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橋下(=橋本)大阪市長と徳川御三卿一橋家と尼崎事件真相の深層 5

(4のつづき)

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[ 論評 ]  前田 進

天皇家の血統は北朝系も南朝系も途絶えている。北朝系の実態は足利系。

薩長は、孝明天皇暗殺後、孝明天皇の息子「陸仁」(むつひと)も暗殺し、そして、「陸仁」と偽って、海賊某(かいぞく なにがし)の子孫である「大室寅之祐」を天皇にしたのです。つまり、地中海沿岸*を荒し回って植民地化していた「シバの女王」(=エリザベス女王)や「ソロモン王」(=ジョゼッペ)など「偽フェニキア人」(=スファラディム・ユダヤ=サクソン王族たち)の子孫である大室寅之祐は、勇壮・頑強で左利き、アバタ面、字が下手で、女官らと遊びに余念がなかったということです。そして、薩長は、その大室寅之祐を『明治天皇』にでっちあげたということです。

*地中海沿岸部は手始めで、それのみならず、ヨーロッパ北部の沿岸やロシア北部の沿岸、アフリカ沿岸、インド洋沿岸、アジア東南部沿岸、南北アメリカ沿岸など世界中の海で海賊をしていたのです。海賊船のマークは、あの秘密結社「スカル&ボーンズ」のあのマークですよ〜!ノルマンの海賊とかっていうけど、そうじゃなくて、8世紀にサクソン軍団がノルウェーを征服したので、サクソン軍団の海賊船がノルウェー沿岸から出ていくようになったってことじゃないかな?

寅之祐こと寅吉は、おそらく、シーボルト(=ヴィクトリア女王の夫アルバート公*)と、「お滝」(梶美奈子さんによく似ているのでマリエ・ペルギア=シバの女王=新生ヴィーナス)との間にできた娘「楠本イネ」の息子でしょう。では、イネの夫であり、寅吉の父親は誰でしょう?このイネの夫には、エリザベス女王とアイゼンベルグ(=吉田松陰)たち長州勢が深くかかわっているようです。彼らに関係ありそうな青年と言えば、宇和島藩でイネに医学を指導していた「大村益次郎」**ではないかと。。。。つまり、イネと大村益次郎との間の子が寅吉なのではないかと。。。だから、「大室寅吉」ではなく、ほんとうは『大村寅吉』だろうと推察されます。

* アルバート公
ヴィクトリア女王×アルバート公
緒方洪庵(おがた こうあん、1810〜1863年)は、アルバートの兄エルンストかも?
映画「ヴィクトリア女王 世紀の愛」
一番下の写真を見ると、このヴィクトリア女王を演じている女優は、最近のマリエ・ルイーズ・ユージーン・ビアーズにそっくりです!(例によって、わたしに接近してきたので会ったことあります)おそらく、ヴィクトリア女王は、戴冠、結婚して、しばらくの20歳代くらいまでは、本物のヴィクトリア女王だった可能性がありますが、その後、脳移植でマリエ・ルイーズ・ユージーン・ビアーズに変わったか、あるいは、本物を暗殺してユージーンがヴィクトリア女王に成り済ましていたかのどちらかでしょう。ただし、老年期は替え玉でしょう。だから、それを(イルミナティの計略の一環なので)承知して、夫のアルバートはイギリスをまた離れて、日本に戻り、お滝とイネの元に戻ったのでしょう。ただ、老年になってからは、替え玉が代役を務めていたかもしれません。

** 大村益次郎
サイトの一番下のほうのレリーフのように眉が「くの字」を横にした八の字のようで、老年期になると、その眉毛がフサフサになって垂れ下がるところがアイゼンベルグ(喜多文磨)とよく似ています!
(でも、三船敏郎や三国連太郎に変装している時は、眉は濃いけどフサフサと垂れていないので、おそらく、このフサフサ眉も変装のための付け眉なんでしょう!)

あ〜!、この大村益次郎の顔は、わたしが知っている赤来中学校の同僚英語教師「勝部先生」(=森鴎外こと森 林太郎)によく似ていることに今やっと気がつきました〜!!最近になって、勝部先生ってもしかしたら、ジョゼッペかも?って思っていたのですがやっぱりです!

