(以下のリンク先のサイトは、ネットで調べたものです。これらのブログ管理主様には勝手にリンクさせていただいておりますことご勘弁くださいませ。利用させていただき、たいへん感謝感謝です〜3939〜♡)


聖徳太子は蘇我入鹿である  〜開裕二  (ワニ文庫) ::Amazon.co.jp
http://www.amazon.co.jp/%E8%81%96%E5%BE%B3%E5%A4%AA%E5%A
D%90%E3%81%AF%E8%98%87%E6%88%91%E5%85%A5%E9%B9%BF%
E3%81%A7%E3%81%82%E3%82%8B-%E3%83%AF%E3%83%8B%E6%9
6%87%E5%BA%AB-%E9%96%A2-%E8%A3%95%E4%BA%8C/dp/458439
1114
(レビューのところを見ると、面白い感想が見れます)

聖徳太子は蘇我入鹿である  〜開裕二 - 仙丈亭日乗
http://blog.goo.ne.jp/sonetets/e/789c43d23c9171022e229ddf5af6a010


聖徳太子は蘇我入鹿と同一人物であり、蘇我善徳という人物である。- るいネット
http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&m=186224




事実は小説より奇なり 〜聖徳太子の真相を糺(ただ)す
http://www.syamashita.net/history/syotoku/sijitu_densyo.html

聖徳太子の系譜 〜聖徳太子の真相を糺(ただ)す
http://www.syamashita.net/history/syotoku/keihu.html

総合考察 〜聖徳太子の真相を糺(ただ)す
http://www.syamashita.net/history/syotoku/sougo_kousatsu.html


「天皇の呼称の使用は、7世紀後半とみられることから、これも日本書紀がつけた名称であることは明白である。」ということと。

用明天皇=蘇我馬子          聖徳太子=蘇我入鹿    

蘇我は、後世につけられた別称かも? 蘇我馬子は大王だった。その王子が蘇我善徳。後に、藤原不比人が、善徳を模(も)した「聖徳太子」という架空の人物がつくりあげて、日本書記に記(しる)す。

(以下引用)

蘇我氏の正体を調べた関裕二は、蘇我氏こそが、ヤマト朝廷黎明期の王家を構成した一族だったとして、次のように考察する。

日本書紀は蘇我氏を、どのような手段を駆使しても抹殺しなければならなかった。書紀編纂の中心にいた藤原不比等にとって、父・鎌足が罪もない蘇我入鹿(善徳)を殺し、さらに蘇我倉山田石川麻呂まで殺した。
それだけではない。蘇我殺しの正当性を証明するために、「悪党・蘇我」という図式を構築した。・・・蘇我氏の系譜を暖味にし、抹殺してしまった。日本書紀の記述とは裏腹に、藤原氏は蘇我氏にしでかした仕打ちの裏返しとして、蘇我氏の祟(たた)りを恐れたのであると云う。

(引用おわり)



蘇我氏の時代(2) 〜高市郡明日香村 飛鳥寺ー1ー  奈良を親子でも100倍楽しめる観光ガイドブログ
http://ameblo.jp/fflapper/entry-10327909714.html

聖徳太子は蘇我入鹿である  〜開裕二 - 仙丈亭日乗
http://blog.goo.ne.jp/sonetets/e/789c43d23c9171022e229ddf5af6a010


聖徳太子は蘇我入鹿と同一人物であり、蘇我善徳という人物である。- るいネット
http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&m=186224
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by Ulala-lov | 2011-03-29 02:29 | 藤原氏 | Comments(0)

藤原氏*の始祖「中臣鎌足」(なかとみの かまたり、614〜669年 =藤原鎌足、ジョゼッペ)は、「中大兄皇子」(=天智天皇=百済王子の豊璋=象二郎)** と共に、645年に「大化の改新」(=乙巳の変)をなしとげた有能な人物として知られていますが、その裏をのぞくと、なにやら、超怪し〜い人物みたいですね〜。

(以下無断で転載させていただいているブログのブログ主様たちには、勝ってながら大変感謝いたしておりますです〜ありがとうさんどす。Thanks a lot! ^_^ pekori)

* 百済王子豊璋と、当時の日本及び朝鮮半島の状況について、簡単に説明しておこう:成長するため、正しい地図を手にしよう

豊璋は、扶余 豊璋(ふよ ほうしょう)というのが正式名称のようで、扶余(ぷよ)族(サクソン系民族)の建国した(馬韓を征服してできた国)「百済」の王子です!

