「蘇我入鹿大王」殺害=クーデター『乙巳の変』の真実

2014−06−27

「蘇我入鹿 暗殺の謎」 そのとき歴史が動いた(1/4)

645年6月12日 蘇我入鹿暗殺事件 その後、大化の改新

中大兄皇子の母親が「皇極天皇」 中臣鎌足

『日本書紀』に書かれている天智天皇の蘇我入鹿殺害の理由:「蘇我入鹿は神から皇位を授けられた天皇家にとって代わろうとする野望を持っていた。」近年の研究で蘇我入鹿暗殺の動機に矛盾があるという研究が発表された。

天智天皇=中大兄皇子は偉大な天皇として崇められているが、その反面、天智に敵対した人物や、天智によって滅ぼされた勢力には相対的に悪く書かれている。マイナスのイメージで書かれる傾向があった。
蘇我入鹿が天皇家に取って代わろうとしたとあるが、しかし、当時の情勢から蘇我入鹿にそのような兆候はなかった。

1943年、蘇我入鹿は「山背大兄王」を謀反の罪で襲撃した。山背大兄王は聖徳太子(=蘇我氏)の息子であり、当時、次期天皇の筆頭(第一)候補だった。

この山背大兄王襲撃事件によって「入鹿は王位転覆を狙っている」とされた。

蘇我入鹿の山背大兄王を殺害には、王位転覆とはまったく異なる意図が隠されていた可能性がでてきた。「蘇我蝦夷(入鹿の父)は入鹿の山背大兄王の襲撃を聞いて激怒し、入鹿は実に愚かで横暴な悪事を行ったものだと言った。」と日本書紀には書かれている。

山背大兄王(肖像画の眉は改ざんされているようです)は蘇我入鹿の従兄弟(いとこ)であり、そもそも、聖徳太子(肖像画の目は改ざんされているようです)も蘇我氏の系統だった。

したがって、入鹿の山背大兄王襲撃は蘇我氏の利益に反する行動であった。

では、なぜ、入鹿は山背大兄王を討ったのか?
山背大兄王を亡き者にしたい人物が蘇我入鹿に山背大兄王襲撃を命じたのです。
(山背大兄王は次期天皇の有力候補だった)

[山背大兄王を亡き者にしたかった人物たち]

◎時期王の候補:軽皇子(かるのおうじ)47歳くらい、古人皇子(ふるひとおうじ)30歳代、中大兄皇子(若すぎてチャンスはほとんどなかった)

◎皇極天皇にも山背大兄王を殺す動機があった。

当時、飛鳥京の建設に心血を注いでいた。皇極天皇は唐に倣(なら)った都の建設をすることによって中央集権国家への道を押し進めようとしていた。
しかし、皇極天皇の飛鳥京建設に立ちはだかった人物が山背大兄王だった。

<<< 上の動画の内容に関する"うららおばさん"の疑問 >>>

ところで、古事記は天武天皇の命令で編纂が始められた歴史書とかいわれています。しかし、後にアングロサクソ脳族たちに大幅に改ざんされたのか、とても信用できる内容ではありません。

一方、日本書紀はアングロサクソ脳族たちが編纂を命令した歴史書らしいのですが、これもひどい内容のようです。


蘇我入鹿の大邸宅を襲撃し、蘇我入鹿の一族を殺害し、火を放って『天皇記』などの数多くの歴史書をわざと消失させたのはアングロサクソ脳族たちのしわざです。

そして、皇極、中臣鎌足、中大兄皇子たちアングロサクソ脳族たちは新しく捏造した歴史を伝えるために古事記や日本書紀を編纂させたと推察されます。

下に以前わたしが書いた記事を再読していただければ分かりますが、そもそも当時の皇極は天皇などではなく側室だったのです。そして、天皇は蘇我入鹿だったのです!!!それを皇極皇后と中臣鎌足と中大兄皇子たちが『乙巳の変』というクーデターを起こし、入鹿天皇を殺害したのです。目的はただ一つ、アングロサクソ脳族の『大和朝廷』復活のためだったはずです。


★★★ しかしながら、蘇我入鹿が山背大兄王を暗殺したという疑惑を晴らし、皇極皇后たちアングロサクソ脳族たちがいろいろと暗躍して、山背大兄王や蘇我入鹿を暗殺したということが分かって良かったです!

