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大和朝廷(皇室)の奥に潜み、天皇をも影から操る伏見宮家

2012−11−16

ピンク色の文字は、2015-08-21に訂正や加筆をした部分です。


この前の記事、「橋本(橋下)大阪市長と徳川御三卿一橋家と尼崎事件真相の深層 4」(このサイトのかなり下のあたり)で、下のサイト*を紹介しました。そして、ここで、"天皇よりも強い権力を持つ" といわれている「伏見宮博恭王」については、後日詳しく書きたいと述べましたので、早速、書くことにしました!
*皇族と海軍 海軍に奉職された皇族の方々


「大日本帝国海軍」に関するサイトを見つけました! サイト主さんは、かなり極右的な思考の方ではないかと危惧されます。ですから、このサイト内で述べられているサイト主さんの意見にはわたしは全く賛成しかねます。。。(しかし、これらの豊富な資料は非常に参考になり、そのことには感謝いたしております)

大日本帝国海軍の軍服・その他

上のサイトのかなり下のほうを見てください!!

まず、これはちょっと、序(つい)でなのですが、「後藤光太郎」海軍少将の写真がかなりありますので見てくださ〜い!特に奥様の写真も幾つか載せられていますが、この奥方は「マリエ・ペルギア=梶美奈子」さんに非常によく似ていますよ〜!!閣下と呼ばれるからには、相当偉い人なんでしょうね!!大戦終了時には50歳くらいで、まだそれほど高齢ではなかったため「大将」にはなっていないけれど。。。後藤だから、象二郎やジョゼッペなどの子孫が混血しているんでしょうかね〜。もちろん、「シバの女王」たちも繰り返し混血。。。だから、この人の妻もマリエ・ペルギアということなのよね! 

なんでも、最後は(晩年には)、公団住宅に住んでいたっていうのも、それは本物じゃなくて替え玉かもしれないし、あるいは、すでに後藤光太郎だけの一人暮らしなんで、(おそらく新築とかの)公団住宅でも十分だったのでしょう。とにかくサタニストたちってケチですからね〜(公団なら他の全室を自分の部下たちの家族などに住まわせたり、警備員も配置させておけるから、そのほうが一戸建の一人暮らしより安全だと考えたのかも?) また、源泉徴収票に所得金額が何も記載されていません。。。書き込めないほどあるんでしょうが。。。証拠がないような手口を使って税金逃れしているのでしょう。でも、税務署も警察署も何も言えな〜い〜 孫にも積立貯金してあげてるくらいお金いっぱいあるのに〜 権力(暴力)を笠に着て、実にうまく世渡りしていまするナ〜 @o@;魔ッ!マジック・ショー〜〜〜?

「戦犯」にされたくらいですから、相当悪いことしていたんでしょうね〜!

戦後7年目の昭和27年に『戦犯指定解除』がなされた理由は、通常、迫り来る共産主義に対抗するためと言われていますよね。しかし〜、以前にも'うららおばさん' 言ったけど〜、きっと "本当の理由" は、サクソン王族側が「共産圏-ソ連・東ヨーロッパに "原爆を配備" し、ヨーロッパの人々を人質に」とって、ヤハウェ系王族、特に、GHQ司令官マッカーサーを脅迫し、引き換えに戦犯解除を要求してきたたためなんでしょうよ〜。日本が全面降伏して数週間後に日本にやって来たマッカーサーですから、原爆投下直後の広島の惨状を写した映像(日本のクロカモたちが撮ったのか?)を見せられていたはずです。また、当時、その広島への救援もちゃんとしていたはずですから、実際、マッカーサーは誰よりも原爆の恐ろしさをよく知っていたことでしょう。だから、このサクソン王族の脅迫により戦犯指定解除という屈辱的な方針転換をせざるを得なかったのでしょう!その後、GHQのほんとうの司令官は、マッカーサーではなく、副司令官のサクソン王族になったに違いありません!


その下のほうに、「山澄忠三郎 海軍大佐の海軍兵学校の卒業証書」のところを見てください!

