GHQ占領下で憲法草案作成を命じた影の人物=真の権力者とは?

2015−08−01

大変済みませんが、この記事はまだ書きかけです。



7月31日の記事の冒頭の

サイトAの中に出てくるマッカーサー元帥の懐刀として知られていいたという『コートニー・ホイットニー准将』という人のことが気になります。なぜって、典型的なアングロサクソン王族の顔をしているからです。

★★★ おそらく、ホイットニー准将のほうがマッカーサー元帥を操っていたのだろうと推察されます!










マッカーサーの顔の映像はアングロサクソン系のように改ざんされ、スティック鼻で下アゴが長くなっています。

幣原喜重郎(しではら きじゅうろう)首相とは?日本が敗戦となり、思い通りに歴史を動かしたので重ねて喜んでいる男の子という意味の名前でしょうか?幣原という名字は、貨幣が野原にいっぱい広がるくらい儲けたという意味でしょうか?非常にニヤけた顔をしています。なんだか、幣原喜重郎=藤田伝三郎=ヴィクトリア女王=ハトシェプスト=ジーン・マッカサー=ヴィヴィアン・リー=のような。。。

内務大臣の松本烝治(まつもと じょうじ)も、仁摩ルーテル教会の松本さん=石川の偽叔母さん=松平信子=ヴィクトリア女王みたいな感じ、あるいは、その代理の田嶋陽子=美子偽叔母さんか、他のクローン子孫かしら?

GHQ民政局法規課長マイロ・ラウエル中佐はGHQが憲法草案を作成する際に中心的な役割を果たした人物は民間の草案を歓迎していた。

[日本側の民間草案]
民間の「憲法研究会」のメンバーが作成
(戦前から言論界で活躍してきた学者やジャーナリストがメンバーで、そのほとんどが言論統制で投獄されたり、執筆の場を奪われたりしていた。

執筆した論文がもとで東大を逐(お)われた経済学者の森戸辰男は、研究会で「天皇は君臨すれども統治せず」とし、政治的権限を持つべきではないと主張しました。
「天皇は国民の委任により、もっぱら、国家的儀礼を司る」

また、「日本国の統治権は日本国民より発す」とあり、国民主権が明確に唱われていた。男女平等・言論の自由など基本的人権を保障し、平和主義の思想も盛り込まれていた。

この日本側の民間草案を読んでラウエルは報告書を作成しマッカーサーに提出した。

1945年12月ソビエトでアメリカ、イギリスの3カ国会議が開かれた。GHQが主導する日本の占領政策、これに激しく反発したのはソビエトだった。ここで日本の占領を共同で管理する連合国の新たな組織が設置されることになった。これが『極東委員会』という。

これまで、日本の占領はアメリカ政府のもとGHQが実施していた。しかし、ソビエトや中国など連合国11ヵ国からなる『極東委員会』ができると、GHQはその管理下に置かれる。憲法改正には極東委員会の事前の承認が必要となる。極東委員会の発足は1946年4月下旬と決まる。

極東委員会には天皇制に厳しい意見を持つ国もあった。太平洋戦争で4万人の死者を出したオーストラリアだった。少なくとも、天皇を戦犯として裁判にかけるべきだと思っていた。

幣原首相はマッカーサーに天皇制を維持するように頼んだ。

幣原:「世界から信用をなくしてしまった日本にとって戦争放棄するというようなことをハッキリと世界に声明することが、それだけが日本を信用してもらえる唯一の誇りとなることじゃないだろうか?」

マッカーサーと幣原首相は大いに共鳴したと記されている。後に、マッカーサーは幣原首相が憲法に戦争放棄の規定を入れるように努力したいと述べたと証言している。

マッカーサー:その翌日、ワシントンに宛てて極秘の書簡を送った。
「天皇を訴追すれば、日本人の間に激しい混乱を引き起こし、占領軍を大幅に増員しなければならなくなる。最低でも100万の軍隊が必要になるだろう。天皇は占領政策に必要とマッカーサーは考えていた。

ところが、朝日新聞が政府の憲法草案をスクープ、明治憲法の原則は変えず、天皇の統治権はそのまま認められていた。(これも、きっと、ヴィクトリア女王の仕掛けた策略で、最初から民家の『憲法研究会』の草案を採用する気などなかったのです。しかし、この後、マッカーサーの反対にあい、多少妥協したのかも?)

