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『シバの女王』とは。。。2 -2(コーランとシバの女王、ジン、    大国主命=須佐男命、石見銀山)

4.『砂漠の女王』

引用〜簡略版〜〜〜〜〜〜p.45〜

(旧約聖書の)「雅歌」の女性をシバの女王と見るのは希望的観測だったかもしれない。短くおおまかではあっても、「列王記上」10章*の記述から離れない方がようさそうだ。その章を読めば明らかなように、シバが並外れた女性だったことはまちがいない。聡明で見目麗(みめうるわ)しく、男性優位のセム族の**世界で地位を堅持している女性。この人物像に心惹かれた後世の語り部たちは、女王に魅せられ、驚嘆すると同時に、男性として、何か威圧されるような恐ろしさすら覚えてきた。

* 「列王記上」10章 http://homepage3.nifty.com/IUCC/bible//o1110.html

** 「セム族の」という単語は、もともとは中立的な学術用語で、ノアの息子セムの子孫、すなわち、アラブ人であろうと、中東に住む人々を総称するものとして、1781年に作られた。

聖書に登場したあとやや鳴りをひそめ、1000年以上の歳月を経てから、女王は再び表舞台に返り咲き、当時台頭しつつあったイスラム教の聖典コーランの、「蟻」(あり)と題したスーラ(章)に現れる。

この間(千年の間)に、歴史のひとこま程度の記述は立派な伝説となっていた。登場人物は数を増し、しゃべる鳥や、ジン*と呼ばれる霊魂たち(煙の出ない火から生まれる超自然的存在)も出てきた。シバの母親はジンであり、ソロモンも多くのジンを配下に抱え、古今東西に類を見ない神殿と壮麗な宮殿を建てさせたとされている。コーランに綴られる物語では、ソロモンとシバは、お互いの宗教を押しつけあい反発していたが、ついに、ふたりは男女の仲となり、うちとけ、教訓的な結末を迎える。女王は、「主よ、私は自ら不義を犯しました。今、私は、スライマーン(=ソロモン、コーランでの呼び名)とともに万有の主アッラーに帰依いたします」

今や聖書に加えてコーランという後ろ楯を得たシバの女王の物語は、8世紀〜13世紀にかけてさまざまな形に練り上げられていく。ソロモンはユダヤ人、シバはおそらく古代アラビア人であり、ソロモンが燦然*(さんぜん)たる存在として語られれば語られるほど、シバもその恩恵に浴して輝きを増した。

* きらきらと、いちだんと高く光り輝やくこと

結局、もっとも絢爛(じゅんらん)な*物語を作ったのはアラビア人だった。ユダヤ人と違い、思う存分、手を加え、とっぴな空想をめぐらせるのに不都合がなかったのだ。この背景には、魔術への姿勢の違いがある。聖書は魔術には厳しい。

* きらびやかで美しい

申命記18:10〜12
あなたがたの間で、自分の子、娘に火の中を通らせる者、占い師、卜者、易者、呪術師、呪文を唱えるもの、口寄せ、霊媒、死者に伺いをたてる者などがいてはならない。これらのことを行う者をすべて、主はいとわれる。

コーランでも魔術や魔術師は糾弾(きゅうだん、強い批難)されている。それでもコーランは、聖書からは締め出された魔術の民間伝承を許容している。天使が日々の出来事に果たす役割は聖書よりはるかに大きいし、わけても重要なのは、ジンの存在が信じられていることだ。ジンは、人、動物に次ぐ第三の被造物だと考えられている。ジンが登場すると、断然面白みが増すものだ。善いジンもいれば、悪いジンもいる。ひどく邪悪なジンもいる。オオカミや爬虫類、サル、鳥などに姿を変えるばかりか、人間に化けて結婚したり、交わったりさえする。なによりジンにはすばらしい魔法の力がある。海の底に潜ってソロモンに卵ほどもある大真珠を採ってきたり、ソロモンを魔法の絨毯(じゅたん)に乗せてバグダードの昼餉(ひるげ、昼食)からメッカの夕餉(ゆうげ、夕食)へとひとっ飛びさせたりもする。「そして、空を旅する間に飛び越えた都や島で、ソロモンになびかぬところはなかった」

ソロモンの治める都や島々の壮麗さは、ジンの働きに負うものだが、ソロモンはけっしてジンを信用せず、ジンから片時も目を離さぬようにと、ブドウ酒を飲むときにも透きとおった水晶の酒杯を使った。


♡’うららおばさん’の『ジン』についての感想:

ジンというと、千夜一夜にでてくる「アラジンの魔法使い」*をつい思い出してしまうのですが、この「シバの女王」の本を読んで、また、ヒッタイト人が高度な文明を築いていたシュメール人の国々を次々に征服して、シュメール人の虐殺、拷問、レイプ、奴隷化を繰り返していたことなどを考え合わせると、わたしはこのジンというのはシュメール人のことではないかと思えてくるのです。

* アラジンと魔法使い
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%A9%E3%82%B8%E
アラジンのランプ
http://hukumusume.com/douwa/pc/world/04/22.htm


上の「シバの女王」の本からの引用文の表現をもとにジンのことを推察してみます!

