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ローマ帝国とシバ王国

先日来より、ずっと、いままで話題にしてきたのは、B.C.10C頃の謎の多い『シバ王国』という小国(けれども、非常に経済的に富んだ重要な交易国)に関してでした。そして、あのイスラエル王国の『ソロモン王』と重大な関わりをもった、当時としては、もっともスキャンダラスな超話題の人物がシバ王国の『シバの女王』でした! 

さて、B.C.8C頃になりますと、地中海で、もっとも大きなトピックスと言えば、やっぱり、あの偉大なる『ローマ帝国』の建国です!そして、あの『シバ王国』は、今度は、イタリア半島の新興国『ローマ』とどういった関わりをもつのでしょうか? ちょっと興味津々(しんしん)。。。なところですね〜!

その当時、すでに表面上はその存在を隠しながらも、陰で世界の至る所で多くの国々を操っていた大帝国『ヒッタイト』にとって、建国したばかりの『ローマ』は、まだまだ恐れるにあらずな存在だったと思われます。

しかし、あのトロイの戦争では、トロイア軍のほうが勝利したと思われていました。しかし、ギリシャ軍は船で敗走して帰国したと思わせて、実は、トロイア人が神聖なものとしている木馬を作って、その中に潜んでいたのです。トロイア人たちは、無邪気にも、その巨大な木馬を海岸からトロイアの街の城壁内に引き入れて、勝利に酔ってお祭り騒ぎをしていたわけです。ところが、夜、トロイア市民が寝静まったころあいをみて、ギリシャ兵たちが木馬から出てきて街を焼き討ちしたわけで、なんかひきょうな戦いをしてギリシャ軍(この頃はスパルタやマケドニアが他のポリスに強い影響力をもつ)は勝ったわけです。

ですから、ヒッタイトもトロイアの王家の子孫やその戦士には一目置いていたはずで、彼らが建国した『ローマ』も早めに叩いて支配下に置いておこうと策略を練っていたはずです。

まず、「ローマ建国神話」についてですが、「神話」、あるいは、「伝説」ということですので、ある程度までは真実だけれども華飾もありというぐらいに考えて読むのがいいのではないでしょうか。リヴィス『ローマ建国史』というサイトに詳しくのっていましたのでご紹介します。「序文、第1章〜第18章」くらいまでを読んでみてください。(後のほうは、興味のあるかたはどんどんどうぞ!)

リヴィスの『ローマ建国史』
http://tomochan2002.at.infoseek.co.jp/livius.html

目次で見ていくとなんとなく分かりますので、ここにも書いておきます。
1. 始祖アエネアスのイタリア到着
2. ラテン民族の誕生
3. アルバ王国の建設
4. ロムルスとレムスの誕生
5. アミュリウス王の殺害
6. ヌミトル王の復権
7. ロムルス王の誕生とヘラクレス伝説
8. 元老院の創設
9. サビ二ーの女たちの誘拐(ゆうかい)
10. ロムルスの戦いと勝利
11. タルペイアの裏切り
12. サビニーとの戦い
13. サビニーの女たちの嘆願
14. フィデナとの戦い
15. ウェイイとの戦い
16. ロムルスの昇天
17. 王の不在
18.ヌマ王の選出


○まず、1のアエネアスがなぜ、イタリアの中部にやってきたか?ということに関してちょっと興味があります。

下のウィキペディアの「フェニキア」のサイトを見ると、「歴史」の項目に、(多分、B.C.12世紀〜15世紀頃の)地中海沿岸の植民都市の地図があります。それを拡大して見ると、左端に説明があり、四角い「赤」枠の都市名はギリシャの植民都市、「黄色」はフェニキア、「グレー」はその他の植民地で表されています。また、拠点を表す小さな丸印の色は、「緑」がイオニア人、「青」がドーリア人、「青緑」がアカイア人、「赤紫」がアイオア?人(読み方がハッキリ分かりません)で、小さな四角印の「緑」は、複数民族による植民地の拠点を表しているということです。

「フェニキア」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A7
%E3%83%8B%E3%82%AD%E3%82%A2

そうしますと、アエネアスは多分、Romとなっている辺りにたどり着いたのではないかと思われますが、イタリア半島の中部・北部はグレーの植民都市なので、ギリシャでも、フェニキアの植民都市でもないということです。また、アナトリア半島(現在のトルコ)のイリオン(イリオスともいう=トロイ)はアイオア人です。ギリシャでは、アテネなどはイオニア人ですし、スパルタなどはドーリア人で、その他、アカイア人のポリスもいくつかあります。ほとんどが赤のギリシャと黄色のフェニキアの植民地で、とてもたくさんあります。

わたしが推測しているのは、エトルリアとの関係です。つまり、トロイア王国とエトルリアとは同じ民族か、とても親しい関係があったのではないかということです。

「ある調査では、エーゲ海のレムノス島(ローマ建国の双子の弟レムスに似てますね!)では、紀元前6世紀までインド・ヨーロッパ語族ではない民族が居住していた跡が見られ、その民族の言語がエトルリア人と似ていることが指摘されている」と下のサイトにあります。

「エトルリア」
http://wpedia.goo.ne.jp/wiki/%E3%82%A8%E3%83%
88%E3%83%AB%E3%83%AA%E3%82%A2

そして、レムノス島(リムノス島)は地図上では、アナトリア半島北西部沿岸にあるイリオン(=トロイ)の’目と鼻の先’ぐらい近くにあるのです。

「レムノス島」
http://wpedia.goo.ne.jp/wiki/%E3%83%AC%E3%83
%A0%E3%83%8E%E3%82%B9%E5%B3%B6

「エトルリア民族」
http://www.k5.dion.ne.jp/~ssb/Toscana/etruria.htm

さらに、エトルリア人はアナトリア半島(=小アジア)のリディアからやってきたという説が最近有力になったと以下のサイトにはあります。

「エトルリア人の正体」
http://blog.ohtan.net/archives/51097360.html

わたしは、国別に言えば、エトルリア人、リディア人、トロイ人、アテネ人とかは、みんな同じケルト系のいろいろな部族がスカンジナビア半島あたりからヨーロッパ中部、東部、南部に南下してエーゲ海沿岸(エトルリア人はさらにイタリアに移住)に定住したのではないかと推測しているのですが。。。そして、民族的、部族的?に言っても、イオニア人、アカイア人、アイオア人はみなケルト系ということなのでは?

「エトルリア人」
http://plaza.rakuten.co.jp/atsuko626/diary/201003160000/

「エトルリア」
http://homepage2.nifty.com/pietro/storia/storia_etruria.html

これらの人びとはみな特徴が似ているような。「海洋民族で航海術にすぐれていること、金属加工が得意、建築術に優れている、詩や音楽などを作るのが好き、陶器などに美しい絵を描いたり、人物の彫像をつくるなど芸術面に優れている、大きな墓をつくり大事に維持する」など。


わたしは、アエネアエスは、エトルリア人を頼って、イタリアにやってきたような気がしてなりません。最初は、エトルリアに保護されていたのでは。そして、現地人ラティヌス王も加わり、3国で共に「ラテン人」として『ローマ』を建国。だから、初期の『王政ローマ』の王5人のうち3人もエトルリア人がなっています。しかし、サビニー人のローマの政治権力中枢への参加については、ちょっといわくがありそうです。


(次回につづく)



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by Ulala-lov | 2010-07-04 17:19