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ファシズムの始まり 'サヴォイア王’と 'ゲッペルス' 1

ファシズムの始まりは、ドイツのヒットラーかと思っていましたが、なんとイタリアのムッソリーニのほうが先だったとのことです。そして、そのムッソリーニを操っていたのは、当時のイタリア国王で、もともとサヴォイア王家の国王で、イタリア王「ヴィットーリオ・エマヌエーレ3世」なのです。ムッソリーニやエマヌエーレ3世にファシズムを教え、さらに、その後、ドイツでナチス・ヒットラーを指導していたらしいのが『ヨーゼフ・ゲッペルス』という人物らしいのです。

***ムッソリーニを支援していたのはイタリア王国の第3代国王の『ヴィットーリオ・エマヌエーレ3世』でした。

***ヴィットーリオ・エマヌエーレ3世
アイゼンベルグにソックリ!(写真の頭頂部はわざと山型に、鼻もスティック鼻に写真修正してあるような。。)

母マルゲリータと少年時代のエマヌエーレ3世
★老年のエマヌエーレ3世と王太子時代や少年時代のエマヌエーレ3世とは耳の形や頭の頭頂部の形が違っています!!少年・青年時代の顔は、庄司さん=サクス・コーブルグ・ゴータ公カール・エドゥアルトに似ています!!!なので、晩年に、「エチオピア帝国」に侵略***したりしていたエマヌエーレ3世はアイゼンベルグ100% が変装していたのかも?(頭頂部も山型もカツラ?)また、母「マルゲリータ」は『新生ヴィーナス』(=梶美奈子さん)によく似ています!(イタリア王国のエチオピア帝国へ侵略は末尾で詳しく説明します)

(その父親は)
***ウンベルト1世(1844~1900、イタリア王国の第2代国王)

比較的若い頃(でも中年?)のウンベルト1世・・・A
アイ・ジョージ 動画集・・・B
Aの画像とBの若い頃の動画を比べると、よく似ているのが分かると思います。

アイ・ジョージ ウィキペディア
昔、アイジョージさんという歌手が居ましたが今お元気。。。… - Yahoo!知恵袋
熊本でキリスト教の幼稚園を開いているとか。。。
聖母幼稚園・ようあいえん
アイ・ジョージ 画像集
伊豆高原駅に「アイ・ジョージ」現る! l ワイワイの伊豆だより
あら!この最近の(2012年)のアイ・ジョージさんの写真は、公明党の元代表で、現在、第2次安倍内閣の『太田昭宏』(おおた あきひろ)国土交通大臣によく似ているじゃないですか?
国土交通大臣 太田 昭宏 (おおた あきひろ) l 第2次安倍内閣 閣僚名簿

太田昭宏が「池田は信心ゼロ」発言 - SOKAの悲劇
太田氏のほうが池田元会長より偉いから、こんなことが言えたのでしょう。そして、これは池田大作氏の実像が暴かれたために、自分は違うということを示したかったのでしょう。こんなの卑怯な茶番劇で、創価学会員の批判をかわし、心をつなぎ止めるための演技です。

太田昭宏 ウィキペディア
太田昭宏氏を国土交通相に起用、適任だと思いますか? l ゼゼヒヒ - インターネット国民投票

http://ja.uncyclopedia.info/wiki/太田昭宏 アンサイクロペディア

太田昭宏 画像集
第21区(立川市・昭島市・日野市)小田原 潔(おだわら きよし)さん (48歳):自民党東京都議連
この小田原潔氏って、太田大臣にかなり似てますね〜!息子さんでしょうか?

『ウンベルト1世』の父はイタリア王ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世。母は神聖ローマ皇帝レオポルト2世の孫娘で、ロンバルト=ヴェネト副王ラニエーリの娘マリーア・アデライデ・ダズブルゴ=ロレーナ*。アオスタ公爵で一時スペイン王となるアメデーオ(アマデオ)、ポルトガル王妃マリア・ピア・デ・サボイアらは兄弟姉妹にあたる。また王妃であるマルゲリータ・ディ・サヴォイア=ジェノヴァ**は同族の従妹である。

