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偶然、英王室の暴露本 『ロイヤルズ』 を読んで。。。

先日、図書館で偶然、キティー・ケリー著「 『ザ・ロイヤルズ』〜封印された英国王室の真実〜」という英王室の暴露本を発見、借りて帰って読んでみました。1997年9月23日に出版ですから、ちょうどダイアナ妃が亡くなられる少し前に書かれていたということですね。(ダイアナ妃は97年8月31日に仏で交通事故で死亡)

この本の著者はナンシー・レーガン、フランクシナトラ、ジャッキー・オナシス、エリザベス・テーラーなど著名人の伝記作家としてとても有名らしく、その著書は国際的ベストセラーとなり、最も傑出した作家として表彰もされているそうです。

しかし、この本は、王室の人々と関わりのある、または、あった人、もしくはその友人、知り合いなどからの無償のインタビューや手紙などによる情報の入手によって編集されているところが大きく(プラス、できるかぎりいろいろな文献でかなり膨大な調査もしてあるようですが)、証言の中には、エリザベス2世の側からの意図的な操作で情報を流しているのでは?と思われるところも幾つか見受けられました。

そういう訳で、女王の家族などに関して、人物像にちょっと矛盾した内容の証言が幾つかあるな!というところが見受けられました。例えば、エリザベス皇太后に関しても、「表面はとてもやさしくて愛想のよいけれど、中身は鋼(はがね)のように強くて、冷たくて、厳しい」という内容の記述もあれば、とても夫婦仲が良くて、エリザベス女王やマーガレット王女をとても慈しんで育てられた様子が分かる記述もあります。例えば、女王の結婚に際しても両殿下がとても心配して、フィリップ殿下の身上調査もされたのですが、ちょっと問題があり、悩んでなかなかOKを出されなかったようなのです。結局、エリザベス女王に折れて許可されたのですが。もちろん、祖母のメアリー王太后とかその他の親戚などからの意見もあったでしょうから、承諾には時間がかかるものなのでしょうが。とにかく、ジョージ6世両殿下がとても、エリザベス2世には気を使って大事に接していらっしゃった様子がよく分かります。

<他にも、わたしが、気付いた’ちょっとおかしいな?’ と思ったところを以下に挙げてみます。>

○ なぜ、エドワード8世の妻ウォリス・シンプソン夫人がジョージ6など英王室からとても冷たい態度をとられていたか?について、この本では、エリザベス妃(ジョージ6世の妻)の嫉妬じゃないか?なんて証言が書いてあったのですが、ネットのウィキでは「ジョージ6世がとても病弱だったので、王位についたことを王妃はとても悲しんでいた」ということでした。そして、その為に早死にをしたということも恨みがましく思っていたのでは。。シンプソン夫人さえ、現れなければ、エドワード8世が王位にずっといられたのに。。そして、ジョージ6世はただの貴族としてもっと気楽で、元気な人生を歩めたのにというところでしょうかね?それにしても、エドワード8世の王位継承は父君のジョージ5世も彼の不品行を嘆いておられ、できたら避けたいと思われていたということなので、退位もしかたがないことと思われるのですが。。。

それから、もっと重大なことは以前にもこのブログにわたしが書いたように、エリザベス2世がエドワード8世とアメリカの巨大財閥モルガン家のテルマ・ファーネスとの間にできた子で、テルマの離婚歴から結婚はできないけれど、せめて、シンプソン夫人ではなく、王妃として結婚できる相手をエドワード8世が選んでいれば、王位を捨てずにすんだわけです。そうすれば、王室の片隅でテルマもエリザベス2世も両親とともに過ごすことができたのに。。。と考えたエリザベス王妃の怒りがあったのではないでしょうか。(しかし、どっちにしろ、双方とも相当浮き名を流した人たちのようですから、そう簡単に落ち着いていたかどうかは疑問です。)しかし、エリザベス妃が決して、養女にしたことを恨んでとかではなく、エリザべス2世に対しても不憫に思っていらっしゃってなのかな?って気がするのですが。とにかく、シンプソン夫人に対してはとても複雑な人間関係を英王室に持ち込んだ人として腹立たしく思っていらっしゃったのではないでしょうか?