一方、高句麗は一時期は扶余王に乗っ取られていたものの、『広開土王』(韓国ドラマ「太王四神記」のタムドクのモデルですよ!)によって国土を回復し、百済と大和王朝との戦いにも勝利し、元のヤハウェ王朝の高句麗へと戻っていたのです、しかしながら、その後、5世紀末〜6世紀初頭くらいに、高句麗の王はまたまた扶余系になっていたようです。なので、従属していた百済も扶余系の王になっていったようです。日本は、紀元400年以降に新羅から渡来した蘇我氏の働きによりヤハウェ系王朝に戻り「飛鳥王朝」なっていました。しかし、皇極(=後の斉明天皇=新生ヴィーナスかシバの女王)が蘇我入鹿大王(=舒明天皇?)の側室になっていたようです。

** 天智天皇陵:城とか陵墓とか

この「天智天皇」の画像は、おそらく、現代の技術により複製したモンタージュのような写真だと思われます。これは象二郎です!若い時は結構ハンサムです〜!

エドワード7世(イギリス王)


「三島の謎、蘇我氏と継体天皇」

(大阪府高槻市にある「三島」という地が藤原氏=アングロサクソン系王族の拠点だったということでしょうか? とにかく、扶余人(=ツングース系アングロサクソン人 )で、百済王子だった「豊璋」と中臣鎌足は、663年、朝鮮半島南部の「白村江の戦い」*で破れて8年後に日本に帰ってきてから、「乙巳の変」のクーデターを起こし、中臣鎌足は、同じアングロサクソン系民族の藤原氏からその姓をもらって藤原鎌足と名乗っていたということなのでしょう。本当の藤原氏の始祖は、もっとずっと以前からいたアングロサクソン系王族か貴族の人なのでしょうね〜!

西暦500年初期の継体天皇以前からいたということでしょうね。でも、藤原鎌足以降は、コンビの38代「天智天皇」(=中大兄皇子)以降は切れ目なくずっと連続して藤原氏が、「摂政」(せっしょう)として天皇に仕えてきたのです。(あっ、でも、例外的に、次の天智天皇の異母系の弟か兄?の40代「天武天皇」(大海人皇子)*の治世と、50代「桓武天皇」〜55 代「文徳天皇」(源氏系の「清和天皇」の前)までの治世とを除くと思われます。また、源氏系の天皇の時でも、例外的に、平清盛と、豊臣秀吉は摂政になっていたらしいですけど。それと、江戸時代の天皇については平氏系もいたと思われますがよく分かりません。)

とにかく、「藤原鎌足」(=中臣鎌足)が藤原氏の始祖ということなのでしょう。

*白村江の戦い

倭国は滅亡していた!! 白村江の戦いの結末

天武天皇即位(673.2.27)

「大化の改新」

「蘇我氏と大化の改新(飛鳥時代)」

「大化の改新と上総国」

(ここからの三段落が、訂正した箇所です。)
要するに、次期天皇の後継者問題をめぐって、中臣鎌足が自(みずか)らが権力を得るために、当時の最大の権力者であり、この問題におけるライバルであった『蘇我氏』を追い落とすため蘇我氏を逆賊に仕立て上げ、クーデターを起こし蘇我氏征伐に成功したということですね。そして、その後、アイゼンベルグ、皇極、鎌足たちアングロサクソン王族たちは、中大兄皇子を天皇とし、専制政治を行うため、日本の中央集権化を進めていったようですね〜。