*マリーア・アデライデ・ダズブルゴ=ロレーナ
マリーア・アデライデ ・ダズブルゴ=ロレーナ 拡大画像
少年時代のウンベルト1世と王太后マリーア・アデライデ

**マルゲリータ・ディ・サヴォイア=ジェノヴァ
先のエマヌエーレ3世の少年時代に撮った写真とはイメージがやや違います。『新生ヴィーナス』のクローンかも?(それとも、肖像画なので画家によって違う感じになるのでしょうか?)

(その父親の)
***ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世(1820~78、イタリア王国の初代国王)
★象二郎に似ています!!
『生い立ち』(から一部引用)「1820年3月14日、サヴォイア王国の首都トリノにおいて、王家であるサヴォイア家の一族として生まれた。ヴィットーリオの父カルロ・アルベルトは、サヴォイア家支流でカリニャーノ公トンマーゾ・フランチェスコを祖とするサヴォイア=カリニャーノ家の当主であった。」

『イタリア統一の三傑』と呼ばれるジョゼッペジョゼッペ・ガリバルディやジョゼッペ・マッツィーニやカミッロ・カヴール(181~61、サルデーニャ王国首相、イタリア王国首相・外務大臣)のうちの最も中心的な指導者だったガリバルディから征服地をヴィットーリオ・エマヌエーレ2世に献上したとのことです。その活動とか姿とか顔の感じからは非常にアイゼンベルグ的な印象がするのですが、鼻や目や眉などが人造ロボットの特徴的な顔立ちなので。。。? それとも、アルバート・ヴィクター=アルバート・パイク*もアイゼンベルグ100%が顔をわざと造っているか、シリコーンゴムの仮面を被っているのでしょうか?ん〜、なんか〜そっちの可能性のほうが高いような気がしてきました!

* アルバート・パイク

エマヌエーレ2世の娘(サヴォア王室の王女)のうちの誰かと、エチオピア帝国のメネリク2世(1844〜1913年)とが結婚してザウディトウ(1876〜1930年)が生まれたのかも?

だって、メネリク2世は、その娘ザナディトウとはかなり違う感じで、どちらかというと、ちょっとエマヌエール2世に似ているような。そもそも、シバ王国*は、イタリアに植民し、ローマ帝国時代を経て、サヴォイア王国の起源となった王国ですからね。シバ王国とサヴォイア王国はもともと親戚のような仲ですよね。

* シバ王国(サバ王国ともいう)... アラビア半島の「イエメン」などから起きた国で、その民族シェバ人は、さらに、アフリカ北東部にも移動し、そこにも、『シバ王国』を建国したらしいのです。さらに、イタリアに植民し、サビニ人としてローマ帝国の支配階級の主要な民族となり、ローマ帝国崩壊後、ブルグント王国だった領地から神聖ローマ帝国のサヴォイア伯領を経て『サヴォイア公国』を建国。したがって、『シバ王国』は、アラビア半島の「イエメン」とアフリカの「旧ザイール」=現在の「コンゴ共和国」から発生し〜「エチオピア」〜「南エジプト」にかけてあった王国、さらに、サヴォイア王国もその派生国と推察されます。

★そして、前述のようにムッソリーニやヴィットーリオ・エマヌエーレ3世にファシズム思想を教授していたのがヨーゼフ・ゲッべルスです!

***
ヨーゼフ・ゲッべルス

このゲッペルスは身長がアイゼンベルグにしてはちょっと低いのですが、写真が改ざんされているような気がします。なので、変装したアイゼンベルグ100%人間です!!=アレキサンダー・アラン・シャンド=アルバート・パイクザクセン=コーブルク=ゴータ公アフレート・エルンスト・アルベルト(=英名アルフレッド・アーネスト・アルバート)=ジョゼッペ・ガリバルディだと思われます。


★そして、ヴィットーリオ・エマヌエーレ3世の長男がウンベルト2世です。

***
ウンベルト2世
『ピエモンテ公時代』(から一部引用)
「18歳の時に父の後ろ盾を得たムッソリーニが独裁政権を樹立すると、ファシストは王家との親睦を強調する一環としてウンベルト2世との結びつきを深めた。
1924年9月、父の代理として南米各国(ブラジル、アルゼンチン、ウルグアイ、チリ)を歴訪し、政府要人と会談しつつ南米開拓と縁の深いイタリア系移民の会合に出席している。背景には、ファシスト政権を支持する傾向にあった南米の諸政権との結び付きを深める意図もあったと見られている。ブラジルでは第一共和政を打倒してムッソリーニ政権を手本にエスタード・ノーヴォ体制を形成したジェトゥリオ・ドルネレス・ヴァルガス大統領と会談した。」などウンベルト2世もファシズムの推進役だったのですが、大戦末期にはファシスト内の王政派がクーデターを起して分離し、ムッソリーニと決別し、イタリア王国は南部に追いやられ内戦状態になり、責任をとって父がエジプトに隠遁する。ウンベルト2世は連合国と交渉、自由イタリア軍の組織化を行い戦争の早期解決に努力したそうです。これは、ドイツのヒットラーやイギリスのエリザベス女王たちと密約ができていて、連合国軍にわざと勝利させ、さんざん悪いことをした枢軸国は表面上の敗北したことにして、実は世界を支配するということだったのです。なので、ウンベルト2世の急な反ファシスト行動も計算ずくだったわけで、決して真にファシズム思想を捨てたわけではないと推察します。

