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(別添)宮本武蔵(アイゼンベルグの)兵法書『五輪書』

2014−07−17

この記事は、前日の記事米国戦略諜報局「サボタージュ・マニュアル」と国会-民主党議員の集団的自衛権容認質疑の一致の中の宮本武蔵の『五輪書」を詳しく説明するための(別添)記事です。


宮本武蔵 『五輪書』  ゆる~い現代語訳 もくじ

このブログ主さんの武蔵兵法への賛辞にはわたしはあまり共感できませんが。。。内容が分かりやすいので勝手ながらリンクさせていただきます。

(「地の巻」と「水の巻」から特に重要と思われる文を下にリンクさせ、引用したり、感想を書いたりしました。)

地の巻(後記) 「邪悪な心を持たない」なんて、アイゼンベルグの言葉とは思えません!

水の巻(十四)一拍子の攻撃について 前触れもなく "いきなり攻撃する方法" はチンパンジーやゴリラなどに見られる攻撃方法です!

水の巻(十五)二の腰の拍子のこと 攻撃すると見せかけて攻撃せず、相手が「あれ?」と思ったところをガツンをいく。つまり、フェイントをかける。

水の巻(十六)無念無相のこと 一瞬の判断が勝負を決める。これは防衛においても、そういう事態が考えられます!!

水の巻(十七)流水の打ちのこと 相手がせかせか躍起(やっき)になっているとき、自分は逆にゆったりと構え、相手を呑み込む水のように大きく強く打ちこむ。これが「流水の打ち」。

水の巻(十八)縁の当たりのこと 相手が防御の体制をとっても振った刀を無駄にしないよう攻撃を中止しない。どこか当たればラッキーだ!次の可能性を探ればよい。これが「縁(ふち)の打ち」。

水の巻(十九~二〇)石火の当たり、紅葉の打ち 「石火の当たり」刀を上げず、そのまま強く打ちこむ。「紅葉打ち」相手が構えている時に刀を強く打ち、粘りつくように刀の先端を下げていく。(粘っこいアングロサクソ脳族らしいです〜)

水の巻(二十七~二十八)体当たり&刀の受け方 相手の目を突くように。。。というように目への攻撃をするのはアイゼンベルグやアングロサクソ脳族の特徴のようです。

水の巻(三十二)敵の刀を叩いて受ける まず、相手の刀を叩くことで先手を取り、そのあと、すかさず打つことで、さらに先手を取る。

水の巻(三十三)大勢を相手にするとき(多敵の位) だれが先に攻撃をしかけてくるか見極め、優先順位をつけて戦う。待つのはよくない。次々と動け。相手が一列に重なるようにして追い回す。そうなれば、実質、1対1の戦いになる。むやみに攻めると効率が悪い。相手のようすを見ながら、崩しやすいところを見つけ勝機をつかめ。

五輪書  解題

(引用)既に小林秀雄が指摘したように、この書は反精神主義的なある種の実用主義・実践主義の思想であって、さらに言えば近世的な合理的精神の誕生を告知するものであった。少なくとも日本思想史を語るかぎり、無視して通れぬ思想家として、宮本武蔵という存在がある。

武蔵の五輪書は、常勝を謳う実践的な実用本のふりをしているが、書かれた当時の状況からすれば、実は途方もない非実用本だということは、一読すれば明らかである。武蔵とは、時代遅れで登場した暴力の思想であり、いわば秩序世界に安住する何人(なんぴと=誰)も受容不可能なハードな核心を有していた。(=要するに、武蔵は暴力万能主義者のキチガイってことです!)

彼の五輪書の主題とは何か?――それを一言でいえば、殺人という「至高悪」の問題である。彼はそれを観念的な言葉ではなく、いかに勝ちを制するか、いかに敵を打ち殺せるか、という技術論として語ることによって、最終的に「武の精神主義、剣のフェティシズムへ」の道を、あらかじめ封鎖していたのである。*

*最終的に「武の精神主義=武道の精神」、「剣のフェティシズム*=剣への(性的倒錯なまでの)猛烈な崇拝」へとたどり着くであろう道を初めから禁じていた。

* フェティシズム

五輪書の現代語訳の要約から学ぶ、宮本武蔵流・絶対勝利の秘訣

(引用)「火の巻の現代語訳まとめ」

環境を見極めて有利な位置を占め、相手の行動を読んで必ず先手をとり、敵の崩れをよく読みとって攻め入る

・難局を想定し、相手の立場に立って弱点や勢いを見極めるクセをつける
・自分が相手を操れると思って飲んでかかり、こちらのペースを相手に伝染させる
敵をいらだたせ、驚かせ、確信が持てないように迷わせ、弱気を見ては容赦なく押しつぶし、完膚なきまでに叩きのめす
初めに声で威圧し、途中で声で恐怖させ、勝利の後は大きく強く声をかける
・敵の思惑がわからない時は、こちらの偽の動きを見せて反応をうかがう
・敵の思惑がわかったら、先にその思惑を潰すような動きを見せれば相手の考えを変えられる
・膠着状態には同じ試みを続けず、細やかさと大胆さを切り替え、自分のはじめの戦い方を捨てて新たな方策を試し、泥沼の戦いに持ち込んで勝利をつかむ
・多人数と戦う時は、一点を集中して攻め、あちこちを回る(??)

太刀によらない勝ち方をも用い何事にも巌(いわお=岩)のように動じない

このブログ主さんは宮本武蔵(アイゼンベルグ)流を一見、誉(ほ)めているようですが。。。(心から誉めているかは疑問)なぜなら、(アングロサクソン軍団=生物学的人造ロボット兵士たちを除いて)ほとんどの人間(ヤハウェ系=ヤハウェ王族を含む)にはそのようなやり方(悪魔的な殺人法)はできないと書いているからです。




by Ulala-lov | 2014-07-17 19:42 | サタニストの攻撃