上記のようなことは、アングロサクソン王族のよくやる後継者問題をうまく利用した乗っ取りパターンで、次期皇太子の選定に際して、もっとも有力な王子に対して、別の王子を立てて支援し、邪魔な最有力候補のほうは暗殺、もしくは、幽閉したりして、自(みずか)らが支援してる王子を王位に就(つ)かせて、その功労賞として’王の次に偉い家臣’(英国ではステュワート=執事、ドイツでは宰相)となり、さらに娘を王に嫁がせて親戚となったり、それで自らの子孫を王して中央集権体制を強化して独裁政治をしたり、あるいは、影から王を意のままに操るというようなことをアングロサクソン系王族はずっと太古の昔からやってきているのです。

ということで、この時の最有力候補が、おそらく大海人皇子(=古人大兄皇子ともいう、後の、天武天皇。この方が本当は中大兄皇子より年上らしいです。)で、蘇我氏が支援していたようです。しかし、犬養連(アイゼンベルグ)や皇極(シバの女王)の陰謀により「乙巳のクーデター」が勃発。蘇我入鹿が暗殺され、その父、蘇我蝦夷も自殺し(ほんとうは暗殺?)され、蘇我氏の権勢は一気に衰えてしまいました。そして、このクーデター「乙巳の変」により中大兄皇子(=豊璋)が天智天皇となり、中臣鎌足がその摂政(せっしょう=王に仕えて政治を司る、王の次に偉い家臣)となり「大化の改新」を行ったようです。彼らを裏で、影のように操っていたのは、『シバの女王』や『新生ヴィーナス』やアイゼンベルグです〜!!!

天武天皇 隠された正体

上のサイトの本のレビューのところを見ると、皇極天皇(女王)*の最初の夫「高向王」との息子で「漢王子」と言われる長男は=「大海人皇子」だったという説があるそうです。こうなると、すべてがうまく説明がつきますし、納得です! ですから、蘇我氏は、「大海人皇子」を天皇の後継者として指示していたのでしょう。おそらく、高向王は、蘇我氏系だったのでしょう。

35代皇極天皇(=37代斉明天皇)

日本古代史は次の2つの勢力の争いだ! ::最新 日本古代史- その2-  5世紀〜
(高向王=蘇我入鹿という説も)


つい先日、たまたまNHKラジオ第2放送にダイヤルを合わせたら、「きつねのさいばん」☆という朗読をやっていて、なんだかアングロサクソン王族の狡猾なやり口に似ているな〜なんて思っていたのですが。その後、上の「大化の改新」のサイトを見つけて読んでみると、中臣鎌足と中大兄王子の「大化の改新」というクーデターも、やはり、アングロサクソン王族たちのやり方にそっくりで、この中臣鎌足と豊璋がアングロサクソン系王族だと分かります。実際、扶余族なのでツングース系のアングロサクソン人ということになるんです。そうすると、鎌足以降の藤原氏は、自らのツングース系アングロサクソン王族(シェバ=ヌビア人+カナン人子孫=ヒッタイト人+ツングース族)血流に、蘇我*倉山田石川麻呂の弟「連子」(むらじこ)の娘との婚姻により、蘇我氏=おそらくセムの長男「エフライム」の子孫である’セム系直系の王族’の血流が加わっていることになります。

* 蘇我氏は、「新バビロニア」のカナンの子孫の「ヒッタイト人」(=サクソン人)の攻撃に遭い、ペルシャ南部の国「エラム」から逃れていった「エフライム」(=ノアの長男「セム」の長男)の子孫と思われます。ペルシャからインド西南部へ渡り、「モヘンジョダロ」を築いたのですが、また、ヒッタイトが攻めて来たので、インド北部に逃れ、「クシャーナ王朝」(=月氏とも名乗る)を築き、仏教をあみ出し、広めました。しかし、また、ヒッタイトに攻められ、そこから、(中国を経て)新羅、そして、日本に渡来して、蘇我氏となったようです。

