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いつ「ムッソリーニ」(象二郎)は日本右翼の親玉「児玉誉志夫」に変身したのかな? その5

(つづき)

ベニート・ムッソリーニ・・・A

<ファシストとしての侵略戦争>

ウィキからの引用です。〜〜〜〜〜〜〜〜〜簡略版〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

ムッソリーニ(冒頭のリンク先Aより):「第二次エチオピア戦争」 (1935~36年、わずか6ヶ月の戦闘)

1930年からワルワル(エチオピアのオガデン地方のオアシス)に侵攻
1934年 ワルワルで、イタリア・エチオピア両軍が軍事衝突
1935年4月 イタリア軍が伊領エリトリア、ソマリランドに兵力配備の強化
10月 イタリア軍とエリトリア軍がエリトリアよりエチオピアに侵攻、快進撃を続け、ついに首都アスクムを占領
1936年3月 イタリア陸軍はエチオピア帝国親衛隊と戦い、イタリア軍が勝利。帝国親衛隊の壊滅
5月 ハイレ・セラシエ(=ジョゼッペ)は国外へ脱出し、イギリスに亡命。イタリア軍が首都アジスアベバを占領し戦争は終結
★イタリアはエチオピアを併合し、伊領エリトリア、ソマリランドを合わせた『イタリア領東アフリカ』を樹立。その皇帝にイタリア王ヴィットーリオ・エマヌエーレ3世(サヴォイア家)が就任

★しかし、第二次世界大戦中、イギリス軍が侵攻、1941年に、『英領東アフリカ帝国』になる。

(うららおばさん。。。これらの戦いは、すべてサヴォイア家=ウィンザー朝=サクソン王族純血種王朝同士の茶番劇です。「エチオピア帝国のサクソン王朝(政権)X イタリアのサクソン王朝(政権)」の戦争は、身内の王朝や政権同士にも関わらず見せかけの敵対をし、お互いに侵攻合い、戦争し合うのは、それによって、シュメール王族や民衆を巻き添えにして殺害、略奪、奴隷化することが目的なのです。過去の長い歴史の中で数知れず繰り返されてきたサクソン王族純血種の常套手段です。確かに、他にも、戦争は、「サクソン王朝(政権)X シュメール王朝*(政権)」との戦争も数多くありましたけれどね。)(*ノアの子孫のヤハウェ王朝のことです)
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第二次エチオピア戦争

この時のエチオピア帝国の皇帝は、ハイレ・セラシエ1世でした。彼は、ザウディトゥ(1876〜1930年、メネリク2世の娘)の遠縁にあたります。ハイレ・セラシエは1916年のクーデター後、ザウディトゥが女帝になると、彼女のもとで、「摂政」兼「皇太子」となって政治を行ってきたのですが、1928年にザウディトゥが政治の表舞台から身を引き、1930年に亡くなったため、ハイレ・セラシエが皇帝となっていたでした。しかし、この第二次エチオピア戦争の時のハイレ・セラシエ1世は、ジョゼッペが成り代わっていた偽ハイレ・セラセエ1世ではないかと思われるのです。*(下のいくつかの写真画像を比べてみてください)

ハイレ・セラシエ1世(1892〜1930年)
(記憶力がとても優れていたというのは、おそらく、すでに録音機を活用していたか、記憶力にすぐれた秘書がついていたかのどちらかではないかと思うのですが。。。)
(上記訂正2014.04.08:「象二郎の人工知能」が脳に入っていて、外部のスーパーコンピューターとつながっているので何でもみな記録されて記憶力が非常に良いようにみえるのです。)

★伝統的な戦士の服を着たハイレ・セラシエ1世
画像拡大 本物のセラシエ1世)
★1930年のタイムの表紙
1930年の画像(本物)
(目つきが偽セラシエ1世とは少し違うし、出ているオーラも違うような)

1942年のセラシエ1世の画像(=ジョゼッペ)
(目つきが本物とは少し違うし、こっちの目のほうが窪んでいてより大きいような)
★★放送中の姿(=ジョゼッペ)
(額にカツラとの境界線がうっすらと見えているような)

▼当時のジョゼッペは、ソ連や満州では、以下の人として活躍していたんです。

レフ・トロツキー(晩年のトロツキー(1928年の写真)の髪型が、やはり晩年の偽・ハイレ・セラシエ1世の髪型とほぼソックリ!)
甘粕正彦(1938〜40年くらいにトロツキーから脳移植で甘粕正彦に入れ替わる)