「蘇我入鹿 暗殺の謎」 そのとき歴史が動いた(2/4)

山背大兄王の父「聖徳太子」は飛鳥の西北に位置する奈良県の斑鳩(いかるが)に斑鳩寺と王宮を中心にした町を造りました。聖徳太子の一族・上宮(うえのみや)王家は斑鳩を拠点としていて、皇極天皇とは別の王家でした。山背大兄王が天皇になれば都が斑鳩へ移る可能性があった。そうなれば、皇極天皇の飛鳥京建設の夢は断たれる。

★★★ 飛鳥京建設に執念を燃やす皇極天皇、そして、次期天皇を争う軽皇子と古人皇子、この三人は山背大兄王を亡き者にしようという動機をもっていた可能性がでてきた。

果たして、この中に蘇我入鹿に山背大兄王襲撃を命じた者がいるのか?日本書紀には入鹿が独りで企てたと記されている。

また、日本書紀には、入鹿(いるか)の父「蝦夷」(えみし)が舒明天皇の即位に際して、「蝦夷は推古(すいこ)天皇の遺言に従って次期天皇を決めた」と書かれている。

「独り」というのは「独断」という意味ではなく、大王(オオキミ=天皇)の命令を受けて大臣(おおまえつぎみ*:ここでは蘇我蝦夷)が大夫(まえつきみ:部下)**にいちいち諮(はか)らずに直(ただ)ちに実行する。そう考えると、入鹿が山背大兄王を襲ったというのも、彼の独断とか彼の意志ではない。大王である皇極が大臣の入鹿に命じたことであって、おそらく、皇極は飛鳥京の建設の邪魔になったという理由で入鹿を使い(ウソ!)、山背大兄王を襲い滅ぼしたという解釈が可能になってくる。     *おおまえつぎみ   ** まえつきみ

皇極天皇(ほんとは皇后)入鹿(ウソ!)に命じて山背大兄王を討たせた。(入鹿暗殺の1年半前)と、この動画のナレーションでは言っていますが。。。

★★★ 蘇我入鹿は天皇であり、皇極皇后の命令に従って山背大兄王を襲撃などするはずがなく、襲撃したのは中臣鎌足や中大兄皇子と推察されます!!!

そうなると、中大兄皇子の「入鹿暗殺」の動機が崩れることになる!!
大化の改新の見方がそれまでと大きく変わることになってきた!!

[大化の改新の真の目的は?]

皇極天皇は山背大兄王を襲撃した入鹿を罰さず。そればかりか、入鹿のいとこの古人皇子を後継者にした。これにより、皇極天皇と蘇我入鹿は強い絆で結ばれるようになったと考えられ、皇極天皇は飛鳥京建設のために蘇我入鹿と同盟を結んだ可能性がある。この時点で、皇極天皇と古人皇子に入鹿暗殺の動機はなくなった。(???ウソ!!!)

一方、皇極天皇の弟「軽皇子」(かるのおうじ)は、次期後継者候補から完全に脱落した形になる。後継者になった古人皇子は年下のうえに皇極天皇との血のつながりはない。皇極天皇の実の弟である軽皇子にとっては、これは屈辱的なことだった。この時、軽皇子に入鹿暗殺の十分な動機が生まれた。しかし、山背大兄王が死んだ1ヶ月後、ある人物が訪れたと記されている。その人物こそ、日本書紀に入鹿暗殺の首謀者として登場する中臣鎌足だった。

軽皇子は鎌足の訪問をことのほか喜び、手厚くもてなした。もてなしに感激した鎌足は軽皇子に意味深長な言葉を語る。
「軽皇子が天下の王となるのに誰が逆らえましょう」
この日本書紀の記述は、入鹿暗殺の首謀者「鎌足」と「軽皇子」との関係を暗に物語っているともいえる。(ウソ!)

