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アレキサンダー・シャンド=アルバート・ヴィクター(パイク)

2010−11−10


アルバート・ヴィクター*は英国サクス・コーバーグ・ゴータ朝(=ハノーヴァー朝=ウィンザー朝と同じ。その間にしばらくあった王朝)の「エドワード7世」**の長男です!

* アルバート・ヴィクター_(クラレンス公)(1864〜1892年)

** エドワード7世(1841〜1910年)
エドワード7世(イギリス王)
(象二郎にそっくりだし、多分、象二郎の悪魔脳が入っていた)

しかし、エドワード7世の長男「アルバート・ヴィクター」は、あまり象二郎に似ていません。


しかし、弟の次男「ジョージ5世」*** は、父のエドワード7世**にも祖父のアルバート公子*(
ヴィクトリア女王**の夫)にも似ています。

*** ジョージ5世(イギリス王)(1865〜1936年)

アルバート(1819〜61年、ザクセン・コーブルク・ゴータ公子、ヴィクトリア女王の夫)

**ヴィクトリア女王(1819〜1901年)


ヴィクトリア女王は9人の子持ちで子だくさんでした。その子供たちをドイツを中心とした各国に嫁がせ、晩年には「ヨーロッパの祖母」といわれたとのこと。そして、今のエリザベス女王もそうだったのかもしれませんが、特に、昔の時代には、王はもちろん、女王も愛人をつくることが暗黙の了解で許されていたようです。したがって、その9人の子供たち全部が夫であるアルバート公子(ヴィクトリア女王の夫)との間の子供とは限らないし、また、その容貌からも考えられないのです。


しかし、ヴィクトリア女王の次男のアルフレート・アルバート***は、なぜか、エドワード7世の長男のアルバート・ヴィクター*や、特に、少し年齢を経ている(年齢詐称か?)テオドール・ヘルツル****とも、よく似ています。

*** アルフレート・エルンスト・アルベルト(1844〜1900年)、ザクセン・コーブルグ・ゴータ公・エジンバラ公爵
ヴィクトリア女王の次男

**** テーオドール・ヘルツル
『シオニズム運動』を起した中心人物

ということは、アルバート・ヴィクターは*、サクス・コーバーグ・アンド・ゴータ家(=ドイツのザクセン・コーブルグ・ゴータ家)=ハノーヴァー朝=ウィンザー朝と関わりの深いアイゼンベルグとヴィクトリア女王の子供ではないでしょうか?


そして、アルバート・ヴィクター=アレキサンダー・シャンド*でもあるのですが、シャンドの晩年の写真は晩年の「ベンジャミン・ディズレリー」**にもよ〜く似ていませんか?

* A.A.シャンド

** ベンジャミン・ディズレーリ(1804〜81年)


つまり、「ベンジャミン・ディズレリー」**(スファラディム・ユダヤとなっていますが、おそらく、ミズラヒム・ユダヤなのではないかと)と「ヴィクトリア女王」との間の子供が『アルフレート・アルバート』=アレキサンダー・シャンド*ということは、『アルバート・ヴィクター』=『アルフレート・アルバート』と考えると納得です。1844年生まれと考えるとすべてが納得です。そして、「ザクセン・コーブルク・ゴータ公」であることからも、「アイゼンベルグ」(=ヘッセン一族、ここでは、おそれらくヘッセン公の意味)と名乗っているのもうなずけます。

おそらく、ウィンザー王朝の最初は財政を担当(実際はヤハウェ王族がやっていたかも?)していたんでしょうが、ヴィクトリア女王とは当然仲良しなので(アイゼンベルグが自分の遺伝子を加えて創った生物学的人造ロボットだから遺伝子的には父親に当たる)、アルフレートが生まれてから首相になったみたいですね。だって、英国で、ユダヤ人(ここではアシュケナージ・ユダヤのことを指し、アイゼンベルグは元はヤハウェ王族だったから、その意味で?)で初めて首相になった人なのだとか。。。(ただのユダヤの意味を複雑化した見せ掛けの芝居です。どっちでも自分たち都合の良いように使っているだけでは?)

