KGB作成の「宇宙人の地下秘密基地(UFO基地)を示す世界地図」を調べ、さらなる驚愕の事実を発見! B19 ニュージャージー州

2016−10−28

B18のつづき)

大変済みませんが、この記事はまだ書きかけです。

アメリカ・ニュージャージー州のつづき



ロンドンの中にもカムデンという町があり、ここに由来した地名のようです。


< ニューアーク >


(引用)
・ニューヨーク都市圏に含まれる地域で2番目に大きな都市である。
★ 米国東海岸最大のニューヨーク・ニュージャージー港* の主要コンテナターミナルであるニューアーク港・エリザベス海上ターミナルがある。
・ニューアーク・リバティー国際空港がある。


『安全保障』のところを読むと、ニューヨーク・マフィアのことが書いてあります。


アルバート・アナスタシアはジョゼッペです。


ラッキー・ルチアーノは、わたしの中学校時代の理科の教師だった「岩崎先生」=久邇宮邦彦王** です。


ウィキの説明からも、皇后選抜の時に周囲を脅してゴリ押しして自分の娘を皇后にしたという経緯があり、久邇宮邦彦王の気性が相当激しいことが伺えます。

わたしが理科を習っていた時も、一見、おとなしそうな先生に見えましたが、わたしなども冤罪で理科の時間に15〜20分くらい窓際に立たされたことがあります。その朝、朝礼が終わって私がトイレから教室に戻って、急いで次の授業のある理科室に行こうとしていたら、同じクラスの漆谷紀子(うるしだに のりこ)さん(母親は温泉津の山田教育長=イオンの岡田卓也名誉会長の娘で、宅野の漆谷家へ嫁ぎ、当時、娘と同じ仁万中学校で国語を教えていた漆谷先生)が「◎◎ちゃん、私、今日、日直だから職員室に出席簿取りに行くけ一緒に行ってくれん?」と言われたので、「いいよ。」と言って一緒に職員室に行き、紀(のり)ちゃん(みんなから呼ばれているあだ名は、漆谷の谷からダニちゃんでした!以後「ダニちゃん」と書きます)が出席簿を持ち、わたしは日直じゃなかったけれども(男女1名ずつなので)日誌を持ってあげて理科室に向かっていたら、到着直前にチャイムがなってしまいヤバいことになってしまいました。

理科教室に入ると岩崎先生が冷たそうな顔をして立っていて、その前に行くと、最初にダニちゃんのほうを向いて「なんで遅れた?」と優しげに聞いて、ダニちゃんが「出席簿を取りに行ってました。」というと、「よし!」と言ったのです。(この先生はふつうなら遅れたと怒るところなのですが。わたしはさすがに漆谷先生の子供だと違うな〜と思わず苦笑したような目になっていたとは思います。。。今になって分かるのですが、岩崎先生は動物的テレパシーでわたしの心やみんなの心が読めたのでしょう。)
今度はわたしのほうを向いて、やや怖そうに聞かれたのですが、わたしが「日誌を取りに行ってました。」というと、岩崎先生は「あそこの窓のとこで立っとれ!」とキツい声で言われました。わたしはとてもビックリしたのですが、紀ちゃんもビックリしたようで、その後、岩崎先生と一緒に準備室に入って行って説明していたようでした。戻ってきた時に紀ちゃんが「◎◎ちゃん、ごめんね〜!」と言っていましたが、しかし、わたしはその後も立たされっぱなしでした。

わたしが理科の勉強にやる気をなくしたのはいうまでもありませんが。。。クラスメートの多くが、その時の岩崎先生の態度には不満をもったらしく、その次の期末テストだったか中間テストだったかの時にはみんなの点数が悪過ぎて、岩崎先生はテストを返す時に「平均点が悪過ぎるから全員に10点下駄をはかす。」と言ってから返しました。
(そのクラスには奥淳子さん{=ローラ・ブッシュ元大統領夫人} などもいましたから全員が全員わたしに同情的だったわけではないでしょうけれども。この奥淳子さんが家庭科の調理実習の時にわたしの食べた「ほうれん草の海苔巻き」の中に中性洗剤をたっぷりとぶち込んだ犯人かも?わたしは一口食べるなりウッとなってトイレに駆け込んでゲホゲホと吐きました。)

ダニちゃんには、その後にも(同じ中学3年時に)、もっとひどい冤罪をかけられるハメに遭わせられたことがあり、おそらく、これらも『イルミナティ』によって入念に計画された私への "イジメ" 、 "嫌がらせ" の類(たぐ)いだったのだろうと今ではその時の奇妙な事の次第をよく理解できます。

ラッキー・ルチアーノは1930年代から頭角を表したようですから、久邇宮邦彦王は1929年に死亡したことにして、その後、アメリカでマフィアのボスとなって活躍していたのですねぇ〜!!!