「狐の裁判」〜靄靄(もやもや)

おはなしの旅〜第20回「きつねのさいばん」:NHKデジタル教材
(一番下の3月の欄で、内容のところを見ると「中村メイコさんのお話で、まるで人間の世の中のように、ずるい奴(きつね)がうまくやっている様子、弁舌の妙が優位に立ってしまう様子を、まのあたりにする。」とあります。とてもすばらしい朗読だったので、もう一度聞きたいのですがインターネットで過去の録音を聞けないでしょうかねぇ? #m# なむなむ〜アーテン、そ〜めん!?)

この「きつねのさいばん」というお話は、途中から聞いたのですが、上の「もやもや」さんのサイトにもあるように、みながひどい目に遭わされたと口々に訴えるので、王様は、きつねのライネケを連れて来るように、部下の動物を遣(つか)わします。
(ちょっと、うろ覚えなのですが、再現してみると)

「まず、熊のブラウンが行くのですが。しかし、ライネケは、熊がやってくると、、熊がはちみつが大すきなことを知っていたので、親切そうに、「やあ、クマさん、○○においしいハチミツがあるから行ってごらん。」ところが、クマが喜んでハチミツを食べていると、(多分?)人間がやってきてひどいめに遭わされるのです。それで、今度は、メス猫のヒエンツエが遣わされるのですが、彼女が、ライネケの家へ行くと、門の前にライネケがいて、「やあ、ネコさん、いらっしゃい! せっかく、来てくれたんだから何かごちそうしてあげたいんだが、何がいいかい?」 ヒエンツエが黙っていると、ライネケは、「近くにネズミがたくさんいる家があるんだが。」と言います。ネズミは、ヒエンツエの大好物なので、もうヒエンツエはすぐにその家へ行きました。しかし、その家は、昨晩、ライネケがニワトリ?を盗んだ家だったので、ワナが仕掛けてありました。そのことをライネケは知っていたのです。ヒエンツエは、ワナにかかり、その家の人たちからさんざんな目に遭わされて戻ってきます。結局、3番目に遣わされた甥のグリムバルトには従ってやって来るのですが。裁判の場で、ライネケは、同情を誘うような弁舌をふるい(詳しくは聞き逃しました)、みんなの目に涙がうっすらと浮かんだのを見て、ライネケはしめた!と思いました。そして、ライネケは、○○(忘れました)が謀反(むほん)を企んでいると王様にウソをつき、○○は捕まえられ死刑になります。そして、ライネケは、王様の信頼を得て、王様の一番の部下に取り立てられたのです。これをみて、動物たちはみんなは、こんなことがあっていいのだろうかといぶかしがっていました。」   

というような内容でした。このゲーテの童話は、昔からの話をちょっと改編したものですが。ゲーテが生きていた、この当時の「フランス革命」のことを風刺したものだったとか。ゲーテはハプスブルグ家の人だったようですから、おそらく、フランスのブルボン朝のルイ16世とマリー・アントワネットに対するアングロサクソン王族たちの陰謀について言いたかったのではないでしょうか?

フランス革命
(この詳しい真相は、また別の記事で書きたいと思います)
ライネケぎつね

きつねものがたり

二年生と動物寓話・聖人伝説 l あき乙女の実践・スピリチュアル子育て

Twitter / 北山樹 :童話「狐の裁判」を思い出す。原作はゲーテの「ライネケ狐」。

秦氏と猿田彦」〜秦野エイト会

秦氏と応神天皇

豊の秘密


* コメント欄も見てくださいネ!