ということは、イネの夫・大村益次郎はジョゼッペだってことでしょう!大室寅吉は、まあザクセン・コーブルグ・ゴータ家(=ウィンザー朝=ハノーヴァー朝)の血と、イギリスで最も有力な貴族「ソールズベリー公爵=セシル家」のジョゼッペの血を受け継いでいるということですね!だから、明治天皇は、英王室ハノヴァー朝(=後にウィンザー朝)のジョージ5世に親子以上に似ているわけです。

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ところで、橋本大二郎氏の系図(ウィキサイトの一番下)をもう一度見ますと、大二郎氏の母「正」さん(父は若宮貞夫)の弟と中村家がつながり、渋沢栄一の孫娘と親戚に、その子から加納家と親戚になり、その加納家と麻生太郎元総理や吉田茂元総理が親戚になり、さらには、麻生信子さんが三笠宮寛仁親王と結婚されているので、天皇家とも遠い親戚になるということです。

また、兄の橋本龍太郎元首相も、奥様の久美子さん(旧姓:中村)が母方を通じて渋沢栄一の玄孫にあたり、父親は加納家に養子に入られた中村久次さんで、やはり、吉田茂元総理や麻生太郎元総理と親戚になります。ただし、吉田茂元首相の実父は、「竹内綱」(つな、1840〜1922年)という明治・大正期の実業家、政治家だそうです。麻生太郎元首相も加納綱の外曾孫になるとか。なので、サクソン王族みたいです。

さらに、橋本家は、親戚の吉田茂の娘『桜子』が、佐藤信寛*の息子「信彦」ーその娘「さわ」ーその息子である『吉田寛』と結婚することにより佐藤信彦の娘「茂世」と岸秀助の息子たち=岸(旧姓:佐藤)信介、佐藤栄作の元首相兄弟の親戚となっています。また、吉田茂の娘「和子」は、麻生太賀吉と結婚し、麻生太郎元首相とも親戚となっています。

<佐藤家>
佐藤信寛(1816〜1900年)

江戸時代後期の長州藩士。佐藤家10代目当主。山口県熊毛郡田布施町に生まれる。吉田松陰に兵要禄(兵学書)*を授けた。浜田県知事、島根県令(知事)を務めた。
* 『兵要録』
練兵館 斎藤弥九郎の野試合について 4

信夫佐藤氏 武家家伝
「藤原秀郷」*を祖とする藤原北家9代目の子孫・佐藤信夫庄司「元治」に始まる。東北の平泉に、藤原基衡が出て次第に勢力を持ち、信夫郡をも支配下におき、佐藤氏はこの平泉藤原氏の家臣になって信夫郡司となり、現在の飯坂温泉の付近に根拠をもっていた。そのため、「湯の庄司」とも呼ばれた。」ということらしいです。(サイト内の一番下の家系図と見合わせて解釈しました。最初のほうの説明は少しちがっているようです。サタニストによる改ざんかも?)何にしても、藤原氏は中臣鎌足こと藤原鎌足(=ジョゼッペ)ですからね〜!

*氏族.... 藤原魚名
別名「俵藤太、田原藤太」

<岸家>
岸信介
一番下の家系図によれば、明治維新政府で大活躍した長州の井上馨の妹「つね」が小沢正路と結婚、その長女「なか」は、やはり、長州藩士の鮎川弥八と結婚、その息子には日産コンツェルンの創設者「鮎川義介」*がいます。また、「つね」と"小沢正路" *の次女「辰」がいて、田辺(=田部タコ)誠民と結婚し、息子には田部譲がいて、その娘には田辺仲子がいて、岸信和(岸信介元首相の息子)と結婚し、岸(阿部家からの養子)信夫がいます。この阿部信夫は、自民党新総裁の阿部晋三と兄弟です。彼ら阿部兄弟の母は、岸信介元首相の娘で、岸信和の妹でもある「岸洋子」で、父は「阿部晋太郎」です。

*小沢正路
井上氏(長州藩士)
井上馨公爵の養子「井上勝之助」の妻「末子」の父が小沢正路です。
井上馨の先祖と家族〜トリビア・幕末の山口 ←( p.s. で訂正 します)
井上馨の祖父「光茂」の妻も小沢氏から娶ったけれど、男子がなく、徳山藩「棟居景敏」(むねすえ かげとし)の弟「光亨」を養子にし、娘「婦佐子」と結婚させる。これが井上馨の両親とか。光亨の娘には「常子」がいて、重縁の小澤正路に嫁ぐ。その常子の孫が「鮎川義介」*。
少年薫の勉強〜トリビア・幕末の山口