また、上の★の画像(本物のハイレ・セラシエ)の手を見てください。皮膚の色は真っ黒で、爪の形や色、シワなどに、ものすごく特徴があります。しかし、★★の放送中の偽ハイレ・セラシエ(=ジョゼッペ)の両手は、色の黒さもかなり薄く、爪の色も形も違うし、指のシワも違う感じです。

ところで、この女帝ザウディトゥの娘がエリザベス女王ではないかと以前からわたしは言ってきましたが。。。。おそらく、マーガレット王女もそうではないかと。そして、彼女たちは双子かも?マーガレット王女は1930年生まれということになっていますが、本当は、女王と同じ1926年生まれなのでは。。。双子でも、体格がかなり異なって成長する場合があるらしいので。

そして、この双子の父親がハイレ・セラシエ1世と思われるのですが、それも、ジョゼッペのなりすまし偽ハイレ・セラシエ1世の子供らしいのです。彼女たちは、エリザベス女王の誕生日「1926年4月21日」のホロスコープが『大悪魔女王誕生』に最適だったので、サタニストたちのトップである「シェバ純血種タコたち」に待望されて計画的に生まれたのです。でも、自分たちタコたちのシェバ純血種では小さすぎて、庶民の目に奇異に映ってダメなので、身体が普通サイズになるように考えられ、しかも、サタニストたちの権力者たちのうち、最も極悪な性質の男女が選ばれたのでは。。。それで、シェバ族(シファカが祖)の女王=「ザウディトゥ」(この女王もシェバ純血種ではない可能性あり)と、チンパンジー祖の「ジョゼッペ」が親として選ばれたということに。。。そして、その計画のもとに1925年以前からジョゼッペがザウディトゥとは親しくしていて、1926年に双子の女の子たちが生まれると、その子たちはサタニストたちの特別教育を受ける予定になっていたのでしょう。したがって、母親から早めに引き離される必要があったので(当然、母親は反対したのかも?)。。。ザウディトゥは、1928年に政治の表舞台から身を引き、1930年に死去。本物のハイレ・セラシエは、この頃、サタニストたちに暗殺され、ジョゼッペが偽ハイレ・セラシエになっていたと考えられます。

そして、1930年にザウディトゥが死去した前後頃に、双子たちは、ジョゼッペが引き取り、一人は、最初、孤児院に入れられ(これがチェコの恐ろしい悪魔へのマインドコントロールをする孤児院だったのかも)、その後、引き取られ、ニューヨークに連れていかれ(この頃、モルガン家の娘テルマ・ファーネスが活躍)、ポール・ウォーバーグ(=ジョゼッペ)の子として育てられた後、1931〜33年頃、イギリス王室へ。ミュージカル「アニー」*のモデルらしいです。でも、実際の内容は、ミュージカルとはかなり違ってかなり陰惨だったみたいです。
* ミュージカル『アニー』
『ストーリー』(から一部引用)「舞台は1933年、世界大恐慌直後の真冬のニューヨーク。街は仕事も住む場所もない人で溢れ、誰もが希望を失っていた。 そんな中、どんな時も夢と希望を忘れないひとりの少女がいた。ニューヨーク市立孤児院に住む11歳の赤毛の女の子、アニーだ。10年前に孤児院の前に捨てられていたアニーは、いつか本当の両親が迎えに来ると信じて暮らしていた。」

そして、もう一人は、イギリスのアルフレッド・ロスチャイルド(=ジョゼッペ)が引き取り、もちろん面倒をみていたのは違うひとでしょうが。。。そして、イギリス王室へ。こちらがエリザベスか?あの「モンスター」によれば、双子は引き離され、そして、片方が経験した恐ろしい出来事をすべて、もう片方の姉妹に話した。すると、すべて聞いたほうの女の子が恐ろしい殺人を犯すようになったと書かれていました。そうとすれば、エリザベスとアンはイギリス王室で、再び出会い、アンが孤児院で起きた恐ろしいできごとをすべてエリザベスに話し、エリザベスがその恐ろしい暗示にかかってしまったということなのでしょうか?(それとも孤児院やニューヨークに行ったのがエリザベスだったのにミュージカルも漫画のほうも、わざと逆にして書かれたんでしょうか?それとも、エリザベスがチェコの孤児院に入れられた後、イギリスのアルフレッドに引き取られたのでしょうか?アルフレッドは育てていた女の子に莫大な遺産を残したそうですから)

