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イシス女神 1-2

(1のつづき)

○古代エジプト
ファラオ(王)から見た古代エジプトの歴史

すでに、B.C.3800年頃、鉄器の生産が始まっていたようです。しかし、この頃の鉄器は、B.C.2500年頃のプロヒッタイト=アナトリア半島(現在のトルコ)東部に定住していたケルト系ギリシャ人によって発明された鉄器より弱い鉄器だったと以前調べた時に知りました。ビールの製造もすでに始まっています。B.C.3500年には灌漑農法が始まります。貨幣が流通していましたし、B.C.3500年にはヒエログリフの文字体系が確立し、太陽暦も普及していましたですと〜。すご〜い!進化していたんですね〜


エジプト初期王朝(B.C.3100年頃〜B.C.2686年頃)

このオシリス、セト、イシス、ホルスなどの神話の登場人物たちは実際にいた王族たちで、兄弟での権力闘争とそれに翻弄された王妃とかが初期王朝か、あるいは、それ以前の原始王朝時代にいたのでは? それが伝説となって伝わり、神話となっていったのではないでしょうか。もちろん、伝説が少しずつ脚色されていき、神話化され、半分くらいか、それ以上に事実とは異なっている可能性が高いですが。


「エジプト神話ストーリー」 第十一話

ラー(太陽神)

ホルス
(オシリスとイシスの息子で、太陽神ラーの後を引き継いだ天空と太陽の神とされる)

ホルスの目
(あのドル札にも印刷されているピラミッドの頂上にある『一つ目』ですぅ〜!)

古代エジプトと外国

古代エジプトマップ〜上下エジプトの全体像と主要な宗教都市

○エジプト古王国(B.C.2686年頃~B.C.2185年頃)
〜「ピラミッド時代」〜エジプトの中央集権体制の完成〜崩壊までの時代
エジプト古王国

「古王国以前、初期王朝時代からエジプトの歴代王は王権強化に邁進してきた。その手段として行政組織も整備されていった」 とあります。 ’ ☆すでに「行政組織」が存在していたとは驚きですね〜!!’

第3王朝時代(B.C.2686年頃〜B.C.2613年頃)にノモスという地方行政州が記録に登場しますが、その原型はそれ以前からあったものらしいです。「長官」、「耕地指揮官」が存在し、王族に任命された州候が定期的にノモスを巡察して収穫状況などを把握し、『徴税』を行ったということです。
★’すでに、税金をとっていたんですね〜!!’

第4王朝時代(B.C.2613年頃〜B.C.2494年頃)には、労働長官(ピラミッド建設に対応するための資源、労働職の集配機能を受け持つなどの建築活動を統括)、宰相などの行政職が王族、特に王子などに任されたということです。

第5王朝時代(B.C.2494年頃〜B.C.2345年頃)には、上位官職の王族独占はなくなり、有力者が進出。『司法、農政、書記、財政』といった行政部門も整備されたとのことです。  ’スゴすぎで〜す!’  @o@
地方行政においては、「上エジプト監督官」、「要塞監督官」、「新都市監督官」などの官職もできたとのこと。
州候が管轄するノモスに居住するようになり、地位を世襲するようになった。行政組織の複雑化により、中央集権体制が弱体化していった。

強力な中央集権体制が成立し、これを背景に、第三王朝第2代のジェセル王によって、サッカラに初めてピラミッドが建設され、以後、第四王朝時代のファラオ「クフ、カフラー、メンカウラー」による『ギザの三大ピラミッド』が次々と造営されたとのことです。

<エジプト王の’王位の継承’について> (王朝の交代より引用)
1つ重要な点は、古代エジプトの王位継承は女性を媒介にして行われていた点である。王位継承権は王族の女性にあり、継承権を持つ女性と結婚した男がエジプト王となるのである。このため嫡流から離れた王族の男性が、政治混乱の末に王女を娶(めと)って王位を得た場合にこれを王家の交代と考えたのかもしれない。しかし正確にはよくわかっていないのが現状である。ともかくも、基本的に第3王朝時代(或いは初期王朝時代の第1王朝時代)から第6王朝時代に至る王朝の交代劇は基本的には政府内における事件であって、全エジプトを揺るがすような戦争などによって交代がなされたわけではなく、エジプト世界は長期にわたる統一権力の下に置かれ続けていたのである。

