人気ブログランキング | 話題のタグを見る

『サウンド・オブ・ミュージック』はナチ指導者一家の偽逃走物語だった!

2014−06−30

< ベルリンのヨーゼフ・ゲッペルスとマグダの一家 >

ヒットラーやムッソリーニの指導者『ヨーゼフ・ゲッベルス』

ゲッペルス一家の家族写真・・・A
(マグダの前夫との間の息子「ハラルト」は撮影に同席できず後から写真に合成して加えられた)

1931年12月にゲッベルスとマグダ・クヴァンと結婚し、二人は生涯で六人の子供をもうけた。

長女ヘルガ(1932年生)
二女ヒルデ(1934年生)
長男ヘルムート(1935年生)
三女ホルデ(1937年生)
四女ヘッダ(1938年生)
五女ハイデ(1940年生)

プラス 養子の「ハラルト」*(1921年生まれ、男子)=トラップ大佐の五女マルティーナ=6歳=1921年生まれ

*Harald_Quandt・・・👦

若い頃のフィリップ殿下 
(リンク先サイトAの写真と比べてみましょう!)



上のハラルトのウィキサイト👦にある『ヨーゼフ・ゲッペルスとマグダの結婚の日の写真』を拡大いしてみてください。この写真はベルリンでのゲッペルすとマグダとの結婚式の日の写真のようです。(やはり、この時のハラルトの年齢は10歳くらいに見えます。)

上のリンク先サイトAの写真は五女のハイデが2歳くらいと考えると、1942年頃に撮影されたものと考えられます。ハラルトのこの付け加えられた写真は1944年に撮影された写真のようです。下のドイツ語のハラルトのウィキサイト*を見ると、ハラルトは1921年生まれです。そうすると、トラップ大佐の五女マルティーナ(1921年生まれ)と一致します。ゲッペルスはドイツでは1931年にマグダと再婚していたと考えられますが、その時のマルティーナの年齢は10歳(実は男の子)ですから、まだ親元で暮らす必要があり、養子ということにして一緒に暮らしていたのでしょう。上のヨハンナは12歳であれば、もう家から離れた寄宿舎付きの中学校に入学することができるので英国か、アメリカか?どこかの国の学校に行っていたのでしょう。

< ザルツブルグのトラップ大佐とマリアの一家 >

*このブログ内の関連記事:
サウンド・オブ・ミュージック〜マッカーサー〜太王四神記

マリア・フォン・トラップ

Anunnaki Nordic Female Extraterrestrial Alien Sumerian.(ソマリアのノルマン系アナンヌキET女性)とマリア・フォン・トラップはソックリです!

やがて父親のゲオルク・フォン・トラップと恋愛関係になり、1927年11月26日にノンベルク修道院で結婚式をあげた。このとき夫ゲオルクは47歳

・トラップ大佐(アイゼンベルグ)と前妻(新生ヴィーナス)との子供7人
(1927年にマリアと再婚した時の子供たちの年齢→生年月日を割り出すと)
長男ルーベルト=16歳=1911年生まれ
長女アガーテ=14歳=1913年うまれ
次女マリア・フランツィスカ=13歳=1914年うまれ
次男ウェルナー=12歳=1915年うまれ
三女ヘートウィク=10歳=1917年生まれ
四女ヨハンナ=8歳=1919年生まれ
五女マルティーナ=6歳=1921年うまれ(→後のハラルト=フィリップ殿下)

・トラップ大佐とマリア・フォン・トラップ(=『シバの女王』=『新生ヴィーナス』の姉←訂正2015.06.24: 恐竜タコ女王=レア=キャサリン・ヘップバーン)との子供3人 ↔ ヨーゼフ・ゲッペルスとマグダとの子供たち6人(+1=マグダとの前夫との子供ハラルト)
(1927年結婚)
ローズマリー(女)=ヘルガ(1932年生)
エレオノーレ(女)=ヒルデ(1934年生)
ヨハーネス(男)=ヘルムート(1935年生)

*マリア・フォン・トラップ=マグダなので紺色はゲッペルス(=トラップ大佐=ヘンリー・フォンダ=アイゼンベルグ)とマグダ(新生ヴィーナスの母親レア)の子供たちで、ふたりはゲッペルスの子供として、さらに3人の子供を生んでいるので合計6人の子供をもうけている。


トラップ大佐の前妻『新生ヴィーナス』は亡くなったことにして、実は、イタリアのムッソリーニの愛人「クラーラ・ペタッチ」(愛称クラレッタ)となってファシズム政策の援護というか指導をしたのではないでしょうか?(下のリンク先サイトBを参照)

Anunnaki Female Extraterrestrial Alien PART 2 (Revisited) (アナンヌキET女性 パート2)は、(サイトBの)クラレッタ・ペタッチの画像集を見るとよく似ているのがわかります。

**このブログ内の関連記事:
<別添> サクス・コーブルグ・ゴータ公カール・エドゥアルト=タレントの清水国明=ムッソリーニ 2・・・B

トラップ大佐(ゲオルク・フォン・トラップ)=ヘンリー・フォンダ=アイゼンベルグ


<ローマの ムッソリーニとラケーレの一家 >

ムッソリーニ(=カール・エドゥアルト)の父:レオポルド(オールバニ公)=(正式名:レオポルド・ジョージ・ダンカン・アルバート(1853~1884)=ヴィクトリア女王の四男)=アイゼンベルグ

