2013年 11月 07日
著名アングロサクソン王族たちを一挙公開! -1 山口百恵はアイゼンベルグの娘!
サクソン王族の芸能人の子供たちは、親の七光りで中学生くらいからデビューするようですが、サクソン王族の親たちは我が子可愛さにヤハウェ王族たちを脅迫してサクソン王族の子供たちを懇切丁寧に指導させているらしいのです。ボイストレーニングやら芝居の細かいしぐさとか、逐一、手取り足取り指導させているらしいのです。というのも、サククソン王族の芸能人の親たち自身も、同じようにヤハウェ王族たちを脅迫してそうさせてきたからです。そして、最近では音楽機器が発達してきているので、ボイストレーニングをやっても上手くならない子ために、録音した音源に"調教"とかいう音声調節をして奇麗な声や正しい音程にして上手な歌い手が歌っているように修正することまでさせられているようです。
そんなサクソン王族芸能人たちを、今のところ、わたしが知っている範囲だけなので、ほんの数名だけですが、一挙公開しちゃいま〜す!
▶ まずは、『山口百恵』です。
1970年代前半からヒット曲を続けざまに出し、さらに、テレビの『赤いシリーズ』の6作品で三浦友和と共演し、ヒロイン役を演じて高い人気を集めたということです。
わたしはこの頃は短大の寮に入っていて、テレビをほとんど見ませんでしたので、たまたま家に帰っている時に偶然ちょこっとこのドラマを一度か二度見たぐらいでほとんど知りません。ただ、ウチの両親は子供が誰もウチにいなくなって暇になったからか、よくこのドラマとか「ニルスの不思議な旅」とかを見ていると母が手紙に書いてきたのを覚えています。
この当時(1970年代後半)の山口百恵は、歌もドラマも映画もすべてが立て続けにヒットし、人気もうなぎ上りで、いわゆる「国民的アイドル」という存在にまでなっていったようです。
山口百恵 wikipedia
ところで、彼女がアングロサクソン王族の娘だというとビックリされるかもしれませんが、今から説明します。
山口百恵 動画集
上の赤いドレスで「青い果実」を歌っている動画を見てください。(A)
山口百恵 画像集
上の「ちっぽけな感傷」のレコードジャケットの百恵ちゃんを見てください。(B)
アルバート・ヴィクター(クラレンス公)=アイゼンベルグの写真を見てください。(C)
これは、英ハノーヴァー朝とウィンザー朝の間に少しの間置かれたサクス=コバーグ・アンド・ゴータ朝で、これら3つの王朝とも実質はサクス=コバーグ・アンド・ゴータ朝(=ドイツのザクセン=コーブルグ=ゴータ家の王朝)であることに変わりないということです。その「エドワード7世」(=象二郎悪魔脳)の長男であるあるアルバート・ヴィクター(=アイゼンベルグ悪魔脳)ですが、1864年に生まれて、1892年に28歳で肺炎でなくなったことになっていますが大ウソです!
それでは、上の(A)(B)(C)の写真を比べてみてください。かなり似てませんか?!
☆☆☆ わたしは、デビュー当時の百恵ちゃんの中学3年か?高校1年か?の制服姿を雑誌だったかで見たのですが、その時の百恵ちゃんの目は一重マブタで、ちょっと眠そうな眼でした。なので、このアルバート・ヴィクターの写真を見た時にすぐに「あ!山口百恵のデビュー当時のあの顔にそっくり!」とビ〜ックリ!、ヒャ〜ックリ!したのでした〜!!!
(引退する時も、結婚後に生まれたばかりの赤ちゃんを公開した時も百恵ちゃんはわたしといっしょで一重マブタだったのに。上の画像集の写真はみな修正して二重マブタにしてありますね〜!)