まあ、本来ならエドワード8世が?(も?)悪いのですが、身内にはちょっと甘くて誰も、特に、メアリー王太后などは実母ですから、わが子を憎むより、シンプソン夫人へ憎しみをつのらせていたのではないでしょうかね?その影響もあってか、一層、エリザベス王妃もシンプソン夫人には冷たかったのかもしれませんね。だから、「嫉妬」というのとはちょっと違う気がします。


○ マーガレット王女に関してとても悪く書かれていて、ちょっとこれは。。。と言う感じです。異母姉妹のエリザベス女王2世は多分、妹に対して、とても競争心が強い感じがいろいろな記述から見受けられます。こういうことが、わたしが『女王側の人間からの情報操作で証言されたものも多くあるのでは?』と思うところなのですが。(もちろん、ほんとうのこ事と思われるものも少なくないと思われますけれど。)女王には自分は養女だからというコンプレックスがあったのでは。。。マーガレット以外の身内、フィリップ殿下やダイアナ妃やセーラ妃についてもかなりひどい証言が多くあり、ちょっと情報操作的な感じがします。本当のところも同じくらい多くあるのですが。。。(家族の中でも自分の子供や孫以外には手厳しいみたいです。)

特に、わたしが、「ひどいな〜!」と思ったのは、p235の「王室の一員というだけで特別扱いしてもらえると、マーガレットは当然のように思っていた。それは彼女の母親と姉も同じだった。彼女たちが泊まり客として招待された場合、いや、正確に言うと、田園地方に大きな屋敷をかまえている友人に女官が電話をして、王室の人間が訪問するかもしれないと伝えた場合、まず、先発隊が現地に向かって、週末をすごす場所の安全面はもとより、王室の人間が快適に過ごせるようになっているかどうかを確認する。(’うらら’。。。ここまでは普通かな?って思うんですけど。。。)マーガレットから遣わされた女官の指示は「寝室にはジントニック、騒がしい子供はよそへ移しておくこと、ピアノの調律、指定のレコードの用意、’歌と踊りが好きな若い男性を呼んでおくこと’(えっ!仰天!!)昼用と夜用に指定されたきついアルコールの用意などなど」とか。(あきれた〜!) 

しかし、マーガレット王女は、エリザベス2世が王位についてからは、マーガレット王女ご自身の結婚式以外はあれこれ、なんだか冷遇されていたような感じで、とても彼女がそんなあつかましいことを廷臣や女官に指図できる立場にあったとは考えにくいですし、また、そのようなあつかましい人ではないように思うのですが。なので逆に、こんなことができたのは超権力者のエリザベス女王2世自身以外にいないのではないか?とわたしには思えるのですが。。。

また、p236のマーガレット王女がまるで金持ちたちにたかっていたかのような記述があるのですがこれもちょっと怪(あや)しい気がします。彼女にそのような権威を見いだして大金を供与していた人がそんなにいたとは思えないし、彼女自身もそこまで厚かましい人とは思えないし。。。最後のほうに著者がマーガレット王女の自宅を訪問した時の記述のところを見ても、マーガレット王女はとても質素に暮らしていらっしゃるご様子でした。

○フィリップ殿下がいろいろ浮気をしていたというのは、多分、事実なのじゃないかと思います。しかし、ここに書いてあるほど、派手だったのかは分かりません。しかも、何人もの浮気相手の写真つきですよ!!これは、ちょっと行き過ぎじゃないでしょうかね? これも、女王サイドからの誇張した証言が多く届けられたのではないか思われます。彼女は自分をちょっとでも、裏切ったら、もうその仕返しはたいへんなものって感じの人ですからね。また、逆に、女王自身の浮気についてはほとんど記述がないのもちょっと不自然な気がします。まあ、女王の廷臣などの中には、女王に都合の良いように情報操作などをする担当係がいるみたいですからね〜。