○エジプト第1中間期(第7、 第8、第9、第10) (B.C.2494年頃〜B.C.2345年頃)

王朝の弱体化による混乱期
エジプト第1中間期

この時期に『永遠の来世、死者の再生と復活を保証したオシリス信仰が王族だけでなく、エジプト全土の民衆の間に急速に広まり、葬祭の民主化にもつながった。』上エジプトのアピュドスが信仰の中心地で人々は巡礼をし、再生と復活を祈願したということ。

また、中央集権の弱体化により政治、社会の秩序の混乱期であったのに加えて、干ばつなども起きて食糧難が一層人々を苦しめた。ということは、人口も激減したということでしょうね。(なんらかの支配者の意図的な陰謀もあったのかな?)

○エジプト中王国(第11、第12)(B.C.2040年頃〜B.C.1782年頃)

要旨
テーベに成立した第11王朝のメンチュヘテプ2世(B.C.2060年頃〜B.C.2010年頃)により、2040年頃に、再びエジプト統一がなされた。エジプト古典文学の隆盛期であり、当時の政治や社会、宗教を色濃く映し出している。中央集権化の再強化のため、書記養成学校が政府によって用意され、はじめは、第1中期の「社会革命」を通じて生まれていた富裕民の子弟を対象に教育されたが、後に、庶民の子弟を勧誘することを重視するようになったとのこと。

また、宗教では、この第11、第12のテーベ政権時代には、★テーベで崇拝された神「アメン神」は、飛躍的にその地位を向上させた。★『アメン・ラー』としてエジプトの国家神となっていった。と同時に、従来広まっていたオシリス神への信仰もなお衰えず、聖地アピュドス巡礼は最も重要な宗教行事の一つであった。

★★★ センウセルト1世(第12王朝初代アメンエムハト1世の息子)がヘリオポリス*建立した『オベリスク』**は、セド祭**のために二本建てられたが、その片方が今でも残っている。最古のもの。

*ヘリオポリスとありますが、おそらく、改ざんされていて、本当はルクソールのオベリスク写真でしょう。
あああ

**オベリスク
(古代エジプト、中王国時代に始まり、特に新王国時代に多くせいさくされ、神殿などに建てられたモニュメント。先端部は、ピラミッド状の四角錐になっていて、創建当時は、ここが金や銅の薄板で被膜され、太陽神ラーのシンポルとして光を反射して輝くようにされていた。また、その影を利用して日時計の役割もしていた。)

ベンベン石

** セド祭  在位中に行われる王の再生の儀式

特に、大きな激変が、[第12王朝時代] ((B.C.1991年頃〜B.C.1782年頃)にありました。

宰相アメンエムハトによるクーデターが起きて、第11王朝メンチュヘテプ4世から王位を奪い、アメンエムハト1世として第12王朝の初代王となったと言われている。ヌビア人の血を引く王であるという説もあるとのこと。おそらく、それが、クレオパトラの祖先であるヌビア王国の王ではないかと思われます。そして、ヌビア王国=サバ王国=古代エチオピアということなのではないかしら〜?

アメンエムハト1世の息子センウセルト1世が最初にルクソール神殿を建造し、オベリスクを立てた人の可能性が高いと推察されます。その後、第17、第18王朝になって本格的にルクソール神殿は建て増されたようです。

ルクソール神殿(=テーベ神殿=後にカルナック神殿*の一部となる)
* カルナック神殿

『ルクソール・オベリスク』

コンコルド広場

ルクソール神殿の門のところに2つ立てられていましたが、1933年に片方のオベリスクが運びだされ、パリのコンコルド広場の中央に1836年に設置されました。頂上の金のピラミッドはエジプトにおいて盗まれて欠損していたので、フランス政府により後に付け足されたということです。この広場は、フランス革命時代にギロチンが置いてあった所なのだとか。やはり、フランス革命の勝利を記念して建てられたということでしょう。そして、別名、『クレオパトラの針』**と呼ばれていることからも分かるように、これは、エジプト王朝(シェバ族)=ハノヴァー朝の「ヴィクトリア女王」が、フランスを自己(サバの女王)の支配下に収めたということを'記念して'(or こっそりと誇示するために)移設させたということでしょう。

★★★★★ 
とすれば、’フリーメーソンのピラミッドの頂点に立つのはやはり、シェバ族の『サバの女王』ということに!!!’