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また、アルバート・ヴィクターとジョージ王子のこんな写真もあります。アルバート・ヴィクターの顔のほうがずっと長くて、馬面で一重まぶたです。アイゼンベルグ系です。ということは、宅野の藤間家の前当主「藤田まこと」顔に近いということです。そして、この顔から連想できる人物が他にもいます。
清王朝の恭親王こと、愛新覚羅奕キン(あいしんかくら えききん、1833~89年) の1860年頃の写真によく見ると似ています。(眉を剃ったりして多少の変装はしていますが。。。)つまり、アロー戦争中の1860年にイギリス軍が北京に差し迫って、北京条約を調印した頃に、アルバート・ヴィクターが、本物の愛新覚羅奕キンと入れ替わり、奕キンに成りすましたということです。
そして、その恭親王が日本の伏見宮博恭王になっているのです!つまり、サクス・コーブルグ・ゴータ家のアングロサクソン王族たちが清朝を乗っ取り、明治維新以降、日本の皇室を乗っ取ってきたわけです。ただし、大正天皇、昭和天皇、今生天皇は、側室から生まれたお子様なので、その系統とは違うようです。しかし、伏見宮家はみなサクス・コーブルグ・ゴータ家の系統のようです。
< 山口百恵の生い立ち >
山口百恵は複雑な生い立ちだそうですが、何故なにが… - Yahoo!知恵袋
山口百恵さんの複雑な生い立ちは… - Yahoo!知恵袋
これらの不幸な経歴はすべてウソのでっち上げです!
わたしは、昔、姉が買っていた女性週刊誌だったかで山口百恵の生い立ちについて読みましたが、母親は「山口正子」という名前で年老いた感じの顔で葬式の時の写真なのか黒っぽい和服を着ている上半身の写真が載っていました。また、三人姉妹であること。そして、父親には本妻さんがいて、ある時、その本妻さんが嫌がらせにやってきたので、ちょうど子供達と一緒にお風呂に入っていた百恵ちゃんの母親が、お風呂の水を風呂桶で汲んで本妻さんに投げかけたとかいう話も載っていました。このようにとても不幸な感じの家庭というイメージで書かれていたため、わたしは山口百恵ちゃんがアイゼンベルグの子供だと分かった時も、愛人だった山口正子さんはヤハウェ系の人だとばかり思っていました。でも、今回、山口正子でネット検索してみると、下のサイト*が出てきました。そして、その写真を見るとどうも山口百恵ちゃんの母親のようです。そして、その顔は鼻の上部が太くてサクソン系です。(下の百恵ちゃんの最近の写真と比べてみてください)
山口百恵 現在 写真集
★ 最近の百恵ちゃんの写真は、山口正子市会議員にけっこう似ています。
* 山口正子のページ :「日本共産党」松戸・鎌ヶ谷地区委員会
2011年11月に松戸市議会選挙で初当選して市会議員になっています。そして、2010年6月まで病院で看護師として38年間勤務したとあり、1972年に看護師として勤務し始めたことになります。また、それ以前には「東京逓信病院高等看護学校」を卒業とありますから、少なくとも1970年頃までには看護学校に通学していたことになります。わたしの東京の偽・叔母はまだ大蔵省の時代に国税局にタイピストとして勤めていたのですが(おそらく中級か、下級国家公務員)、逓信病院に入院していたとか言ってましたから、官僚たちがよく行く病院ではないかという気がします。そうすると、下の子が小学校高学年くらいになってから、その看護学校に通いだしたということになり、そして、百恵ちゃんのデビューの頃に病院に勤務始めたことになります。これは、山口正子さんの親かアイゼンベルグが費用や生活費を出して彼女を看護学校に通わせてくれたんじゃないでしょうか?