きっと、’スファラディム・ユダヤ王族’は表向きはキリスト教を信仰している(実は、悪魔教信仰なのですが)ので、ユダヤ人とはみなされませんが、’南ユダ王国出自のミズラヒム・ユダヤ’は、表向きはユダヤ教を信仰している(実は、悪魔教信仰なのですが)ので、『ユダヤ人』とみなされていたのでしょう。

では、どうして、ヴィクトリア女王の次男であるにもかかわらず、エドワード7世の長男にもなっているのかしら?

多分、出生日を20年遅くしたアルバート・ヴィクターの情報は極端に少ないですからね。切り裂きジャックの汚名をアルバート・ヴィクターという架空の人物に着せて、死亡したことにして、その罪を逃れたということかも?とにかく、アルバート・ヴィクターの写真は一番若々しい青年時のアルフレッド・アーネスト・アルバートの写真なのでしょう。(ちょっと、暗〜い感じがありありですが。。。切り裂きジャックだからね〜)

さらに、

☆☆☆まとめると、英王「エドワード7世」の次男『アルフレッド・アーネスト・アルバート』 (ドイツ語では、=アルフレート・エルンスト・アルベルト)は、『アイゼンベルグ』であり、『テオドール・ヘルツル』であり、『アルバート・パイク』であり、『アレキサンダー・シャンド』であり、『松永安左ヱ門 』であり、『白州退蔵・文平・二郎』であり、『村山元首相』ということに!


上のアルフレートのウィキ・サイトの説明の中にあるドイツの領地バイエルン州オーバーフランケン・コーブルグ群はこんな所のようです。

オーバーフランケン
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%83%BC%E3%83%90%E3%83%BC
%E3%83%95%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%82%B1%E3%83%B3%E7%9C%8C

コーブルグ群
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B3%E3%83%BC%E3%83%96%E3%83%AB%E3%82%AF%E9%83%A1

面白いことに、上のコーブルグ郡のサイトの右上の概要を表した表の中の一番下のところに「郡長:ミヒャエル・ブッシュ」となっています。元米国大統領ジョージ・ブッシュ父子のブッシュ家がドイツの出自とも言われていたことを考えると、もともとは、このオーバーフランケンの出自で、後に、英国に移住していったということなのでしょうか?

米のブッシュ元首相の祖先は、英国では、イングランド南部から、後に、スコットランドへ。英国では「パーシー」や「ピアーズ」という姓だったようですが。さらに、メイ・フラワー号に乗って、イギリスを逃れて、ピルグリムとしてアメリカ東部に移住。独立戦争の後、祖先にはジョージ・ワシントンがいるとか。でも、ブッシュというのは、もともとドイツのこのあたりの名字だったのですね。

コーブルグ郡のサイトの下のほうの書かれている「歴史」のところを見ると、この地域は、ゲルマン民族の大移動の時には、フランク族に征服されていたとか。その後、ドイツの西の国境の地にあったため、他民族などに征服されたりして、さまざまな領主に変わったものの、1500年代にザクセン公国に、そして、1800年代前半〜1990年代初頭まで、ザクセンコーブルグゴータ公国の領地だったようです。その後、バイエルン州に編入されたといいうことです。

ということは、ブッシュ元大統領一族は、もともとハノーヴァー朝やウィンザー朝とは深〜いつながりがある一族だったということになりますね〜!!


フィヒテル山地
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A3%E3%83%92%E3%83%86
%E3%83%AB%E5%B1%B1%E5%9C%B0

ルイゼンブルグには巨大な岩の迷宮があり、グローサー・ヴァルトシュタイン山中にはトイフェスティシュ(悪魔のテーブル)もあるそうな。。。ええっ〜 OMG!(Oh My Godnesss!)だわ〜 まるで、映画「ロード・オブ・
ザ・リング」の舞台みたいな所なのかしら???



