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北欧(スカンジナビア半島など)と’ヒッタイト '(=ゲルマン)

北欧三国とは、ノルウェー、スウェーデン、デンマーク。
フィンランド、アイスランドを含めて北欧五ヶ国ともいうらしいです。

「北欧」
北欧 ウィキペディア

な〜んだ、わたしは随分勘違いしてました。ノルウェー、スウェーデン、フィンランドで北欧なのかと思っていました。

さて、最近、わたしが興味をもって、ちょこっと読んでいる本に、といってもまだ最初の方をちょこっと読んだだけですが、滝尾紀子著「世界の国ぐにの歴史;北ヨーロッパ」 岩崎書店があります。(児童書なので、ひらがなが多いですが、わたしは内容がとても分かりやすいので気に入っています)
その中で、北欧の古民族の定住とゲルマン人(=ヒッタイト)の来襲に関する部分があって、とても、重要だと思われますのでここに引用して紹介させていただきたいと思います。

まず、P15の「北極に生きる人」編の『ラップ人(サーメ族)』に関してですが、「スカンジナビア半島北部から、フィンランド北部、ソビエト西北部にわたって、ひくい丘陵と無数の沼や湖がつづく土地が、無限とおもわれるひろさでひろがっている。このひろい平原を、ラップランドとよんでいる。ここは、一年のうち七か月は氷にとざされ、氷点下40度にもなる。以下、省略。。。このような土地にも、ウサギ、リス、トナカイ、アナグマなどの動物たちが住んでいる。そして、その雄大な自然の一部のように、先祖だいだい住みついているのが、ラップ人である。最近は、ラップ人は自分たちのことを「サーメ族」と自称している。」

「ラップランド」

ラップランド Lapland


(本のつづき)
ラップ人が、いつどこからきて、北極圏に住みついたのか、はっきりわからない。かれらのことばが、フィンランド人と似ているので、血縁関係があるかとおもわれていたが、最近の研究で、フィンランド人のように東から来たのではなく、中部ヨーロッパから北方へ移住してきたと考えられるようになった。

いまから一万年以上(BC8000年以上)前、北欧いったいをおおっていた氷河が後退しはじめ人間が暮らせるようになった。(←これは地球に火星の衛星がぶつけられた後は地球は暗闇と非常に寒冷な気候に変わってしまっていたから)
そのときトナカイを追って移動してきた人々が、北欧に住みついた。この人たちの文化がもっとも古いとされている。その後、氷河はますます北へ退き、つぎつぎに新しい移住者がやってきた。先住者たちは、しだいに北へと追われていった。ラップ人はこの先住者たちで、北欧のさいしょの住人の子孫である。それはフィンランドの祖先が、東から移住してくるより、7000年も昔のことであった。ことばが似ているのは、あとから来たフィンランド人と交渉があったからだ、といわれている。」

うらら・・・つまり、フィンランド人(=スオミ人=ゲルマン人=サクソン人)は東からやって来た。★しかし、ラップ人はその7000年も前に住み着いていた。

このことから。。。

ラップ人は
ヤハウェ系(←訂正:人間)の先住民だと思われます。

しかし、フィンランド(スオミ)人は、BC5000年頃に火星から再来したアングロサクソ脳族たちが東の白海(地図の左上の広範囲な地図を拡大すると理解しやすいです。そして、以前の記事に書いたように白海の海底には2つのUFOが着陸しているらしいです。)に着陸後、一端バイカル湖付近まで移動した後に世界中に侵略していったうちの北ヨーロッパに向かっていった一派と考えられます。なので、ラップ人はその7000年も前に住み着いていたということはBC12000年以前のアングロサクソ脳族たちの兵士たちによって追われて寒い寒い北極圏に逃げ延びて住み着いたヤハウェ系の可能性が高いと推察されます。★つまり、スカンジナビアに人間は2回に別れてやって来て住み着いたということになるのかな〜。


中欧旅行6日目@ブダペスト1:Travellog from Toronto!

ロマネスク建築はノルマン人(人間のほうの)による重厚な美しい建築物です。

ロマネスク建築 - ヨーロッパの建築様式:賃貸のホームメイト

ロマネスク建築 - 英国ニュースダイジェスト

聖堂ほか〜代表的なキリスト教の建築物

ゴシック建築 画像集

ゴシック建築はハッキリ言うと、アングロサクソ脳族たちが"タコやダイオウイカの脚" を模してたくさんの細長い塔やたくさんの細長い柱のあるゴテゴテとした装飾過多な建築物です。