鎌足が蘇我氏を恨むのには理由があった。中臣氏は代々神官も務めてきた名門だった。しかし、仏教保護を全面に押し出す蘇我氏が天皇家と関わりを深めると、中臣家には高い地位は与えられなくなっていた。

日本書紀には入鹿を批難する鎌足の言葉が記されている。「入鹿は天皇と臣下の秩序を破り、国家を我がものとする野望を抱いている。」(大ウソ!蘇我入鹿は天皇だったのですから。)

中臣鎌足は打倒入鹿を目指し軽皇子に近づいたと考えられる。このことを裏付けるように、この後、鎌足の行動の裏に軽皇子の影が見え隠れしていた。

鎌足は軽皇子との会見の後、軽皇子の甥の中大兄皇子に近づく。蹴鞠の時に脱げた軽皇子の靴を鎌足が拾って差し出したことから二人は近づいたと日本書紀には書かれている。(ウソ!ず〜っと以前から中臣鎌足(ジョゼッペ)と中大兄皇子(象二郎)の二人は仲良し悪党コンビだった!!)

普段から、皇子たちは実際の戦場に出るとか、相手に向かって刃を振るうとか、そういうことはほとんどしない。
(ウソ!古代の戦場ではアングロサクソ脳族トップ三金鶏(金色のコウモリ系。といってもヘビやトラやクモの遺伝子も入ってます)とそのクローンたちはもちろん、勇敢なヤハウェ王族も戦場に出て活躍していた。ただし、近代戦の第一次世界大戦や第二次世界大戦になってからはアングロサクソ脳族たちは第一線から離れたところで司令官として命令のみを行っているようです。ただし、ヤハウェ王族たちは司令官であっても、第一線に出て命令指揮をとっていたようです。)

そういうことから考えると、当初は、中大兄皇子は切り込み隊長とか、実行部隊の長(おさ)とか、そういうことではなくて、軽皇子はこの重大な局面に少しでも協力者が欲しいということで彼を仲間に加えようとし、そのために鎌足が動いたということだと思われる。(←大ウソ!)

次に鎌足は蘇我氏の分家で、入鹿の家の次に実力をもつ蘇我倉山田石川麻呂に近づき、鎌足は中大兄皇子と石川麻呂の娘を結婚させた。(これも、動画では山田石川麻呂は皇子との結婚を喜んで受けたとあるけれども、多分、大ウソ!だって、中大兄皇子の振る舞いを見ていれば、粗野で乱暴者であることはバレていたはずですから、石川麻呂にとっても困った縁談だったでしょうし、天皇である蘇我入鹿も許さなかっただろうと思われます)こうして鎌足は蘇我氏の有力者を味方につけた。(ウソ!)

さらに、鎌足は入鹿暗殺の実行者として二人の人物と接触しています。佐伯連子麻呂(さえきのむらじこまろ)(こちらはウソ!)と葛城稚犬養連網田(かづらきのわかいぬかいのむじあみた)(犬養氏はアングロサクソ脳族に乗っ取られたのかも?)である。

鎌足が軽皇子との会見後に接触した中大兄皇子以外の人物です。石川麻呂、小麻呂、網田(=阿弥陀の意味)、これらの人物には以外な接点があった。鎌足が族長をつとめたのは今の大阪市一帯の特に和泉(いずみ)地方に支配地をもっていた。また、石川麻呂は河内の石川山田郡(ごおり)を支配し、その勢力は和泉地方にも及んでいた。さらに、暗殺の実行者である子麻呂と網田の二人は、河内和泉地方の出身でした。そして、この地方の中心に和泉に宮殿をもつ軽皇子* がいた。


軽皇子(後の『孝徳天皇』)が皇極の同母の弟というのはウソのような。。。おそらく、軽皇子は母親が蘇我氏でヤハウェ王族だったので、とりあえず、クーデターを批難されないように軽皇子に天皇(当時は「大王」- おおきみ - と呼んでいた。)になってもらい、その後、中大兄皇子が王になることを事前に綿密に計画していたのです。それから、孝徳天皇は蘇我倉山田石川麻呂(倉山田はウソ!「蘇我石川麻呂」が正しいようです。)の娘『乳娘』(ちのいらつめ、なんかウソの名前っぽい!)を妃にしていたということです。ですから、やはり、中大兄皇子との結婚はウソです。



蘇我入鹿の大邸宅とは宮殿のことだったのです!蘇我入鹿は倭国の大王だったのですから当然です。

「皇極」の操り人形にすぎなかった「孝徳天皇」は『大化の改新』を行いました。
・第一条…大臣以下、豪族、村長たちは民をすべて差し出すように。=「公地公民」
中央集権化(独裁国家への道)を進めた!!!(これは本当!)