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by Ulala-lov | 2011-03-22 03:00 | 藤原氏 | Comments(9)

わたしの3月16日の同タイトルの記事のコメント欄に、yosakuさんが、「(新)日本の黒い霧」の3/14『隠された日米戦争』*で、国内騒乱を希求する人々(A)グループの権威となっている宮中の人というのは、昭和天皇妃「香淳皇后」のご実家「久邇宮家」(くにのみやけ)の弟君で、今生天皇(=平成天皇)の叔父にあたる『東伏見慈洽』氏(ひがしふしみ じごう、1910〜、当年100歳)ではないかということでした。わたしも、いろいろ考えてそうに違いないと思います。(詳しくは、3/16にのコメント欄のyosakuさんのコメントをご覧ください。)

* http://blog.goo.ne.jp/adoi/e/6934eb2acb1b27be98f4ab6370af8eb9

*東伏見慈洽
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E4%BC%8F%E
8%A6%8B%E6%85%88%E6%B4%BD

その後のブログ『新日本の黒い霧』の記事においては、東伏見慈洽も、昭和天皇や今上天皇「明仁」なども、みな『伏見宮家』という同じ穴の狢(むじな)であり、(A)の勢力も、(B)の勢力も、同じように国民に対しての脅威となりうる存在であることが分かってきています。海上自衛隊のほうが陸上自衛隊よりは多少ましかもしれませんが。。。?


[理由]

1.東伏見宮依仁親王・同妃「周子」(かねこ)より実子のようにかわいがられて、9歳の時に養子となったとあります。周子は、岩倉具視の娘であり、以前から言っていますように岩倉具視=ジョゼッペ・マッツィーニです。したがって、アングロサクソン王族サタニストの娘から養育されたということで、幼い時から将来サタニストになるべく、そのような教育を受けていたのではないかと思われます。

東伏見宮依仁親王
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E4%BC%8F%E8%A6%8B%E5%A
E%AE%E4%BE%9D%E4%BB%81%E8%A6%AA%E7%8E%8B

2.生家の久邇宮家もまた幕末期に「久邇宮朝彦親王」が影で大活躍し、アングロサクソン王族たちアイゼンベルグやジョゼッペ・マッチー二とその息子後藤象二郎と共に、「公武合体」を唱えながらも、実は「討幕」を狙っていた’タヌキのような化かしぶり’をやってのけています。「明治維新」直後、広島藩にお預かりになっていたというのは、アングロサクソン王族の得意な被害者にみせかけて同情を買い、利を得る、ただの’見せ掛けのだまし’でしょう。

その証拠に、わずか3年後の明治3年には自由の身となり、な〜んと「大出世」しているのです。つまり、「伊勢神宮」の祭主となり神社の頂点を極めるのと同時に、若い時から天台宗「青蓮院」の門跡門主に就いていたこともあり、その後、「天台座主」という仏教の頂点にまで昇りつめているのです。ということは、明治維新の「朝廷」側の’裏の大ボス’はこの方で、「孝明天皇」を欺いて亡き者としたのも、この東伏見朝彦親王だったのではないでしょうか? もちろん、アドバイスしていたのは、アイゼンベルグやジョゼッペたちだったのでしょうけれど。要するに、久邇宮家は、アングロサクソン王族秘密結社のメンバーでサタニストの家柄だったということなのでしょう。

久邇宮
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B9%85%E9%82%87%E5%AE%AE#.E
4.B9.85.E9.82.87.E5.AE.AE.E6.9C.9D.E5.BD.A6.E8.A6.AA.E7.8E.8B

久邇宮朝彦親王(くにのみや あさひこしんのう、1824〜91年)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B9%85%E9%82%87%E5%AE%AE%E
6%9C%9D%E5%BD%A6%E8%A6%AA%E7%8E%8B

「皇室のきょうかしょ」 〜 少年タケシ
http://www.fujitv.co.jp/takeshi/takeshi/column/koshitsu/koshitsu225.html
(大ボス-タヌキだったということでしょう)