さらに、p21からの「古代ゲルマン人」編
しかし、最初は、ラップ人の説明とおもわれるところ、『岩の上のヘラジカ』からです。

「ノルウェーや、スウェーデンの岩の上や岸壁で、ヘラジカ、トナカイ、クマ、アザラシ、クジラ、魚、鳥など、たくさんの動物たちの絵が発見された。いったいだれが、いつごろこのような絵を、刻みつけたり、かいたりしたのだろうか。氷河時代のおわり、紀元前、一万年ごろは、とけた水があふれて北極海とつながり、半島は島であった。これが、陸地の上昇などで、現在の地形になるのには、まだ6000年という長い時間がかかった。
人々が、いつごろから、どこから来たかわからないことがおおい。紀元前6000年ごろには、ここで動物を追って、移動生活をしていた人々がいたらしい。。。。以下省略。ふるい墓も少しは語ってくれる。ある墓では、男が狩りと猟の道具それぞれ一式とともに、ほうむられていた。住居のあとと墓は近くにある。人々は、死者をおそれていなかったし、死後も、生前とおなじように暮らすのだと信じていたようだ。それにしても、北欧の最古の住民についてわかることは、これぐらいのことしかない。」

次に後(のち)にやってきたどうも『ケルト人』らしい民族に関して説明されている『巨人塚』のところです。

「大きな石を組み合わせた、巨大な建造物がある。周囲を見回しても、そのような大きな石がとれる場所はずっと遠くである。『これは巨人がつくったのにちがいない』人びとはそう考えた。スウェーデン南部やデンマークにのこっている巨石の墓。これが墓だとわかるのは、最近の調査によるもので、それまでは、人びとは『巨人塚』とよんでいた。これがきずかれたのは、紀元前2500年〜2000年ごろで、そのころになると、狩りや魚とりの生活から、ゆっくりと農耕や牧畜の生活にうつっていっていた。この巨石の墓をつくった人たちは、どこからこの地方へ移ってきたのか。イギリス、フランス、ドイツにも残っている巨石遺跡と、どのようにつながっているのか、わからないことがおおい。ここへ移ってきたときには、その人びとが木の’すき’でたがやして、小麦、大麦、キビなどを栽培して、ウシやブタを飼っていたことは、わかっている。」

つまり、『ラップ人』が農耕などの定住生活をするようになったということで、ラップ人はな〜んだ『ケルト人』のことだったのか!とわたしは思ってしまったのですが、ちがうかな〜?ここへ移ってきたときには、この人びとたちは定住するすべを身に付けていたということは、ケルトでもいろいろな民族に別れていて後から来たケルトの民族がラップ人に教えたりしたかもしれない。。。

ここからが、どうも『ゲルマン人」の説明のようです。

「紀元前2000年になると、死者一人をほうむった墓も、つくられるようになった。デンマークのユトランド半島の、中、西部からはじまるこの新しい型の墓は、やがてシェラン島*や、スウェーデン南部のスコーネ地方**にまでも、きずかれるよになる。あたらしい集団が移動してきたのである。
* シェラン島(首都コペンハーゲンがある島)
** スコーネ地方
スコーネ
スカンジナビア半島地図

この集団は、’★ウマに乗り、戦闘用の舟型をした磨製の斧をもつ軍事集団★’ であった。

かれらは、ヒツジを飼いながら移動してきた。かなりのはやさで、’巨人塚をきずいた人びとを征服’して、デンマーク、スウェーデンにひろがっていった。

★★★この人たちこそ、北欧にはじめてすがたをあらわした、★『ゲルマン人の祖先』であることは、学者たちの意見が一致している。」

(つづき)
「それから数世紀たつと、遊牧民であった征服者たちも、定住して農耕生活をするようになった。かれらは、青銅器をもつようになって、生活が急速に変化していった。他の地域との貿易もおこなわれたが、かれらが輸出したのは、’こはく’であった。生活がゆたかになっていったことは、墓の壁にかかれた、岩石刻画でもうかがうことができる。狩や魚とりの時代とは、かなりちがう物が発見できる。まず、船、船の上には、漕ぎ手ばかりでなく、ダンスをしたり、ホルンを吹き鳴らす人ものせている。さらに、車、樹木。動物は、ウシ、ブタ、ウマ、シカ、ヘビなどが、かかれている。盾をもつ人、行進する人、’すき’でたがやす人、とくべつ大きくかかれた人。大きな人物は神をあらわし、この絵のすべてが、豊かなみのりを願う祭りのために、かかれたものと考えられる。」

『沼にしずめられた人』
「1950年5月8日のこと、デンマークのビヤエルズコフの谷のトルント沼沢地で、泥炭を掘っていたふたりの労働者は、腰がぬけるほどおどろいた。泥炭のなかから、男の死体が出てきたのだ。ふたりは、ちかくの警察署へかけこんだ。「殺しです!」うったえをきいて、それっと刑事が現場へとんだ。首にひもがかけられていて他殺体のようである。しかし、死体をしらべた刑事が死体をとどけたのは、検察官のもとへではなく、大学の考古学研究室であった。トルント人と呼ばれるようになったこの男は、だれなのか、なぜ殺されたのか、いつ生きていたのか。コペンハーゲンで、くわしくしらべられた結果、くびにまかれた皮ひもが死因で、死の2時間前に、オオムギのおかゆと、亜麻や雑草などの、かなりとぼしい食事をしたことがわかった。

