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ハプスブルグ家がアングロサクソン王族「ロートリンゲン家」に乗っ取られた時 <3>

2014−01−18

(2のつづき)


だから、マリア・テレジアが同盟国と共に起した七年戦争(シュレージエン奪回戦争)では、最後にはロシアの女帝エリザヴェータ* が突然亡くなり(都合上、死んだということに)、後継のピョートル3世(在:1762、エリザヴェータの甥で北ドイツの貴族の血をひいている)はフリードリヒ大帝の心酔者であったため(偶然じゃなくて、そういうことを理由にして)、ロシアはオーストリアを裏切ってプロセインに協力したのでした。それで、一挙に形勢が大逆転しプロセインが勝利したのです。おそらく、ピョートル3世の妻で、ピョートルの皇帝即位後、8ヶ月ほどで、夫である皇帝を愛人に暗殺させたロシアの大魔女『エカテリーナ2世』*** の意向も大きかったと推察されます。

*** エカテリーナ2世と愛人たち (6) l Diane de Poitiers に挑む

エカチェリーナ2世 wikipedia
若い頃の肖像画はマリエ・ルイーズ・ユージーン・ビアーズのようですが、年をとった肖像画はわたしの元夫の母親(アイゼンベルグと新生ヴィーナスの子らしい)に似ています。その太り気味の60歳近い元義母に若い時の写真も見せてもらったのですが、やせて、ものすごく美人だったので、若い頃のエカテリーナ2世に似ていたような。


<ロシアより愛をこめて・・・> II : ダンディー先生のお茶飲み話


不思議の国のロシア 〜エカテリーナ2世〜:リッチな毎日



☆☆☆ というわけで、ロシアの女帝「エリザヴェータ」や、自分の夫を暗殺してまで女帝になった大魔女「エカテリーナ」や、フランスのポンパドール夫人たちに巧妙にダマされていたマリア・テレジアは"プロセインへの復讐"?、っていうか奪われたシュレジエン州を取り戻し、オーストリアの防衛を確実にするための戦争『七年戦争』に失敗したのでした!!!


そして、この記事の<1>で述べましたように、マリア・テレジアの息子2人が「神聖ローマ帝国」皇帝になった後、後継者がおらず、最後の「神聖ローマ帝国」皇帝・『フランツ2世』ことアイゼンベルグがハプスブルグ家を乗っ取り、それに連動するかのようにナポレオン(=ジョゼッペ)の侵攻により神聖ローマ帝国は崩壊します。(もちろん、裏でアイゼンベルグ&ジョゼッペが入念に打ち合わせしていて連動させていたんです〜!)


< (サクス・コーブルグ・ゴータ朝)歴代オーストリア皇帝 >

(神聖ローマ帝国崩壊後のオーストリアは「ハプスブルグ=ロートリンゲン朝」ではなく、実際には「サクス・コーブルグ・ゴータ朝」です)

皇帝フランツ2世はオーストリア皇帝「フランツ1世」になり、次の「フェルディナンド1世」はジョゼッペ、その次の「フランツ・ヨーゼフ1世」は象二郎のようです。さらに、その次の「カール1世」*はオットー・フランツ・ヨーゼフ大公の長男で、祖父カール・ルートヴィヒ大公**は、フランツ・カール大公***の
三男で皇帝フランツ・ヨーゼフ1世とメキシコ皇帝マクシミリアンの弟にあたるとか。つまり、アイゼンベルグやジョゼッペや象二郎の血が混じっているということです。もちろん、「新生ヴィーナス」やシバの女王」たちの血もです。


* カール1世(オーストリア皇帝) wikipedia
あれっ!カール1世って、サッカーの三浦一良に似てるような。。。

三浦和良 画像集

ん〜、同じ角度の顔を見ると、けっこう似ています!カール1世本人か、子孫か?しかし、この手の顔の人けっこう多いです。島根の山根光◎(=ジョゼッペ、ジョゼッペがジョン・F・ケネディの身体を乗っ取っていた時の子であり、その子にジョゼッペが脳移植した)の母親もカール1世に似ていますが、身体がとても小さくて身長が140センチくらいです。チビタコ女王のひとりかもしれません。また、歩き方がナックル運動(ゴリラ、チンパンジー・オラウータンなどの歩き方)しているようでした。

