られていったようです。


★★★★★ ところで、ウィキのカール6世(神聖ローマ皇帝)のところを見ると、「1737年にオスマン帝国の再度の戦争に敗れてベオグラード(現在・セルビアの首都:かつてのユーゴスラビアの首都)を奪還され領土は縮小した。」とあり、1737年の数年前からオスマン帝国に『第三次ウィーン包囲」とも呼べるような『墺土戦争』(オーストリア対トルコ=オスマン帝国の戦争)が起きていたようです。

つまり、このような幾多の度重なる戦争とオスマン帝国(15万人の兵力=カエル&コーモリの生物学的人造ロボット)のオーストリアへの侵略が原因となって、カール6世は、"仕方なく"、長女で後継者のマリア・テレジアとアングロサクソン王族のロレーヌ公フランツ1世との結婚を受け入れざるを得なかったのでしょう。そして、この時、実質、ハプスブルグ家はアングロサクソン王族のロートリンゲン家に乗っ取られ、『ハプスブルグ=ロートリンゲン家』*になってしまったのでした。(ふたりが恋仲だったというのは後世にアングロサクソン王族によってでっち上げられた秘話なのでは?)

* ハプスブルク=ロートリンゲン家

そして、マリア・テレジア&フランツ1世の後は、長男のヨーゼフ2世が神聖ローマ帝国皇帝になりますが子供がなく、というのも、ヨーゼフ1世の妻マリア・イザベラ・フォン・ブルボン=パルマ)は敵対することが多かったフランス王ルイ15世の娘だったのですから(力関係で受け入れざるを得なかったのでしょう)、わざと、秘薬を飲むなどして子供をもうけないようにしたのでしょう。

また、その後を継いだ弟のレオポルト2世が帝位(神聖ローマ帝国)に就いたのですが、やはり、敵対するスペイン王カルロス3世(ブルボン朝=アングロサクソン王朝)の娘マリア・ルドヴィカ・フォン・シュパーニエンという、どう見てもアングロサクソン王族純血種と思われる女性と結婚しています。そして、やはり子供がなく、結局、フランツ2世フランツ2世が神聖ローマ帝国最後の皇帝になったわけですが、このフランツ2世は、わたしは今までヤハウェ王族だとばかり思っていたのですが、大いなる勘違いでした!ウィキの「フランツ2世」のサイト右側上部の肖像画を拡大してみてください。フランツ2世の顔をよく見ると、俳優の『ピーター・オトゥール』*にソックリで、しかもアイゼンベルグの顔です!!!(*のピーター・オトゥールの詳しい説明はつづきの記事 <2> の冒頭にあります。)

★★★ フランツ2世(神聖ローマ帝国最後の皇帝)=俳優のピーター・オトゥール=アイゼンベルグだったのです!!!

(2014.01.16 4:00 p.m. 記述完了)
[PR]
by Ulala-lov | 2014-01-16 23:32 | 西洋史 | Comments(0)

2012−12−23


ロンドン・ロスチャイルド家 - 2代目「ライオネル・ネイサン・ロスチャイルド」(1808〜1879年)の次男に「アルフレッド」*がいますが、下のサイトの写真を見てびっくり、この人はジョゼッペですよ〜。なんだか、変わったヒゲをはやして(つけヒゲ)いますが、彼の業績を読むと、すでに、1866年の「晋襖戦争」が終結した直後に、早々とライオネル・ロスチャイルドの戸籍に息子として入籍、N.M.ロスチャイルド銀行の乗っ取りに着手していたことが分かりました〜!!@~@

* Alfred de Rothchild (アルフレッド・ロスチャイルド、1842〜1918年)
http://en.wikipedia.org/wiki/Alfred_de_Rothschild

「アルフレッド・ロスチャイルド」の要約

「1863年(本当は1866年)に、N.S.ロスチャイルド銀行に入行し、父親(ではない)のネイサンから銀行業を教わり、ヨーロッパの銀行サークルと価値ある関わりを持った」とあります。ヨーロッパ中の全銀行をジョゼッペたちサタニストの支配下においたということでしょう。また、「1869年には、イングランド銀行の総裁になり、1889年まで20年間、その職にあり、1892年には、ブリュセルでの国際金融会議において英国政府の代表のひとりだった。ユダヤ人で初めてイングランド銀行総裁になった。その後も、50年間ユダヤ人で総裁になった者はいない。1879年に、ライオネルが亡くなると、バーミンガム州のハルトンにある広大な(5.7平方キロメートル)の土地を相続し(奪って)、1883年にハルトン・ハウスという城を建てた。一度も結婚せずに、「アルミナ・ウォムウェル」(=カマルボン公爵夫人)という私生児(多分、アルフレッドの子でしょう)を育て、1918年に亡くなると、その子が財産を相続した。」

アルフレッド・ロスチャイルドことジョゼッペが、イングランド銀行の総裁をしていた時期は、ちょうど、ユダヤ人のベンジャミン・ディズレリー*ことジョゼッペが英国首相として活躍していた頃ともかなり重なりますね。勢力的に二股をかけて仕事していたんですね。まあ、同じサクソン王族の手下も銀行や政府・国会に同僚としてたくさん引っぱり込んで、細々(こまごま)とした仕事は彼らに任せていたんでしょうね。

ベンジャミン・ディズレリー(首相在任:1868年2月〜12月、18742月〜1880年4月)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%99%E3%83%B3%E3%8
2%B8%E3%83%A3%E3%83%9F%E3%83%B3%E3%83%BB%
E3%83%87%E3%82%A3%E3%82%BA%E3%83%AC%E3%83
%BC%E3%83%AA


さらに、第二次世界大戦後は、ライオネルの三男レオポルドの後妻「マリエ・ペルギア」の連れ子で、レオポルドの三男となった「アンソニー・グスタフ・ロスチャイルド」*が英国ロスチャイルド家の頭領になり、それで、N.M.ロスチャイルド銀行*の持ち株のほとんどがアンソニーのものになったということです。それを引き継いだのがアンソニーの息子「エブリン・ロバート・ロスチャイルド」**です。

* アンソニー・グスタフ・ロスチャイルド
http://amesei.exblog.jp/4058636/
(「ロスチャイルド・コンティニュエイション・ホールディングス・AG」のAGは、Anthony Gustav の略であり、この持ち株会社がN.M.ロスチャイルド銀行のを傘下に収める一族の持ち株会だであり、アンソニーが設立したということです。アンソニーが本来のロスチャイルド家の人間を押しのけてN.S.ロスチャイルド銀行を傘下に収める会社をつくり、アンソニーなどサクソン王族がほとんどの株を持つようになったということでしょう。ということは、あの米国保険会社大手『AG』(アンソニー・グスタフの略ってことですね)も彼らサクソン王族の会社ということなんでしょうね。だから、2008年〜9年のサブプライム・ローン問題による金融恐慌の時も破産寸前だったのに倒産しないように政府から資金援助をたっぷりしてもらったんですよね。当時は、まだ(2009年1月までは)、ブッシュJr.が米大統領でしたからね〜。にもかかわらず、AGの役員たちは豪勢なボーナスをもらったりしていたので問題になってたましたね〜!)

*N.M.ロスチャイルド銀行&サンズ
http://ja.wikipedia.org/wiki/N%E3%83%BBM%E3%83%BB
%E3%83%AD%E3%82%B9%E3%83%81%E3%83%A3%E
3%82%A4%E3%83%AB%E3%83%89%26%E3%82%B5%
E3%83%B3%E3%82%BA

★★★銀行の紋章のてっぺんに描かれている「カラス」は、ジョゼッペ&シバの女王の「ゲルマニア帝国連邦」を象徴する紋章のようですね。本来のロスチャイルド家の経営していた銀行をサタニストたちが乗っ取ったという”証拠”です!

** Evelyne Robert de Rothschild
http://en.wikipedia.org/wiki/Evelyn_Robert_de_Rothschild

★★★★★
ジョゼッペは、2代目ライオネルの戸籍に次男として入ったばかりか、そのライオネルの三男のレオポルドにシバの女王「アチル・ペルギアの娘」を嫁がせ、ジョゼッペ自身が次男として、マリエ・ペルギアの連れ子が三男としてレオポルドの戸籍に入り込み、ロスチャイルド家の金融や資産のほとんどをしだいに奪っていき、「ジョゼッペ&シバの女王」たちサクソン王族・サタニストのものとしていったということですね〜!!