先のリンク先サイトBの一番下で説明しているムッソリーニとその妻ラケーレ・グイーディが生んだ5人の子供は。。。

エッダ(1910年 - 1995年)
ヴィットーリオ(1916年 - 1997年)
ブルーノ(1918年 - 1941年)
ロマーノ(1927年 - 2006年)
アンナ・マリーア(1929年 - 1968年)

ムッソリーニと妻のラケーレと子供たち・・・C

< 昭和天皇と香淳皇后の一家 >

昭和天皇

照宮成子内親王(てるのみや しげこ、1925年(大正14年)-1961年(昭和36年)) - 盛厚王妃
久宮祐子内親王(ひさのみや さちこ、1927年(昭和2年)-1928年(昭和3年))
孝宮和子内親王(たかのみや かずこ、1929年(昭和4年)-1989年(平成元年)) - 鷹司平通夫人
順宮厚子内親王(よりのみや あつこ、1931年(昭和6年)-) - 池田隆政夫人
継宮明仁親王(つぐのみや あきひと、1933年(昭和8年)-) - 第125代天皇(今上天皇)
義宮正仁親王(よしのみや まさひと、1935年(昭和10年)- ) - 常陸宮
清宮貴子内親王(すがのみや たかこ、1939年(昭和14年)- ) - 島津久永夫人

1941年撮影の昭和天皇一家の拡大写真・・・D


<<トラップ一家ゲッペルス一家ムッソリーニ一家昭和天皇一家を対比して、合成してみると。。。>>

◎『トラップ大佐一家』と他の三家族を比較・合成

映画-サウンド-オブ-ミュージック-のトラップ-ファミリー合唱団-画像・・・E

Eの写真をもとにA,C,Dの写真などのサイトを並べて子供たちの姿をよく比べてみましょう!

・トラップ大佐の前妻の子供たちをもとに比較・合成

長男ルーベルト(1911年生)=エッダ(1911年生)

長女アガーテ(1913年生)

次女マリア・フランツィスカ(1914年生)

次男ウェルナー=12歳=1915年うまれ

三女ヘートウィク(1917年生)=ヴィットーリオ(1916年生)

四女ヨハンナ(1919年生)=ブルーノ(1918年生)

五女マルティーナ=6歳=1921年うまれ=ゲッペルスの養子ハラルト(実は実子、1921年生まれ)=英王室の『フィリップ殿下』

・1927年結婚したトラップ大佐の後妻マリアの子供たちをもとに比較・合成

3人とあるが、実際は6人(後の3人はゲッペルス=アイゼンベルグと「マグダ=新生ヴィーナスの母親でマリヤに同じ」との子供)

ローズマリー(女)=ヘルガ(1932年生)=◎◎?=スウェーデンのシルビア王妃*

エレオノーレ(女)=ヒルデ(1934年生)=◎◎?=テレサ・テン=細川佳代子(細川元首相夫人)=桐島カレン=デンマーク王太子妃メアリー**

ヨハーネス(男)=ヘルムート(1935年生)=ジュリー・アンドリュース&ジェーン・フォンダ(アイゼンベルグのクローン子孫)=今上天皇「明仁」(33年12月生)***

三女ホルデ(1937年生)=常陸宮(1935年11月生)

四女ヘッダ(1938年生まれ)=スウェーデンのシルビア王妃?

五女ハイデ(1940年生)=清宮貴子内親王(すがのみや、1939年生、島津貴子さん)=ピーターフォンダ(1940年生)****

* シルヴィア(スウェーデン王妃) ウィキペディア

*** 今上天皇「明仁」…特に下の3のところです!!

**** 島津貴子 ウィキペディア
ピーターフォンダ 画像集


<< ムッソリーニ一家とトラップ大佐と昭和天皇 >>

エッダ(1910年 - 1995年)=長男ルーベルト(1911年生)
ヴィットーリオ(1916年 - 1997年)=三女ヘートウィク(1917年生)
ブルーノ(1918年 - 1941年)=四女ヨハンナ(1919年生)
ロマーノ(1927年 - 2006年)=久宮祐子内親王(ひさのみや さちこ、1927~28)=エリザベス女王(1926~ )*
アンナ・マリーア(1929年 - 1968年)=孝宮和子内親王(たかのみや かずこ、1929年生)

(1954年の写真と、下の写真ロマーノの顔を比べるとよく似ています!)