生涯現役!!キングカズ(三浦和良選手)のすごさの数々!- NAVER まとめ
11って、サタニストトップたちの好きな数字らしいんですけど。。。田原、永井、大久保選手はただの使い捨てですか?酷すぎるぅ〜ww
三浦知良 アンサイクロペディア
サッカー界のキングとして今も君臨されているそうです !

** 第一次世界大戦の切っ掛けとなった「サラエヴォ事件」で暗殺されたフランツ・フェルディナント大公(オーストリア=エステ大公の父親だということです。
*** フランツ2世の三男(なので、アイゼンベルグの息子)

そして、「カール1世」の時代、第一次世界大戦中の1918年、同盟国の相次ぐ離反(チェコスロバキア、ハンガリー、ポーランドなどが共和国を宣言)により「オーストリア・ハンガリー帝国」*も崩壊してしまいます。カール1世はつなぎとめようとしたとありますが、真意はそうではなかったのかも?結局、オーストリアもハプスブルグ=ロートリンゲン家からの支配から独立し、カール1世はポルトガルのマディラ島に亡命し、そこで1022年に肺炎のため死去したのでした。(多分、亡くなってないと思いますけど)

オーストリア=ハンガリー帝国

「オーストリア=ハンガリー帝国」最後の皇帝「カール1世」と妻のツィタとの間にできた子供には。。。
・長子で皇太子だったオットー・フォン・ハプスブルク(1912~2011)は、欧州議会議員を務めるなどした政治家だったとか。2011年に亡くなったことになっていますが、現在は日本でスパイ活動をしているんじゃ?顔をかなり化粧やヒゲなどで変装させているのがよく分りますね!誰かしら?

オットーと妻のレギーナの長男がカール・ハプスブルク=ロートリンゲンは、オーストリア国民党の議員で、欧州議会議員を1999年まで務めた。妻のフランツェスカ・ティッセン=ボルネミッサ(あのティッセン*の創業者の子孫)との間に3人の子供がいます。
* ハインリヒ・ティッセン
ティッセンは確か二度の世界大戦にも深く関わっていた会社です。

・次男ローベルト(オーストリア=エステ大公)の長男にはベルギーのアルベール2世の長女と結婚し、1995年にベルギー王子の称号を与えられたローレンツ_(オーストリア=エステ大公)などがいます。

三男にはフェリックス・ハプスブルク=ロートリンゲン
メキシコ、ベルギーで様々なビジネスに関わり、経済コンサルタントとして活動していたが2011年にメキシコで死去とありますが、ほんとうかなあ?どこかで見たことのあるような顔なんですけど。。。

四男のカール・ルートヴィヒ・ハプスブルク=ロートリンゲンもベルギーのブリュッセルでソシエテ・ジェネラル・ド・ベルジック社(2003年まで存在したベルギーで最も大きい大企業のひとつ)に勤務していた。のちに同社のカナダの子会社「ジェンスター社」を創設し、1986年に退職するまで取締役を務めた。兄のフィリックスと共に、ハプスブルク家の資産の一部を返還するようにオーストリア共和国政府に求めている。(こんなアングロサクソン王族たちに返還するなんてとんでもない。それに、もともとはマリア・テレジアまでの本来のハプスブルグ家の資産が相当含まれているはずですし。)

五男のルドルフ・ハプスブルク=ロートリンゲンは、ウォールストリートで証券会社に勤務、ベルギー領コンゴでコーヒー農場を経営するかたわら、ベルギーで銀行取締役をつとめていたそうです。2010年に死去したそうですが、これもほんとうかしら?


(2014.01.18 10:00 p.m. 記述完了)
by Ulala-lov | 2014-01-19 02:08 | 西洋史