そして、次のような結論がだされた。かれが生きていたのは、紀元前1世紀ごろ、おそらく、神への’いけにえ’として沼にしずめられたのだろう。その後、おなじような遺体が、700人ちかくも沼の底から発見され、’いけにえ’をささげることがたびたびおこなわれたことが、わかってきた。沼からは、他にもいろいろな物が発見される。日常使っていた道具、家畜など。古代人は、これらの物をささげて、神のいかりをしずめたり、願いごとをしたりした。

自然の条件がきびしい北欧では、農作物が育たず、’ききん’に苦しむことはたびたびあった。人びとはそれを神のいかりと思い、そのいかりをしずめ、ゆたかなみのりを願うために、一人の男を神のもとに送ったのではないか。

かれらの神とは、太陽や森や、自然現象そのものであった。岸壁画や、出土品などから、いま北欧神話として伝えられている神々の原形は、紀元1世紀につくられていたことがわかる。

北欧へ住みついたゲルマン人はその後、一部の人びとが、たびたび南にむかって移動している。かれらに故郷をすてさせるほど、きびしい自然の変化がおこって、食物もとれずに苦しんだことも移動の原因であっただろう。

紀元1世紀になると、ゲルマン諸候はそれぞれ小王国をつくりはじめた。バルト海まで遠征してきたローマ艦隊とたたかったり、ゲルマン人どうしが戦ったりしながら、部族がまとまった国となっていった。

おなじころ、ルーン文字がつくられた。ローマ人との接触によってローマ時代のラテン文字をとりいれ、24のアルファベットをつくった。この文字は、占いによってわかった神のことばや、呪文などを、石にきざんで残した。北欧神話では、ルーン文字を発見したのは、かれらの守護神オーディンであり、その書き方もオーディンによって人びとに伝えられたものだと語っている。現在、ルーン文字を刻んだ石碑が、デンマークやスウェーデンなどに残されている。」

以上で引用おわり


最後の方の北欧神話の守護神オーディンは、実は、実在人物であったとネットの北欧の資料にでていました。神話って、ちょっと空想がかった話のように誇張してありますが、けっこう実話が多いみたいですね。

とにかく、ゲルマン人(=ヒッタイト)の特性として、どんどん他の民族の中へ侵攻し征服していく習性がありますから、最初は、(かなり長い間)、デンマーク南部とスウェーデンを侵略しただけで定住していましたが、その後、東欧やドイツなどにも南下したり、ノルウェーのほうに北上したりと、じっとしていられない民族のようですね。紀元10世紀にノルウェーもゲルマン王に統一され、近代になってはスウェーデン王による同君連合王国になったりしたこともあったみたいですね。

「ノルウェー」
http://100.yahoo.co.jp/detail/%E3%83%8E%E3%83%AB%E
%82%A6%E3%82%A7%E3%83%BC/%E6%AD%B4%E5%8F%B2/

「ハーラル1世(ノルウェー王)」
http://100.yahoo.co.jp/detail/%E3%83%8E%E3%83%AB%E3%82
%A6%E3%82%A7%E3%83%BC/%E6%AD%B4%E5%8F%B2/

A.D.890頃に、ノルウェーを初めて統一したこの王は、どうもゲルマン民族のようです。この時、とうとうノルウェーも乗っ取られたんですね。下のような、ベルセルクという恐ろしい親衛隊をもっていたそうです。

「ベルセルク」
//ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%99%E3%83%AB
%E3%82%BB%E3%83%AB%E3%82%AF

「オーラフ2世」
http://100.yahoo.co.jp/detail/%E3%82%AA%E3%83%BC%E3%
83%A9%E3%83%95%EF%BC%882%E4%B8%96%EF%BC%89/

「スウェーデン=ノルウェー」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%82%A6%E3%82
%A7%E3%83%BC%E3%83%87%E3%83%B3%EF%BC%9D%E3
%83%8E%E3%83%AB%E3%82%A6%E3%82%A7%E3%83%BC

「ノルウェー」
http://www.hoteltravel.com/jp/norway/guides/overview.htm


それから、ラップランドはサンタクロースの地ともいわれているそうで、こんなサイトもありましたよ!
「サンタテレビジョン・コム」
http://www.santatelevision.com/japanese/lapland/index.html



*コメント欄も見てくださいネ!

by Ulala-lov | 2010-07-01 23:59 | アングロ・サクソン王族