男の子のように見える2人のうち右側ロマーノがエリザベス女王です。ということは、おそらく、エリザベス女王は『新生ヴィーナス』のクローン子孫ということになります。(↑2015.06.03訂正:多分、ジョージ6世(レア・ゼウス+アルテミス系)のクローン子孫)

エリザベス2世の誕生日は1926年4月21日だそうですが、ロマーノも久宮祐子内親王も1927年生まれになっています。そこらへんは後の二人(三人とも同一人物ですが)のほうの生年月日をわざと改ざんしたのでしょう。

エリザベス女王...エリ(恵理)=エレ(エレオノーレの)のようです!以前、なんとか『エレオノーレ(ラかも)』(題名をうろ覚え)というクリスマスの絵本を読んだことがあります。クリスマス・イブの日に、両親はバカンスに行っていってしまい、4歳のエレオノーレは、ニューヨークの高級ホテルでナニー(ベビーシッター)と二人でクリスマスを過ごすのですが、クリスマス・プレゼントは、なんと王妃が身につけるような超豪華なダイヤモンドのネックレスでした。
(なので、先のトラップ大佐(アイゼンベルグ)とマリア(シバの女王)の子供「エレオノーレ」という名前は、後々のダマシのためにヨーゼフ・ゲッペルス(アイゼンベルグ)が改ざんしたのかも?)


〜 トラップ一家の偽りの亡命劇 〜

・1933年 フォン・トラップ家の財産を預けていた銀行が倒産し、一家は財産を全て失う。

このトラップ家 {=実名は不明} をアイゼンベルグ&『シバの女王』(=新生ヴィーナスの母親、もしかしたら、姉かも?)たちが襲って乗っ取ったのかも?

・神父フランツ・ヴァスナー=ヤハウェ王族?が子供たちに歌の指導・編曲をし、後には財産管理も。

この歌唱指導や財産管理もしていた神父=執事で、おそらくハプスブルグ家(ヤハウェ王族のほうの)出身の人で、偽ロスチャイルド家の戸籍にアイゼンベルグたちに強制的に入れられていた本物のロスチャイルド(=キリストの子孫)ではないでしょうか?彼らは、アングロサクソ脳族の家庭の執事、財産管理、育児・家庭教師、家政婦、料理人などとしてこきつかわれていたのではないでしょうか?

・1935年 ザルツブルグ音楽祭でヴィスナー神父の指揮で兄弟姉妹と母親で歌って優勝。首相にウィーンに招かれ歌う。人気が出る。『トラップ室内聖歌隊』という名前でヨーロッパ全域を廻りコンサート活動を行った。

・1938年、オーストリアはナチス政権下のドイツに併合される。一家はアメリカの公演依頼を受けていたこともあり、ナチ親衛隊に入っていた執事のアドバイスでアメリカに亡命することを決心。


ヴァスナー神父=執事がナチ親衛隊に入れられていたとしたら、それはアングロサクソ脳族たちの命令で形だけ入れられていたのであって、実質はアングロサクソ脳族たちの家庭で先のような仕事をさせられていたのでしょう。そして、その執事のアドバイスでアメリカに亡命することにしたというのも、きっと濡れ衣です。なんでも、ヤハウェ王族のせいにして悪者に仕立て上げようとしているのがミエミエです。

きっと、『シバの女王』が、自分たち夫婦やヒットラーたちがドイツでナチスの指導者として、さんざん悪事を働く前に、後々にアメリカでの市民権を得られるように亡命しておき、逃げ道を整えておく算段をしておいたのでしょう。いったい、どこまで悪知恵が働くのか?空恐ろしい限りですぅ〜

・ヴァスナー神父と一家は汽車を乗り継いでスイス、フランス、イギリス(サウザンプトンで船に乗船)→アメリカ

・アメリカでのビザが切れ、またヨーロッパに戻り、コンサートを行い、1939年10月にまたニューヨークへ渡る。

・1940年に大手プロダクションのプロデュースを受け、『トラップ・ファミリー聖歌隊』→『トラップ・ファミリー合唱団』に改名。曲目から聖歌を減らし、フォークソングを中心に歌うようになる。アメリカじゅうを廻るようになり、再び評判を呼び1956年までコンサート活動を行った。

・1948年、一家はアメリカの市民権を得た。夫ゲオルグは1947年に亡くなった。

・マリアは家族の歴史をつづった『トラップ・ファミリー合唱団物語』(1949年)や『トラップ家の一年』(1955年)などを次々に出版し、ベストセラーになった。

・1965年にジュリー・アンドリュースの主演で映画化される。

つまり、彼らは、1938年に一端(いったん=一度)、アメリカに亡命。その後、ヨーロッパじゅうでコンサート活動していることにして、ドイツに居住し、時々、アメリカに戻ったりしていたのでしょう。そして、1945年春のドイツ降伏前に、また、アメリカに戻り、19448年に市民権を獲得しています。彼らはUFOに乗って自由自在に世界じゅうを廻っていたのでしょう。なので、1938年のオーストリアからの逃走(本来のトラップ家=名称不明の◎◎家がヤハウェ王族家だったとしたら、ナチに襲撃される可能性もあったのかも?)後にアメリカの市民権を得るための "見せかけの亡命手段" であり、イルミナティのメンバーの助け(修道院を含め)により安全に逃れることができたのです。ですから、彼らトラップ一家にとっての電車や船の旅は、アメリカへの亡命が目的とはいえ、快適な旅行のようなものだったのでしょう。

by Ulala-lov | 2014-06-30 17:46 | アングロ・サクソン王族