GHQは直ちに草案を翻訳し詳細に分析し、次のように批判した。
・天皇の行為が制限されていない。
・きわめて保守的である。

2月4日、GHQ民政局のスタッフ20人余りが緊急召集された。ホイットニー民政局長がこう告げた。「マッカーサー元帥は日本国民のために新しい憲法を起草するという歴史的意義のある任務を民政局に委ねられた。」わずか1週間

当時のGHQ民政局員ミルトン・エスマン
「とてもショックを受けた。大国の1つである日本のために我々のような小グループが新しい憲法を作成するという任務を任されることになったんですから。我々がそのような職務を遂行するようなことになるなんで思いもよりませんでした。」

極東委員会の発足まで、後ひと月を切っていた。マッカーサーは極東委員会が動き出す前に、GHQ主導で草案を作成することを決断した。
(マッカーサーは極東委員会が日本国憲法への草案へ介入すれば、その規定はより厳しいものになり、植民地的で国民の権利を侵害するものになるだろうと予測していたからでしょう。)

■■■ マッカーサーが新憲法の基本原則を示したマッカーサー・ノート
1 天皇は国の最上位にある。
2 憲法9条につながる戦争の放棄。
(国家の自衛権までも放棄するなんて、まさに理想だけの夢物語です。日本を国家の主権を持たない植民地にしたいアングロサクソン王族たちの野心が見え見えです。)

★★★ この自衛戦争まで否定した文はマッカーサーが規定したとのことですが、と〜んでもない! ほんとうは、影人で真の権力者ヴィクトリア女王=ロスチャイルド家の主マリー・ルイーズ・ユージーン・ビアー=ジーン・マッカーサー=藤田伝三郎=ハトシェプスト女王がそれらの基本原則を規定し、マッカーサー元帥にノートに書かせたのでしょう!!

マッカーサーノートを基にした条文の作成の中心となったのは『運営委員会』だった。メンバーは日本の憲法を研究していたラウエル陸軍中佐、ケーディス陸軍大佐、ハッシー海軍中佐の3人だった。弁護士としての経験を積み、自由主義的な思想を持っていた。

ケーディスはマッカーサーノートの自衛戦争を放棄した箇所を削除した。日本が攻撃された時に防衛する権利さえも奪っているように思えた。どんな国であれ自衛の権利は本来的に持っていて当然のものだ。その一方でケーディスは「武力による威嚇または武力の行使をも放棄する」という一文を加え、侵略戦争の否定を明確にした。
(これも、防衛行為や防衛戦争を一切できなくさせるバカげた規定です!!)

★★★ おそらく、マッカーサーも運営委員会の3人も旧ハプスブルグ家の子孫たちでしょう。きっと、ハトシェプスト女王=ヴィクトリア女王=ジーン・マッカーサーが、日本または他の国々へ、さらなる原爆投下を暗示するような脅迫をしたので仕方なく悪魔ETモンスター・ヴァンパイア女王に操られていたのでしょう。

運営委員会のハッシーノートの記録:
★★★ GHQが最も留意したのは天皇制だった。マッカーサーノートの最上位 Head を意味するとの疑念から象徴 symbol に変えられた。
(といっても、結局、天皇は現在も明治憲法のような地位を保ってるんですけど〜 アングロサクソン王族たちは馬耳東風だから。。。015.gif

翌年1946年2月12日GHQ案が完成、翌13日に日本政府とGHQとの会談が行われた。松本国務大臣と吉田外務大臣は自ら作成した改正案への回答を聞けると思っていた。

ホイットニー民政局長:あなた方の憲法改正案は、自由と民主主義の文書として受け入れることは全く不可能だ。

ホイットニーはGHQ案を受け入れることを求め、次のように言った。
「マッカーサー元帥は、連合国側の天皇制批判に耐えきれなくなるかもしれない。しかし、我々の草案の基本原則を受け入れれば、天皇の身は安泰になるであろう。」さらに、「逆に、あなたがた日本政府が拒否すれば、マッカーサー元帥はこの草案を日本国民に公表し国民投票にかけることを決断されました。」と付け加えた。

日本政府はGHQ草案を極秘に検討した。2月22日、幣原(しではら)首相は天皇制を守るためにGHQ案の受け入れは避けられないと決断した。GHQ案を元にして政府案を作成するように指示した。

政府案の作成は松本国務大臣と内閣法制局第一部長の佐藤達男* を中心に極秘で進められた。佐藤はこれ以降、条文の作成だけでなく、GHQとの度重なる交渉など憲法制定において中心的な役割を担っていた。