3.2の久邇宮朝彦親王の第八王子「朝香宮鳩彦王」(あさかのみや やすひこおう、1887年〜1981年)も、大東亜戦争で、1937年の上海派遣軍司令官の時に南京攻略にも参加し、陸軍大将に昇進したということです。南京陥落後に、下士官に捕虜や不穏分子を多数殺害させたとのことです。そのことで、戦後、GHQから戦犯に指名されるところを皇族ということで免責されたそうです。下のサイトを読むと、かなり過激な戦争好き、サタニストぶりだったようです。

朝香宮鳩彦王
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%9D%E9%A6%99%E5%AE%A
E%E9%B3%A9%E5%BD%A6%E7%8E%8B

4.父君は、2の久邇宮朝彦親王の第三王子「久邇宮邦彦王」(くにのみや くによしおう、1873〜1929年)です。この方も姉の良子女王と皇太子裕仁親王(=昭和天皇)との婚約が破棄されるやもしれぬ事態に至った折に、取り消しを求めて大正天皇の妃「貞明皇后」に直談判するなどされ、異議を唱えていた枢密院議長の山県有朋や皇族を暗殺するとの噂がでるほどだったとのことです。 (なんか〜ぶっそうだなあ〜 @@;)

久邇宮邦彦王
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B9%85%E9%82%87%E5%AE%A
E%E9%82%A6%E5%BD%A6%E7%8E%8B

5.天台宗の有力寺院「青蓮院」(しょうれんいん)の住職をしておられました。この天台宗が(A)グループの勢力側なのです。


6.(A)グループの政治家として「亀井静香」衆議院議員があげられていますが、東伏見慈洽氏の妻「保子」の甥は「亀井久興」氏であり亀井静香議員とも親戚になります。

7.以下のサイトは、英王室のことをネットで調べていたら見つけたのですが、そこに載っている豊増氏の写真を見ると、この方が東伏見慈洽氏なのでは? Wikipediaに載っている子供時代の写真とどことなく似ています。ヒゲがなければかなり似ていると思われます。

豊増 良雄(Yoshio Toyomasu)
http://tyms.sakura.ne.jp/about

それから、上記サイトの「コレクター」のところを見てくださいまし。。。

コレクター
The Hon James.D.Ogilvy 様 F&C LTCB Foreign 取締役(スコットランド貴族出身)
(Mr.Ogilvy The Royal Academy's Former Board Member)
Sony Finace Europe様
(Ms.Sevil Peach:建築&インテリアデザイナーのアドパイスによる)

とあり、ジェームズ・オギルヴィ氏というのは、オギルヴィ夫人の息子なのです。したがって、豊増氏=東伏見慈洽氏と、アングロサクソン王族・「ウィンザー朝」サタニストとの関係の深さが分かります。

以上のようなことから、「国内騒乱を希求する人々(A)グループの『権威』となっている宮中の人」というのは、どうも東伏見慈洽氏であるように思われます。

(グレー字の部分は間違っていたところです→)しかしながら、今生天皇の母君「香淳天皇」は、久邇宮家の出ではあるものの、天皇家へ嫁がれ、昭和天皇の教えによく従っておられたようですし、サタニスト的な面はなかったのではないでしょうか。昭和天皇も皇后のほがらかな性格に癒(いや)されたとおっしゃっておられた記憶があります。(←訂正2015.12.07:わたしが高校の2~3年生の時に同じクラスにいた木村清子さんだと分かりました!なかなか陰険なことを何気にいう人でした。)

(訂正:2015.09.29↓)現在も生きているヴァンパイアの香淳皇后(ハトホルのクローン子孫)も昭和天皇(ハトホル)もサタニスト(悪魔崇拝者)です!アメンホテプ4世にソックリな今上天皇も残念ながら、同様でサタニストです!

また、今生天皇(ハトホルのクローン子孫)は、マッカーサー司令官のアドバイスでバイニング夫人(=ハトホルでした!)から教えを受けられるなど平和主義の教育を受けられており、戦後なって、桓武天皇以来ずっと摂政(せっしょう)だった藤原氏*の陰謀から目覚められた昭和天皇とご同様に、平和主義者であられますことは明らかです。そして、美智子皇后様も、また、平和主義者であられますことはいろいろなご活動や、国民へのやさしいお言葉、細やかなお心遣いなどから伺い知ることができます。

♡ ☆☆☆☆☆☆☆ ♡
今生天皇と皇后が共に平和を希求していらっしゃることが今の世界の救いであるように思われます。




* コメント欄も見てくださいネ!

