2011年 04月 18日
ハザール(カザール)王国と偽ユダヤ(アングロサクソン王族)
* ジャック・オットー博士のスピーチのビデオが載っていたサイト
「敵に塩を送る」 ;はやくJAMSTEC職員を拘束し、「ちきゅう」を拿捕せよ! 〜 Kazumoto Iguchi's blog
http://quasimoto.exblog.jp/14598814/
わたしがコメント欄に書いたようにハザール王国というのは、アングロサクソン王族を支配階級とする国で、ゲルマン系の諸民族からなっていたようです。しかし、現在のトルコ=アナトリア半島に関する、歴史のことは、ちょっと大雑把(おおざっぱ)に書いてしまったし、正確ではなかったところもありましたので、もう少し丁寧に説明してみたいと思います。
まず、アナトリア半島に、古代住んでいたのは、以下のような民族のようです。
(アナトリア半島に存在した主な諸文明のところを見てください!)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%
8A%E3%83%88%E3%83%AA%E3%82%A2%E5%8
D%8A%E5%B3%B6
☆ つまり、おおよそ、以下のような民族に支配されていたようです。
B.C.60~20C ハトウシャ(ヤペテの子孫ケルト人)
B.C.20〜10C ヒッタイト(ハムの子のひとり「カナン」の長男ヘテの子孫、元はケルトだけれど、現地人との混血が多い。ただし、サクソン王族の頂点にいる直系の家系は、白人ケルト人(=祖先のノア=彼らの主張するアーリア人?)の純血を重んじ、近親結婚を繰り返している。
B.C.10〜4C フリュギア、リディア(=ヤペテの子孫が反撃し国土を取り戻した? )
ただし、 トロイなど東海岸部は、紀元前1200年頃に、あの有名な「トロイ戦争」*で、古代ギリシャ軍=マケドニア、スパルタ人王族を中心とした連合軍=アングロサクソン王族に征服されたのですが。それ以後、フリュギア、リディアも王国名はかわらないものの、しだいに征服されていったのかもしれません。
* トロイ戦争 http://www.jp-tr.com/icerik/efsane/truva.html
B.C.6〜4Cごろ アケメネス朝ペルシャ(セムの子孫)が支配。
B.C.4〜1C 古代ギリシャの支配。
アレキサンダー大王(古代ギリシャ統一王でマケドニア人)が東方遠征し征服。その大王の死後、大王の部下のマケドニア人が王となりセレウコス朝シリアとして支配。ただし、古代ギリシャの統一王は、マケドニア人(=ヌビア=シェバ人)ですが、スパルタ(=ヒッタイト人)も非常に深い同盟関係にあり、婚姻などでかなり混血しあっていたと思われます。つまり、アングロサクソン王族の支配が復活したということです。
B.C.1Cごろ ローマ帝国に征服される。といっても、マケドニア人=サビニ人なので、ローマ帝国の貴族階層とはなじみが深いから、そのままローマ帝国領の現地支配者として君臨していたのではないでしょうか?
A.D.4〜7Cごろ 東ローマ帝国の領土となる。
東方のアジアからフン族が攻撃してきたため、古代ローマ帝国がしだいに崩壊していった。ラテン人?(ヤペテ系ケルト+’サビニ=シェバ’=アングロノルマン王族)と、アングロサクソン王族(’カナン=ハム系ケルト’+’マケドニア=シェバ’)とに別れて戦い、『アングロノルマン王族』が「フランク王国」を築き、『アングロサクソン王族』が「西ゴート王国」や「東ゴート王国」や「ハザール王国」を築いたということではないでしょうか?
アナトリア半島の歴史について、以下のサイトで、分かりやすく図解してあります。
トルコ共和国の歴史 アナトリアに去来した国々 オスマン帝国の盛衰
http://www.geocities.co.jp/yukyunoyakata/rekishi/toruko-rekisi1.htm
ハザール帝国の復活 〜中杉 弘のブログ
http://blog.livedoor.jp/nakasugi_h/archives/55076669.html
(ロックフェラーがもともとそうなのか?よく分かりません。ナチ一派に脅迫されているだけなのかも?)
アングロサクソン王族にも、いろいろな系列があって、ヘッセン家(ザクセン・コーブルグ・ゴータ家を含む)がハザール人ということ? そして、ウィンザー朝は黒い貴族。しかし、どちらも、共に、歪んだシオニスト(本来の意味は違うはずです)であり、ナチズムを信奉しているということですかね?
この記事は、まだ書きかけです。