そして、山口正子さんのプロフィールを見ると、鹿児島県志布志町生まれとあり、この辺りは豊玉姫伝説があり、その頃、大山氏が勢力をもっていた地域です。きっと、この母親の実家はアングロサクソン王族の相当上位の家の出身なのでしょう。だから、お金にも困っていなかったのではないかと思います。アイゼンベルグとの子孫を残すため、結婚のために東京に出てきたのかもしれません。また、父親は官僚だったのかもしれません。
また、家族のところには、夫と長女とあります。おそらく、百恵ちゃんたちが大きくなった後で、アイゼンベルグではない人と結婚し、その人との間に長女がいるということかもしれません。サクソン王族にはよくあるパターンだと思います。でも、結婚はしなくても、アイゼンベルグと子供を持つということに大きな利点があるのでしょう。
それから、ついでといっては何ですが、いろいろバラしちゃうと、アイゼンベルグは日本人の戸籍も韓国人の戸籍もその他の国の戸籍なども多数持っています。つまり、彼らサクソン王族たちは戸籍も簡単にでっち上げすることができるのです。
喜多文磨ことアイゼンベルグは、日吉で賃貸ワンルームマンション「芙蓉ハイツ」の大家をしていて、その4階を自宅にしていましたが、なんと、その真ん前に、堂々と在日朝鮮人(川崎市の在日大韓キリスト教会・川崎教会*の牧師だった)としてかなり広い敷地の大きな平屋に住む別家族も持っていて、その片隅の道路沿いの角地にはコンビニと、やはり学生相手の賃貸ワンルームマンションを建てていました。おそらく、そっちの妻は朝鮮人なのでしょう。
というのも、わたしが日吉の「芙蓉ハイツ」に入居した時に、アイゼンベルグ自身がその真ん前の家のほうを指差して、「あれ大家さんの家」とボソッと言ったので、「えっ?じゃあ、ここのアパートの大家さんって前の家の人で、喜多文磨さんじゃないってこと?でも、契約は喜多文磨さんとしたんですけど。。。」と、ビックリするやら、疑心暗鬼になるやらでした。でも、今になってみて、その時アイゼンベルグの言った意味が分かりました!
彼女は「お向かいの家の人は在日朝鮮人で、戦後ここら辺が焼け野原だった頃にバラックを建てて住み着いてそのまま居座って自分の土地にしちゃったのよ。」と憎々しげに言っていました。(←14~5年前の話)
(ところで、アイゼンベルグの本妻さんは、第二次世界大戦中に中国領事をしていた人の娘とのことでしたが、それは本当かもしれませんが、本妻の喜多珠子さんの娘がわたしの短大同級生の大森ちゃんでサクソン王族だとすると、その母親はきっとサクソン王族のはずで、それもサクソン王族のトップクラスで、『シバの女王』の誰かが変装していたのかも?とすると、彼女が話していた両親の悲話(母親の乗った中国行きの船が米軍機に撃沈されたとか、父親は亡くなったとか。。戦犯?)やアイゼンベルグの家庭内暴力をふるわれていたとかの話にはちょっとウソが多かったのかもしれないと最近では思えてくるのです。)
そして、10年くらい前に、わたしの近所で、その当時しばらく通っていた日本基督教会・六角橋教会に川崎の韓国人牧師のおじいさんがやってきて講演をしたのです。その時、いつでも、相談に来なさいとみんなに言われたのです。その後、わたしは、一度、韓国人のことでちょっと困ったことがあって、川崎のその教会に相談に行ったことまであるのです。ですから、アイゼンベルのことを知った後の、最近になって、あの韓国人牧師は変装はしていたものの、大家さんだった喜多文磨(アイゼンベルグ)じゃないかと気づいたのです。また、喜多文磨(アイゼンベルグ)や奥さんのああいった一連の言葉から、「芙蓉ハイツ」の真ん前の在日朝鮮人の家が、あの韓国人牧師(アイゼンベルグ)の家であることにも気がついたわけです。
* 在日大韓基督教会・川崎教HP
川崎市川崎区周辺の地図
日吉の駅前近くに住んでいる喜多文磨と韓国人牧師◎◎(名前は忘れました)の一人二役をしている、呆(あき)れたアイゼンベルグですが(しかし、まだまだ何人もの戸籍を持っているはず)、川崎市川崎区桜本にある大韓キリスト教会・川崎教会とはかなり近い距離のようです。こういう方法で、アイゼンベルグは昔から在日朝鮮人と深い関わりを持ってきたんでしょうね〜!!!