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by Ulala-lov | 2011-03-20 02:25 | 藤原氏 | Comments(10)



東日本大震災をきっかけに、福島原子力発電所で放射能漏れ事故をわざと起こしているとしか思えない東京電力の奇妙な対応に、私も心配でイライラしていました。

日航ジャンボ123便の真相を解明しておられる「(新)日本の黒い霧」の管理人さんがこれらの奇怪な事件の裏にある闇をちょっと取り急ぎの記事ではありますが暴いて書いておられましたので紹介します。

▶▶▶ 「重大なお知らせ」

関東のあたりまで放射線が飛んできているようですので十分気をつけましょう!! 

▶▶▶ 「隠された日米戦争」

マッカーサーが米国中枢政府と対立したことは有名で、マッカーサーが陸軍で日本の旧陸軍との癒着があったとありますが、それはちょっと違うと思います。日本の旧陸軍(おそらく現在の陸軍も)はドイツ系で、つまり、アングロサクソン王族=ナチとの関わりが強く、当時の米国中枢政府はアングロサクソン王族が牛耳っていたのです。マッカーサーはアングロサクソン王族ではなく、おそらくスコットランド系のケルト系の王族でしょう。だから、敗戦後、天皇にアングロサクソン王族のことを教え、その系統の日本軍のことも教えたのでしょう。それで、天皇は陸軍側から海軍側のほうについたのでしょう。マッカーサーが陸軍だとウィキにはありますが、おそらく海軍だとわたしは推察しています。

サタニストの手下としては、中曽根、小沢、羽田議員など以前から知っていましたが、ま、まさか、あの亀井さんや、福島瑞穂さんが。。。。ボ〜ゼン呆然自失です〜

前から言っていますように、東京電力はアイゼンベルグの支配下にありますし、電通も以前からサタニストCIAのエージェントとして有名ですし、伊藤忠商事なんかはやっぱりそうかなって納得できる感じもしますけど。まあ、商社はそれっぽいのが多いですよね。住友銀行も、そ〜か〜ってまあ、納得! ちょっと目新しかったのは、東急グループ=五島(ごとう≒後藤)一族、東武グループ(根津一族)で、特に、東武グループ=根津一族が日航機調査を組織全体で妨害したとか。東京スカイツリーが兵器か?っていうのはやっぱり!というか、いや、それ以上かも?

だって、あの「スカイツリー」には、『クレオパトラの針』とかいう「シバ(=サバ)=ヌビア王国」の王権の象徴の意味で、それで、世界各国に高い塔を建設してきたとかなので、東京スカイツリーの場合もなにか悪いことを企んでいるような気がしていたんですよね。

誰かさんじゃないけど、「やらせはせん!」と日本国民全員で防衛しましょう! ただの電波塔にしましょう!でも、高すぎて折れないかって心配なんですよね。危険じゃないのかしら?あの半分でも、十分なんじゃ。。。

トヨタが「尾張徳川家」とちょっと関係あるかしら?と思ってみたりしたけれど、やっぱりね〜!莫大な埋蔵金があったわけですね〜 明治維新にも関わっていたのですね〜 水戸徳川家の徳川慶喜と見せかけて、実は、尾張徳川が重大な役割を果たしていたのですか〜! 弥生時代を始めたB.C.10C前後に日本にやって来たアングロサクソン系王族の血流だったんでしょうか?それとも、紀元前2〜3世紀に日本に渡来したアングロサクソン系王族だったのでしょうか?

天台宗も、ちょっと前から怪しいな〜って思っていました。でも、そうなると、いったい仏教でまともなのはどの流派なのかしら?