ところで、以前、ベンジャミン・フルフォードさんのブログに書いてあったんですが、「エリザベス女王は、バルモラル城で、隔年ごとの夏に、若い女性を生け贄にする悪魔儀式を催している」とのことでした。

そうすると、シャンド家はスコットランドの北東部の中核都市「アバディーン」にあるので、きっと、バルモラル城は、シャンド家のお城なんじゃないかな?!って思えるのですが。下の ウィキペディアには英王室の私有とありますから、A.シャンド=アルフレート(ヴィクトリア女王の次男)なら、どのちみち、ウィンザー王室の一員ということなんですから。


バルモラル城(アバディーンシャイア州にある)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%90%E3%83%AB%E3%83%A
2%E3%83%A9%E3%83%AB%E5%9F%8E

アバディーンシャイア州(アバディーン市は独立した市なので州からは除かれている)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%90%E3%83%87%E3
%82%A3%E3%83%BC%E3%83%B3%E3%82%B7%E3%83%A3%E3%83%BC


エドワード7世(ヴィクトリア女王の長男)の愛妾アリス・ケッペルの娘で二女の「ソニア」がアシュコム男爵と結婚し、その娘の「ロザリンド」が、アレサンダー・シャンド(=ヴィクトリア女王の次男アフレート)の息子「ピーター・シャンド・キッド」で、その息子「ブルース・シャンド」と結婚し『カミーラ』が生まれたということになります。「ソニア」がエドワード7世とアリス・ケッペルとの子供だとすると(可能性は高いのでは)、カミーラ妃は、’いとこ’か’はとこ’同士〜とにかく血縁がかなり近い者同士〜が結婚してできた娘)ということになります。ですから、カミーラ妃は、もともと、ドイツのザクセン・コーブルク・ゴータ家=英国のウィンザー朝とは関係の深い家柄であるということですね。


アレキサンダー・フォークナー・シャンド(1858-1936、=アレキサンダー・アラン・シャンドと推定します)
(名前を変えるのが好きみたいです)
http://en.wikipedia.org/wiki/Alexander_Faulkner_Shand

息子のフィリップのそのまた息子のブルース・シャンドを通じて、チャールズ皇太子の妻カミーラ・ボールズの曾祖父となると書かれています。おそらく、アレキサンダーの父親はスコットランド人のヒュー・モートン・シャンドということになっていますが、なにかの縁で、スコットランドのシャンド家の戸籍に入れてもらって、結婚して子供を設けたということなのかもしれません。なにしろ、正式には、ザクセンコーブルグゴータ公としてドイツでも1870年代に家庭をもっていたのですから。下のサイトのフィリップの誕生年から考えると、その後、1980年代後半くらいにシャンドとして結婚していたのではと推定されるのですが。アフレート(=アイゼンベルグ)もジョセッペ・マッティーニと同じく、あっちこっちで子供をもうけていますから〜 

きっと、その時期は日本から英国本国に帰っていたんでしょうね。すでに、飛行機とかで世界中を巡っていたのでしょうかね?そして、また、日本に来たり、また、ヨーロッパに行ったりの繰り返しだったみたい。でも、結局は、日本の居心地が良かったのか、なにか特別な理由があるのか、だいぶ以前から現在まで長期に渡り、悪魔大王たちはみ〜んな日本に集結しています〜   
ああ、 やだ、やだ!   (ーー*