それにしても、本妻宅と愛人宅が向かい合っているなんて。。。アイゼンベルグの非常識さが分かりますよね!
そして、百恵ちゃんやその母親に対して、こんな手厳しく批判する意見もありました。
山口百恵の母親は、超悪人ではないか? - Yahoo!知恵袋
まあ、これはサクソン王族たちの利権をめぐる儀式とも考えられるし、乱婚というか多夫多妻制ともいえますが、不倫したどっちが悪いとか言えるようなものではないのでは?
驚きなのは、百恵ちゃんの少女時代は『蒼い時』やそれ以前に雑誌に書かれていたような感じでは全然なかったということです。つまり、かなり不幸な少女時代という虚飾されたイメージを大々的に出して人々の同情を煽り、百恵ちゃんは人気をどんどん獲得していったのです。大人気のキッカケとなった『赤いシリーズ』も同じことです!!!そして、最後の『蒼い時』によって、不幸な少女時代を乗り越え成功した歌手というイメージを一層印象づけることにより、最終の美を飾るべく人々の記憶により鮮明により長く残り得ることに成功したのだろうという気がします。これもアイゼンベルグの策略でしょう。サクソン王族のよくやる手です。また、アイゼンベルグはおそらく、東大なんか出てませんが、経歴には東大出となっていますし、神田にある東大の『学士会館』も仕切っているようですし。←** なので、百恵ちゃんがデビューした直後から東大生の人気ナンバーワンとかっていう宣伝文句がよくありましたよね!
**(一度だけ、正妻さんとそこ(学士会館)に連れて行ってもらい食事をおごってもらったことがあるのですが。。。おじいちゃん、アイゼンベルグ=と別に行ったのですが、わたしと一緒に行った正妻さんが "わざと" 行き先を間違えて大変な思いをしました!でも、おじいちゃんいは言わないでねと口止めまでされたんですよ。それに、きっと、最後にお金払ってなかったんじゃ。。。顔パス?サクソン王族ってこういうのが好きなんですよ〜 ウチの静岡の偽・叔父も、東京の国税庁に勤めていた偽・叔母もそうでした。それが自分の力量、顔が利く!とでも言いたげに)
わたしが1、2度たまたま「赤いシリーズ」のどの番組かを見た時に三国連太郎ことアイゼンベルグが実の父親として出演していました。アイゼンベルグが親として、やはり共演してみたかったのでしょう。また、百恵ちゃんの乗っている車が、暴走族たちに囲まれ、警護してもらうように走ったとかって話題になったりしてましたけれども、これもアイゼンベルグの命令によって、おそらく、あらかじめ暴走族たち(イルミナティが多い)と連絡済みでのことで、百恵ちゃん人気をさらに盛り上げるための演出だったのでは?
☆☆☆ とにも、かくにも、不幸な生い立ちを持ち、ちょい不良っぽくて、ちょっと突っ張った少女のイメージを普通にお茶の間に持ち込むことにより、日本の少年少女の愚民化にかなり貢献したのではないでしょうか?
★★★ これもイルミナティの練りに練った作戦だったのでしょう!!!
百恵ちゃんというサクソン王族のトップクラスの血筋のタレントをうまく使って作戦に成功したし、彼女もそれにうまく答えて成功者になったということでしょう。
そう言えば、あの当時(1970年代〜80年代前半)、やたらと暴走族とか、不良少女(スケバン)とか不良少年のテレビ番組が多かったですよね〜!わたしはあまり見ていませんでしたが。。。流行にはあまり乗らない正確なので。。。エヘヘ
(つづく)
( 2013.11.09 10:30 a.m. 記述完了 )