2014年 05月 13日
徳川家康&春日局 + 秀忠&お江
(ナレーションの主な要旨を下に書き出しました)
家光は春日局と家康の子だった!お江は秀忠の留守中に身ごもった。忠長(国松)は浅井家の血を受け継いだ「お江」の子。お江は家光を嫌い、忠長を溺愛した。お江は浅井家=父親の血を徳川家に入れたいと強く願っていた。徳川家を乗っ取るという意識もあったのでは?
芝増上寺にあったお江の霊廟の門=将軍だけが通ることができた弔辞門。この門の横に回り込んでみると、徳川家の葵紋の上に謎の家紋が。三つ丁子紋は浅井家の先祖の家紋と考えていい。
忠長の父親は誰なのか?1631年、忠長が蟄居をさせられると、慌てて前田家に逃げた人物が。家康が信用して上野に住まわせていた藤堂高虎の家臣・藤堂賢政(かたまさ)。奉行職並みの2.000石の報酬を与えられ裕福に暮らしていた。
お江の家系図には賢政の名があり、同じ浅井一族だった!ところが、このお江の計画は春日局によって打ち砕かれる。家康が次期将軍に竹千代(家光)に指名したのだった。1626年、お江が死去すると、1634年、忠長は自害に追い込まれた。結局、お江が画策した徳川家乗っ取りは失敗に終わった。
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(上のビデオを見た感想)
きっと、ヤハウェ王族だった「お江」に乗っ取られたほうが光秀のようなホモでなよなよしたアングロサクソ脳族の将軍によって乗っ取られるよりズ~ッと良かったかも?春日局=『シバの女王』の悪知恵には「お江」もかなわなかったのでしょう!
< 松平家康 >
家康の正室 築山殿*
家康の長男 徳川信康
築山殿の母親「寿桂尼」とは?
今川氏親(いまがわ うじちか、1471~1526)の母親は伊勢盛定の娘北川殿でありヤハウェ王族のようです。
しかし、どういう理由からが今川氏親は正室として公家である中御門 宣胤(なかみかど のぶたね、1442年 - 1525)の娘「寿桂尼」を迎えています。
明智光秀とは「いとこ」の関係にあったという説があり、北川殿の父は明智光継といい
明智城は恵那市明智町城山の明智城山と、可児市瀬田長山の両方にあり、どちらが「明智光秀」出生の城なのか不明。
今川家は室町時代には足利尊氏の配下にあったのでヤハウェ王族だったようですが、寿桂尼によってアングロサクソ脳族の当主「今川義元」が誕生するわけです。
徳川秀忠
将軍襲職の際に源氏長者、奨学院別当は譲られなかったとする説がある(岡野友彦『源氏と日本国王』)。『徳川実紀』にはなったと書いてあるが、これは没後さかのぼってのことだというのである。これが事実なら、徳川将軍で唯一源氏長者にならなかった将軍ということになる。
元和2年(1616年)に家康が死去した後は将軍親政を開始し、酒井忠世・土井利勝らを老中として幕府の中枢を自身の側近で固め、自らリーダーシップを発揮する。大名統制を強化して福島正則ら多くの外様大名を改易し、3人の弟を尾張・紀伊・水戸に配置し、自身の子・忠長に駿河・遠江・甲斐を与えた。一方、弟・松平忠輝、甥で娘婿でもある松平忠直や家康の謀臣・本多正純を改易・配流にしている。また朝廷に対しても厳しい引き締めを行う一方で、娘の一人和子を後水尾天皇に入内させた。また鎖国政策の布石として、外国船寄港を平戸・長崎に限定させている。
極度の近眼・・・コウモリ系は極度な近眼が多い。この西郷局は「シバの女王」かも?それに、西郷って、鹿児島の西郷隆盛の家=「新生ヴィーナス」や「シバの女王」たちの家と同じ名字です。
(ところで、わたしが近視になったのは、中学2か3年の時に名古屋の姉に電気スタンドをプレゼントされたのですが、その光が何かチラチラと細かい揺らぎがあったような気がします。それと、父親のタバコにも何かそのような成分が混入されていたのかもしれません。とにかく、彼らアングロサクソ脳族たちは自分たちのコンプレックスな部分をわたしに押し付けようといろいろと画策してきたようです。)
戦国大戦・軍師影獅の戦い207 宴・西郷局(満開の恋桜+紫緋紋舞踊) VS SR戸次鑑連(雷神剣)- YouTube
西郷局も亡くなったはずの築山殿も参加してます。近代戦争のようなスゴい大砲や銃器が使われていますね!さらに、彼女たち影師の超ハイテクノロジーを使った攻撃もあり、とても戦国時代とは思えないような恐ろしい戦ですね〜
応仁・文明の乱 (1467~77)
8代将軍足利義政の継嗣争い等複数の要因によって発生し、室町幕府管領家の細川勝元と山名持豊(出家して山名宗全)らの有力守護大名が争い、九州など一部の地方を除く全国に拡大した。乱の影響で幕府や守護大名の衰退が加速化し、戦国時代に突入するきっかけとなった[1]。十数年に亘る戦乱によって、主要な戦場となった京都は灰燼と化し、ほぼ全域が壊滅的な被害を受けて荒廃した。
(ウィキの説明長すぎなので、下のサイトを読むと分かりやすいです)
家康が自殺するというのを服部半蔵がなだめて急いで岡崎城に戻ったというところがいかにも怪しいです!長年、今川義元の人質になったり、戦いに明け暮れた名武将がそのような女々(めめ)しい言葉を吐くとはとても思えないのです。なので、この時に家康一行にも明智光秀軍団が襲って来たと考えるほうが自然です。信長同様、多勢に無勢であったので敗退し、最後に火を放つなどして自殺したのかも?(拷問されたり、首を取られないため?)
農姫の母親小見の方は明智光継の娘であり、明智光秀(アイゼンベルグ)* とは"いとこ同士" という説もあるそうです。この美濃の岐阜県恵那市(中津川市とも近い)の恵那山で天照大神が生まれたという逸話があり、アイゼンベルグ、『シバの女王』、『新生ヴィーナス』たちとは古代から美濃加茂地方**はアングロサクソ脳族たちに縁の深い地域のようです。なので、濃姫もアングロサクソ脳族の先の三人の誰か(女性形)でしょう。きっと、織田信長に、その本性を見抜かれ実家に戻されたか、殺害されたかでしょう。
第4回 『美濃のマムシ』一国一城の主への野望 ~斎藤道三~:(株)日立システムズ
この斎藤道三の顔(おそらくコンピューターで再生)は、アイゼンベルグそのものです!三船敏郎とソックリさん!!
また、フクロウが親不孝鳥という中国のお話は多分ウソでデタラメですよ〜!!アングロサクソ脳族たちが、自分たちの遺伝子に入っているマムシを捕食するフクロウを嫌っているためにこのようなウソをバラまいたのでしょう。
** このブログ内の関連記事:
板倉氏
渋皮義顕(足利泰氏の次男)を源に辿る。上野国渋川荘を有して渋川氏の祖となる。
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大変済みませんが、この記事はまだ書きかけです。