○それから、ダイアナ妃とセーラ妃に関してもかなり女王サイドに有利になるようにチャールズ皇太子やアンドリュー皇太子に不利なことはほとんど記述されていません。といっても、もうすでに、マスコミでさんざん取り上げられたので今さらと言う感じのところがありますが。まあ、この本の著者のキティーさんも、女王サイドに
あまり不利なことを書くと、キティさん自身がいろいろ圧力をかけられ、被害をこうむるかしら?とか、出版差し止めをくらうかも?なんて、警戒したのかもしれませんね。。。それにしても、セーラ妃に関してはあまりにもひどいのでほんとうかな?って気がします。両殿下とも浮気したのは本当でしょうが。。。多分。でも、あの下品な冗談のことといい、金銭面のことといい、あまりにもで、’でっちあげ’たところが多いんじゃない?と思われるくらいですね。( 多分そうでしょうね。。。        こういうのQベス得意なんだってばさ!! サタニストの極意でね!。。。’うらら’)



<p.s. >   。。。 と言ってもこれからが大事な 『本題』 です。

ジョージ5世は幼少のエリザベス2世をとても可愛がっていて、彼女がジョージ6世の後をついで女王になることを望んでいたという。また、ジョージ6世にしてみれば、本来は兄のエドワード8世が継ぐべきものを自分が代わりに継いだという、申し訳ないような気持ちがあったのかもしれず、やはり、エドワード8世の実子であるエリザベスに王位を継がせてやりたいという気持ちがあったのかもしれません。

さらに、実母テルマ・ファーネスの実家のアメリカのモルガン家にしてみれば、彼女が女王になれば、その血筋として大変な名誉で商売上で大きな大きな利点につながることは確実で、のどから手が出る位?強くエリザベスの’女王の座’を望んでいたのではないかしらと思われます。つまり、英王室内を含め、外の親戚など多くの身内の『期待の星』として小さな頃から扱われていたようです。

ごく幼少の頃から金の馬車に乗り、ダイヤモンドなどの豪華なネックレスなどをして、「小さな女王」というか「君主」として振る舞い、また、そのように周囲から扱われていたようです。わずか6、7歳で(それ以前からかもしれませんが)、すでに彼女自身もそれを強く望んで、大人にそういった扱いをするように強要していたようです。そういったところをジョージ6世はとても心配して祖母のメアリー王太后に手紙を書いておられます。これは祖母や祖父などの教育や、彼らの見せる臣下や召し使いなどに対する振る舞いのせいでそうなったのかもしれません。やはり、赤ちゃんの時の育児や教育はとても大事で一生にかかわってくると思います。「三つ子の魂百まで」のとおりかと。。。

ところが、この西洋の王室・貴族などの社会では、育児は乳母まかせということが多く(日本も以前はそうだった)、また、西洋では夜の社交パーティーも盛んに行われるので、そこで不倫なども発生しやすいようなのです。こういっったことから、育児はさまざまな面で親から切り離されていってしまっていたのだと思います。実際、エリザベス2世も、ジョージ6世の養女となる6歳くらいまでは乳母の世話や祖父母との交流(たまでしょうけれど)がほとんどで両親からはあまりかまってもらえなかったような感じです。そして、チャールズ皇太子もこの本のなかの証言にあるように子供のときは愛情とは無縁だったというようなことを言っていたそうです。(p153)
それに対して、父のフィリップ殿下は、「孤独は、王族の子供たちがこれまで苦しんできたものであって、これから先もそれはかわれあないだろうね」などと語っています。