ザウディトゥ(1876〜1930年、メネリク2世の娘)

子供時代のエイザベス王女とマーガレット王女
(マーガレット王女の顔が帽子の影になり分かりにくいものの、鼻や頬、口元は姉のエリザベス王女によく似ています。また、肩や手脚の感じもそっくりです。双子の身長が違い過ぎるのは、背の低いほうのマーガレットをさらに低く見えるように彼女の座高を少し縦に縮小して画像処理してあるからでしょう。←やや不自然さが見られます。)

イギリス女王エリザベス2世のポートレート
(1943年の写真、1946年20歳の写真、1954年の写真がマーガレットやジョゼッペに似ています。また、何度も言うようですが、現在、公式行事に出席しているエリザベス女王は替え玉で、ブッシュJr.の顔にとってもよく似ているので、ノーサンバーランド公爵家の誰かで、亡くなったことになっているジョージ5世の妃メアリー・テックかも?本物は1960年くらいからほとんど日本にいて、現在も日本にいます。)

プリンセス・マーガレット::世界の王室
(一番下の写真がエリザベス女王に似ています)
画像
マーガレット王女の子供たち
(ややアフリカ系なところのある顔立ちに見えます。メネリク2世にもやや似ています。)

○メネリク2世
メネリク2世
画像
(マーガレット王女はよりこのメネリク2世により似ているような)

★★★★★
というわけで、漫画・アニメ『MONSTER』(モンスター)に出ていた双子の女の子の一方が、ほんとうにモンスターになったというのは、「エリザベス2世」のことのような気がします。もちろん、この物語はフィクションなので、ある程度の事実をもとにしているものの、そうとう脚色してはありますが。。。


ムッソリーニ(冒頭のリンク先Aより): 『第二次世界大戦参戦と失脚』

〜〜〜〜簡略版〜〜〜引用〜〜〜〜〜
1940年 イタリアはイギリス、フランス(ドイツに敗北)と開戦
1941年 イタリアはアメリカに戦線布告し、日独伊枢軸国の一国として第二次世界大戦に参戦
ソマリランド、英領ケニア、英・エジプト共同領スーダン、ギリシャへ侵攻するも不調に終わる。
1943年の連合国軍のシチリア上陸後、ムッソリーニ批判が顕在化、軍部・党内で孤立。ムッソリーニの解任動議が提出される。可決され、失脚、逮捕された。
1943年9月 イタリア新政府は連合国に無条件降伏。
同じく9月に、幽閉されていたムッソリーニは、ナチス親衛隊に救出されローマへと連れ出され、その後、ヒトラーと会い、ナチスが支配していた北イタリアの首班としてドイツ・ナチスの傀儡政権「イタリア社会共和国」を樹立。内政面では社会主義的な政策を推し進めた。1945年、パルチザン(反ファシスト解放戦線)が攻勢になり、ファシスト政権が持続していたスペイン(先にムッソリーニの家族を亡命させていた)に向かう途中、パルチザンに捕まり処刑された。(もちろん、替え玉です!)
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<参考までに、ヒトラーのナチス・ドイツのヨーロッパ侵略の概要>

ドイツでは、ヒトラー(=ジョゼッペ=ナチス政権時代は前半「トロツキー」、後半「甘粕正彦」)が、1933年に政権を執ると、独裁政治に突き進み、軍備拡張、国土拡大などの極右ナチス路線に進んでいった。

