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光仁天皇・桓武天皇〜陽成天皇までの天皇 1

2014−08−21

皇室の系図一覧 - 平安時代 ウィキペディア


・母・・・紀諸人(き の もろひと)の娘「紀橡姫」(き の とちひめ、母親は道氏アングロサクソ脳族?)
・父・・・志貴皇子(しきのみこ、?~716)、別名:芝基皇子、施基皇子
天智天皇(象二郎系)の第七皇子。その母は越道君伊羅都売(おそらく蔑称ですが。。。蘇我氏の娘ではないかと)

父は県犬養唐。 母は不明。
県犬養氏には藤原不比人** の妻で宮人として元明天皇に仕えていた県犬養三千代*** =橘(たちばな)三千代がいる。
県(あがた)の意味 - goo辞書 大化の改新以前、大和政権の地方組織。国司。
犬養はアイゼンベルグの名字ですから、国司の犬養ということで、県犬養三千代=『シバの女王』なので、県犬養広刀自も『シバの女王』でしょう。

藤原鎌足(ジョゼッペ)の子。文武天皇2年(698年)には不比人の子孫のみが藤原姓を名乗り、太政官(だいじょうかん)に就くことができるとされた。天智天皇が平氏系の女御を鎌足に下げ渡す際に、子供が男なら、鎌足の子、女なら天智天皇のものと言っていたとか。ということは、藤原不比等は天智天皇と蘇我氏の娘(額田女王)との子供と考えられるのでは?
*藤原四家については、後日、別記事にします。

母親・・・車持与志古娘。ただし、実の母は鏡王女(かがみのおおきみ、?~683)という説があり、「鏡王の娘」と読むのが正しく、額田女王(ぬかたのおおきみ)のことであろうとされている。額田女王は大海人皇子の妃だったのに、無理やり天智天皇の妃にされたらしいので、不比人の母親は額田女王でしょう。その後、藤原鎌足(ジョゼッペ)の妻にされたのですね。ほんと可哀想な額田女王です。007.gif021.gif007.gif

また、藤原不比等の従兄弟(いとこ)たちは、鎌足の元の姓である中臣朝臣姓とされ、神祇官(じんぎかん)として祭祀(さいし)のみを担当することと明確に分けられたことにより、不比等は藤原氏の家祖。


*** 県犬養三千代(665~733)=『シバの女王』
軽皇子(聖徳太子****の息子)=の乳母だったとありますが、実は、実母だったのでは?

**** 聖徳太子=ジョゼッペかアルバート公
わたしが赤来中学に勤務していた時のお寺の息子で、そんなに悪い子じゃないと書いていた藤原君に似ています。近衛文麿にも似ています。
以前からジョゼッペだと分かっています。
AとBの画像集を並べて見るとよく分かります。

蘇我氏が推古天皇(額田部皇女)の命令で、聖徳太子の物部氏(サクソン王族)を討伐したのは容易に想像がつくような。。。しかるべき理由があったのでしょう。

◎夫人「高野新笠」(たかの の にいがさ)

・10代前くらいに新羅から渡来した蘇我氏の子孫です。ネットのあちこちに書かれている百済人というのはアングロサクソ脳族捏造歴史のためで大ウソです!百済から渡来したのは卑弥呼たちアングロサクソ脳族たちのほうです。
・桓武天皇の生母。




「早良親王の母は百済系の卑母だったので、幼い時に出家している」とあり、この百済からやってきたのは、卑弥呼=『シバの女王』ではないかと。。。桓武天皇と同じ母というのはアングロサクソ脳族たちの捏造(ねつぞう)歴史のためでしょう!!

そのために天皇に即位する権利は元々なかったということになります。それなのに、光仁天皇が781年に退位し、翌782年に崩御すると(アングロサクソ脳族の毒殺か?)、早速、早良親王と大伴氏(アングロサクソ脳族系)は、桓武天皇にクーデターを起して、藤原種継(藤原式家、母親は秦{たい}氏の娘ですが、母系祖母がアングロサクソ脳族かヤハウェ系か不明)などが殺害されたため、桓武天皇は流刑にせざるをえなかったのではないでしょうか?決して、一言も早良親王の弁明を聞かずにということはないでしょうが。。。このクーデターの関係者の中に早良親王の側近たちが混じっていたという明らかな証拠があったのなら、いくら弁明をしても、事実を変えることはできなかったでしょう。

下のサイトは今まで、まことしやかに語られてきた"ウソでっちあげ"の早良親王の怨霊説をもとにした説明です。

家系図や、右大臣・藤原是公が廃太子が夢で「早良親王が『自分が桓武天皇の周囲の近親者たちを殺したり、最近、チマタで頻発している地震・雷・火事・洪水などもみんなみんな私の仕業なんですよ」と、腹を抱えて笑っておりました」と桓武天皇に告げるあたりは、この右大臣もアングロサクソ脳族で桓武天皇に怨霊説を信じ込ませようとしているような。。。しかし、実際に、ヤハウェ系の要人の毒殺や、天変地異を人工的に起していたのは早良親王を始めとするアングロサクソ脳族たちだとよく分かる話ですね!!!