つまり、人生の一番大事な時期に、一番愛情の必要な時期にそれを与えられないで育ってしまうということです。そして、精神的に不安定なままだけれど物だけは十分に与えられ、世の中の支配的な立場に育つ。パーティーで出会った相手などと不倫を繰り返しやすい、麻薬に溺れたり、酒におぼれたりしやすい環境が整っているし。。。p288にダイアナの言葉で「彼はじっと座っていることができないのよ」「まるで大きな赤ん坊みたいなの。」とあります。実は、エリザベス2世も子供のときから同じようです。(ある本から)つまり、精神的なことから起きる多動症のようなものだと思われるのですが。。。

そういう人たちが悪魔教やオカルトを信じて極悪非道なことをずっとしてきているわけで、もちろん王族の人全部が全部そういうわけではないのですが。。。。なんだか、王室・貴族の世界、ロイヤル何とかって(ロイヤル・ティーとかロイヤルバレー団とか王室ご用達のなんとかかんとか)、多分、みんなが、あこがれて買ったり、尊敬の念をもって見ていたんじゃないかと思いますけれど、この本を読んだら、なんだか〜〜〜〜ないほうがいいんじゃない???って思えてきてしまいました !

それから、チャールズ皇太子は子供時代は学校でいじめられっ子だったりしたんだとか。。。特にスコットランドの全寮制の寄宿学校に通った時はひどい経験をしたそうです。それで、女王はその仕返しに『スコットランドの名門の家柄の子供を虐待させたりした』* んですかね???  「1やられたら、100ぐらい返すような人ですからね〜」   でも、その件の一番の目的は、やはり、以前にも書きましたが、彼らを虐待して彼らを操り人形のようにして、彼らが大きくなって議会で重要な人になった時、エリザベス女王が自由に操れるようにするということだったのでしょうけれど。。。
*( 以前このブログにも書いたことなのですが)

それにしても、エリザベス女王自身も1953年に父、ジョージ6世の死去にともない彼女が王位に就く時に、イングランドの戴冠式では戴冠式用の高価なドレス(政府が高額100万ドルも出した)を着たにもかかわらず、スコットランドでの戴冠式では普段着のようなコートにハンドバックをかかえてやって来て、その格好のままハンドバックをかかえて、王冠を受けたというのですから、スコットランドとスコットランド人を侮辱するようなとんでもないことをしでかしているのです。ですから、もともと母親が巻いた種で子供がいじめられたのかもしれなくて。。。なんともね〜〜〜(p133)

しかし、このエリザベス2世の傲慢(ごうまん)な態度も、第二次世界大戦で、アングロ・サクソン王族の「ウィンザー王朝イングランド」がブリトン+ノルマン(ピクト人?)王族などの「スコットランド王朝?王族?」に勝ち優位に立ったからなのでしょうか?

p442に、チャールズ夫妻の別居に際して、「イギリスでは、労働党の下院議員アンソニー・ベンが君主制を廃止する議案を提出した。女王の代わりに大統領を置き、教会と国家を分離し、ウェールズとスコットランドに自治権を与えるというものだ。ベンの提案が討議されることはなかったが、これは王室の将来を心配する人々に不安を与えた。」とあります。やはりそういった声もかなり多かったのでしょうね。


<それから、プラスアルファいろいろと気になることが幾つか書いてあったので下記に挙げておきます。>

○ カミーラと元夫のアンドリュー・ボウルズの息子トーマス・パーカー・ボールズは、ティーンエイジの時に麻薬所持で警察に逮捕されたが、休暇中だったので、オックスフォード大学の停学処分を免れた。しかし、学生仲間にからかわれないように、彼はトム・ボウルズと名乗りはじめた。チャールズという自分のミドルネームが名づけ親の皇太子にちなんでつけられたことを認めたくなかった。(p446)
このことからも、この子がチャールズとカミーラの子の可能性は高いと思います。(以前にも他の理由を言いましたが。)