しかし、最近では、本来のケルト系ロスチャイルドにとって少し状況が好転したのか?、下のサイトを読むと、2003年に、フランスのデビット・レネ・ロスチャイルド*が英国とフランスの両方のN.M.ロスチャイルド銀行を合併した銀行の会長に就任しています(表向きがそうなだけで、実際はただの財務管理者というだけなのかもしれませんが)。当初は、持ち株は、イギリス(主な株主はエブリン・ロスチャイルド)とフランスで分け合っていたようですが、2007年にはすべてフランスの持ち株になったとのことです。また、エブリン・ロスチャイルドの三男「デビット・マイヤー・ロスチャイルド」**は、探検家・環境活動家で、それらに関する本も出版しています。*** 「ロスチャイルド家」のサイトの下のほうにあるデビット・マイヤーの所を見ると、’ビリオネイヤー’となっていますから、資産が数十億ポンド(数千億円)もある大金持ちということですね。

* デビット・レネ・ロスチャイルド
http://en.wikipedia.org/wiki/David_Ren%C3%A
9_de_Rothschild
** デビッド・マイヤー・ロスチャイルド
http://en.wikipedia.org/wiki/David_Mayer_de_Rothschild

*** Rothschild family
http://en.wikipedia.org/wiki/Rothschild_family#English_branch
(ロスチャイルド家の紋章を見ると、てっぺんにカラスがいる気味の悪い紋章になっていますが、これは、ジョゼッペ&シバの女王たちサタニストに本来のロスチャイルド家が乗っ取られていることをよ〜く表しています。本来のロスチャイルド家の文様は『ライオンとユニコーンの文様』みたいです)

また、ライオネル・ネイサン・ロスチャイルド(=ダグラス・マッカーサー)とマリエ・ルイーズ・ユージーン・ビアー*との間には’4人の子供’**がいて、長女ローズマリー(1913年〜)、長男エドマンド***(1916年〜2009年)、次女ナオミ(1920〜2007年)、次男レオポルド(1927年〜)と戸籍上はなっています。しかし、エドマンドは名前からしてサクソン王族の名前で、ライオネル(=マッカーサー)とは全然似ていません。おそらく、上の3人はユージーンの連れ子(まあ、シバの女王たちは、結婚した後でも他人の子を生むのも平気みたいなので結婚後かも?)のような感じです(生年月日はよく誤魔化しているので、多分、ジョゼッペとユージーンの子)。三男のレオポルドだけがライオネルとの間に生まれた子供なのでしょう。というわけで、エドマンドは、叔父(実は異母兄弟)のアンソニーとは純粋サクソン王族同士で、父親が同じジョゼッペなので、とても仲が良かったそうです。第二次世界大戦時にはドイツにいて、おそらく、「父親と知ってか知らずかヒットラー(ジョゼッペ)を手伝っていた」*んでしょうね。><;

* マリエ・ルイーズ・ユージーン・ビアーズの父親
「ローバート・ガスコン・セシル-5代目ソールズベリー公爵」
http://en.wikipedia.org/wiki/Robert_Gascoyne-Ce
cil,_5th_Marquess_of_Salisbury
参考:「ウィンザー朝の奥の院は「ソールズベリー公爵」!(=セシル家)」
http://urarala7.exblog.jp/15811573/
** ライオネルの家系図 Exbury Garden - Family Links
http://www.exbury.co.uk/website/family.aspx
*** エドマンド・ロスチャイルド
ttp://imagesearch.excite.co.jp/detail/?search=%E3%82%A8
%E3%83%89%E3%83%9E%E3%83%B3%E3%83%89%E3%8
3%BB%E3%83%AD%E3%82%B9%E3%83%81%E3%83%A3%
E3%82%A4%E3%83%AB%E3%83%89&start=1&look=excite_jp
画像
http://imagesearch.excite.co.jp/detail/?search=
Edmund+Rothschild&start=0&look=excite_jp
*中丸薫のWORLD REPORT(vol.8)緊急特別掲載
http://www.taiyonokai.co.jp/report_8.html#column
(「交友録:エドモンド・ロスチャイルド」のところを読むと、まるで、ヒットラーが自殺した時に居合わせような言い方です。英語のウィキを見ると第二次世界大戦中、彼はドイツにいたということですから。)
謎のベール・・銀行家エドマンド・ロスチャイルドさん
http://www.zakzak.co.jp/top/200902/t2009021653_all.html
(良いことを言っておられますが、実際は本当のロスチャイルドを乗っ取っていらっしゃるわけで〜〜〜言っていることとやっていることが反対なわけです〜! サタニストたちはみなそうみたい。”何でも『反対、逆さま』なことをするのが良いことである”と小さい時から教えられているみたいなんです)
中田安彦著「世界を動かす人脈」より抜粋(6)
http://ameblo.jp/antibizwog/entry-10936787430.html
エドモンド・ロスチャイルド氏とデービッド・ロスチャイルド氏は、日系ユダヤ人
http://www.asyura.com/sora/bd13/msg/749.html
(母親が飯島セツ?って、日本人に化けているユージーンでしょう!それとも、情報交換するためジョゼッペが女装して、会っているのかな?)

○さあ〜比べてみよう!アンソニーとエドマンドはどれくらい似ている?!

アンソニー画像
http://imagesearch.excite.co.jp/detail/?search=Antho
ny+Gustav+Rothschild&start=1&look=excite_jp
(シリアス〜なお顔!)
エドマンド画像
http://imagesearch.excite.co.jp/detail/?search=%E3%82
%A8%E3%83%89%E3%83%9E%E3%83%B3%E3%83%8
9%E3%83%BB%E3%83%AD%E3%82%B9%E3%83%81%
E3%83%A3%E3%82%A4%E3%83%AB%E3%83%89&star
t=1&look=excite_jp
(ニコニコ〜顔!)

ま、表情がかなり違っているから印象はかなり違うけれど、顔の造りはけっこう共通点が多いような!


<ロックフェラー、ロスチャイルドについて>

NWOによる家畜的羊人間Matrixからの脱出:2011年03月

上のサイトで「スタンダード・オイル」の項を読むと、1870年の代初めに石油に関わってきて、買い占めを始めるなど強引なビジネスを行うようになるのですが、やはり、1866年の「普墺戦争」以降は、サクソン王族にコントロールされ、婚姻もして、乗っ取られていったのではないでしょうか?!

それから、上のサイトの真ん中あたりにある「国際金融家ロスチャイルド」についてのビデオの上のほうにある説明も下にある説明も間違っています。

まず、ビデオの上の説明:「ヒットラーは、ロスチャイルドの隠し孫であり偽ユダヤシオニストの操り人形だった。」

ヒットラーは(ジョゼッペ=スレイマーン=元米国大統領ケネディ=その他さまざまな歴史上の重要人物になって何万年も生きているジョゼッペ)です。

一方、ロスチャイルドは、おそらく「ノア」の長男「セム」の直系の家系で、ギリシャ神話にあるように「ゼウス」と呼ばれていた家系。ユリアス・シーザーの末裔でもあり、イエス・キリストの末裔と思われます。

ヒットラー=ジョゼッペ=スレイマーンは、ノアの次男ハムの子孫の家系だと思われます。

『ビデオの下の説明:「偽ユダヤ アシュケナジム・ユダヤ   カザール人(90%支配層)
古代イスラエルの民の末裔の本物のユダヤ人は、スファラディム・ユダヤ(10% 非支配層)という。』
(上の文の間違いを訂正します!)
・ スファラディム・ユダヤが、現在の世界の支配層です。ハザール人*に関しては、まだ分からないことが多いらしいのですが、ジョゼッペは、スファラディム・ユダヤであり、オスマントルコのスルタンでもあったことから、トルコ(テュルク)系を操り、アナトリア半島からアシュケナジム・ユダヤを追い出したのは確かですが、それがハザールではないようです。おそらく、ハザール王国、はユダ王国(スファラディム・ユダヤ)がローマ帝国に滅ぼされ、世界に散らばっていったためにできた王国ではないかと。だから、カザール人(=ハザール人)は、スファラディムです!