マフィアは酒・麻薬の密輸をやったり、また、会社や店などから『みかじめ料』* 取り上げるなどして、応じなければ不当で残忍な手口を使うようです。


そういえば、ウチの母の弟(次男)の孝(たか)叔父さんが、あの岩崎先生と同級生だと話していたことがあります。孝叔父さんは母の生まれた年から考えると、7人兄弟の末っ子なので、きっと1930年前後の生まれだと推察されます。そうすると、岩崎先生が孝叔父さんの大田高校時代の同級生だとすると、1945~48年頃のことだろうと考えられます。きっと、孝叔父さんを観察・監視・スパイ工作するために同級生になっていたのでしょう。

(貿易ターミナルの地図をかなり拡大して見ると状況がよく分かります。)

★★★ 結果的に後からできたエリザベスポート・オーソリティー・マリン・ターミナル(エリザベス{町の名前}側)* が、旧来のポートニューアーク・コンテナーターミナル(ニューアーク都心側)* の仕事を奪った形になってしまったようです。おそらく、これはスリーシスターズが自分たちの利権を増すため、さらには『ニューアーク』***の町を衰退させ、退廃させるために意図的にやったのでしょう。
***後日、詳しく説明します。

(このホテルの地図のところをクリックして見てネ!)




(ちょっと今は訳している余裕がないのですが、写真を見るだけでもいろいろと分かってきます。)



町の中央にある、あの劇場は1986年に廃止されたといいますが、あの惨状は単に自主廃業とではなく、サクソン軍団が秘密裏にニューアークの街に住む人間の家や商店や営業所などを襲撃して大虐殺が行われたからではないでしょうか。。。そんな感じがします。それでも、なんとか生き残った人々(人間)は浮浪者・ホームレス・麻薬中毒者・売春婦(夫)などにならざるをえなかったのかも?

実は、わたしが現在住んでいる横浜市の六角橋のこの近辺でも、1年くらい前にわたしがバスかタクシーに乗っていたら、通りに面したいつもはシャッターが降りている数カ所の一ヶ所がその日は開いていて、中の様子がよく見えたのですが、もう何十年も前と思われる(わたしが子供の頃くらい)古いデザインの靴が棚に並んでいて、靴はもちろん店内全体が埃まみれで何十年も前に時が止まってしまったような様子でした。とても気味が悪くて怖い感じでした。おそらく、このお店などもサクソン軍団=イルミナティに襲撃されたのではないでしょうか?おそらく、店主やその家族は殺されたのかも?

そういえば、上の部屋にスリーシスターズなどが入り込んでくる直前の2008年頃に、わたしが近所を散歩していたら、住宅地の中の小さな道を歩いていた時に黒い髪と目をしたジェーン・フォンダのような上下とも紺色の服(下は紺色のジーンズ)の女性(50歳代くらい)がマスクをして私に近寄って来て、更地(サラチ)になっていた場所を指差して、「ここに家あったよね。」とわたしに話しかけて来たのです。わたしは少し気味悪く思ったけれども「ええ。」と答えたきり話しませんでした。そしたら、また「ここに家あったよね。」と繰り返していました。確かにそこは住宅が並んだ一角で、やや古いコンクリート製の家が建っていましたが1週間くらい前に散歩の途中で通った時には確かにありました。わたしは引っ越しでもしたのかな?と思っていましたが、最近になって、ビリー・ザ・キッドのことなども分かってきて、もしかしたら、夜中に襲撃されて家族は皆殺しされたのかも?との疑念を抱くようになりました。というのも、後日、その場所には「光明寺事務所」(寺の名前はうろ覚え)みたいな表札がかかっているとても立派な建物が建っていましたから。おそらく、『イルミナティ』の集会所、メンバーの勧誘・入会手続き、さらには違反者への警告や処罰などをする場所のような。。。内部の音がもれないようにするためか隣の家との間には高級で頑丈そうな壁が張ってありました。






>= ニューアークのダウンタウンにある『エジソン・プレイス』通り=<

ところで、ニューアークのホテルを調べていたら、ニューアークのダウンタウンに『ホテル・インディゴ・ダウンタウン』というホテルがあり、その地図を見てビックリ!なんと『エジソン・プレイス』という通りに面していました!(とあるからには、発明家『エジソン』と関わりの深い通りのはず!!

ちなみに、ここのホテルは1912年に建設された『ニュージャージー州立銀行』の建物を2014年にホテルに改装したのだそうですが。。。

ニューアーク・リバティー国際空港周辺にHotel Indigo Newark Downtown が新規オープンしました[世界ホテル案内]I

(下のほうに地図があります。標がついている場所が『ホテル・インディゴ・ダウンタウン』で、『エジソン・プレイス』という通りがあります。)

★★★ つまり、ほんとうの2番目の『エジソン研究所』もウェスト・オレンジではなく、ほんとうはこちらの「ニューアーク」の『州立銀行』の建物が建っていた場所(つまり、現在の「ホテル・インディゴ・ダウンタウン」の敷地)にあったのではないでしょうか?


どうやら、『ホテル・インディゴ・ダウンタウン』の建物内部の構造を見ると、工場のだったような感じの場所が幾つか見られるので、ここは1912年に州立銀行として建替えられたのではなく、『第2のエジソン研究所』の建物を改装して銀行として使っていたと考えられます。



[PR]
by Ulala-lov | 2016-10-28 18:57 | サタニストの攻撃 | Comments(0)