敗戦直後のマッカーサー到着前の先遣隊に対しても帝国海軍の部隊は敵意丸出しだったというエピソードが書かれています。また、その下には、昭和初期のまだ第二次世界大戦の始まる前で、日本が中国に侵略戦争を仕掛け、満州を併合し「満州帝国」を樹立するなどしていた1930年代に、皇室から山澄氏に届けられた幾つかの軍艦の大演習観艦式や晩餐会などへの招待状です。主に「伏見宮博恭王」*(日本の皇族、海軍軍人:1875〜1946年)からのものが多く、他の伏見宮家系の王からのもあります。伏見宮一族が結束して、軍事拡大路線の賛同者を増やそうと積極的に懐柔策をとっていた証拠ですね。

*伏見宮博恭王
伏見宮 博恭王(ふしみのみや ひろやすおう)

伏見宮家 その2 直球感想文
第22代伏見宮貞愛親王の妃「有栖川宮幟仁親王王女 利子女王」の写真を見ると、特に下の着物姿の写真の顔を見ると、わたしが浜田一中(島根県の中学)で同僚だった先生にそっくりです。当時は、寿美花代=中村玉緒の身体に寄生していた時代の「エリザベス女王」ですよ〜!ですから、当時はアナンヌキET女性『ハトホル』は、自分の子孫である有栖川宮の利子女王に脳移植して住み着いていたんでしょう。1857〜1927年の生涯のうちの、おそらく、重要な20歳くらいから3〜40歳くらいまでの子供を生む間だけ時々一緒にいたのではないかと。。。上の写真はまだ脳移植される前の本物の利子女王なのではないかと。一方で、下の写真は脳移植後らしく目が非常に鋭いです!人格が変わっているのです。っていうか、本人の人格とハトホルの人格が合わさって、非常に強化され、"大悪魔" 人格になっているのでしょう。

また、伏見宮博恭王の妃「徳川慶喜」の9女「経子」は、ジョゼッペの孫ですし、もしかしたら、マリエ・ルイーズ・ユージーン・ビアーズがしばらくの間、脳移植して寄生して子づくりしていたかもしれません。下のメガネの写真は、おそらく、替え玉かクローン人間のような気がします。上の写真のような目の強さがありません。


さらに一番下の「ありし日の帝国海軍集合写真」を見てください!「軍令総長」の元帥海軍大将の「伏見宮博恭王」を中心に撮影された集合写真だそうです。要するに、博恭王の賛同者で、秘密結社の仲間ということでしょうか?

下の一部拡大写真の博恭王の右側に写っている3人の写真のうち、右から3番目が「古賀元帥」*(海軍大将:殉職後、連合艦隊司令長官)(自民党・衆議院議員の古賀誠でしょうか)、右側から2番目のやや太った人が「豊田少将」**(後、大将になり連合艦隊司令長官)(=ヴィクトリア女王=エリザベス女王)で、右から3番目が南雲大佐***(後、大将)でしょう。


とにかく、これらのことから、「伏見宮博恭王」は、シバの女王やジョゼッペたちやタコたちと同様、何千年、何万年と生きている "吸血鬼モンスター" の一人に違いありません!!この人が、それ以前は、伏見宮邦家親王?→久邇宮朝彦親王? とにかく、現在は、「東伏見慈洽」になっているのでしょう!!!

* 海軍乙事件 捕虜になり機密書類奪われても昇進させる組織<<歴史好きナンチャッテ>>

自分たちサクソン王族の幹部だけ生き延びれば、それで正解なんでしょう。何しろ始めから、これらの戦争の目的は人殺し(厳密に言えば、人間殺し)と財産の強奪、すべての破壊が目的なんですから。殺してなんぼ?みたいな考え方なんですよ。(小説・映画『第三の男』 のハリー・ライムみたいな)機密文書奪われるのも想定内だったのかも?だから、上層部もよくやった!みたいな考えだったんでしょう。