学習院大学講師の遠山美都男氏は、『新生ヴィーナス』=梶美奈子さん(=ウチの偽姉・谷本由香子)の弟で、わたしと国府中学で同僚だった佐田先生(=アルジェリア人質事件の時の(株)「日揮」の川名浩一社長)に似てます。確か、美奈子さんの話では学習院大学を卒業したとか言ってましたからね。

そして、松平定知アナウンサー(下のサイトA)も、岡田克也元幹事長(下のサイトB、『新生ヴィーナス』系)に似ているのでアングロサクソ脳族のようです。

松平定知 近現代・系図ワールド
(下のほうに、四代前の祖先は黒船時代の「松平源太夫勝文」とか。なんか源氏=アングロサクソ脳族っぽい名前です)
松平定勝(1560~1624)の正室は「たつ」(奥平貞友の娘)(奥平とあるよに、奥がつくのはアングロサクソ脳族系です)わたしの偽伯母石川初子(祖母の実家・石川家を乗っ取る:シバの女王かも?)が長男「龍」(たつ)ちゃんでしたけど〜。(正式名は龍太郎だったのかな?)その奥さんが九州の出身で「ただ子」(多分、忠子)さんでしたが、その顔は、なんだか宇宙飛行士の毛利衛(まもる)さんに似てました〜(この方は、毛利元就の子孫の毛利家の人ではないと思います)
あの口の曲がり方も、石川の偽伯父さん(アルバート公)が亡くなった後、わたしが法事に出席し、ただ子さんに挨拶した時の口の曲がり具合に瓜二つなんですよ〜
この朝日新聞編集委員の小林一喜(かずよし)氏って、吉尾先生=エドワード8世ですよ〜! また、若林さんって、口が斜めに曲がってますよ〜 ま、まさか毛利衛さん?

(あら、ま〜、若返って、こんなお仕事もしているんですね)

この磯村アナは、おそらく、ヤハウェ王族で、アングロサクソ脳族が自分たちの顔に似せて活躍させているのだろうと思われます。


なので、この『その時歴史が動いた!蘇我入鹿暗殺の謎』は、アングロサクソ脳族たちによって捏造された番組内容だったようです!

彼らアングロサクソ脳族たちは、蘇我入鹿を暗殺した『乙巳の変』のクーデターにおいては、首謀者たち皇極、中臣鎌足、中大兄皇子には、その正当性がないことがすでにバレてしまったので、その罪をヤハウェ王族の軽皇子(後の孝徳天皇)に着せるつもりのようです。また、大王だった蘇我入鹿を皇極(女帝と偽っている)の臣下だったとし、山背大兄王暗殺の濡れ衣を着せたりしています。どうやら、『皇極』は『新生ヴィーナス』のようです。


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Commented by Ulala-lov at 2014-07-25 16:26
上の本文の「蘇我入鹿 暗殺の謎」 そのとき歴史が動いた」を見ていたのですが、なぜか、ヤハウェ王族のはずの蘇我石川麻呂(多分、わたしの祖母の実家)が悪者になっているのでオカシイな〜と思っていたんですが、今は、「徳川家康」の記事を書いていたら、忍者ハットリ君の服部半蔵(三河の服部家を乗っ取った偽服部家)が江戸時代初期に石見守をしていたとか(ウソ!)っていって、石見守の服部家(まったく別の服部家で、うちの先祖ハナの夫の実家?)が徳川(当時は松平)家康の殺害に加担したかのように書かれたブログがたくさんあったのでビックリしたのですが、どうやら、アングロサクソ脳族たちがわたしの先祖たちを悪者にしたいがための歴史改ざんのTV番組やブログを手下たちに、たくさん作らせてガセネタ(ウソの情報)をバラまいているようなのです。??  なので、上の記事で真実を暴いておきました〜 ぜひ、見てくださいましネ〜!??
Commented by Ulala-lov at 2014-07-25 16:42
上の本文で、うちの祖母の石川家を乗っ取ったウチの母の偽姉び石川初子(=おそらくシバの女王で、夫は養子で三浦家から来たとかいうアルバート公です)の長男「龍」ちゃんの嫁の名前はよく考えたら、「ただ子」さんでしたので訂正しておきました。それから、古墳時代の天皇は「大王」(おおきみ)と呼ばれていましたので読み方も加えておきました。
by Ulala-lov | 2014-06-27 16:22 | サタニストの攻撃 | Comments(2)