<皇后 藤原乙牟漏> 

この名前は何だかアングロサクソ脳族による蔑称のような。。。

父:藤原良継(よしつぐ、716~777)は藤原宇合* の次男

*阿部糠蟲
(ムカムシとは米糠(こめぬか)に生(は)える虫のことであり、アングロサクソ脳族の改ざん歴史による蔑称です)
(藤原乙牟漏・母方の祖父)
↓(糠蟲の父)
阿倍広庭(ひろにわ、659~732)の息子のようです。
↓(広庭の父)
さらに、その父は阿倍御主人(みうし、635~703、飛鳥時代の貴族)(これも実名ではなさそう、御主人ごしゅじん)で、壬申の乱で大海人皇子(天武天皇)側の功臣(功労のあった下臣)

竹取物語… アングロサクソ脳族の誰かが書いた(あるいは、文章能力の高いやハウェ系の誰かに書かせた?)藤原不比人など藤原氏への悪口のようです!そういった背景を考えて読んでみると面白そうですね!月へ帰っていったというのは、上空にUFOが待っていて、反重力装置でかぐや姫とお迎えの女官たちが上空に昇っていきUF0に入っていったということを想定して書いたんでしょうね〜

主人公のかぐや姫のモデルは垂仁天皇(第11代、すいにん)の妃「大筒木垂根王」(おおつつきたりねのみこ)の娘「かぐや姫命」とされる。筒木は竹、星の古語「つづ」と関係あり?また、同音の「綴喜」***(地名)には月読命(ツクヨミ)=アイゼンベルグを祀る樺井月神社、月読神社などの式内社(しきないしゃ)があるとのこと。私の愛知県警婦警の同期にも都筑さんっていましたが、同期(アングロサクソ脳族が多数)から一目置かれていたような。この人が額の真ん中にホクロがあった人です。祖父は奈良県で村長をしていたとかって聞いたことがありますが。多分、「シバの女王」の一人だったのかも?父親は第二次世界大戦の時には通訳をしていたとか。今考えると、ヴァイニング夫人かそのクローン子孫が、わざと不細工目の顔に変装していたような。
*** 綴喜郡(つづきぐん)=アイゼンベルグの変身している一人物・横浜市港北区日吉の「喜多文磨」の喜多という名字もこれに関係しているのかも?


↓(阿部御主人みうしの父)
阿倍内麻呂(うちまろ、? ~ 649)
「生涯」のところで、大臣の蘇我馬子(実際、馬子は上皇か法皇のような役職だったはずで、葛城圏の譲渡を推古天皇に要求したとかいうのはウソでしょう。とにかく、阿部家麻呂は蘇我天皇家の重臣だったということです。乙巳の変のクーデターの4年後に亡くなったのも、皇極(シバの女王)や中大兄皇子(象二郎)や藤原鎌足(ジョゼッペ)などによって暗殺されたのでしょう。また、その直後に蘇我倉山石川麻呂が虚偽?(あるいは蘇我家への弔い合戦を計画していた?)の密告で自殺に追い込まれたのも彼らアングロサクソ脳族たちの策略によるものだったのでしょう。

<側室>

藤原旅子(たびこ、りょし)桓武天皇夫人、淳和天皇の母

桓武天皇后妃



平城天皇が病弱で在位期間がわずか3年と非常に短期で退位したのは、若い時から毒を盛られていた可能性があります。というのも、その皇后が橘嘉智子というチビタコ女王系(チビのふりしてただけでしたけど:アイゼンベルグ系)であり、アイゼンベルグ系(ET)の陰謀で嵯峨天皇を早く皇位に就けたかったからではないかと推察されます。

父:桓武天皇
母:藤原乙牟漏

<皇后>
父:藤原百川(ももかわ、732~779)は藤原宇合*の八男

藤原式家(しきけ)の祖。(式家はヤハウェ系だったけれども、後には?)



につづく)
by Ulala-lov | 2014-08-21 10:36 | 日本史 中世