・ 古代イスラエルの民の末裔の本物は、サクソン王族からアシュケナジー・ユダヤ(=アシュケナジム)と呼ばれている人々です。

なので、本当は:
スファラディム・ユダヤ カザール人 (10%支配層)
古代イルラエル王国子孫のアシュケナージ・ユダヤやその他諸々のヤハウェ系、スファラディムとの混血など (90%非支配層)

ノアの長男セムの子孫は白人も多かったけれども、褐色や黄色、黒っぽい人たちもいたんだろうと思われます。肌の色は、100年、200年、数千年と、長年その人々が住んでいた地域によって違いが出るのであって、中東系だから褐色と考えるのは間違いです。

しかし、そのハザール王国にも先住民としてケルト人のセム系かヤペテ系の部族がいたのかもしれませんし、他の部族もいて、彼らに影響されて改宗した人々(スラブ系、トルコ系、その他)などもいて混合部族という面もあったのかもしれません。しかし、13世紀のチンギスハン率いる元(モンゴル)の侵入により「ハザール王国」は崩壊し、ハザール人=カザール人は難民となって東欧や西欧、北欧、ロシアへと流入していったらしいです。


上のサイトの一番下にあるビデオで、「デビット・マイヤー・ロスチャイルド」(1978年生まれ)が環境問題を訴えているビデオを見ると、彼は、なんだかオサマ・ビンラディンに似ているような?まさか?エブリンの子じゃなくて〜。。。

エブリンの二番目の奥さん「ウ゛ィクトリア・ルウ・スコット」(1949〜多分嘘の生年月日)って、「シバの女王」のひとりでしょう、きっと。「NWO=ニュー・ワールド・オーダー」の戦略上の必要からアラブ系との子供を生んだのかもしれません。9.11はオサマを代表とするアラブのテロ組織「アルカイダ」の仕業ってことになってましたからね〜。そう言えば、9.11の前にエブリンの三番目にして現在の妻「リン・ロスチャイルド夫人」がニューヨークのワールドセンターを見学に来ていたとかって、5年くらい前に、ネットに情報が流れてましたね。

<真実の扉> ギィ〜! パタン!!

『ロスチャイルド』→ロス・チャイルド→ザ・チャイルド→イエス・キリストの子供。ダビデの子孫で、本物のアブラハムの子孫(サクソン王族にもアブラハムを名乗っている人がいます)で、ノアの子孫でもあるわけです。


☆今日は『クリスマス・デイ』☆

’メリー・クリスマス!!’ *^!!☆♡☆♡☆♡☆♡☆♡☆!!^*

みんなが元気で幸せになれますように!♡ 世界が平和になりますように!☆

”みんながひとりのために、ひとりがみんなのために”という子供の頃に読んだ本にあった言葉を想い出しました。

わたしもみんなにやさしく気配りのできるいい子な大人になれますように!☆
(おっとり刀で、気が利かないものですから。エへへ〜 )


(2011.12.25 05:50 a.m. 記述完了)

(2011.12.25 07:20 a.m. 本文中終わりのほうのハザール人に関する記述を訂正しました。)

p.s.

現在、出版されている「ギリシャ神話」に出てくる神々は、紀元前4世紀半ばに「フィリポス2世」(=多分、後藤象二郎。野蛮な乱暴者だったというところが偽須佐男命と同じ)というマケドニア人(ドーリア人)王がスパルタを除くギリシャ全土を統一した頃、あるいは、アレキサンダー大王が東方遠征した頃に、本来のアテネを中心としたセム系正統派シュメール人王族たちのことを描いた本来の「元祖ギリシャ神話」を改ざんして、名前はそのままでも、その性質は、自分たちサクソン王族の「性的に奔放」で、「残虐」で、「好戦的」な性質に変えてギリシャの神々として描いたものだと思われます。したがって、「現在のギリシャ神話」では、その登場人物のゼウス=ジョゼッペであり、アフロディーテ(ヴィーナス)や、ヘレンなどが「シバの女王」なのであり、彼らの性質を描いているんでしょう。

ギリシャの歴史〜ギリシャ観光局
http://www.visitgreece.jp/history/index.html

現在の歴史では、正統派シュメール人は起源前3000年くらいからアナトリア半島(現在のトルコ)やバルカン半島(現在のギリシャ)に住んでいたことになっています。しかし、昔、わたしが子供の頃に読んだ「夢を掘り当てた人」というシュリーマンの伝記では、シュリーマンは、古代ギリシャの詩人ホメロスの叙事詩「イーリアス」、「オデュッセイア」をもとに古代ギリシャ都市の発掘を試み実際に掘り当てたのでした。このことにより、シュリーマンは「古代アナトリア半島にその起源が’紀元前12000〜6000頃’にさかのぼる古代都市」(当時は、おおよそしか分からなかったでしょうが)が実在したことを確信したとありました。現在は、そのような歴史上の事実はサクソン王族によって巧みに完全に隠ぺいされているのでしょうが。

もともと、キリスト教の精神をもとにした「元祖ユダヤ教」(現在の「旧約聖書」を信じるユダヤ教とは違う)を信仰していた正統派シュメール人王族たちは、仁(正義・道徳など)を守り、性的な面でも節操を重んじていたはずです。したがって、セム系正統派シュメール人の王「ゼウス」などの神々(人々からそう呼ばれていたらしい)も当然そうだったはずです。



*コメント欄も見てくださいネ!
[PR]
by Ulala-lov | 2011-12-23 19:16 | 西洋史 | Comments(12)

2011−12−22


現在、ロンドンのNMロスチャイルド銀行は、アンソニーの息子のイヴリンが継いでいますが、この人は、私が1981〜82年にイギリスのブライトンにある英会話学校に通っていた時に同じクラスにいたトルコ出身の商人とか言っていた中年のおじさんにとてもよく似ています。多分、私を偵察に来ていたのでしょう。2人1組になって、「相手の人物の性格を当てるクイズ形式のゲーム」のパートナーとなったことがあるのですが、私から見て、そのおじさんは「お金にすごく関心がありそう」というところが当っていました!003.gif

ロスチャイルド家の家系図

というわけで、シバの女王は何人もいて、マリエ・アチル・ペルギアでしょ、マリー・ルイーズ・ユージーン・ビアー(叶晴栄、松本伊代などに変身)もでしょ、アレクサンドル女王もだし〜、エリザベス女王はもちろん、それから、バイニング夫人(今生天皇の元家庭教師)も、もしかしたらそうなのかも〜?

そして、レオポルド・ロスチャイルドの長男で、アリス・リデルとの間にできた「ライオネル・ネイサン」*(1882〜1942年)もまたサクソン王族の娘と1912年に結婚させられています。その相手とは「シバの女王」ワルワル3シスターズのひとり「マリー・ルイーズ・ユージーン・ビアー」です。

アンソニー・グスタフ・ロスチャイルドのような「ジョゼッペやシバの女王の血が入った者=サクソン王族純粋系」と、シバの女王とロスチャイルドとの息子「サクソン王族と正統派シュメール人との混血」の両方が必要みたいです。また、ジョゼッペは、ロスチャイルドの正統派シュメール人同士の婚姻による子供も少しだけ残しています。これは、優秀な人間を残して利用するためと、その優秀な人間とサクソン王族を結婚させて、サクソン王族を優秀な人間にするためのようです。

レオポルド・デビット・ロスチャイルドは、第二次世界大戦直後でナチが敗北した直後だったこともあってか、スコットランドのケルト系王族の女性と結婚して、3人の子をもうけて、そのひとりが’タムドクもどき’です。でも、純粋に近い正統派シュメール人(訂正:人間の=ここではケルト系)王族はサクソン王族から命を狙われやすいのです。それで、タムドクもどきもすっごく苦労したんですよ。ところが、そのレオポルドも後にサクソン王族の策略で離婚させられ、連れ子のあるサクソン王族の女性と結婚するように計略にはめられています。

彼らサクソン王族は、「アーリア人」という独自の「優勢学」を信奉しているらしいのですが、多分、一番は「ジョゼッペとシバの女王の血筋=サバ人」で、次に、「正統派シュメール人とジョゼッペの混血」や「正統派シュメール人とシバの女王との混血」という感じみたいです。(でも、ジョゼッペは、ネグロサクソンのシバの女王には内緒で、「正統派シュメール人(訂正:人間のケルト系王族)と自分との混血」が一番だと思っているふしがあります)

ライオネル・ネイサン・ロスチャイルドの家系図 ~Exbury Gardens - Family Links

さて、サタニストたちは、その次に、ロスチャイルドの正統派シュメール人王族の純粋血流でありロンドン一族の頭領であるライオネルが英国にいては邪魔だったので、隠れシバの女王「バイニング夫人」*(=女優ヴィヴィアン・リー)を使って誘惑させて、アメリカに追い出したと言うことではないでしょうか? それで、マリエ・ルイーズ・ビアーと離婚したライオネルは、1938年頃に米国の軍人ダグラス・マッカーサー**として米国籍を得た後、フィリピンでバイニング夫人と結婚というか、正確には、カトリックなので離婚できないから、結婚という形ではなく、同居し始めたのかもしれません。(すべてサクソン王族の策略通りに進んでいった!)