1936年 「日独防共協定」を締結(ソ連の共産主義に対抗するため) ←茶番! ソ連のスターリンは仲間
1937年 イタリアが参加し、「日独伊防共協定」を締結
1938年 オーストリア併合
1939年 チェコスロバキア併合、リトアニアにメーメル(バルト海沿岸都市)を割譲させる。
「独ソ不可侵条約」を締結
ポーランド併合
1940年 デンマーク、ノルウェーの占領〜〜〜ベネルクス3国、フランスとヨーロッパを次々に占領
より強力な「日独伊三国条約」を締結→枢軸国の形成に近付く
1941年 ユーゴスラビア併合、バルカン半島併合
ソ連侵攻〜〜〜しかし、後退する(日本の真珠湾攻撃1941年12月)
1943年 ソ連に一元帥が降伏するなど形勢不利。また、北アフリカ戦線も退勢
7月 連合軍がイタリアのシチリアに上陸
弾道ミサイル(V2ロケット)、電動Uボートなどの新兵器開発
7月25日 イタリアのムッソリーニが失脚、休戦
特殊部隊を派遣し、ムッソリーニを救出
ドイツが支配下に置いた北イタリアにムッソリーニを首班とする「北イタリア社会共和国」を樹立
1944年 東部では、ソ連の大攻勢によりナチス・ドイツの中央軍集団が壊滅
西部では、ノルマンディー上陸作戦の成功による第2戦線が確立した。ヒトラー暗殺計画により、元帥などの上級大将を始め4000名を処分(幹部にも自殺を強要される。おそらく、多くは処刑されたのでは)
8月 パリを連合軍に明け渡す。
1945年 4月29日、ハインリッヒ・ヒムラーが英米に降伏を申し出る。


<ナチの逃亡計画>

南米に逃げたナチ残党

上のサイトの「第2章:マルチん・ボルマンによる戦後のナチスの再建計画」のところを見ると、ボルマンの証言から、「1943年にナチス・ドイツ軍が『スターリングラードの攻防』でソ連軍に敗れると、この敗北を冷静に受け止め、その後、いちはやく、ドイツの敗北を前提とする『戦後計画』に着手したのだった。』とありますが、これは、ウソの証言のようです。なぜなら、ベンジャミン・フルフォードさんのブログに、以前、エリザベス女王たちサクソン王族たちが、ヒットラーと密約を交わし、あらかじめドイツの敗北を決定していたとありました。まあ、サタニストたちは、最初からそのつもりだったのでしょうが。イギリスをミサイル攻撃したのも茶番にすぎません!英国「ウィンザー朝」はサタニストたちの世界支配にもっとも有効なご本尊(ほんぞん)がいるような所なのですから、そこを破壊して敗北させるわけありません。

そして、1944年頃には、ナチの幹部などは、どんどん南米や南極に逃亡していったということです。ヒットラー(=ジョゼッペ)とその愛人(シバの女王のひとり)や、ムッソリーニ(=象二郎)とその愛人(もうひとりのシバの女王)たちは、UFOに乗ってスイスイ〜ッと、満州や日本に戻ってきて、またゾロ〜ゾロ〜と悪事を重ねていたんでしょうね!(彼らは、ずっと満州とヨーロッパ戦線の間をUFOで頻繁に行ったり来たりしていたようです。つまり、アジアとヨーロッパの両方を同時にコントロールしていたということです。まあ、タコたちとの事前の計画のもとに動いていたし、下位春吉(しもい はるきち=田部陽子はるこ)以下たくさんのタコたちも陰で盛んに活動していたんでしょうけれど。)

うちの母たちは満州から日本に帰って来る際、満州で日本兵に汽車を止められ、「貴重品(お金や貴金属)は全て出せ、そうしないと汽車を動かさないゾ!」と日本兵に言われ、すべて出したそうです。それが、児玉誉志夫たちで、そうやって大量のお金、貴金属・宝石を取り上げて、戦後、自民党を発足させる資金源にしたとか。。。きっと私服もまたまた肥やしたんでしょうけれど。。。。ファッショの突撃隊やユダヤの収容所送りなどでも相当な資産を強奪したのに〜

まったく”どん欲さ”に限りがないのですね〜この人たちは。。。 そのためなら、どんな残虐なことも。。。  @o@; 呆れた、呆れた〜! Oh, my Gosh !

アッ! それで、象二郎が、いつムッソリーニから(脳手術をして)児玉誉志夫になったかというと、多分、1943年に幽閉されていた頃か、その後、ナチス・ドイツの特殊部隊に救出されたって頃かもしれません。とにかく、すべてはサタニストたちの事前の計画どおりに進められていて、イタリア国王も政府も議会も、そのシナリオどおりに動いただけなんでしょう。だから、ムッソリーニの娘婿である外相や古参ファシストで元駐英大使ディーノ・グランディ伯爵*がムッソリーニの責任を追求し議会に解任動議を提出したりしたのも責任逃れの茶番なら。。。。議会のムッソリーニ総帥解任の可決、そして、ムッソリーニの辞任・逮捕も。。。。きっと、すべてみな茶番です!

* ディーノ・グランディ
by Ulala-lov | 2012-05-06 21:50 | アングロ・サクソン王族