1. 「善いジン、悪いジン、ひどく邪悪なジン、オオカミや爬虫類、サル、鳥などに姿を変えるばかりか、人間に化けて結婚したり、交わったりさえする。」というところは、

善いジン(=シュメール人)とはヒッタイトに忠実によく使えるジンのことで、悪いジン、邪悪なジンとはヒッタイトに反抗したりするジンのことを言っているのでしょう。また、ジンはハンサムなので、ヒッタイトの娘にも惚れられて結婚したり、交際したりしたのかもしれません。オオカミや爬虫類、サル、鳥に姿を変えるというのは、はっきりとは分かりませんが、ちょっとまた後日の記事で書こうかと思います。

2. 「なによりジンにはすばらしい魔法の力がある。海に潜ってソロモンに卵ほどもある大真珠を採ってきたり、ソロモンを魔法の絨毯に乗せてバグダードの昼餉(ひるげ=昼飯)からメッカの夕餉(ゆうげ=夕飯)へとひとっ飛びさせたりもする。」のところは、

ジンがダイビングが得意だったことや、すでにその時代に飛行機のような乗り物を造り、それを操縦していたことが分かります。

3. 「ソロモンの治める都や島々の壮麗さは、ジンの働きに負うものだが、ソロモンはけっしてジンを信用せず、ジンから片時も目を離さぬようにと、ブドウ酒を飲む時にも透きとおった水晶の酒杯を使った。」のところは、

ヒッタイトの都はジンの優れた建築技術による壮麗な建物群で築かれていた。また、島々もうまく美しい環境で管理されていた。ソロモンがジンを信用せず、常に監視していたというのは、ジンが逃げるのもまたうまかったのでたくさんのジンが逃げてしまった経験からくるものだったのでしょう。

ヒッタイトの王たちはジンのすばらしい能力をすべてのことに利用しながらも、それに圧倒されるようで、妬(ねた)ましくもあり、それに敬意をはらうどころかやや苦々しく思っていたことがなんとなく伺えます。また、特に優秀なジンには特別な家臣としての地位が与えられていたかもしれません。

この『ジン』というシュメール人の呼び名は、自称なのかヒッタイトによる呼び方なのかは分かりませんが、日本では『仁』という語につながっているようです。つまり、仁義*の「仁」で、『儒教』**の中心的な思想だそうです。そこから、『人(』ジン、ヒト)につながったのかもしれませんね〜。

* 仁義
http://gogen-allguide.com/si/jingi.html

** 儒教
http://www.ijournal.org/world/confucianism.htm

それは、日本の先住民である『蝦夷人』であり、その王族で、おそらく、B.C.500年頃ペルシャ→インドから渡来した大国主命(オオクニヌシノミコト)などの『蘇我氏』であり、その後の平家一族だったであろうと推察されます。

実は、みなさんもご存じの2007年に世界遺産(文化遺産)となった『石見銀山』*のある場所には、仁が住んでいただろうと思える地名がいくつかあります。まず、石見銀山の歴史などをちょっとかじってみてください!

* 石見銀山
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9F%B3%E8%A6%8B
%E9%8A%80%E5%B1%B1

石見銀山資料館:歴史入門
http://fish.miracle.ne.jp/silver/history/introduction.html

戦国時代に沖合から山が光るのを見て銀山を発見したという、この博多の神谷寿亭という商人は、おそらく、シュメール系の人でしょう。彼らは鉱物に関しても非常に詳しい知識を持っていたみたいですから。

しまねバーチャルミュージアム 石見銀山
http://www.v-museum.pref.shimane.jp/special/vol06/
:歴史
http://www.v-museum.pref.shimane.jp/special/vol06/history/index.html

石見銀山の銀を目当てに1543年にポルトガル人が初めて日本の種子島にやって来て鉄砲を伝えたんですね。そして、絹を中国から持ってきて、日本から銀を得る貿易をするようになった。その後、あのイエズス会宣教師のフランシスコ・ザビエルも1549年に日本にやってきてキリスト教の伝道をしたのですね。なぜか学校の日本史では、そんなことゼンゼ〜ン学びませんでしたね〜!なにか、藤田ホールディングの親分ウィンザー朝が秘密を隠してるんじゃあ?今でもいろいろな鉱石(金、銀、銅、他など)をけっこう産出してたりしてね。。。

そういえば、奥出雲の中学校に勤めていた時に、英語の弁論大会が石見の江津(ごうつ)という所であったので、奥出雲から山を越えて大田市のほうに下っている時、反対方向から登ってくる砂利のようなものを積んだ5トンくらいの大きな大きなトラックと3台続けてすれ違ったことがありましたよ〜(道幅がなく道路が狭かったので、山道から落ちそうですご〜く恐かったです〜!)。すると〜、中国山脈を越えて広島のほうに出て岡山を経て、兵庫県の神戸製鋼あたりで精製してるんじゃないでしょうかね?ネ! 秘密にしておけば税金払わなくて済むしね〜! +o+;

★現代の日本の高度な掘削技術なら、きっと下部の永久鉱床の掘削もちょちょいのちょいなのだ〜!
それで、日本語の話せない中国人労働者とか使えば安いし、口止めにもなるし〜。

石見銀山
http://inoues.net/club2/iwami_ginzan.html

石見銀山のご案内-島根県大田市観光サイト


>>> 思わぬところで、だいぶ話がそれてしまいましたが、『仁』の話に戻りましょう!