フィリップ・モートン・シャンド(1888ー1960)
http://en.wikipedia.org/wiki/Philip_Morton_Shand

ブルース・シャンド(1917ー2006)
http://en.wikipedia.org/wiki/Bruce_Shand

アレキサンダー・ヘスケス・シャンド(1920ー2001)
http://mises.org/daily/650

アレクサンダー・シャンドは、ブルース・シャンドの兄でしょうか? エコノミスト(経済学者)というところも、曾祖父と同じ分野っぽいし。顔はちょっとだけ似てるかも? といっても、もう4代目ですから、そんなに似ていませんが耳が大きいところが似てますね。ファースト・ネームとファミリー・ネームも一致しています。なんでも、ある夜、突然に亡くなられたとかで、暗殺されたのかもしれません。79歳だったとか。『人々を置き去りにしてしまった時、市場(経済の)は不自然で、やりすぎである。人々を貧しさから救ったり、政治的な抑圧から解放することが一番!』という理論をかかげておられたらしいです。たとえ、アングロサクソン王族でも、善い人は暗殺される。。。   〜〜。


エリザベス女王はサヴォイア家系(あのシバの女王[=スゴ〜イ悪魔教の信者]の家系)であり、エチオビア帝国の王族(シェバ人=アングロ人=マケドニア人の王族)で、真実のところはよくは分からないのですが、ソロモン王の血を受け継いでいると、その祖先が自称しています。ですから、おそらく、民族的な意味でのスファラディム・ユダヤ(ハム系)とミズラヒム・ユダヤ(多分、南ユダ王国のセム系の偽ユダヤ信者?)の混血ということになるでしょう。(それとも、案外巧みに、シェバの純血を守っていたりして)

フィリップ殿下はギリシャの王室の出身ですが、やはり、ヴィクトリア女王の孫の子供(玄孫)で、母親アリスがドイツのヘッセン家の支流「バッテンベルグ家」(=サクソン王家の一族)の出身なので、それを英語風にした「マウントバッテン」の姓を名乗っておられるようです。

フィリップ殿下
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A3%E3%83%AA%E3%83
%83%E3%83%97_(%E3%82%A8%E3%83%87%E3%82%A3%E3%83%B3%E
3%83%90%E3%83%A9%E5%85%AC)
(玄孫 http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q127113227)

しかし、ヴィクトリア女王は、わたしが、以前にも指摘しましたように、エリザベス女王と同じく、エチオピア帝国の王女からウィンザー朝の養女となり、なるべくして女王になった可能性あり。(おそらく、かつての「シバの女王」のように、北東アフリカの金、宝石などの鉱物資源・モツ薬、乳香その他の豊富な交易品を持っているため、その財力のためでしょう。)

とにかく、これらの家系をたどってみると、チャールズ皇太子もカミーラ妃も、共に、ヴィクトリア女王(=シバの女王の子孫=[シェバ人=アングロ人]+[ヘテ人=サクソン人]+[ちゃんと継続しているかは?ですが、ソロモン(ユダヤ王)のセム系ユダヤ])の子孫で、その伴侶も含め、祖父母や両親も同様にごてごての近親同士の結婚が多いです。

だから、チャールズもカミーラも、双方ともに、シオニスト・ユダヤ人として「シオンの議定書」を成就させて、『ユダヤ千年独裁世界王国』を実現させようとしているようですが、宗教的にはユダヤ教の信仰などない、悪魔教信者の偽ユダヤ人(悪魔教のスファラディム・ユダヤ+悪魔教の王国「南ユダ王国」出身のミズラヒム・ユダヤ)の王族ということです。


!!★★★★★!!
とにかく、 エリザベス女王&フィリップ殿下と、チャールズ皇太子&カミーラを頂点として、スファラディム・ユダヤ(=アングロサクソン王族)たちも、ミズラヒム・ユダヤ=(もともとは、南ユダ王国からのディアスポラで離散し、ヴィネチア、ロンバルディアなどに定住した祖先が北イタリア出自の商人や銀行家や政治家)たちも、’偽ユダヤの秘密結社’による<強力なネットワーク>で協力しあって、『ユダヤ千年独裁世界王国』を早く完成させようとやっきになっているんですね〜!!!   


  * #_#^*^*   分かったゾウ〜



* コメント欄も見てくださいネ!
by Ulala-lov | 2010-11-10 13:18 | アングロ・サクソン王族