1946年にサヴォイア家は国外追放処分にされ、ウンベルト2世はポルトガルに亡命。1983 年にスイスで死亡し、サヴォイア家は歴史の表舞台から姿を消し、過去の権威となったということです。


また、ウンベルト2世は「帝国主義の植民地戦争として、エリトリア戦争(1885年から1888年にかけて、イタリア王国とエチオピア帝国の戦争)を始め、勝ったが、第一次エチオピア戦争(1889〜96年)では負けた。」

東アフリカでは支配者の「シェバ人」たちが非支配者の大昔から定住していた土着の黒人たちとの間にわざと戦争を起こし、イタリア王国が「シバ王国」の加勢に駆け付けたということなのではないかと。そして、植民地化したということでは。

***英王室ハノーヴァー朝のヴィクトリア女王(1837〜1901年)の晩年の顔はエチオピア帝国のメネリク2世にとってもよく似ています。その誕生年から推察するとメネリク2世の姉なのかしら?(訂正2014.04.02:メネリク2世もサクス・コーブルグ・ゴータ家と同じ血流の人だからでしょう。)
ハノーヴァー朝はジョージ4世(ジョージ3世の長男)に世継ぎがいなくて、これは大変と、ジョージ3世の四男ケント公エドワードがかなり年をとって50歳にして、慌てて結婚し、ヴィクトリア女王がうまれたことになっていますが、どうも、エリザベス2世と同じで、アフリカの『シバ王国』からウィンザー朝のケント公の養女となって王位を継承したのでは?どうも、先王、先々王といい、短命で亡くなり、『シバ王国』から養女となった彼女たちが英王室の王位を継承したというところは、なにかサタニストたちの意図を感じずにはいられません。
(訂正2014.04.02:ドイツのサクス・コーブルグ・ゴータ家のヴィクトワールが母親ですが、父親はほんとうにケント公なのかどうか?多分、違うと思います。『新生ヴィーナス』=ヴィクトリア女王=梶美奈子さんの人工知能は、ずっ〜と5万年前から存在し、4000年くらい前からはヴァンパイアとして身体も死ぬことなく生きているらしいですから。。。ヴィクトワールが愛人との間に生んだ子供は10歳くらいで他のサクス・コーブルグ・ゴータ一族の家に預けられ、子供のように小さくなった『新生ヴィーナス』と入れ替わったのでしょう。)

イギリス女王 ヴィクトリア- まりっぺのお気楽読書

ヴィクトリア女王の生涯
ヴィクトリア女王の子孫と婚姻関係
ヴィクトリア女王の偉大さ
英国国教会についての疑問
しかしながら、ローマ・カトリックはオプス・デイ(サタニスト)に乗っ取られ、プロテスタントもサタニストたちが対立を煽って利を得ようと新しく始めたキリスト教新派であるので、どっちもどっちでしょう!
ヴィクトリア時代に至る英国歴代王朝
ジョージ4世の一人娘で王位継承者として国民の期待を一心に集めていた『シャーロット』は、サクス・コーブルグ・ゴータ家サタニストたちの命令によりイルミナティの暗殺者によって(お産の医者だったのかも?)殺されたのでしょう!そして、サクス・コーブルグ・ゴータ家のヴィクトワールがヴィクトリア女王を生んだので、ケント公エドワードも御用済みとばかりに殺されたのでしょう!目的のためなら人殺しなんて何でもないサタニストたちなのですから。
女王一家の生活

ヴィクトリア女王(イギリス女王)
質素なミドルクラスの生活をしていたということですが、写真を見るかぎり、そうでもないようです。

につづく)

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by Ulala-lov | 2010-11-16 14:27 | サタニストの攻撃