石見銀山は今は大田市になっていますが、大昔は佐摩郡(さまぐん)というところだったらしです。実は、つい最近の市町村合併の前には、大田市大森町と邇摩郡仁摩町(にまぐんにまちょう)大国(おおぐに)というあたり一帯が石見銀山だったのです。佐摩→なぜか邇摩になったと考えられます。そして、近くに『仁万』(にま)という鞆ヶ浦(ともがうら)港や仁万漁港をもつ半農半魚の町があります。仁万って仁(じん)が万(まん)もいるってことは、シュメール系がいっぱいいた土地だったのではないでしょうか?
(*ちなみに、邇摩郡仁摩町仁万は「にまぐんにまちょうにま」と読みますよ〜 仁万が基本なのでしょうね)

仁摩町というのは、昭和20年代に邇摩郡の仁万町(にままち)、大国村(おおぐにむら)、宅野村(たくのむら)、馬路村(まじむら)が合併して仁摩町となったらしです。そして、邇摩郡は、湯泉津町(ゆのつちょう)と仁摩町の二つの町から成っていたのです。現在、邇摩郡は大田市に組み入れられています。

どうも、『大国』というのは、なにか『大国主命』(オオクニヌシノミコトJ)に関係のある所のような気がしてなりません。

さらには、仁摩町の隣には大田市の「五十猛町」と隣接しているのです。『五十猛』(いそたけ)って、あの大国主命の息子『五十猛命』*(イソタケルノミコト)に由来しているのではないですかね〜?

* 五十猛命
http://kamnavi.jp/it/izumo/index.htm
(本来は須佐男命=大国主命です。A.D.2~3C頃に渡来した扶余[プヨ]のフツシこと自称「須佐男命」は'なりすまし'です。大国主命たちが五十猛から上陸したのでしょう。フツシたちは出雲の日御崎[ひのみさき]、平田町[ひらたちょう]あたりから上陸したとのことです)

ということは、大国主命も、銀山から銀を掘り出し精製していたのかもしれません。前にも言いましたように、なにしろ、シュメール人の王たちは鉱物にも卓越した知識を持ち、加工もしていたようですから。

大田市市町村
http://www.exblog.jp/myblog/entry/edit/?eid=e0172152&srl=15112954
島根県の中の大田市の位置
http://www.exblog.jp/myblog/entry/edit/?eid=e0172152&srl=15112954

大田市五十猛町大浦団地
http://www.its-mo.com/search/addr/%E5%B3%B6%E6
%A0%B9%E7%9C%8C%E5%A4%A7%E7%94%B0%E5%
B8%82%E4%BA%94%E5%8D%81%E7%8C%9B%E7%

出雲・石見の五十猛命
http://kamnavi.jp/it/izumo/index.htm#zkara
(上の大田市市町村の地図を見ると、「大屋津姫命」の名前にちなんだ『大屋』という地も五十猛に隣接してあります〜)

上の五十猛の大浦団地の地図を見ると『新羅神社』*というのが載っていました!新羅*(しらぎ)といえば、元は「辰韓」**という国で、B.C.2C末ごろに、中国の「秦」の苦役を逃れてきた者たちが築いた国家です。おそらく、シュメール系の漢民族でしょう。その人たちが後に大国主命の子孫を頼って渡来してきたのかもしれません。

* 新羅の建国
http://www2s.biglobe.ne.jp/~t_tajima/nenpyo-2/ad356a.ht
新羅こそ現代日本に最も深く繋がる朝鮮半島の古代国家
http://blog.kaisetsu.org/?eid=812208

*** 辰韓
http://inoues.net/korea/zenranandoh1.html
そもそも日本列島は古来から東韓列島と呼ばれており...
http://unkar.org/r/liveplus/1258613492
(タイトルは過激ですが、なかなか目から鱗の内容です)

*新羅神社
韓神新羅神社
http://event.jr-odekake.net/spot/17487.html
http://www.visit-ohda.jp/595.html
(日本書紀はウソが多いです〜、藤原不比等が編纂したんでしたっけ)
新羅・しらぎ・しんら・シルラ:極東ブログ
http://finalvent.cocolog-nifty.com/fareastblog/2004/09/post_5.html





2-3につづく
by Ulala-lov | 2011-05-14 22:09