バイニング夫人(エリザベス・ヴァイニング)ウィキペディア =ヴィヴィアン・リー

(米国の女優ヴィヴィアン・リーは、映画「哀愁」*、「風と共に去りぬ」**、「欲望という名の電車」***などのヒロイン)


** ダグラス・マッカーサー ウィキペディア(家族のところを見ると、マッカーサーとユージーンと少年時代のレオポルドの写真が載っています。1950年撮影。従ってレオポルドはユージーンの子ではありません。ヤハウェ系の女性との間の子だと推察されます。)

ところで、1998年頃、わたしに、アイゼンベルグこと喜多文磨の妻であるおばあちゃんが、「数年前におじいちゃん(=アイゼンベルグ)と息子は、天皇陛下の子供の頃に家庭教師をしておられたバイニング夫人に会いにアメリカに行って来たのよ。」って、ちょっと自慢げに言っておられました。すると、アイゼンベルグがわざわざ息子さんを連れて挨拶に行くということは、バイニング夫人はサクソン王族にとって、とても重要な人物ということになりませんか?ネ! ところで、バイニング夫人は、1999年に亡くなっておられます。けれども、彼女たち「シバの女王」の場合、本当に亡くなったのか?ってよく分かりませんね。多分、まだ生きているんでしょう。また、このバイニング夫人=マリエ・ペルギアであるかもしれません。なにしろ、「ES細胞移植」で、若返りますからね〜!
   @o@; タラ〜!とします〜 『タラ』のスカーレット・オハラさんには .....

『哀愁』という映画は、第一次世界大戦中の1917年ころの舞台設定になっていますが、おそらく、ライオネルとバイニング夫人の恋物語の実話をもとにした映画のようで、実際のふたりの出会った時期は、おそらく、第二次世界大戦中の1936〜7年頃だろうとわたしは推察しています。

映画「哀愁」を語る(淀川長治) - YouTube
淀川長治(=旧ハプスブルグ家の誰か)は、わざと真実ではないとゴマかすためにウソの解説をさせられているのです。


クローン大佐を演じているライオネルはアングロサクソン王族っぽい顔に造って(正確には造らされて)います。

(こちらのクローニン大佐は別人が演じている偽作品ようです。顔はよく似ていますが、よりソフトな感じの顔になっていて、声がちょっと違うような。また、アングロサクソン王族が金儲けのために別に模倣して製作したんでしょうね)

映画の「あらすじ」によれば、主人公のクローニン大尉(ライオネル)は、ウォータールー橋で偶然出会った踊り子のマイラ(バイニング夫人)と一日で恋に落ちる。マイラに夢中になったクローニン大尉は即時に結婚を決断し、出会った翌々日に結婚式を予定する算段をします。しかし、予定より一日早く、急にフランスの戦地に赴くことになったため結婚式は挙げないまま別れるのです。私の推察では、その急な予定の変更は、突然、結婚の相談をされたクローニン大尉の親族である英国軍幹部(大将か少将くらい)が相手の女性の素性(すじょう)を調べて、すでにサクソン王族のまわし者だと察知(さっち)し、そうしたのかもしれません。。。クローニン大尉ことライオネルも後からそのことを知らされ結婚への熱意も冷めてしまっていたのかもしれませんが。。。しかし、クローニン大尉が戦地に行っている間にマイラは失業しお金に困って娼婦になっていたのでした。(この当たりはマイラ本人の告白なのでかなり眉唾(まゆつば)ものです。性的倒錯の多い「シバの女王」たちだから好きでやっていたのかもしれないし。そんなことしなくてもお金に困らないはずなのですが。)それでも、バイニング夫人は’執念(しゅうねん)で’クローニン大尉をウォータールー駅で待ち伏せし続けるのでした。そして、とうとうクローニン大尉が帰ってきて再会を果たすのでした。おそらく、クローニン大尉ことライオネルは、サクソン王族の脅威を感じて、結局、最後には結婚を決断するしかなかったのでしょう。そして、スコットランドのクローニン大尉の実家に挨拶に行くのですが、クローニンの親戚の軍人の言葉や母親(おそらく、実際はライオネルの祖母、父親のレオポルドは1917年に死去)の言葉に、もしや自分の過去を知っているのではないかと不安になり、その過去を恥じて(たことにして)、ひとりロンドンに帰り、ウォータールー橋の上を走行している軍隊車両の列の救急車両に飛び込み自殺をして亡くなったということに映画ではなっています。しかし、実際は助かっていて、その後、1938年に、同居し始めたということになるのでしょう。それとも、マッカーサーとしてアメリカで新戸籍を得たので、めでたく正式に結婚したのかな?

* 映画 哀愁
(わざわざ、軍隊車両の列の赤十字の大きな看板をつけた医療隊の車に飛び込むなんて。。。すぐに確実に助けてもらいたかったのでしょうね〜 ーー;  バレバレ〜)

それから、最初の出会いのところですが、バックのフタがパカッと開いてしまい、中身がドッと飛出してしまって、それを拾ってくれた男性と結婚したという馴れ初め話は、私が最初に就職した会社の研修の時に、女性の先生がご自分の結婚話をされた時に馴れ初め話として聞かされた話とまったく同じでした。もしかしたら、エリザベス女王たちがそういう話をその先生にわざとさせたのかもしれません(彼らサクソン王族は、自分たちの策略を自慢したがるクセがあるらしいですから)。つまり、'わざとバックの口を開けて男性の気を惹く切っ掛けを作る'というのはサクソン王族女性スパイの典型的な手法の一つなのかもしれませんね。

主役
「ローイ・クローニン(苦労人)大尉」役:ロバート・テイラー(=ライオネル・ネイサン・ロスチャイルド=ダグラス・マッカーサー)
「マイラ(My-ler~自己中?あるいは、参る(降参する)人?)」:ウ゛ィウ゛ィアン・リー(=ヴァイニング夫人=マッカーサー夫人=マリエ・ペルギア?)

配役の名前は、いったい誰がつけたのでしょうか?。。。おそらく、ライオネルかな?!

マリエ・ペルギアはライオネル・ネイサン・ロスチャイルドにとって、継母(ままはは)になるわけですが、シバの女王やジョゼっぺたちサクソン王族にとっては、そんなこと大した問題ではないようです。

それにしても、本来のケルト系のロスチャイルド家の人々は、「シバの女王&ジョゼッペたち=何千年も生きている妖怪かつ残虐な悪魔たち」に、とっ〜ても大変な苦労をさせられてきたっていうことですね! (+~+; まさに〜 イエス・キリスト並みの苦労でしょうか。。。いや、それ以上かも〜

平成天皇とヴァイニング夫人の記憶  社会科学者の時評

クエーカー憲法 NHK総合

ウ゛ィウ゛ィアン・リーの出演した他の代表作
1939年作品「風と共に去りぬ」
(1861年に起きた米国の内戦「南北戦争」時に、南部ジョージア州タラの大地主の娘で勝ち気なスカーレット・オハラを主人公に描かれる。つまり、当時のサクソン系王族や彼らの奴隷などの生活が描かれる)

1951年作品「欲望という名の電車」
(テネシー・ウィリアム著「ガラスの動物園」の戯曲(1950年)を映画化。父の死とともに南部の家を失ったブランシュ・デュボア(ウ゛ィウ゛ィアン・リーはアルコールに身を持ち崩して、妹ステラが結婚しているニュー・オルリンズのフランス街の家を訪れた。ブランシュは、ステラの夫スタンレーに友人のミッチを紹介されミッチと結婚したがり、自己の過去を打ち明けたが、後に、それが嘘だとバレ、ブランシュが大変なアバスレであることが分かる。結局、その結婚話はご破算に。さらに、失望のさなかにスタンレーにひどい目に遭ってとうとう発狂し、精神病院へ。)

「ガラスの動物園」って、ロンドンにある「水晶宮」(ガラスの宮殿もあったが1936年に焼失)か「キュー・ガーデン」(王立植物園)のガラス張りの宮殿のことでしょうか?つまり、「ガラス宮殿の動物園」→「ハノーウ゛ァー朝=ウィンザー朝の動物園」ってことですかあ? ありゃ〜、「青森のカッペ」さんが’東北弁なまり’で「ウエストミンスター寺院」*のことをウェスト・モンスター・ズー・イン(西洋の怪獣動物園の宿)って言うてたのに〜なんだか〜通ずる感じだッペ〜!