また、二人の海軍元帥が続けざまに亡くなっているというのも何か不自然です。二人ともヤハウェ系(人間)だったのかも?(訂正:アングロサクソン王族でした!おそらく、戦犯になるのを避けるため、あえて死んだことにして難を逃れたのではないかと。)海軍は元々ヤハウェ系らしいので、とにかく、何か理由があって山本元帥や古賀元帥は始めから切り捨てるつもりだったのでしょう。どうしても助けたいサクソン王族たち福留参謀長や山本大佐には、陸軍治安部隊まで投入して救出されたことからも分かるように、珍しくちゃんとした対応をしていますからね〜!(アングロサクソン王族からすれば戦犯に問われてもいいような切り捨ててもよい人たちだったのかも?)

** 豊田副武(とよた そえむ)・・・A

「略歴」のところを見ると、「当初、連合艦隊司令部を軽巡洋艦「大淀」に設置したが、後に、司令部を慶応義塾大学横浜日吉校舎内に移動し、陸上から指揮を執る。在任中の主な海戦として「マリアナ沖海戦」、「レイテ沖海戦」、「大和特攻=菊水作戦」などがある。レイテ沖海戦、大和特攻では、非常に生還率(せいかんりつ)の低い作戦でありながら後方の司令部から指揮をとったことが、『指揮官先頭の伝統に反する』として議論・批判の種となった。」とあり、やはり、ヤハウェ系の男子をジェノサイド(民族浄化)することに非常に貢献していたようです。なので、この人は1957年まで長生きしています。

この人がなんだか、わたしの小、中学校の同級生の女の子に似ていて。。。男の子も怖がるような女傑でした。多分、今から考えると、イルミナティの子供リングに入っていたのでしょう。わたしがワナにハメられたことのある友人たちのうちの一人です。彼女は、以前話した奥淳子さん(=ローラ・ブッシュ元大統領夫人)といつも一緒で「本田恭子」さんという名前でした。仁万の「東山区」という山奥の地域の山頂にあるお寺の子なのですが、祖父母のご住職夫妻に子供がなく、彼女の両親-公立学校の教師-とも、そのお寺の養子さんなのだそうです。でも、よく考えたら、恭子ちゃんとそのご両親とも全然似ていなくて、もしかしたら、他家の子供を預かって育てていたのかも?(訂正:男の本田先生が東伏見慈洽で、女の本田先生が江利チエミ似だったので『ヴィクトリア女王』のような。。。(ヴィクトリア女王=石川の偽伯母さんは、仁万で何人もの妻を掛け持ちしていて、自分や自分の母親などのクローン子孫を生んでいるようです)本田恭子さんはヴィクトリア女王の長女「ヴィクトリア」のような。このプロセインのフリードリヒ3世に嫁いだヴィクトリアはヴィクトリア女王の母親のクローン子孫です。ヴィクトリアはプロセインの『ヴィルヘルム2世』(=その晩年はロシアの『スターリン』)の母親でもあります。わたしの故郷「仁万」には、こんな風に実子がなくて、両方とも養子さんを迎えているお家がはけっこう多いみたいだったのですよね〜???(やはり、イルミナティの戦略でしょうかね〜)

それに、ホンダ(自動車会社)は「伊勢神宮」にいつも多額の献金をしている会社だそうですし、本田恭子さんの「恭○」という名は伏見宮博恭王の名前からなのでしょうか? 他のどうもサクソン王族らしい友人にも同名の人がいましたしね。でも、彼女はおとなしくてイイ人でしたけれど。(←もしかしたら、宅野の藤間家の前々当主=藤田伝三郎だったかも?)本田さんも豪傑な反面、なんかどっしりと落ち着いていて、頼りになるところもあり、ちょっとかわいいところもあったりする人なのですが。でも、小学6年生位の時、「ウチの家に遊びに来たら〜」と誘われたので、行ったのですが。。。彼女はお寺と自分の家の中を案内して廻ったりした後、外に出ると、夏でセミが鳴いていたのですが、急に彼女はセミを捕まえると手でそのセミの羽根をむしり取って、近くにいた飼い犬に食べさせたんです!わたしは、一連の動作にびっくりして息を飲んで見ていましたが、恐怖とオェ〜!って感じで、" あ〜、恭子ちゃんとは、ちょっと距離をもってつき合った方がいいみたい" って思って落ち込んで帰りました。(でも、今考えると、彼女も、すべて「シバの女王」たちの命令どおりに動いていたのではないかという気がします)

