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『極左=極右』 スターリン=リチャード・パール!トロツキー=ヒットラー!レーニン=ムッソリーニ!

ムッソリーニは象二郎だってことが分かりました〜!なので〜結局、「極左」も「極右」も、そのリーダーたちはぜ〜んぶ何千年も生きている「サクソン王族純血種」ということになります〜!

だから、「サクソン王族純血種」トップ・サタニストたちは、時には「極右」になったり〜、時には「極左」になったり〜して、まったく相反する両極の立場から、わたしたちを洗脳や煽動などし、わたしたちを自分たちの思いどおりに長〜い過去の歴史の間ずっと操ってきたし、現在も操っているし、未来も操ってやろうと、いつも長期計画を立てているのです。

彼らサタニスト自(みずか)らが相反する立場へと誘導した個々人やグループ、国々を互いに戦わせ、互いに殺し合わせ、人類の抹殺を計ろうとしているのです!そして、最後に生き残るのは何千年も生きている自分たちとその直系の純血種の子孫だけにするつもり!そして、あと少数の奴隷を残しておき、自分たちがこき使うつもり!なのだとか。。。

だから、『極右(ファシズム、ナチズム)』も『極左(共産主義)』も支配者のトップは同じなんですぅ〜!だから右も左も関係な〜いざ〜ますぅ〜!
イヤミ〜ざます?!シェ〜("@_@,,)

極右さん、極左さん、あなたたちは彼ら大魔女王や大魔王たちに踊らされているだけなのよ〜!! 

目ん玉〜おっきく開けてくださ〜い!♡ ##


<<七変化、いえ、百変化して大衆を煽動してきた大魔王たち>>

★★★奥田元トヨタ社長
=共産主義国家”2代目ソビエト連邦最高指導者”スターリン*
=米国随一の”ネオコン”であるリチャード・パール**

* スターリンの大粛正

『死亡者数』の項目を見ると、50万〜700万人(確定されてない)ものロシアの人々が大粛正で死亡したとのことです。しかし、下のサイト「不思議館」を見ると、スターリン政権下の死亡者数の総数は、累計すると一億人を超えそうです。しかも、拷問や、飢えや、流刑、重労働、処刑などいづれもが非常に陰惨で残虐な方法でなされてることに驚きを隠せません!

不思議館〜大飢餓と大殺戮の恐怖〜 『スターリン血の粛清』
(サイト最上部左にあるマップナビをクリックすると1937年当時のソ連の支配地域が分かります)

上のサイトの一番下の最後の文にラトビアの共産主義の墓碑名には「共産主義死す。1945ー1991年」と書かれているとあるのは、ソ連が共産主義国家だったのは「1917ー1991年」なのですが、ラトビアは1940年にソ連に併合され、その後、1941年にはナチス・ドイツの軍政下に入り、1945年に再びソ連領となったとのことです。

ラトビア

** 先日4月21日の「奥田元トヨタ社長≒リチャード・パールか?」のところで説明

★★★ジョゼッペ(東電の勝俣元会長)***
=トロツキー****
=ヒットラー

*** ジョゼッペのことは以前からの紹介のとおり。本名ジョゼッペ・マッティーニ
東電勝俣会長
2012.3.11以降に起きた福島第一原発事故当時の東電会長として事故を人為的にわざと起こさせ、また被害を拡大させた。(もちろん、巨大地震や津波も、原発事故もブッシュ親子なども含め、サタニストのトップたち全員で仕組んだものと考えられますが。)
****トロツキーやヒットラーについては先日4月24日の記事に書きました。

★★★象二郎
=レーニン*
=ムッソリーニ**


<**ムッソリーニについて>
ベニート・ムッソリーニ :ウィキクォート(発言録)
(帰着とは、「帰り着くこと」)
ムッソリーニ〜goo辞書

しかし、「血のみが歴史を前進させる。」とか、「ファシズムは宗教である。。。」とか、「幸運にも、イタリアの民族は一日に数回食事を取ることにまだ慣れていない。」とかってほんと自己中で、他人には一日一回の食事でいいって言いたいんでしょうか?自分たちは不思議の国のアリスの’いかれ帽子屋’と’3月うさぎ’みたくほぼ毎日364/365(誕生日以外)が「お誕生パーティー」みたいな暮らしをしていて(夜の酒宴が大好きみたい)。また、「社会主義とは、ペテンであり、喜劇であり、幻想であり、ゆすりである。」なんて、自分がレーニンだったにも関わらず、よくもしゃあしゃあと言えますよね〜。立場変わればなんとやら〜ですか?!「また、我々は、腐敗した死体である自由を埋葬した。」とかって、これも恐ろしい独裁者らしい言葉ですね。自分たちは好き放題の、自由奔放な生き方をしていて。。。 まさに「気違いにつける薬なし!」*ですね〜!

*気違いにつける薬なし

映画「愛の勝利を ムッソリーニを愛した女」 l オフィシャルサイト
ストーリー
[上の中からの引用]

「男は急速に変わりゆく世界のなかで、祖国を守るべく、より深く政治闘争へと身を投じた。女は、そんな男のために財産を投げ売って男に与え、その活動を支えた。その男の名はムッソリーニ。そして女の名はイーダといった。」

この「イーダ」という女性は、絶対に「シバの女王」ですよ!色仕掛けで大魔王たちを自分の思いどおりに操って動かし、女王は大金持ち(人々を殺して財産や土地を奪ってきた資産)なので資金援助も喜んでするはず。後で、何十倍、何百倍になって返ってくる投資ですから。。。。

<<では、大魔王たちを裏で操る、最も恐い巫女悪魔は『シバの女王』たち?!>>

ハ〜イ!要するに〜大魔王たちをファシズムに突き進ませたのは、後ろから『シバの女王』たちがハニートラップや有り余る資金を使って一生懸命後押ししてたってことですよネ〜!!!

