人気ブログランキング | 話題のタグを見る

(続7)幕末〜明治維新を駆け抜けた志士龍馬をヤッたのは誰?

(この記事は、先月、1月21日の続きです)

<龍馬とトーマス・グラバー >

幕末の日本に、アングロサクソンの王族・貴族であるアイゼンベルグとジョゼッペが工作員として来るくらいですから、ケルト系(人間)としてやって来た「トーマス・グラバー」も貴族くらいの人でしょう。ケルト系(人間)の王族は、日本がアングロサクソン王族の餌食に、つまり、植民地化されないようにするために、日本を助けるためにトーマス・グラバーを派遣したのでしょう。もちろん、グラバーだけでなく、神戸や横浜にもジャーディン・マセソン商会の取り次ぎ会社があったようですから、ケルト系の他の外人たちも同じ意図でやってきていたのでしょう。でも、グラバーがなぜか彼らの中では一番有名みたいです。やはり、長崎という立地と、また、龍馬と結びつき幕末に最も中心的な働きをした外国人だからでしょうか?

ケルト系王族は彼らアングロサクソン王族の恐ろしさを身を以て十分に知っていますから、ペリーの黒船が浦賀にやってきて武力で江戸幕府を脅し通商条約を提携させたことから、もう開国を鎖国にもどすことなんてできないと分かっていたでしょうし、アングロサクソン王族たちが江戸幕府の討幕を企(たくら)んでいることしも見抜いていたのでしょう。だから、グラバーは、土佐藩を脱藩してどこの藩にも属していない自由な身分の憂国の志士「坂本龍馬」を見込んで、ちゃんとアングロサクソン王族の企みやその恐ろしさについて話して聞かせたのではないでしょうか? 

そして、とにかく、彼らアングロサクソン王族に対抗するには、日本が西洋諸外国に対抗できるほどの軍備を整えることがまず先決なので、龍馬に「亀山社中」という武器・軍船の売買を仲介する会社をつくらせて、アングロサクソン王族に狙われている幕府や西南有力諸藩が早く軍備を整え対抗できるように手助けをしたのでしょう。そして、若い藩士たちが英国留学するのも手伝い、近代化に向けた人材育成への援助もしたのでしょう。また、当時、武器を売っていたのはグラバーだけではなく、先に述べたアングロサクソン系「東洋銀行」の取り引きの大きさからいって、アングロサクソン系商社がたくさん存在しグラバー以上に多くの武器を幕府や諸藩に売っていたと推測されます。しかし、おそらく当時でも最新鋭の武器や船はグラバー商会しか取り扱っていなかったのでしょう。というのも、スコットランドは近代のあらゆる名だたる発明に一番貢献していますし、工業化、製品造りにもいち早く取り組んできたようですから。それで、グラバーは、幕府にも、西南有力諸藩にも、望まれて武器を取り引きしていたのでしょう。

しかしながら、その後の西南諸藩の藩主の後継者たちはアングロサクソン王族たちに血筋を乗っ取られた傀儡の藩主だったと思われますが、ジョゼペたちアングロサクソン王族たちは、最終的には日本を内戦に持ち込んで、殺し合いをさせたかったので武器購入には積極的だったのでしょう。それに、自分たちアングロサクソン王族系武器商社に武器を売らせて儲けさせたいという意図もありましたし。西南諸藩には平家の生き残りの血筋が多かったので、外国や幕府と戦争をさせて、大勢の犠牲者をださせるつもりだったのではないでしょうか?

徳川慶喜と戊辰戦争 [茨城県立歴史館]

戊辰戦争史
旧幕府軍の榎本武揚*と土方歳三(=ジョゼッペ)は、すでに西軍側のものとなっていた函館を奪還すると称して函館に向かい、函館を一時的に奪回したのですが、「西軍」(薩摩・長州の新政府軍)が追っ手を差し向けるのは最初から分かっていたことです。榎本も土方も、函館を一層の混乱に貶(おとし)め、戦争を継続し、より多くの幕府側についていた蝦夷系(=ヤハウェ系)の人々を大量虐殺するのが本来の目的だったのです。