○ どこかに、アンドリュー王子がフィリップ殿下の子ではなく、女王の馬屋担当の人と顔がとても似ていると記されているところがありました。わたしは、アンドリュー王子もエドワード王子も?女王が浮気してできた子ではないかという気がします。すでに、エリザベス2世はすでに王位ついていて、祖母のメアリー王太后も亡くなっておられ、なんでも自由にできるようになってからは彼女は暴走しましたね。それから、1972年まで、エドワード8世が生きていましたから、父からナチズムやそういった悪い影響を受けたんでしょうね、多分。それに、アメリカの祖父のJ.P.モルガンjr(ジャック・モルガン)もドイツ銀行に関係があり、ドイツ銀行は戦時中ナチスを支援していたとかですから、やはりファシストだったのでしょう。ですから、プラス、そちらからの悪影響もあったでしょう。

○1996年、ダイアナは離婚の同意条件として、チャールズは『5年間、税金を含めて2600万ドルを、ダイアナに支払うこと』になり、さらに、「年間60万ドル」を、ダイアナのオフィスの人件費や備品費として支払うことを承諾した。(p497)
つまり、1996年の8月28日にこれを決定したが、1997年8月31日には、ダイアナ妃は交通事故で亡くなっています。つまり、チャールズは多分、離婚時に約束したお金の1/5しか支払わなくても済んだわけですね。(何だかあやし〜いって思うのはわたしだけでしょうか?) もし仮に、支払いが相続人に続けられていたとしても、その相続人が息子たちなら、あとで大きくなってから残りのお金をやっても損した気はしないでしょうし、いずれ自分の財産のいくばくかを相続するのですから。。。


★○冒頭の第1章「知られざるルーツ」  マーガレット王女が友人たちと映画「シンドラーのリスト」を見に行って、ナチの繰り広げる悪夢のような光景を見て、途中ですっくと席を立ち、「帰るわ、もうこれ以上ここに座っていられないの」と不快をあらわにして立ち去ったとあります。(p21〜)
p22のところに、「マーガレット王女は、英国王室ウィンザー家の王女として60年以上生きてきた。ドイツ人の祖先を捨て、サクス・コバーグ・ゴータ家の血を引いていることを認めないように育てられた。」とあり、さらに読み進むと、「『シンドラーのリスト』や’ホロコーストを描いた退屈な映画’をマーガレット王女が嫌うのは、彼女の血筋に暗い影を落とし続けるドイツの悪臭が漂うからだった。アルコール中毒、麻薬常習犯、癲癇(てんかん)、精神病、ホモセクシャル、バイセクシャル、姦通、不義密通、そして私生児といった一族の秘密も、ドイツ第三帝国との血縁関係と比べれば色あせてしまう。これらの秘密は、ドイツから持ち帰った戦時記録、一家の日記、書簡、写真、覚え書きによって裏づけされるが、それはウィンザー城の王室書庫の鍵のかかった地下室にしまいこまれ、学者や歴史家の詮索(せんさく)好(ず)きな目をのがれている。こうした秘密や不吉な事実は埋もれたままにしておくにかぎるということを、王女は心得ていた。」とあります。

つまり、このサクス・コバーグ・ゴータ家一族はたいへん異常な素質というか遺伝子というか、悪魔教信仰による結果なのか?悪臭のするような特異な性質をずっと代々の子孫に伝播(でんぱ)してきたということになるのでしょうか?  ★ ここはかなり重要なところかと思われます。

また、p46にも、「エリザベス王妃は夫アルバート(ジョージ6世)のアルコール中毒、彼の弟ジョージ(ケント公)のホモセクシャルと薬物中毒をひた隠しにした。そして、モントゴメリー陸軍元帥が夫ジョージ6世に送った、一触即発の事態を招きそうな軍事報告書と、マウントバッテン卿からの極レポート2通を闇に葬り去った。マウントバッテン卿はあるテレビ・インタビューで、このレポートは公表するには赤裸々すぎると語っている。皇太后は、夫の死後、この三つの書類がおおやけになるようなことがあれば、戦時中の一国の長としての夫の名が傷つくことを知っていたのだ。」
ヒットラーたちナチ?ファシストのあまりの悪行に驚がくしたのでしょうね。きっと。。。