現代で言えば、'エリザベス女王(=新生ヴィーナスか、そのクローン)ということに!!!’


**クレオパトラの針
19世紀に本物の古代エジプトの3本のオベリスクがロンドン、パリ、ニューヨークなどに移設されました。ロンドンとニューヨークのものは第18王朝のB.C.1450年頃に、トトメス3世によりヘリオポリスに立てられていたペア(対)のオベリスクで、ペアになっているものを分けて、ロンドンとニューヨークにそれぞれ設置されたとのことです。

それから、クレオパトラが建てたオベリスクというわけではないので、特別クレオパトラとは関係ないと書かれています。しかし、それはちょっと違うかな?って。 なぜなら、それらのオベリスクは、第11王朝末期にエジプトをクーデターにより征服したヌビア人王アメンエムハト1世に関係があるのです。その息子セウンセルト1世やその子孫の王がこれらのオベリスクを建てたのですから。

そして、おそらく、そのずっと後の子孫である女王クレオパトラもヌビア人=シェバ人であるということなのでは? また、もともとヌビア王国やサバ王国においては女王継承だったので王より女王の権威のほうが上ということなのでしょう。そして、ヴィクトリア女王が自分の名前を表だって出すわけにいかなかったので 「クレオパトラの針」ということにしたのではないでしょうか? だって、フランス革命がシェバ族の女王のための秘密結社「フリーメーソン」によって起こされたということは、当時から今に至るまで秘密中の秘密!、極秘!!なのでしょうから。

これって、「テクマクマヤコン テクマクマヤコン ○○になれ〜」て、魔法を使う『秘密のアッコちゃん」みたいな
感じが〜〜〜?! アッコちゃんは魔法でいいことするんだけど〜、女王様の場合、悪いことを。。。透明人間になって身を隠し、’やばい!’ことを。。。ということかしら?

『世界中に現存する30本のオベリスク!!』

ローマに13本ものオベリスクが立てらているのは、ヴァチカンと関係があるからなのではないでしょうか?
その13本という数にも意味があるように思われます。

トルコのイスタンブールに1550年頃に立てられたとすれば、オスマン帝国が東ローマ帝国(ビザンチン帝国)を崩壊させた直後です。ということは、オスマントルコと内通して操っていたのは、シェバ族ということになるのではないでしょうか? おそるべし!! そして、オスマン帝国は、オーストリアのハプスブルグ家にとって脅威となっていたということで、その後の神聖ローマ帝国も崩壊させていますよね〜!!つまり、神聖ローマ帝国のハム-セム系アングロサクソン王族側がヤペテ系ケルト王族側を倒すためにオスマントルコを裏で操ってさせていたということになるんでしょうね。多分。

ワシントン記念塔
(アメリカの独立戦争後に、ジョージ・ワシントンの功績を讃えて着工、数十年後に完成)

アメリカの独立戦争もシェバ族、アングロサクソン王族の秘密結社フリーメーソンによって起こされ、勝利したということですね〜!

ニューヨークにもセントラル・パーク内にオベリスク(19世紀に移設)があるということは、ニューヨークは、ユダヤによって支配されている街として有名ですが、つまり、そのユダヤというのは偽ユダヤ=アングロサクソン王族たちで、彼らによってニューヨークが支配されているということなんですね!

イスラエルのオベリスクは、2世紀頃?に、ユダ王国の首都カエサリア・マリティマの「ヘロデ大王競馬場」の中に立てられたものらしいです。1980年に発見され、修復した後、2001年に立てられたとのことです。2世紀ころにシェバ族=エジプトがユダ王国を支配下に収めていたのでしょうか? ローマ帝国がこの地方も治めてめてはいたけれど、ちょうど、この頃、パルティアの女王ゼノビア(シェバ人)がA.D.260年ごろ、エジプトやパレスチナなどを占領していますから、その時にユダ王国に、このオベリスクを立てたんでしょうかね〜?


3につづく
by Ulala-lov | 2010-11-22 12:48 | イシス女神〜エジプト王朝