* 佐藤達男=アイゼンベルグ三船=喜多文麿=白州次郎です! 佐藤勝己の祖父ではなく父親だったのでしょうか? 実際、(横浜市港北区)日吉の1ルームマンションに住んでいた時の私の大家(おおや)さんだった喜多文磨の息子「喜多誠」は、今思えば、佐藤勝己だったようです。だから佐藤という姓で、佐藤達男(=アイゼンベルグ)の姓と一致しています。

つまり、佐藤勝己はヴィクトリア女王(=ハトシェプスト女王)とアイゼンベルグの息子だったということでしょう。そして、アイゼンベルグよりもハトシェプスト女王のほうが偉いということになるのでは? だって、ヴィクトリア女王の婿アルバート公が佐藤勝己を養育してきてようですから。。。まあ、実際は、そのず〜っと前から古代エジプトから生きてきたヴァンパイア「トトメス1世」でもありますけれども。

佐藤達雄が憲法成立の経緯について昭和30年(1955年)に語った録音テープが国立国会図書館に残されていた。
「私自身はそのとき初めてそういう案の概要を見ましてーー全然、これは我々が憲法問題調査委員会で作った案とは非常に内容が違う。だから非常に衝撃を受けました。」
こういうものを(松本さんから言い渡されたような)短い期間に日本式に書き上げられるものかどうかーーについて、非常な疑問を持ったわけですが。(いづれにせよ)寸刻を争うということですからーー早速、それを持ち帰って検討に入ったわけです。

英語で書かれた条文を日本語に整理していく作業、佐藤たちは(GHQの草案を)できる限りこれまでの日本の法律用語に合うよう微妙に表現を書き替えていった。3月4日、佐藤はGHQからの催促を受け、当初の予定より1週間早く、政府案を持ってGHQに向かった。この時、ワシントン(D.C.)では、既に極東委員会が発足していた。 

英語に翻訳する間もなく、日本文のまま民政局に渡した佐藤。ケーディスらが一文一文検討を始めた。天皇に関する条文が微妙に変えられていることが分かり、激しい議論になった。GHQ案では、天皇の国事行為は内閣の助言と同意を要するとなっていた条文だった。この条文を日本政府は明治憲法に習って、内閣の輔弼(ほひつ)* によると変えていた。GHQとの交渉を一手に担っていたのは佐藤だった。佐藤によると、この助言と輔弼という言葉をめぐってケーディスとの間で激しい応酬が繰り返されたという。

ケーディス:GHQの草案には助言と同意とあるにもかかわらず、日本案には輔弼とだけしか出ていない。許可とか承認とかいう言葉を加えることが必要だ。

佐藤:輔弼の言葉には同意という意味も含まれているし、これで十分だ。

しかし、ケーディスは天皇に関する記述はGHQ案が絶対だと言って譲りません。結局、GHQの草案に近い、助言と承認という言葉になります。天皇に関する条文はほとんど元に戻された。この時、通訳を務めたのがGHQ案で男女平等の条文を作成したベアテ(・ゴードン)だった。

ベアテさんの証言:
女性の権利について、日本側がこの条文を削るように主張した。これは日本の国民・歴史・文化に合ない。これは全然ダメですと女性の権利について言った。

ケーディスは日本側が優秀な通訳としてベアテさんに好意を持っていたと思っていたので、女性の権利についてはベアテさんも望んでいるので採択してはどうかと提案したという。

そしたら、佐藤さんとみんながビックリした。そして、パスした。それで安心した。

全ての条文が完成したのは3月5日の午後4時だった。この時、初めて民政局長のホイットニーが姿を見せ、佐藤と握手をかわした。そして、「ありがとう」を繰り返した。

翌日3月6日、政府は記者会見を開き、憲法改正法案を発表した。改正案の突然の公表。新聞には世界に「戦争放棄」の宣言を憲法中に明記、「主権在民」、「象徴天皇」など真新しい言葉が紙面を賑(にぎ)わせた。

マッカーサーは、この案に全面的な指示を表明した。
(ところで、映像を見ると、マッカーサーの顔が新生ヴィーナスかバッカスのようなアングロサクソン王族の顔をしていて、本物ではない。つまり、偽者のマッカーサーが出没していたということ。)

これに極東委員会は激しく反発。日本に関する



















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by Ulala-lov | 2015-08-01 14:57 | サタニストの攻撃 | Comments(0)