ですから、この「豊田副武」という名前は偽名なのではないでしょうか?出身地は、大分県杵築市となっています。ここら辺は、日向(ひゅうが)の高千穂の近くで、古代、九州を統一した卑弥呼たちが築いていた耶馬台国(やまたいこく)の中心地ではないかと考えられている都市です。まあ、筋金入り* のサクソン王族ということに間違いはありません。また、副武という名からも、おそらく、一番偉い武将の副官の意味ではないかと。ということは、大日本帝国軍では伏見宮博恭王の次に偉い人ということかも?この豊田副武が特攻を推進した大西、奥田のさらに上の上司で、特攻を強力に推進した一番の責任者「伏見宮博恭王」の次に重大な責任のある人間のはずです。
筋金入りの の同義語 - 類語辞典(シソーラス)

やっとこさっとこ、判明しました〜!この豊田副武は、久邇宮朝彦親王の第3王子(久邇宮邦彦王の、さらに第3王子「邦英王」こと←訂正:間違いでした。でも慈洽は邦彦王のクローン子孫らしくソックリです!)です。かなり太っていた時期があったのですね!ちょっと別人みたいですが、よ〜く見ると同じ人物です。額の際とか、眉とか目、鼻、口、耳とか全部似ています。



先のサイトAの豊田副武と、サイトBの久邇宮邦彦王と、サイトCの東伏見慈洽の三つのサイトを並べて、三人の顔を比べてみてください。     

ネ!分かったでしょ?

久邇宮邦彦王* は、昭和天皇の妃「香淳皇后」の父君です。相当な豪傑というか、やんちゃなお方だったようですね〜!皇后の選定で騒動があった時も、何か相当な騒動を起こして脅迫じみたことをされたようです。。。それが、東伏見慈洽にも遺伝したようです。っていうか、この東伏見慈洽には、「伏見宮博恭王」の悪魔脳が脳移植で乗り移っているんでしょう。おそらく、1930年代後半くらいに博恭王→慈洽に入れ替わったのでは?でも、その後も博恭王と慈洽の両方、あるいは、数種の人物に掛け持ちでなることも可能です。普段はクローン人間や替え玉に活動させて、重要な場面にだけ本人が出て行けばいいのですから。その後、蟹江敬三の身体を経て、今は、エリック・ロバーツの身体に乗り移って「東伏見慈洽」やってます〜!! @@;よ〜やるな〜

上の拡大写真を見ると、王妃「俔子」=鷹司景子=北白川宮能久親王=ジョン・ブース(リンカーン大統領暗殺者)です。

久邇宮朝彦親王(伏見宮邦家親王第3王子:母は女房鳥居小路信子)と久邇宮貞愛親王(伏見宮邦家親王第14王子:母は鷹司景子、第1王子が伏見宮博恭王:母のクローン)は兄弟です。したがって、伏見宮博恭王と久邇宮邦彦王(おそらく、母親はヴィクトリア女王の母ケント公爵夫人ヴィクトリア=ルイーゼ・フォン・ヘッセン・カッセルのクローン子孫)とは従兄弟(いとこ)同士です!博恭王の母「鷹司景子」は「シバの女王」のひとりマリエ・ルイーズ・ユージーン・ビアーズ=ヴィクトリア女王=ヴィヴィアン・リー*なので、伯父・朝彦親王の子である邦彦王より博恭王のほうが身分が上になるわけです。だから、そんなにも身分の高くない邦英王を東伏見依仁親王(明治天皇の猶子=養子にもなっている)の養子にして身分を上げたておいたのです。その後、邦英王こと東伏見慈洽に、伏見宮博恭が乗り移ったのでしょう。
(↑訂正:久邇宮邦家親王も、その邦英王も、俔子王妃=鷹司景子のクローン子孫であり、おそらく、邦家王は鷹司景子のクローン姉妹「鳥居小路信子」* に育てさせたのでしょう。