まあ、彼らサクソン王族たちの性的倒錯、幼児への性虐待だとか、同性愛だとか、その他もろもろ。。。を暗示しているのでしょうねぇ〜。それにしても、ウ゛ィウ゛ィアン・リーは、よくまあ、自分たちサクソン王族のことを暗示したような映画によく出演しましたね〜 うまく担がれたのでしょうか?  @@? 

* ウエストミンスター寺院 ウィキペディア
「エドワード懺悔王」が11世紀に建てた寺院ですって。エドワード懺悔王 ウィキペディア
(サクソン王なんですって!ノルマン王族たちがイングランドをサクソン王族の残虐な統治から解放するちょっと前のことらしいですぅ〜。)

(2011.12.24 3:20a.m. 記述完了)

[PR]
by Ulala-lov | 2011-12-22 01:33 | 西洋史 | Comments(1)

2011−12−20


先日11月24日に「『不思議の国のアリス』からから見る英国史」という記事を書きましたが、その続きを書きます。アリス・リデルを可愛がっていたルイス・キャロルは、結局、アリスと結婚したのではないかしら?というのが私の推測です。まあ、これから、私の推理を書きま〜す!

ところで、ロンドンに亡命した?フェルディナンドか、その子孫「レオポルド・ロスチャイルド」*(1845〜1917年)の妻「マリエ・ペルギア」(1862〜1937年?)さんもまだ生きておられるようです。最近、ある所で、時々見かけるおばあちゃまがそのようです。品の良いやさしそうな方だと思っていましたら、最近、ちょっと、あれって思うことが少々あって、調べていたのですが。。。

* Reopold Rothschild
http://en.wikipedia.org/wiki/Leopold_de_Rothschild

1881年にレオポルド・ロスチャイルドは、Achille Perugia の娘 Marie Perugia (1862~1937) と結婚して養子となりロスチャイルド家の戸籍に入れられています。(彼女の妹のLouise が香港の Arthur Sasson と結婚しています。)レオポルドが36歳の時の結婚ですから、まあ、一般的にいえば、それに当時としてはかなり晩婚ですよね。以前にわたしのこのブログでも、ほんとうは、もっと早く結婚していたんじゃないかしら?1870年頃の間違いじゃあ。。。なんて書いたのですが。再婚だったのですね!*

*「ソールズベリー伯爵・公爵家とセシル・ローズ(=ジョゼッペ)
http://urarala7.exblog.jp/d2011-10-10/

また、フランスのロスチャイルド家のジェームズ・ロスチャイルドのウィキサイトを見ていたら、アチル・フォールド**という人と関わりがあり、そこからリンクしているフォールド氏のウィキサイトに行き写真を見ると、アチル・フォールドさんの顔は、わたしが最近よく見かけるそのおばあちゃまの顔と似ていたのです。なので、どうもそのおばあちゃまはマリエ・ペルギアさんみたいです。マリエ・ペルギアさんは、イタリア - ウ゛ィネチアのトリエステという町の商人「アチル・ペルギア」の娘とありますので、このアチル・フォールド氏は同じアチル家系の親戚なのかもしれませんね。

Achille Fould**(1800~1867)
http://en.wikipedia.org/wiki/Achille_Fould

最近、ちょっと、何となく、そのおばあちゃまが少し気難しい人だなって思うようなところがあって、やはり、一見、やさしそうでも本当は恐い人なのかもしれません。映画「ハウルの動く城」に登場するロンドンのガラスばりの(植物園の?)宮殿*にいる車椅子のおばあちゃんはこの人だったのかな?って思ったりします。(わたしがよく出会うそのおばあちゃまは普通に歩けるものの、なんか膝が悪いみたいなんです)

あの映画「ハウルの動く城」では、ガラスの宮殿にいる車椅子のおばあちゃんが戦争を起こしていた超本人みたいでしたよね!

* キューガーデンズ(王立植物園)
http://www.funlondon.net/companyHP/sightseeing/sight_kew.html
水晶宮
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B0%B4%E6%99%B6%E5%AE%AE
(ハウルの城にでてくる宮殿は、下の水晶宮のことかもしれませんが、現在はないので、もしかしたら、キューガーデンのどこか(ウ゛ィクトリア・ハウスか?)にも王室専用のガラス部屋があるのかも?)

レオポルド・ロスチャイルドは、美術品収集家でもあったそうで、フランスのアチル・フォールドと同じ趣味ですので、金融家という点での共通点に加えて、その辺でも出会う機会が多かったのかもしれません。それで、アチル・フォールドが親戚のマリエ・ペルギア(マリエは、ロスチャイルドのお嫁さんにつく名前のようですので結婚前は違う名前のはず)を紹介したのかもしれませんね。

それにしても、1866年の「普墺戦争」**(プロイセン=オーストリア戦争)でオーストリアが敗北していなかったら、レオポルドがサクソン王族のお嫁さんをもらうことはなかったでしょう。おそらく、受け入れなければならない暗黙の圧力がかなりあったのでしょう。ヨーロッパの他のロスチャイルド家にとっても、ロンドンのロスチャイルドはサクソン王族の乗っ取りを免れている最後の砦(とりで)だったでしょうに。

** 普墺戦争
ttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%99%AE%E5%A2%BA%
E6%88%A6%E4%BA%89
ドイツ統一で対立するプロイセンとオースリア
普墺戦争の勃発にうろたえるルートウ゛ィヒ2世
ttp://dramatic-history.com/king/ludwig/ludwig2-3.html
普墺戦争についてです。-Yahoo知恵袋
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1255171212

しかし、最近、やっと気がついたのですが、レオポルド・ロスチャイルドはマリエ・ペルギアとの結婚の前にも、結婚していたのではないかと。その相手が、あの『不思議の国のアリス』のモデルと言われるアリス・リデル***ではないかと思われるのです。

*** アリス・リデル
http://en.wikipedia.org/wiki/Alice_Liddell

アリスの結婚したレジナルド ハーグリーブスというクリケットの選手が住んでいた町は、ハンプシャー州*のリンドハースト**といって、ここら辺は、あのライオネル・ネイサンが購入したというエクスベリーガーデン***とも近く、どうもロスチャイルド家など古代からのケルト系の王族たちが住んでいた土地みたいなのです。

* ハンプシャー州
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%83%B3%E3%
83%97%E3%82%B7%E3%83%A3%E3%83%BC
[古代からケルト人が住んでいたブリテン島は、1〜5世紀初頭まではローマ人に征服され、4世紀末〜5世紀初頭くらいからはデーン人、サクソン人に侵略されていたのを5世紀初頭くらいにケルト系のアーサー王がブリテン島全域を統一したのです(ほとんどの書籍には載っていませんが、ある書籍の地図にはそうなっていました=多分、これが真実でしょう)。しかし、7世紀頃には、またサクソンが盛り返してきてサセックスにサクソン7王国ができます。そして、9世紀には、そのサクソン7王国のうちの1王国の王「アルフレッド王」(多分、ジョゼッペか象二郎)がウェセックスに侵攻し、征服。南イングランド(=サセックスとウェセックス)を統一します。それを1066年にフランスのノルマンディー公率いるケルト系ノルマン王族たちが取り戻したのです。しかし、それは、現在の支配者であるサクソン王族から歴史を見れば「ノルマン・コンクエスト」(ノルマン征服)となるわけです。また、ノルマンはゲルマンの一派とウィキには書いてありますが違うと思います。ノルマンは正統派シュメール人のケルト民族であり、ゲルマンというは、ジョゼッペたちに率いられたヒッタイト人(西方テュルク系)や白人系サバ人=アングロサクソンがケルト系の国々を次々に征服していき混血した混合民族です。北欧のバイキング(海賊)は、このゲルマン人のほうです。]

