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松平家康(人間)→(本能寺の変)→徳川家康(アイゼンベルグ) 4

2014−07−22

のつづき)

大変済みませんが、この記事はまだ書きかけです。

+++その他の名将+++

服部 正成(はっとり まさなり/まさしげ、1542~1596)

(引用)父は、服部保長で、伊勢国の土豪。北部を領する「千賀地氏」の一門。(当時の伊賀には服部氏族の「千賀地」「百地」「藤林」の三家があった)

保長は生活苦から上洛し、室町12代将軍「足利義晴」に仕えた。この時に松平清康(家康の祖父)が三河国を平定し将軍に謁見すべく上洛した折に、保長と会って大いに気に入り、その縁で松平氏に仕えることになった。(一方、伊賀国予野の千賀地氏を正成の一族とするのは誤りで、阿拝郡荒木(アングロサクソ脳族の名前を地名に?)の服部半三正種の子とするのが正しいとする説がある。)

(引用)「天正10年(1582年)、信長の招きで家康が少数の供のみを連れて上方を旅行中に本能寺の変が起こるが、このとき堺に滞在していた家康が甲賀・伊賀を通って伊勢から三河に抜ける神君伊賀越えに際し先祖の出自が伊賀である(服部)正成は商人・茶屋四郎次郎清延とともに伊賀、甲賀の地元の土豪と交渉し彼らに警護させて一行を安全に通行させ伊勢から船で三河の岡崎まで護衛しており彼らは後に伊賀同心、甲賀同心として徳川幕府に仕えている。・・・A

伊賀衆 群を抜く強さ-忍者として 傭兵として

天正伊賀の乱 - 伊賀忍者

伊賀衆

忍術、忍者とは l 忍者とは l 伊賀流忍者博物館服部氏


<偽服部氏>

服部半蔵

服部半蔵 l 忍者マイスター

第16回 伊賀者を率いた服部半蔵正成の家紋・・・「並矢」

家紋に詳しい方おねがいします。 源氏車に並矢は服部半蔵の家紋ですか?調べて… - Yahoo!知恵袋

(家紋に関しては翌日22日の家紋で分かることで説明します。しかし〜、まだ書きかけです。済みません!)


★ 分かりました〜!!!松平家に代々仕えた重臣であった本当の服部家は忍者ではなく、古代から神官や、機織りなどをしていた平氏系の有力氏族のようです。

ところが、『本能寺の変』後、松平家康の一行は明智光秀の追っ手たちに討伐され、アイゼンベルグが家康に成りすまし、ジョゼッペ?も服部正成に成りすましたのです。

ですから、『忍者ハットリ君』とは、「本能寺の変」の後の偽・服部正成のことであり、忍者「服部衆」とは、その時に偽・服部正成と共に岡崎城にやって来た伊賀衆(福地氏など)のことでしょう。

また、服部半蔵という名前もその時から偽・服部正成とその一族に付けられた襲名と推察されます。ですから、初代となっている服部保長はウソで、二代目の偽・服部正成からが始まりでしょう。三代目・四代目は本物の服部正成の息子たちですが。。。それ以降はアングロサクソ脳族でしょう。そして、現在も、服部半蔵家は東京の葛飾柴又(なぜかトラさんといっしょ!)にあり、服部半蔵が襲名されているのです。アングロサクソ脳族たちがヤハウェ王族の有力家系を乗っ取る典型的なやり方です。

『忍者ハットリ君』って良い忍者だとばかり思ってたのに〜! ガ〜ッカリ!!😣 😩 😬


<ほんとうの服部氏>

平家長・・・桓武平氏系

服部正成・・・本能寺の変以後は偽・服部正成ですし、ウィキに書かれているその祖先の出自もウソが書かれているのかも?あるいは、ほんとうに伊賀にも福地氏(アイゼンベルグなどのサクソン系)以外のヤハウェ王族系の服部忍者衆がいたのか?今、検証中です。

(訂正)わたしの母の実家の服部家は、わたしの喪服の着物に染め抜きしてある紋が確か「桐」の紋と覚えていたのですが、何しろ、父の葬儀に着て以来30年あまり見ていないのでうろ覚えで、もしかしたら蔦(つた)の紋のような気もするし。。。とにかく、もともとは桐(きり)だったのかも?(この2つの家紋はとてもよく似ています)おそらく、服部氏というのは蘇我氏の直属の部下「連」(むらじ)だったのでは? また、うちの母方の祖父・服部朝太郎は「うちの服部という名字は、古代に中国で機織りをしていた一族に由来していて、日本に渡来してきたんだ。」と言っていたとか。

[ 松平家康の名将たち ]

武将一覧 l グレート家康公「葵」武将隊

徳川家康 l グレート家康公「葵」武将隊

酒井忠次 l グレート家康公「葵」武将隊

本多忠勝 l グレート家康公「葵」武将隊

榊原康政 l グレート家康公「葵」武将隊

井伊直政 l グレート家康公「葵」武将隊

家紋について(2)橘紋

服部正成 l グレート家康公「葵」武将隊

水野勝成 l グレート家康公「葵」武将隊

小松姫 l グレート家康公「葵」武将隊


につづく)



by Ulala-lov | 2014-07-22 01:06 | 日本史 中世