これについては、以前、少し何かで読んだことがあります。人体実験などもいろいろやっていたのではないでしょうか。。多分、日本に満州で731部隊にひどい人体実験や研究などをやらせていたのもドイツのナチからの命令だったのではないかとわたしはこの頃思うのですが。。。ドイツとは同盟を組んでいましたし、明治政府のときから、東大の医学生はドイツ医学を学び、ドイツに留学などもしていたんでしょう? 関係は深かったと思われます。そして、終戦時に日本の731部隊の研究結果は「石井」という部隊のトップにいた人物が自分の罪を問われないようにアメリカと司法取り引きをして、アメリカに731部隊の資料は全部持って行かれたそうです。やはり、サクソンですね。ウィルスなどの生物兵器の研究などを特にやっていたみたいですね。


○p504に、皇后が亡くなれば、たとえ喪が明けるまででもあっても、人々の気持ちが再び王室に戻ってくると女王にはわかっていた。だが、いくら現実的でも、女王は母親の葬儀の詳細な計画に目を通すのをいやがっている。以下〜
こういうことまで(王室の人気をとり戻すためには皇后の「死の設定」まで)計画するってサクソン王族、貴族って一体なんなのでしょうかね? 恐いですね〜
サクソン人だと思うのですが、ドイツ系の一般の人にはいい人いっぱいいますよ。わたしも、イギリスでスイスから来ているドイツ系の人たちに親切にしてもらいましたから。。。ただし、英語のレベルの低いクラスの時のほうが、よい人が多かったような。他の日本人も言っていましたね。レベルが高いクラスになるにつれ、結構、人間関係が難しいって。彼らスイス人たちは、みんな1ヶ月とか3ヶ月とか短い単位のレッスンを受けて帰っていくので、日本人はわりと長期に滞在していて、その間にやさしいクラスから難しいくらすにグレードアップしていくんですよね。そうすると英語かなりできるドイツ系のスイス人とかに接して、ちょっと気位高いような、気難しいようなところもちょっとあったりしたみたいで〜す。ここらへんが、というかサクソン人の上層の人ほどにちょっとタルムード的な差別的な考えをしている人が多いんでしょうかね? もちろん、全部が全部そうというわけでもなく、同じ学校の中で、上級クラスのドイツ系と思われるスイス人の中にも、やさしい、いい感じの人もいましたよ。


○ p520に、『王制主義者』(王権神授説派ですかね?)のある貴族の話と『共和制支持者』の話が記してあります。

♤王制主義者の貴族の話 =「貴族のなかでは、だれもが親戚関係にあると考えられます」王制主義者である貴族たちはみな君主を固く信じ、ドーヴァーの白い崖があるかぎり、君主制は続くと断言している。

♠共和制支持者 =「上院をなくし、教会を州から切り離すという、国のための成文憲法を含め、君主制を徐々に廃止することを要求しようと考えている。


これは、英国の国民が考えて決断することではありますが、英国が世界を支配していることが分かった今、
これは世界の問題であるとも言えるのではないでしょうか?
日本の皇室は結構人気が高いですが、皇室の方たちご自身は皇室の未来をどのように考えていらっしゃるのでしょうかね? というところもわたしはちょっと気になります。

また、たとえ、王室が存続するにしてもやはりその人たちがあまりおかしい人であっては、ないほうがましですし。やはり、指導者として適格かどうかということがやはり、非常に問われるところであるとわたしは考えます。



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by Ulala-lov | 2009-12-10 17:35 | アングロ・サクソン王族