* プロイセン王女でバイエルン王妃のマリー・フォン・プロセイン(バイエルン王ルートヴィヒ2世の養母)=元法政大学教授・田嶋陽子=松平信子* =仁摩ルーテル教会の松本さん=英国の語学学校で私の友人だったけれども私をダマしていた前田信子さん=私の幼稚園時代の意地悪だった藤田先生=私の偽叔母・服部美子(よしこ)です。ところで、ウィキペディアの松平信子の写真は石川の偽伯母にソックリでしたが、どうやら、わたしを混乱させるために、わざとヴィクトリア女王=石川の偽伯母の写真を載せたようです。まあ、クローン姉妹ですから、元々ソックリなんでしょうけど。

*鷹司景子=ヴィクトリア女王=マリエ・ルイーズ・ユージーン・ビアーズ=エリザベス女王=ヴィヴィアン・リーについてのさらなる真実は2015-08-21の別記事で詳しく書きます。

しかし、ウィキペディアの「久邇宮邦彦王」サイト内の家族写真を見ると、「邦彦王」は相当身体が小さくて頭が大きく何か六等身のような感じです。子供さんの何人かもそんな感じです。やはり、タコ系に非常に近い存在なんでしょう。ちなみに、わたしの友人だった本田恭子さんは、非常に体格がよく、身長はわたしよりちょっとだけ高く高校の時には167~8センチ位、体重はわたしの倍以上でした。(しかし、両親とも背が低い感じでしたけどね)地元のお医者さんがウチの母に恭子ちゃんのことを「あれは食べさせすぎだ」とかって話されていたとか。。。おばあさんが気を使ってものすごく食べさせておられたみたいです。高校の時には、体重が減るように治療しに行っているとか本人から聞いたことがあります。(よく食べるのは、動物の遺伝子のせいのようです)

それから、この邦彦王は、わたしが中学時代に理科を習った「岩崎先生」**にも似ていますし、他の同級生の女子には東伏見慈洽に似ている人もいるような。やはり、彼らもジョゼッペ、象二郎たちと一緒であっちにもこっちにも子供がいるようです。

*** 南原中将は山口のほうを向き、目を剥いた〜陸海軍けんか列伝
真珠湾攻撃を決めたのは、山本五十六だったのですね〜!っていうか、裏で山本を操っていたのは伏見宮博恭王だったのでしょうけれど。。。南雲中将はアメリカへの攻撃、開戦には反対だったんですね。まあ、この方は、まともな見解を持った人だったということです。

サイパン島玉砕
前にも進めず、後にも引けないなんて。。。??←こういう?を上書きしたのはわたしのコンピューターをハッキングしているQベスたちの仕業です。
(いつも、Qベスたちと私の味方側とがコンピューター上で攻防合戦をしているみたいなのです。それでも、味方側のおかげで、今のところまだ、このブログはなんとか保持されています。ほんと感謝感謝です。いつもありがとうございます!)

兵隊さんはみな玉砕するまで戦い、残った軍人・軍属・民間人もみな海に身を投げて自決したなんて哀し過ぎますね〜 ?? ??←こちらの?も同じく上書きされてました。ほんとバカにしてますネ〜 😤😤😤

これらの戦争が、スメラミコトやスメラの子飼の神々の仕業だって知ってたら、みんなバ〜カバ〜カしくって、玉砕したり、自決したりするなんてこと絶対しなかったと思うんですけど〜〜〜!


(2012.11.17 9:05 p.m. 記述完了)
(2015.08.21 3:10 p.m. 訂正加筆完了)


*コメント欄も見てくださいネ!

by Ulala-lov | 2012-11-16 19:51 | アングロ・サクソン王族