*榎本武揚〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
ジョン・万次郎は、おそらくアイゼンベルグでしょう。その万次郎の私塾で英語を学んでいたということですからマインドコントロールされていたんでしょうね。また、父親が備後国(岡山県などと共に「吉備国」の一部でしょう)の現在の広島県福山市出身ということですから、昔から吉備津彦**の子孫「中島家」の勢力範囲にあってはサクソン王族の可能性大です。そして、江戸で生まれた武揚は、「榎本みつ」と結婚し養子になります。この榎本も同じくサクソン王族でしょう。ですから、土方も榎本もわざと茶番を演じて函館を再度戦火に陥れ、函館の人々を虐殺し、その後、サクソン系の人々を函館に入植させたのでしょう。

**桃太郎伝説〜古代史の扉
何度も言うようですが、『温羅』(うら、浦)は鬼ではなく、「元祖大和王朝」に仕えて、岡山一帯の地域を長〜く平和に治めていたヤハウェ系王族のその地域の豪族で、そこの立派な山城の城主でした。

鬼は「吉備津彦」たちサクソン王族のほうで人々を苦しめたり、強盗を働いたり、残虐に殺したりしていたのでしょう。現在の岡山県総社市(そうじゃし)の『血吸川』は、新大和政権が遣わした吉備津彦たちの大軍が、温羅たちを打倒するために温羅の兵士やその地の大勢の住民を虐殺し、大量の遺骸を川に捨てたために、その川の水が血で赤くそまったことから命名された恐ろしい名前なのでしょう。さらに、吉備津彦たちは、城主「温羅」やその一族を最も残虐な方法で殺しています。おそらく、釜茹でにしたり(だから山頂の城跡に釜を祀っているのでしょう)、首を曝(さら)した後、犬に喰わせるなど創造を絶するほど残虐の限りをつくしています。


また、桃太郎こと吉備津彦は、おそらく象二郎。そして、サルは「ジョゼッペ」、キジは「木島」姓(田部タコか中島タコか?)、犬は「犬飼」姓(アイゼンベルグの子孫)というサクソン王族の家系なんでしょう。

ところで、わたしの短大の時の同級生にやはり「榎本」さんという女の子がいて、大分の出身で家は果樹園を経営していると言っていましたが、今考えると本当かどうか怪しいと思われてきました。多分、榎本武揚の子孫かも?この榎本さんとわたしは短大の寮でも入学直後に同室でしたが、なかなかの人で何となくジワ〜と除け者にされていたような感じでした。もう一人いた同級生の女の子で節子さんという人も岡山出身で気が強く***、また、榎本さんと結託していました。もう一人は2年生の先輩で長崎の人で皆も認めるほどの気の強い九州女性でしたし。。。大変でした〜!!(茶道クラブの先輩にも「○○ちゃんと一緒なの〜可哀想に!」って言われました)〜〜;でも、もう遠い過去のことです〜

***昼間、授業の空き時間に寮へ帰っていて節子さんと一緒になったのですが、彼女に「今からちょっと寝るけど目覚ましが鳴ったら起こしてね」って言われて、目覚ましが鳴ったのでちゃんと起こしたのですが全然目覚めず。それでも一生懸命名前を呼んで身体を揺すったりしたのですが結局ダメでした。それで、仕方なくあきらめたのですが。。。その後、20分後くらいに起きてきて、わたしに「なんで起こしてくれなかったの!」って怒るは怒るは。。。。「何回も呼んで起こしたけど起きなかったから。。。」と言っても聞き入れてくれずすごく怒ったままでした。あ〜あ!でも、やはり、今考えると、"わざと" だったような気がします〜  セツ、節子は、サクソン王族などの名前です。だって、エジプト神話にあるようにセツ(男)は兄を惨殺して、王位を奪ったというセツです。まあ、節子さんにもいろいろな人がいますから、すべてのセツ、節子さんが怖い人ではないでしょうけれどね。(まあ〜、彼女たちもQベス、その他のシバの女王たち、つまり「イルミナティの女子リング」のトップの命令でやったのでしょう)
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜


グラバー考 〜れんだいこ
リンク先のフリーメーソンに関してはかなり嘘が多く、サタニストに乗っ取られて書かれている部分だと思われます。また、グラバーに関しても幾つか間違った説明がありますが、グラバーがフリーメーソンのメンバーだったのいうのもちょっと怪しいような。もし、そうだとしたら、(何の実権もも持たされないけれども)仕方なく一応メンバーになっていたのでしょう。後に詳しく説明しますが、グラバーは死の商人ではなく、日本が西洋の植民地にならないように日本を守るため、特に人間たちをサクソン軍団から守るためにやって来たのです。決して金儲けのために来たわけではありません。後年のグラバーの巨万の富は、グラバーの両親からの相続です。スコットランドの旧名門貴族の出身だったようですから。


フリーメーソンは、もともと石工職人の職人組合だったとありますが嘘でしょう。(メーソン*は石工組合だったかもしれませんが。)おそらく、メーソンはケルト系の長という意味で、「ケルト」の直系の王族、おそらく、ユリウス氏族のことだと思われます。ですから、フリーメーソンというのは、そのメーソンからフリーになるということ。つまり、アングロサクソン王族たちが、西ローマ帝国崩壊後に、フランク族(ヤハウェ系が中心の多種民族の混合)との戦いに負けてから西ヨーロッパ(現在のフランス、ドイツ、イタリア)で、ケルト系王族の支配下に入り、特に、ドイツのサクソン一族は、メーソンの直属の支配下に置かれたため、そのメーソンから解放されたいという意味で、メーソンを打ち負かすということなのです。ですから、フリーメーソンというのは、アングロサクソン王族が創った秘密結社に違いありません。ですから、トーマス・グラバーはフリーメーソンではなかったはずです。ジャーディー・マセソン商会もしかり、香港上海銀行もしかりです。

*メイヤーmayer は、英語で「市長」という意味です。ケルト系はそもそも中央集権的な国家政治をあまり好まず、ギリシャのように多くのポリス(=都市)が集合している状態の政治形態を好んでいたようです。つまり、それぞれの都市が独立した自治権をもっているということでしょう。一方、アングロサクソン王族は、中央集権化した絶対君主制政治や寡頭政治や独裁政治などの政治形態を好むようです。彼らがギリシャに侵略した際は、先に定住していたヤペテ系のポリスが無数にできてしまっていたので、地理的な事情からもそれを取り入れたのでしょう。

新説・日本の歴史
第8弾 天皇権を奪おうとした人
聖徳太子は、おそらく蘇我入鹿(そがのいるか)で、西暦646年の「乙巳の変」(いっしのへん)という皇極天皇(シバの女王)、中臣鎌足(ジョゼッペ)、中大兄王子(後の「天智天皇」=象二郎)たちの起こしたクーデターでに暗殺(惨殺)されました。でですから、天智天皇は独裁政治を行っていたと考えられます。そして、「天武天皇」は平氏(ヤハウェ系)の天皇ですから、きっと「天智天皇」の無謀で残虐な政治から民を救おうとクーデターを起こしたに違いありません。また、平安京を築いた「桓武天皇」(かんむてんのう)も平氏(ヤハウェ系)ですから、蝦夷(えぞ)民族(ヤハウェ系)を討伐するのに熱心なわけがありません!だから〜坂上田村麻呂もそんな討伐してませんね〜。きっと「源頼朝」(みなもとのよりとも=象二郎系)が大規模な蝦夷討伐隊を東北地方に派遣したんでしょう!その隊長が「源義経」(みなもとのよしつね)ことジョゼッペだったのです!(これは確か)

ここのサイトをみると、坂本龍馬は天皇制も幕府も排して、諸国の代表を選出した代表による共和制政治を考えていたと書いてあります。もし、そうだとすれば、その当時の日本は特に、西南有力諸藩は、『勤王』(=天皇を中心とした国家)でみなまとまっていたわけですから、朝廷や他藩に知れたらそりゃ暗殺されますよね〜!  ちょっと龍馬はちょっと先に進み過ぎていたんでしょうかね? 