**リンドハースト、ハンプシャー(地図を見よう)
http://en.wikipedia.org/wiki/Lyndhurst,_Hampshire
*** Exbury Gardens
http://en.wikipedia.org/wiki/Exbury_Gardens(英語の説明)
http://en.wikipedia.org/wiki/Exbury(地図)
☆エクスベリー庭園でちょっと休憩するんだワン! (^_^)v
http://masaokato.jp/2010/08/15/120017
http://cocosheltie.blogspot.com/2011/07/exbury-gardens-a
nd-our-holiday.html

もし、そうだとすれば、おそらく、アリスは12〜3歳で結婚したか(この年齢での結婚は当時は普通だったそうです)、もう少し待って15歳くらいで結婚したのではないかと。つまり、ルイス・キャロル(作家名。本名チャールズ・ドッジソン:これも違うみたい。あまりにも有名なロスチャイルドの名はでは出しにくいのかも?!それに恥ずかしがり屋だったらしいし。サクソン王族のことこっそりとチクってるし。。)は多分、レオポルド・ロスチャイルドということに。

とすれば、レオポルドとアリスは1864〜67年くらいに結婚したことになり、1881年くらいに離婚したということになります。

しかし、上のサイトのジュリア・マーガレット・キャメロンが撮ったアリスの写真をよ〜く見るとなんだか棺(ひつぎ)の中にある遺体を写した写真のような感じがします。要するにミイラ保存した遺体の写真のような感じが。。。

とすれば、アリス・ハーグリーブスと書かれているその下の写真のおばあちゃんは、実は、アリスの姉妹なのではないでしょうか?(名前は違うはずですが、ウィキに嘘の情報が入っているのかも)

つまり、アリス・リデルはサクソン王族に暗殺されたような気がします(=自殺するように仕掛けられたり、毒薬で病死させられた可能性も)。そして、その後、レオポルド・ロスチャイルドは、サクソン王族の「シバの女王」たちのひとりである’アチル・ペルギアの娘’*と結婚させられたのです。

* 「アチル・ペルギアの娘」といっても、彼女たちシバの女王が何千年も生きているなら、これも一時的な戸籍の改ざんかもしれませんが。アチル・ペルギアは、ヴェネチアのトリエステに住むサクソン系(=スファラディム)ユダヤ王族で商人のようですが、ペルギアの家名から考えると、イタリアのペルージャに由来していて、そこは初期ローマ時代以前からイタリアにおける「サビニ植民地」の拠点だったところです。とすると、ペルギアはペルージャの王の一族だったのではないでしょうか。。。(つまり、イタリアにおけるサバ人の王や女王の一族だったとか)

レオポルドの息子には、長男にライオネル・ネイサン・ロスチャイルド*(1882〜1942年)と、次男エブリン・アチル・ロスチャイルド(1886〜1917年)と三男アンソニー・グスタフ・ロスチャイルド(1887〜1917年)がいますが、長男の名前は、今までのロスチャイルド系の名前ですが、次男と三男は、確実にサクソン系の名前です(エブリンやアチル、アンソニーやグスタフはサクソン系みたい)。ファースト・ネームもミドル・ネームもサクソン名となれば、この二人の息子たちは、マリエ・アチルの連れ子の可能性が高いということです。おそらく、第一次世界大戦で亡くなったエブリン・アチルというのはジョゼッペでしょう(この乗っ取りは非常に重要なので一時期は連れ子になりすましてここを拠点として集中して仕事を達成し、また、他の所へ陰謀を画策しに行ったんでしょう。でも、UFOで時々やって来れるからイイの!)そして、アンソニー・グスタフは、ジョゼッペとマリエ・アチルの息子ではないかと思います。(ウィキのレオポルドの3人の息子たちの生年月日はでたらめでしょう。特に長男のライオネル・ネイサンはアリスの子ですから、1981年にレオポルドが再婚する前の1980年か、それ以前の生まれでしょう。また、ライオネルの上にも兄が2人いたんじゃないかと思われますが(理由はもう少し後で)、多分、サクソン王族に暗殺されたんでしょう)

* Lionel Nathan de Rothschild
http://en.wikipedia.org/wiki/Lionel_Nathan_de_Rothschild

第二次世界大戦後、この三男のアンソニー・グスタフ・ロスチャイルド*がロンドンのロスチャイルドの頭領(=会長)となり、一族の 銀行であるNMロスチャイルド銀行の株の大半を独占するようになったとのことです。本来の長男継承でいけば、ロンドンのロスチャイルド一族の本家は、下のサイト**にも説明してありますが、初代ネイサン→2代目ライオネル→3代目ネイサン→4代目ウォルター→5代目ヴィクター→6代目ジェイコブであり、彼らが一番多く株を保有するはずなのですが、ウォルターは動物学に没頭し、金融の才がなかったために、3代目ネイサンの三男であるレオポルドの長男ライオネルが一時期頭領になり、しかし、’1942年にライオネルが亡くなった’* ので、ネイサンの弟「アンソニー」がロンドン一族の頭領になったいうのが通説です。
* (実は、ライオネルは、サクソン王族の企みでロンドンの一族の頭領の座から降ろされアメリカに追いやられた)

* アンソニー・グスタフ・ロスチャイルド 画像
http://imagesearch.excite.co.jp/detail/?search=Anthony+Gusta
v+Rothschild&start=1&look=excite_jp
(ウ゛ィクターって書いてありますが、アドレスを見るとアンソニーってなってます)

** Rothschilds Continuation Holdings AG 〜 ジャパン・ハンドラーズと国際金融情報
http://amesei.exblog.jp/4058636/

しかし、本当のところは、1866年のオーストリア・プロシア戦争でのオーストリア敗北により、この戦争の勝利者である大将ジョゼッペが、ロンドンのロスチャイルド一族(ヨーロッパのロスチャイルドの中で唯一最後まで乗っ取られないように踏んばっていた)の金融を乗っ取る算段をしたにちがいありません(フランスのロスチャも乗っ取られていました*)。それで、おそらくジョゼッペ&「シバの女王」マリエ・ペルギアの子であるアンソニー・グスタフ・ロスチャイルドにロンドン・ロスチャイルドの頭領を継がせるように仕組んだのでしょう。

○フランスのロスチャイルド家

初代ジェームズ→ソロモン→エドモンド→ギイ→?(バンジャマン)→ディビット(推測) となっています。
(100歳くらいで最近亡くなったギー・ロスチャイルドは、ギーがギヨームから来ているとすれば、サクソン系でなくケルト系です。)

つまり、下の家系図*を見ると、フランスでは、ジェームズの息子たちから1829年生まれのグスタフ、1845年生まれのエドモンドなどサクソン系の名前になっています。他にもバンジャマン(=ベンジャミン)とかも。つまり、1789〜99年にフランス革命が起きて、その後、ナポレオンの統治下となったのですが、ロベス・ピエールもナポレオンもジョゼッペですからね。サクソン王族(ジョゼッペ&シバの女王)たちに徐々に乗っ取られてしまったのでしょう。

*ロスチャイルド・ファミリー家系図
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/5/53/Roths
child_family_tree.png