* 「鮎川義介」
旧日産自動車や日立製作所、日本鉱業、日本炭鉱、保険会社など多数の企業を収める「日産コンツェルン」** を形成していました。なんだか福田元総理の父親のやはり元総理に似ていますね〜!また、鮎川が総裁をしていた「満州重工業」って、ウチの父が勤めていた「満州製鉄」のようですよ〜 写真の鮎川に左に立っている男の人がウチの父に似ていますが、顔などをちょっと修正して太めにしてあるようです。

** 久原財閥を引き継いだ鮎川義介によって誕生しsた戦前の日本の15大財閥の一つ。現在では、「日産・日立(春光)グループ」を形成して、多数の大企業を参加に収めている。

▷久原財閥創設者久原房之助
義兄の鮎川義介と共に「政界の黒幕・フィクサー」と呼ばれ、右翼に資金を提供して「二・二六事件」に深く関与したとあります。長州の萩城下に生まれる。叔父の藤田伝三郎(父・久原庄三郎の実弟)の藤田組に入り、明治24年(1891年)に小坂銅山に赴任、業績を拡大していった。
[実業家時代]
1905年に赤沢銅山を買収し日立銅山と改名し、さらに、1920年に日立製作所を設立。大正末期に中核だった久原鉱業を義兄の鮎川義介に譲渡し、同社は日産自動車の基礎となる。なお、藤田組、現在「DOWAホールディングス」(島根県の石見銀山も含む)を共同経営し、役員にも名を連ねているらしい。
[議員時代]
田中義一と親しく、1928年、田中内閣の逓信大臣、1931年、立憲政友会の幹事長を歴任。


p.s.

上の本文の黄緑字←で指し示したサイト内の最初のほうの説明は間違っていると考えられます!

毛利元就が井上家を皆殺しにして権力を拡大したとありますが、毛利元就は割りに穏やかな性格の人物だったようですので、重大な理由なく、そのような事をするはずがないと思われます。

毛利氏と重臣井上氏
誅伐(ちゅうばつ)
要するに、信頼していた、それも非常に勢力がある井上氏なのですが、トンデモ男の「井上元盛」が、毛利元就の「多治比猿掛城」(たじひさるかけじょう)を横領しようとしたんですね〜 

武家家伝_安芸井上氏

その横領した土地は、他の井上氏の者が返したものの、井上元兼を始め井上氏の多くが毛利を軽んじた行動が目立ったため、また、戦国時代にあって、毛利家領内に非常に危険な存在になっていたためということですね〜 毛利元就は、幼くして身内がみな亡くなって頼るものがいなかったため、そういうふうに軽んじられたというところがあったのでしょうね〜 何しろ、戦国時代って、下克上が当たり前のような非情で殺伐とした世の中だったらしいですから。。。また、百姓一揆も多かったようです。これらも、サクソン王族サタニストたちの陰謀でそのような世の中になったのでしょう。

それに、井上馨の家系は小澤家と親しく、その小澤氏に嫁いだ常子の孫が日産コンツェルンの「鮎川義介」(=東伏見慈洽)ということからも、もともとサクソン王族トップクラスの家柄のようですからね〜〜〜!! なかなか一筋縄ではいかないでしょう。一旦、スメラやタコたちなどの命令によって動いたりすれば、恐るべき存在になる可能性が高いですからね〜!!!

でも、わたしが赤来中学で教えていた井上さんはなかなかイイ子でしたよ〜!

(つづく)

(2012.11.18 1:50 p.m. 記述完了)

p.s.

上の本文の最初のほうに、アイゼンベルグ=松下村塾の吉田松蔭=高杉晋作であると書きましたが、
高杉晋作が松下村塾*の塾生であるとか分かり、また、下のウィキの高杉晋作** の肖像画などを見ると、高杉晋作(=ジョゼッペ=新撰組の土方歳三=岩倉具視)のようです。

* 松下村塾
**高杉晋作

となれば、長州(山口県)の田布施町にある佐藤信寛の実家は、高杉晋作=大村益次郎の実家と同じということなのかも?つまり、大室寅吉の生まれた大室家の本当の名字は「大室」ではなかったとありますから、本当は、「佐藤」(ジョゼッペの家系)という名字だったのはないでしょうか?

そして、ジョゼッペとアイゼンベルグの両家は、太古の昔から婚姻を繰り返しているので、岸信介元首相はどちらかと言えばアイゼンベルグ顔(伏見宮博恭王も)で、佐藤栄作元首相はどちらかと言えばジョゼッペ顔なのでしょう。


*コメント欄も見てくださいネ!
by Ulala-lov | 2012-11-17 12:50 | アングロ・サクソン王族