ところで、ちょっと、待ってくださ〜い!! 龍馬は、『船中八策』*を後藤象二郎に提案し、象二郎はそれを土佐藩主「山内容堂」に伝え、容堂によって将軍「慶喜」に建白書*が献上されたのです。そして、慶喜の大政奉還へと至ったのです。ですから、下のサイトを参照すると分かるのですが、「天下の政権を朝廷に奉還せしめ、政令が朝廷から出るべきこと」とありますから、朝廷が政権を取り戻すということですから天皇制が維持されるということです。だから、龍馬が、日本を共和制国家にする気だったということはちょっと考えられないのですが。。。

坂本龍馬の船中八策 〜 「明治」という国家
* 明治前期の建白〜建白書の時代〜
(要は、お上に対する意見書ということみたいですね)

「今日は何の日?徒然日記」より
坂本龍馬の「船中八策」土薩盟約そして大政奉還へ....
http://indoor-mama.cocolog-nifty.com/turedure/2010/06/post-2828.html
幕府・朝廷〜ともに歴史が動いた10月13日「討幕の密勅」
http://indoor-mama.cocolog-nifty.com/turedure/2010/10/post-2828.html
王政復古の大号令
http://indoor-mama.cocolog-nifty.com/turedure/2006/12/post_94ed.html
討幕が決定的となった薩摩藩邸焼き討ち事件
http://indoor-mama.cocolog-nifty.com/turedure/2008/12/post-bd26.html
(西郷隆盛が江戸でテロを起こし、幕府と朝廷を戦わせる切っ掛けを作る画策をしていたとありますが、それは西郷ではなく、おそらく「内田」という「久光」の家令の案だと思われます。***下の文の中の同じマークの所を参照)

☞ (ちょっと、寄り道)▷▷▷
また、「西郷隆盛の死」ですが、ここにも、ジョゼッペの関与が伺えます。

西郷隆盛のホームページ「敬天愛人(けいてんあいじん)」より
第四話 「島津久光の誤算」

この話の中のやや終わりのほうに出てくる、久光の家令(=英語ではスチュワート、執事、政治などでも王の次に重要な役職)である「内田政風」***というのは、あのジョゼッペが「内田」という姓を明治維新期から現在も名乗っていることから、ジョゼッペ本人または、その息子ではないかという気がします。それで、久光の心を上手く操り、西南戦争を画策し、大久保も西郷も互いに両成敗させられてしまったのです。実際は、ジョゼッペの命令でアングロサクソンのスパイに暗殺されたのでしょうが。これで、アングロサクソン王族たちは、明治政府を一層操りやすくなったというわけです。

大久保利通

他にも、伊藤博文など多くの幕末〜明治維新期を命をかけて駆け抜けた名だたる志士たちが明治初期までにほとんど暗殺されているのです。長州に関していえば、スコットランドで造船技術を学んだ山尾庸三や鉄道技術、鉱山技術を学んだ井上勝や理科・自然科学(造幣なども含?)を学んだ遠藤謹助などは必要な人材だったので重用されたので長生きし、井上馨のように悪に染まった者も長生きしたようですが。伊藤博文は、朝鮮の韓国統監府の初代統監に就任した際、中国のハルピンで韓国の民族運動家「安重根」(あん・じゅんぐん)に暗殺されています。日露戦争や日本の朝鮮併合にも反対した平和主義者だったらしいので、アングロサクソン王族には邪魔な存在として消されたのかもしれません。

(元の道に戻ります〜) ▷▷▷


薩摩の砲撃で戦闘開始!〜鳥羽伏見の戦い
戦場に翻(ひるがえ)る錦の御旗〜鳥羽伏見の戦い・3日目

徳川慶喜の敵前逃亡^その本心は?
(すべて、アングロサクソン王族のシナリオどおりに動かされているジョゼッペの息子「徳川慶喜」売国奴さんでした〜! )

徳川慶喜の敵前逃亡〜その原因は御三家にあり?
鳥羽伏見の戦い終結〜大阪城の炎上はもののふの魂
(なんだか、将軍慶喜は、自分たちトップの者は敵前逃亡するのに、「たとえ城が焦土と化しても戦い抜こう」なんて言って兵士を自殺させる算段までしておくなんて、ほんとうに慶喜やジョゼッペは悪魔たちだわ!こういう人をバカにした冷酷なことを平然とやるのが彼らアングロサクソン王族たちです! シッカリ、心にとどめておきましょう!)

(2月2日につづく)

*コメント欄も見てくださいネ!
by Ulala-lov | 2011-02-01 12:12 | 幕末と坂本龍馬