○本家のドイツ・フランクフルトのロスチャイルド家は、初代のアムシェル・マイヤーの一代限りで後継者がなく廃止されます。

○オーストリアのロスチャイルド

初代ソロモン* →アンセルム→(以下は推測)アルベルト→ルイ(第二次世界大戦中のナチ政権下で英国に亡命)です。アンセルムも変わっていますがサクソン系の名前かどうかわかりません。1866年のプロイセン=オーストリア戦争の敗北以前のアンセルムの息子たちからがサクソン系の名前が多くなっています。1834年生まれのルイ、1838年生まれのフェルディナンド、1844年生まれのアルバートがいますし、その次の世代には1877年生まれのジョージや1878年生まれのアルフォンス、1884年生まれのユージーン、1888年のオスカーもいます。みんなサクソン系の名前みたいです。以下のウィキサイト「オーストリアの歴史」を見ると、1834年には、「ドイツ関税同盟」がプロイセン王国の主導で結成され、オーストリアの影響力が低下し始めるとありました。その頃からサクソン王族たちに乗っ取られていったのでしょう。
* ソロモンという名はもともとは正統派シュメール人にも使われていた名前のようです。

○ナポリのロスチャイルド家
初代カール・ロスチャイルドから2代目で後継者が絶えます。バチカンとの取り引き銀行となっていたとか。そのバチカンとの取引銀行は、サクソン系の銀行に変わったんでしょうね。また、ミンナ・ロスチャイルドがマックス・ゴールドスミスと結婚しています。

<まとめ>
要するに、『30年戦争』*(1618〜1648年)でフランスのリュシュリュー(多分、ジョゼッペ=スライマーン)の画策で徹底的に周辺国から包囲され敗北した神聖ローマ帝国の皇帝=ハプスブルグ家は、1648年以降、急速に権威を落としたということです。そして、神聖ローマ帝国は、1806年に、ナポレオン・ボナパルトに滅ぼされたとのことです。これにより、ドイツ、イタリア、フランスの王族だったロスチャイルドはサクソン王族「シバの女王」との婚姻を強要されて資産を奪われ、サクソン王族の財務担当として財務管理をするようになったりしたのでしょう。しかし、オーストリアはオーストリア・ボベミア王国として残ります。ですが、すでに、この頃にはオーストリアのロスチャイルド=ハプスブルグ家はサクソン王族「シバの女王」と婚姻を結ばされ、サタニストたちに乗っ取られていたのでしょう。

* 30年戦争
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E5%8D%81%E5
%B9%B4%E6%88%A6%E4%BA%89

スコットランドが出自のロンドンのロスチャイルドだけは持ちこたえていたものの、1717年にハノーウ゛ァー朝になってからは、だんだんと難しい立場に追いやられていったのでしょう。しかし、1805年に「トラファルガーの戦い」(海戦))**で英国(海軍=ケルト系)がナポレオンに勝利したことによりロスチャイルドは権力を取り戻したのでしょう。株でインチキをやったというのは嘘でしょう。しかし、それもつかの間、1866年の「普墺戦争」でオーストリアがプロシアに負けると、オーストリアのロスチャイルド=ハプスブルグ家はまたもや窮地に。そして、ロンドンのロスチャイルドは、大陸のロスチャイルドを人質に捕られていることから、不利な情勢になってしまい、サクソン王族との結婚も受け入れ、乗っ取られていき、もともとの正統派シュメール人のロスチャイルドは財務管理だけの『サクソン王族の番頭さん』として金融業に関わってきたということなのではないでしょうか?

** トラファルガーの戦い
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%88%E3%83%A9%E3%83%
95%E3%82%A1%E3%83%AB%E3%82%AC%E3%83%BC%E3%8
1%AE%E6%B5%B7%E6%88%A6

ずっと、サタニスト・サクソン王族「ジョゼッペ&シバの女王」が正統派シュメール人王族「ロスチャイルドやロックフェラー*など」に仕掛けてきた戦いということです。

*ロックフェラーについては後日の同じタイトル(3)の記事で説明します。

(2011.12.23 23:40 p.m. 記述完了)
[PR]
by Ulala-lov | 2011-12-20 06:44 | 西洋史 | Comments(2)

「サウンド・オブ・ミュージック」! この有名なミュージカルは、わたしも大好きで、特に、あの「エーデル・ワイス」とか「マイ・フェイバレット・シングス」とか、「ドレミの歌」とかステキな歌がたくさんあって、ジュリー・アンドリュースの歌声もすばらしく透き通っていて、自然の風景もすばらしく美しくって、ほんと、楽しい素晴らしいミュージカルです!

だから〜、そんな素敵なミュージカルを、こんなことを言って幻滅させたくなくって、黙っていよう!って、ずっと思っていましたが、しかし、そういうわけにもいかなくなってきました。

サウンド・オブ・ミュージック

主人公のトラップ大佐(ほんとうは少佐)ですが、実は、本名は違うはずです。以前のウィキには正確な名前が載っていましたが、今は、トラップとなっています。このトラップはおそらく、ワナに掛かった大佐という意味で、マリアの自叙伝の物語の中で使われるようになったのではないでしょうか?(実は、これも被害者のふりをするための演出だったようです)

オーストリアの「男爵」とあります。第一次世界大戦(1914〜1918年)で数々の功績を挙げて叙勲されています。とにかく、オーストリアのザルツブルグ*に住んでいた一家は、1938年頃にナチに追われて、一家全員を引きつれアルプス越えをして、スイスに逃れ、英国などを経て、アメリカに移住したというのは正しいようです。そして、実は、このゲオルグ・フォン・トラップ大佐**というのは、アメリカでの芸名は「ヘンリー・フォンダ」です。フォンは貴族を表す言葉ですけどね。また、ウィキのトラップファミリー合唱団をつくり世界を回っていたいうのは、もしかしたら、ゲオルグ&マリアのスパイ活動のためかもしれません。

*ザルツブルグ
(1809年から、一時期、バイエルン王国の所有になっていましたが、1816年のウィーン会議で、最終的にオーストリアに併合され、そして、1938年にナチス・ドイツに併合されたということです)

サウンド・オブ・ミュージックの撮影場所の写真集 ザルツブルグ

「ホーエンザルツブルグ城」・・・名前からすると、アングロサクソン王族ホーエンツォレルン家所有の城みたいですね。

**ゲオルク・フォン・トラップ

ヘンリー・フォンダ(1905〜1982年)

それから、マリア***については、以下のサイトを見ると分かりますが、この方の風貌からして、あの映画のジュリー・アンドリュースとはかなり違う感じがしますが、実は、マリア(=ゲオルグ・フォントラップ少佐の2番目の妻)とゲオルグ(=ヘンリー・フォンダ)の娘が、ジュリー・アンドリュース(=ジェーン・フォンダ)、あるいは、ジュリー・アンドリュースとジェーン・フォンダ姉妹です。それから、ピーター・フォンダという息子もいます。つまり、ジュリー・アンドリュースとジェーン・フォンダはどちらかというとお父さんのヘンリー似で、ピーター・フォンダが母親のマリア似ということですかね!

***マリア・アウグスタ・クチュラ(1905〜1987年)=マリア・フォン・トラップ

そして、このマリアさんも、ウィキのプロフィールはかなりウソみたいです。このマリアさんは父母に幼い時に先立たれた孤児のような感じになっていますが、実際は、おそらく、「シバの女王」のひとり(おそらく、マリエ・ルイーズ・ユージーン・ビアーズ?)ではないかと。おそらく、マリア=マリエと同じですから、もともとシバの女王と関係のあった家系の娘だったのでしょう。そして10代後半のどこかで「シバの女王」の脳を移植されたんでしょう。

このトラップ一家の亡命成功は、マリアとゲオルグとナチスと修道院がうまく連携して、ナチスが追っかけるふりをして、わざと逃れさせたのではないかという疑問が新たに湧いてきました。

マリアもヘンリー・フォンダも、幼い時からアングロサクソン王族秘密結社フリーメーソンのメンバーだったに違いありません!ナチから逃れ、一家を引き連れアルプス越えし、アメリカに移住したのは、結局、ヤハウェ王族勢力に信用され、アメリカなどでのスパイ活動をしやすくするためだったのだろうと思われます。マリアは精神病になり自殺したということですが、また脳移植で他の誰かに入れ替わっただけでしょう。

ところで、マリアが修行していたベネディクト系修道院*って? 以前、カトリック教会での幼児性虐待が世界中で暴露され告発が多発してきた時にもこのブログで取り上げましたが、このベネディクト修道院が若い修道僧たちが性虐待を受けたという告発が一番多かった修道院だったのですよ。まあ、マリアさんは女性ですから、女性の修道院は、そことは違う別の場所にあるのでしょうから性虐待は受けていなかったでしょうが。しかし、いったいどんな修道院だったのかな〜?とちょっと疑問に感じてしまします。多分、あのサウンド・オブ・ミュージックのようなやさしい先輩修道女たちばかりだといいんですが。