天台宗総本山:比叡山延暦寺

だから、織田信長が比叡山の焼き討ちをしたってことですね〜 なんだか徳川家康が、辛抱強くって、信長が気短かでって歌にも謳われていますが、これも、勝者の歴史のせいなのでしょうかね。

東本願寺の勢力は、天皇も恐れるほどだったらしいですよ〜。どうりで、奥出雲の中学校に勤めていた時の同僚の指導主任で体育の大谷先生(おそらく大谷派の人間でしょう)は「ポパイ」に出てくる「ブルートー」みたいにわんぱくないじめっ子みたいな先生だったのですね〜 他の仲良くしている先生でさえ、「サングラスかけていると、まるでヤクザみたいですね〜」なんて言ってましたからね〜 この方がスペインの日本学校に赴任していて、その時にパルセロナ・オリンピックがあり、その支援にも行ったとかで、ヤワラちゃんの知り合いだとかって自慢してましたが。でも、スペインの日本語学校では、教務主任をしていたけど、そこの先生たちには不評だったんですって。。。まあ、威張ってたんでしょうね〜

○以下のサイトは、かなり詳しい説明がしてあります。ちょっと難しいので、苦手とか急いでる人は興味があるところだけでもちょこっと見るといいかも?(ブログ主さんには勝ってなことを言いまして済みません。丁寧な解説ほんとすごいですね〜!感心!すると共に、借用させていただいて感謝〜!3939!で〜す)

天台宗の誤りを破す

○ 見〜つけ! ! 正しい仏教が載っていました〜!これは、みなさ〜ん、特に、新興宗教にハマっている方よ〜く読んでみてくださ〜い! きっと、目からウロコですよ〜

☆☆☆正しい宗教と信仰「日蓮正宗」/ 真実の仏法を知るために

☆♡☆↑上のサイトの左端にある次のコーナーをぜひ読んでみましょう!!
創価学会のみなさんへ 〜「一日も早く創価学会を脱会しましょう。
邪宗教退治「百花繚乱」〜さまざまな宗教の誤りを破す

日蓮(にちれん、1222 - 1282年) ウィキペディア


日本の原住民族とか渡来人とかのことをちょっとだけ調べてみたら以下のようなさまざまなサイトがありました。特に、縄文文化を築いた蝦夷(えみし)族は、一万年も前から3000年前くらいまでの長きに渡って日本に平和な社会を維持していた和の心の民族だったのですね。そこへ、アングロサクソン王族の血流などが渡来してきて日本も戦いに明け暮れるイヤ〜な社会になってしまったんですね〜!

皇統と鵺(ぬえ)*の影人    


つまり、「鵺の影人」とは、アングロサクソン王族=藤原一族のことか?
(このブログ
管理人様には断りもなく勝ってに紹介させていただいております。もし、ご覧になっていたら、貴重な資料をありがとうございます。)
天武天皇と桓武天皇は蝦夷とは同じ人間同士であり、蝦夷の味方だったのですから、蝦夷を日本史から消し去ったり、永久的な貴族支配体制の確立を策したのは他のアングロサクソン王族系の天皇たちですよ。

修験道師* というのもサクソン軍団のスパイ活動だったのでしょう。なので、天武天皇時代よりずっと以前から存在していたはずです。大海人皇子が戸籍を改ざんしたというのも何かの間違いでしょう。また、『古事記』や『日本書紀』を編纂(へんさん)させたのは天武天皇や桓武天皇ではなく、アングロサクソン王族=ETモンスターヴァンパイアの天皇たちです。

また、『夜這い』はアングロサクソン王族やサクソン系には太古の昔から行っていた悪習です。



桓武天皇は東北で人々を虐げていた悪帝(アロテイ、アルテイ)の軍団(アングロサクソン軍団)を征伐するために討伐軍を送ったということでしょう。




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by Ulala-lov | 2011-03-16 15:46 | 藤原氏 | Comments(17)