イントロダクション

[引用]「ファシストになりイタリアの首相になるまでムッソリーニを支え続けた女性がいた。しかし、その存在は近年までほとんど知られていたなかった。なぜなら、彼女イーダは、歴史上から抹殺されていたのだ。それも、彼女が全身全霊をこめて愛し続けたムッソリーニ本人の手によって....。」

要するに〜、『シバの女王』が自分がファシズム先導に関わっていたという証拠すべてを消し去る為に、ムッソリーニにそうさせていたにちがいありませんネ!

ベニート・ムッソリーニ(1883〜1945年)

ウラジーミル・レーニン(1870〜1924年)
(ウラジミールはウルに由来するシュメール系の名前なので、本来、レーニンにはふさわしくない名前なのですが)

<まず、いつから本来のレーニンが象二郎の新生レーニンになったのか?>

上のレーニンのサイトの始めのほうの『生涯』の中の「政治家へ」の項目を見ると、マルクス主義運動家として活動しはじめたレーニンは、1895年に労働階級解放闘争ペテルブルグ同盟を結成するが、12月に逮捕・投獄され、1897年にシベリア流刑されたとあり、1897年7月、彼は社会主義活動家ナデジダ・クルプスカヤと結婚した。そして、1900年に刑期が終了し7月にスイスへと亡命した。」とあります。

おそらく、この1897年の初め頃に、ドイツ(プロシア)のビスマルク***(象二郎)は、シベリア流刑中の本物のレーニン(写真からするとジョゼッペ、象二郎、シバの女王などの子孫)を飛行機でヨーロッパのどこかの大都市の病院に連れていき、自分の脳を移植して新生レーニンになったのではないかと。若返ってレーニンになった象二郎は、流刑中であるはずなのに、早速、結婚し、お金もないはずなのに、スイスにも行けるなんてちょっと普通では考えられませんネ!だから、やっぱり、このレーニンは象二郎にちがいありません。

*** オットー・フォン・ビスマルク(1815〜1898年)
(サイトの真ん中よりやや下のほうの「死去」の項を見ると、1894年より肉体的な衰えが激しくなった。落馬などで血行障害に苦しみ、1897年秋以降には車椅子生活になったとあります。そして、1898年7月30日に息を引き取ったとありますが。。。実際、ビスマルクは、もう1897年にレーニンと入れ替わっていたとすれば、ドイツで車椅子に乗っていたのは「ビスマルクの影武者」でしょう。また、人物のところには、身長約190センチ、体重は123キロ(1879年当時)とあり、だいたいに、本来の象二郎(一番最初の名は不明)も、その子孫も非常に大柄なようです。)

また、この下の『ロシア社会民主労働党の再建と分裂』の項を見ると、「レーニンが流刑地にいた頃、ロシアの社会民主主義者の間では経済主義と呼ばれる考え方が影響力を拡大していた。ツァーリズムを打倒するための政治闘争より労働者の経済的地位の向上を目指す経済闘争を重視するものであった。レーニンはこの経済主義に反対し、広く指示を得た。」とあります。つまり、労働者の生活向上などへの関心は全然なく、ロシア帝国を崩壊させることだけが唯一最大の目的だったのでしょう(新生レーニンは特に)。

<今度は、レーニン(=象二郎)は、いつからムッソリーニになったのか?>

レーニンのサイトの『死去』の項目を見ると、レーニンはしだいに(1921年〜)健康を害していき、1922年からは半身麻痺となり脳卒中と診断される。医者に静養を命じられ、ソ連での政権内での影響力は縮小していったとのことですが、実施は、イタリアでの活動をしていて、車椅子に乗っていたのは影武者だと思われます。1924年に死去。スターリンとの関係悪化についてはでっちあげでは?

つまり、ムッソリーニは、第一次世界大戦末期(1918年終了)に手りゅう弾の暴発で重傷を負った後、35〜8歳くらいで戦死したんでしょう。その直後の1920〜21年くらいからレーニンがムッソリーニ成り代わって(この時は脳移植ではない)、新生ムッソリーニ**になったんでしょう。


画像
(1938年のミュンヘン会議でのムッソリーニ、今までの象二郎の中では一番身長が低いかも?)

先のウィキのレーニンの画像(ムッツリ顔)と、上のミュンヘン会談でのムッソリーニ(ニッコリ顔)の顔を見比べてみてください。表情はかなり違いますが、とてもよく似ています。頭のハゲぐあいが進み丸坊主になっていますが、頭のかたちが全く同じですし、ムッソリーニのほうがやや太っていますが、眉や鼻の形、耳の形がよく似ています。ヒゲでちょっと口元が分かりにくいですが、ヒゲがなければかなり似ていることでしょう。また、顔も太っていてアゴのラインが分かりにくくなっています。それでも、やはりかなり似ていますよね。
by Ulala-lov | 2012-04-27 06:12