なんでも、マリアはとても短気で怒りっぽかったとか。あのミュージカルのマリアとはぜ〜んぜん違う性格だったみたいなんですぅ〜 ガッカリ。。。(><)

ベネディクト会

中世を映し出すミュスタイアの聖ヨハネ・ベネディクト修道院

世界遺産に認定されたミュスタイアの修道院の難題

ミュスタイア谷と国立公園

上のミュスタイア谷は、おそらく、このあたりから、アルプス越えをしてスイスに逃れたんじゃないかしらという地域です。もしかしたら、この聖ヨハネ・ベネディクト修道院がマリアがほんとうにいた修道院ではないかという気がします。

さらに、ジェーン・フォンダは高位のフリーメーソンの母親である、このマリアに育てられていますから、当然のごとく、フリーメーソンとイルミナティの女性リングの高位のメンバーだったと考えられます。

そして、ジェーン・フォンダは、イルミナティの計略により、地位の高い、ケルト系の王族をハニートラップのターゲットにしたようです。それが、イギリスのレオポルド・ロスチャイルド(1927年〜)です。彼の息子がタムドクもどきですが、タムドクもどきの弟が生まれた直後に、レオポルド・ロスチャイルドと、最初のヤハウェ王族の妻は離婚し、すぐに、ジェーン・フォンダが2度目の妻に収まっています。

もともとは、ハプスブルグ家のほうが栄えていたけれど、ハノーウ゛ァー朝は、フリーメーソンという闇の秘密結社を使って、フランス革命、ロシア革命、それに世界じゅうの未開発地をどんどん略奪して植民地化していったり、第二次世界大戦で原爆を用い、その後ヨーロッパに原爆を配備するなど、実質のところ、ウィンザー朝は、ハプスブルグ家を超える巨大な存在となり、世界的脅威になってしまっていたということです。しかし、一応、昔からの習いで、ハプスブルグ家の王室のほうが権威としては上にあるので、その地位をハノーウ゛ァー=ウィンザー朝が欲しがっている〜。。。みたいな?

今でも、アングロサクソン王族サタニストたちは、ウィキペディアのマッカーサー(=ライオネル・ネイサン・ロスチャイルド=1845年生まれのレオポルド・ロスチャイルドの息子)の項目の内容にありもしない悪口をいろいろ書き込んでいて、死んでからもその人柄を貶(おとし)めようとしています。あなたたちとは比べものにならないくらい高潔な人だったから悔しいのですか?戦後にマッカーサーと会談した後、昭和天皇は、「西洋人でも、侍のようなりっぱな心をもった人がいるものだ!」と感激して言われたそうです。

マッカーサーは名前からも分かるように、マックはスコットランドのクラン(部族)に多い接頭語みたいな「〜部族」みたいな意味みたいです。そして、マック・アーサーというのが続けて読むとマッカーサーとなるわけで、つまり、アーサー家ということですかね?ということは、あの伝説の『アーサー王』の子孫の家系ということなんじゃないでしょうか? じゃあ、なんで?ダグラス・マッカーサー将軍はアメリカに住んでいたの?って思うかもしれないけど、実際は、英国に住んでいたり、アメリカに住んでいたりしていたんじゃないかしら?いろいろな事業をしていたみたいですからね。

それゆえ、多分、マッカーサー家はスコットランドの王の王くらいに権威のある家柄みたいです。そのマッカーサーの息子の1926年生まれのレオポルドが結婚して誕生した「男の子」の世継ぎが「タムドクもどき」だったということらしいです。アングロサクソン王族にとっては、自分たちが世界一の王になることが至上命題なので、最後のケルト王族の砦を崩壊させる必要があるのです。 そのためには、「タムドクもどき」が邪魔になるので、自殺させるか、犯罪者にさせるか、精神病者にさせるかと脅迫し、自分たちのシェバ族の女と結婚させ、その子供に王位を取らせるか、どちらかを選択させようとしているわけです!

まあ、それでも、「タムドクもどき」は彼らの言うことを素直にハイハイと聞いて、いままで、なんとか生き延びてきたみたいなんですよ〜! クスン。。。ーー。。。 

ま〜たく、ひどすぎる〜〜〜〜 野獣のような奴らなんですよね〜〜〜!!!!!

まあ、前から分かってるけどさ(そりゃ、だって、吸血鬼モンスターたちなんだもんね!)。。。

でも、でも、何度でも言いたくなるわ〜〜〜 ひどすぎる〜〜〜 ーー***

まあ、わたしも生まれる前から(つまり、母親の代から)、モンスターたちにはいろいろひどい目にあってますからね〜 

でも、それでも、タムドキもどきは、くじけずに、一生懸命平和のために、みんなの幸せのために日々身を粉にして頑張っています! どうか、みなさんもご協力をよろしくお願いします!ネッ!


☆このことは、「タムドクもどき」にも、わたしにも辛(つら)い話ですが、タムドクもどきや私自身の身の安全のためにも、平和のために戦ってくださっている関係者の方々の身の安全のためにも、敢(あ)えて、暴露しました! ある程度のわたしの分かる範囲内のことではありますが、おそらく真実に近いであろうと推察できることをです。
(でも、ちょっと間違っていたところや、ここで説明するには複雑すぎることがあったので、その部分は削除しました)

p.s.
エリザベス女王も、アイゼンベルグも、ジョセッペ・マッチー二も、そのロスチャイルドも、み〜んな、今現在、日本にいます。そして、これから、世界戦争を引き起こし、自たち以外の世界中のほとんどの人間を残虐な方法で殺そうとしているのです!

しかし、日本の検察も警察も、欧米の闇権力、王族・貴族などのお金持ちたちのためにだけ仕事をしていて、逮捕することができないのです! 

☆☆ どうか、日本国民のみなさん、日本の検察・警察が正常化するように声をあげてください! ☆☆

署名、デモ、メール、ファックス、電話、投書などの、どの手段でもいいですから、検察庁、警察庁、政府(特に、法務省)や民主党、国民新党、各野党、メディア(テレビ、ラジオ、新聞社)などへ抗議をしてください!!! 

<抗議内容> 

 (「カナダde日本語」さんの2010.12.04のデモの内容記事からの引用)

検察制度の根本的な改革を求める。腐敗の根本にある裏金問題を国民の目に明らかにし、裏金を使用した検察幹部(OBを含む)に対して国庫に返還させる。
村木事件を始め、数々の冤罪を生んできた取調べ方法の抜本的改革を求める。(可視化、押収物・残記録の公開等・・可視化法案の成立へ)

■検察の裏金問題を国民の目に明らかにしその責任を追及し裏金の返還を求める。
■村木事件の検察の責任を追及する。
■取り調べの全面可視化、押収証拠物及び残記録の全面開示を要求する。

「大林宏検事総長が自ら使った裏金を返すべきである」
「村木事件で事前決済した最高検伊藤次長検事は辞職すべきである」
「前田主任検事、佐賀副部長、大坪特捜部長だけを起訴したトカゲのしっぽ切りはやめ、最大の責任は検察トップの責任を問う」
「検察が自分自身を問い直すべき時である」
「検察がやっている裏金づくりは犯罪ですから、裏金をちゃんと国民に返すこと」
「冤罪で人生や生活をめちゃくちゃにされた人たちにちゃんと謝罪すべきである」
「法律は国民生活の基本中の基本なのだから、正しく運用すべし!」
「私たち国民は、検察権力がやったことを決して忘れないだろう!」
「管総理は、法務・検察の犯罪を隠蔽しないで公表し、きちんと処分し、対策をとってほしい」

今後の検察改革の原則
1.自分達にとって都合の悪いものは隠蔽しない。
2.意見や考えが異なる団体や個人を排除しない。
3.情報は操作しない。

<うららおばさんからの付け加え>
4.ほんとうの犯罪者はだれであってもちゃんと逮捕する!

♡ どうかよろしくおねがいします!! ♡

* コメント欄も見てくださいネ!
[PR]
by Ulala-lov | 2010-12-03 23:30 | 西洋史 | Comments(16)